井見
2024-11-20 21:35:15
4098文字
Public 真Ⅳ・真ⅣF二次
 

天蓋を開く前に

希望のこと考えてたら書きたくなったやつです。二千字くらい。
みんなの希望もいいけど、一回帰省して、その……へへ……という気持ちです。燃えます。
2024/11/20:真Ⅳ全ルート行ったので更新しました!

 天井の木目がフリンを見下ろしていた。眠りがずいぶん深かったから、今がいつで、ここはどこで、自分が何故ここにいるのか、一瞬わからなくなった。しかし窓から差し込む日差しは儀式の日から何も変わらず優しくて、すぐにフリンはここがどこだったかを思い出した。枕元に置かれた銀色の物体を目にすれば、フリンは自分が誰だったかを思い出した。そして、自分がここにいる理由を思い出した。
 今日はここを終わらせる日だった。
 体を覆う布を退けながら、重い体を持ち上げ、ベッドに腰掛ける。休息や魔法で身体は万全に保てても、全身の疲労感は一日寝た程度では取れそうにない。そのせいなのか、戸口に誰かの気配を見たが、それは棚から作り出された影に過ぎなかった。自分の未練でしかなかった。
 フリンは何もない自室を出て、誰もいない廊下を歩いた。自分の足の音だけが響いた。夜の番から帰ってくるサムライが一人もいない。当然だ。夜の番なんてもう無いのだから。枯れかけた水で顔を洗う。もう新しく水を汲みに行く必要もない。次の人のための片付けも何もしなくていい。フリンは残っている水を全部捨てた。作ったばかりの水たまりを思い切り踏んだ。冷たいばかりの水は鋭く跳ねて、足元に突き刺さった。
 廊下に足跡をつけながら自室に戻ると、フリンは眠る前に脱ぎ捨てた制服を一つ一つ拾い上げ、初めて着るときのようにゆっくりと身につけた。白いスカーフはすっかり汚れて、首に巻かなければただのぼろ切れにしか見えなかった。スカーフの端からほつれた二本の糸を、引きちぎって捨てた。暗いままのガントレットを左腕にはめた。準備を終えて寄宿舎を出るとき、足を引っ掛けて転びそうになったが、『大丈夫?』という声は聞こえなかった。ここにいる間だけ、と願ったとおり、バロウズはフリンをひとりきりにしてくれていた。

  *

 朝日に照らされた街を美しいとは思えなかった。意味もなく閉じられた堅牢な扉、誰も振り返ることのない花壇、すっかり枯れた噴水。民に捨てられた、民に捨てさせた場所は、これからのことを何も理解していなかった。
 フリンはその抜け殻の街を歩いた。万が一のことがあってはいけないから。……万が一とは? 逃げ遅れた人間がいること? 街に悪魔が入り込んでいること? そのどちらでもないことしかわからない。自分が何故ここに残っているのかもよくわからない。一刻でも早く東京に戻って、この朝日を地上に届けるべきなのに。フリンは迷子の子どものように、じっと耐えながら目を濡らした。
 時の流れが捻れた東京にいるときは、フリンの心の時間も不思議と止まっていた。人々が羨望の目で、期待に満ちた眼差しで、フリンを見つける。彼の肩を叩く。背中を押す。フリンは緩い笑顔で頷く。自分の名前が一番上に輝く掲示板を見上げながら、周りの人たちが喜ぶ声をぼんやりと聞いていた。
 だがミカドの天高くに昇った日差しはフリンの心の内を容赦なく暴いた。おまえにとっての地上とは、この大地ではないのか。生まれてからガントレットを腕に嵌められるあの日まで過ごしてきた、この場所こそが、おまえの故郷だろう。突如目の前が暗くなり、フリンははっと顔を上げた。太陽が雲に隠れただけだったが、フリンは彼を責め立てる大天使の影を見た。フリンは思わず最寄りの建物へ駆け込んだ。そこはKの酒場だった。
 人一人残っていない酒場は、しんと静まり返っていた。掲示板に誰かが書き残していた「ありがとうな、フリン」なんて言葉が、フリンを捕らえた。感謝される筋合いなどなかった。ほんとうは、ぜんぶ知らないよと叫びたかった。誰もいない今だけは言えるだろう。なんで、こんな目に、と。しかしフリンは口を噤んだ。それだけは言えない。誰も聞いていなくとも。
 フリンは逃げるように街を下っていった。ラグジュアリーズの居住区は見たことがないくらい荒らされていたが、カジュアリティーズの居住区まで降りてくると、いつもどおりに小汚かった。しかし途中の路が真っ赤に染まっていて、フリンは思わず立ち止まった。果物の籠が倒されて、中身が軒並み踏まれてしまっているだけだった。
 フリンはそこで耳を澄ませた。何かが聞こえる。この街に残っているのは鳥の囀りくらいのはずだが‪──布を引き摺るような音は、誰かの啜り泣きに違いなかった。音の方向を探ると、扉を頑なに閉ざした家がある。裏手に回ってみると、ベッドに身を伏す男が窓から見えた。フリンは彼をじっと見つめた。ただの人間か? それとも、人間だった悪魔か? フリンの片手は剣に伸びた。
 男はフリンから滲み出る殺気に跳ね起き、怯えたように周りを探した。窓の外のサムライを見つけ、男の肩はびくりと跳ねた。
 フリンは、剣から手を離した。男がひどく狼狽しているのがわかったからだ。彼は努めて穏やかに、
「あなたは人間か」
 と問うた。
 すると男は、
……まだ、悪魔にもなれない」
 と答えた。
 果たしてそれが真実か、ここから確かめる術はない。だがそんなことはどうでもよかった。男には戦う意志が、〝次〟へ向かう意志がない。それがわかった。
「ここに残るのなら、あなたは死ぬ」
 だからこそフリンは無慈悲な事実を述べた。互いに既に知っている情報をいくら繕っても意味はない。数刻後、この東のミカド国を形作る岩盤は崩れ、男の命もミカドと共に失われるだろう。
 男は上体を起こし、両手で顔を覆った。再び先ほどの布を裂くような音が聞こえた。だが男は立ち上がりもしなければ、フリンに食ってかかるわけでもない。 
 フリンはその場に立ちつくした。ヨナタンなら「馬鹿なことを考えてはいけない」などと言いながら彼を引きずり出すだろうか。ワルターは「そういうの、こっちの寝覚めが悪くなるだろ」とか言って、ヨナタンと逆の側から男を押し出すだろうか。イザボーはきっと彼の手を取って「一緒に行きましょう」なんて言うだろうか。
 しかしフリンは男に言った。
「あなたが、それを選ぶなら」
 男からの返事はなかった。
 フリンは彼のいる家を背に、ゆっくりと階段を下りた。一段ずつ踏み締めた。ミカドの人々は急いで移動させられたからか、道中にはさまざまな落とし物があった。宝飾品、帽子、鞄、靴下、下着、食べ物、誰かの写真。フリンはそのどれをも拾わなかった。全てを拾うことはできない。ならばどれにもさわれない。
 ミカドの街を出る頃には、太陽は最も高く昇っていた。フリンは街を振り返った。層状の城塞はきらきらと輝いていた。これが明日にはすっかりないのかと思うと、フリンは少し笑った。
 農道に放られた馬の一頭に駆け寄って、乗せてくれないかと頼んでみる。大人しくなった馬にまたがって、フリンは道を進んだ。人以外の生き物たちは取り残されていて、草原にはまだたくさんの命があった。昼寝にぴったりな湖にも、魚や水草が揺蕩っているだろう。その湖の、綺麗な円形の淵を、なぞるように一周してから、フリンは故郷へ向かって駆けた。あの日のように。
 
 森は夕陽に照らされて深い影を落としていた。幼い頃、両親に連れられた日の色だった。父は右手を掴みながら「危ないから子どもだけで入ってはいけない」と、母は左手を掴みながら「森の中から出られなくなっちゃうんだよ」と何度も繰り返した。もちろんイサカルと一緒でも駄目だ、と自分が聞く前に付け加えられた。今はもう誰にも叱られないので、一人で入ることができた。
 森の奥へ奥へと進んだ。入ったことのない道もあったから、今のうちにと眺めた。人間どころか、悪魔の一体もないのは、天使たちに殲滅されたからなのだろうか? 彼らがそこに存在していた証を丁寧に抹消されていて、まるで初めからいなかったみたいだ。
 フリンは小高い場所まで来ると、持っていた剣を地面に突き刺した。燃えるこの村で、埋めた遺体を前にして、あるサムライがやっていたことの真似だった。
 正しい方法はよく知らない。祈りを捧げるわけでもないし、埋められる肉体もない。だが間違いなくこの場所には、彼の血が染み込んでいるはずだ。他ならぬ自分が、この剣で斬り裂いたのだから。
 フリンは人差し指を立て、大きく息を吸った。悪魔から教わったように、体を流れる血ではない何かを指先に集めて、溜めた息をふっと吐いた。赤い輝きが空に舞い、近くの枯れ木に触れた。木はその輝きにぐんぐん包まれ、真っ赤に震えた。それが合図だった。身の丈ほどの炎が燃え盛り、木を食い漁りながら、隣の木々に手を伸ばしていく。こうなればもう止められない。
 ぱちぱちという音が、ごうごうという音になった。
 明るい光が、眩しい光になった。
 あたたかさが、熱さになった。
 視界が霞む。喉が焼ける。
 ああまずい。
 ようやくフリンは森の外へと駆けた。惑う馬を捕まえて、少し離れた高台まで逃げた。馬と自分の荒い息を宥める間に森はすっかり炎に包まれ、焼けた匂いがここまで上ってきていた。赤い光ばかりが目の前にあったが、次第にそれは村へと伸びた。火は草を伝い、庭へと駆け込んでくる。冬の間に集めた枯草がその火に餌をやった。燃え上がった火の手は家の壁を舐めた。窓を見つけると、室内に食い込んでいく。外と内から炙られて、家はその形を崩した。
 この炎はどこまで広がるだろう。森と村は飲み込めるだろうか。フリンは念の為、もう一度火の魔法を落とした。
 炎の勢いが一層強まり、真っ黒な煙がのぼって、フリンの顔を撫でた。思わず目を擦りそうになったが、汚れてしまうから我慢した。でも煙はやっぱり汚いので、フリンの視界はぼやけた。どうしても炎は熱くて、眩しくて、ひりひりする。誰も見ていないんだから、顔が汚れてしまったっていいか、とフリンは思った。首元のスカーフで思いっきり顔を拭うと、白かったスカーフはすっかり黒ずんでしまった。スカーフを外して、炎に向かって投げ込んだ。故郷から持ってきたものは、あれが最後だった。



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