いを
2024-11-21 17:08:24
1835文字
Public モイラと鼎と糸車
 

過ぎ去った火


 ――美しい死に様だろう。
 ――縊死はどうだろうかと君は言う。
 先生の死体は美しくも何ともなかった。目や舌が飛び出、糞尿や体液が漏れ出して、見るも無惨な姿だった。だからこそ、その作品・・・・が俺の記憶にこびりついて離れない。
 呪咀のろいだ、と思った。

 庭の紅葉が地面に落ちる様子をじっと見つめる。立て付けの悪い襖を引いて、縁側にただ坐っている。
 定期的に落ちてくる真っ赤な葉は、やはり炎のようだと感じた。下から上に盛る炎だ。
 じき、三の酉の市がたつ。酉の市はあちこちで鶏の断末魔が聞こえてくるような気がして、気が向かない。
 袷の着物一枚では近頃、寒くなってきた。腕をさするとガサガサと音がした。羽織が一枚ほしい。とはいえ、ここから羽織を押し込んである箪笥までは歩かなければならない。めんどうくさい、と胸中で思う。それでも寒さには勝てず、畳の上を膝でこすりながら這いずった。桐の箪笥の中から黒い羽織が見えたので、それを引っ掴んで羽織った。羽織紐などついていないので、そのままだった。そしてまた縁側に行って、今度は沓脱石に足袋につつまれた足を降ろしてぼんやりと空を見上げた。秋の空は青白かった。後ろからドスンと音がしたので、のろのろと振り返る。熊手が落ちていた。熊手のお多福が目尻をさげたままこちらを見ている気がする。神や仏など信じてはいないが、なんとなく、燃やさなければいけないと考えた。この家は庭ごと借家で、大家は近くに住んでいる。手の甲で目をこすって、熊手を取り上げて庭に放り投げた。懐に入りっぱなしだった燐寸を擦って火を放つ。熊手は竹で出来ていたので、あっという間に燃えた。先生の死体もこうして焼かれたのだと思うと、なんとなく怒りが生じた。なぜ怒るのか自分にも分からない。
「熱い……
 燃えるお多福の顔や鶴亀、米俵が炎の中で歪んでいる。急に火照るように暑くなってきた。こめかみに汗が滲む。手首でこめかみを拭い、ため息をついた。そのまま熊手が燃え終わるのを待っていた。
 熊手を買っても鳴かず飛ばずは変わらなかったし、悪いことのほうがおおかった。どうしてこんなものを買ってしまったんだろうと今でも思う。けれど、きっと正月前にはまた買ってしまうんだろうなとも。市の雰囲気に呑まれてしまっているのだろう。自分の性格を自分でもいまいち分かっていないから、買わないときもあるのだろうけれど。自分を知らなくたって書ける。書かなければならない。自分という内面を捨て、そこにありもしない〝幻想〟をかたちづくらなければならない。文字という器を使いながら。
 後ろで驚いたような声が聞こえた。キンキンとした声だった。「春木先生!」と、女は喚いた。体をそちらに向けると、大家がバケツを持って肩で息をしながら立っていた。
「先生は――
 眉間に皺がよるのを自覚した。それでもお構いなしに、大家は「煙が出てるし、焼けるにおいすると思ったら!」と、そちらのほうが怒っているようだった。
「ああ、熊手を……
 燃やして、という言葉は喉から出なかった。
「もう、まったく。この家が燃えたかと思いましたよ、あたし。大先生が首吊りなんかしなけりゃもっと高い銭もらえてたってのに」
 女は関係ないことをぶつぶつとつぶやきはじめた。そうはいっても大家は体格がいい女だった。子どもを五人育てあげた彼女がいくつなのか分からないけれど、すくなくとも了よりは年上だということは知っている。いまだ嫁をもらわない了を笑いものにして裏でコソコソしていることも知っている。
「その水、くれないか」
「いいですけど、何に使うんです」
 差し出されたバケツを両手で掴んで、頭の上から水を被った。大家は目が飛び出そうになるくらい驚いた様子だった。頭の上の手ぬぐいがひらりと風に乗って地面の上に落ちた。
「さっきから熱くて。ありがとう」
 ずいとバケツを返すと、女は呆然としながら受け取り、「奇妙な師弟だよ」と独り言を呟いて去っていった。
 冷たい。水が、髪からこめかみ、ほおとおとがいを辿るように流れていく。すうっと息を吸ってゆっくり吐いた。つめたい水のにおいがした。
 濡れた羽織と着物はもちろん重たく、縁側によろよろと腰を下ろした。
 顎を上げ、ふたたび空を見上げる。変わらずに青白い空だった。雲が薄く千切れるように流れていく。

 懐の燐寸が濡れてだめになってしまったことに、今さら気付いた。