あったかいの


 


 寒さというのは人と人との距離を縮める力があるもので。
 忍術学園の客間、隣の布団でもぞもぞ体を擦り合わせている彼にちょっとふざけて「そんなに寒けりゃ、こっち来る?」なんて言ったら向こうも「はい」なんて答えて嬉しそうに胸元へ滑り込んでくるもんだから。
 暖を取る体で抱きしめても文句一つ言わずにニコニコしているし、すぐ近くに顔があるし、ふと魔が差して唇を重ねてみたのだった。
 そうしてみてから自分でしたことの意外さに驚いて相手の顔を見ると、彼は厭うでもなくぽっと頬を染めて黙っていた。
 なぜだか許されたような気持ちになって、そして俺はどこまで彼に許されるのか知りたくなって、狭い布団の下で彼の体を撫でまわし、解して開けた。すぐには綻ばない冬の花芽のようにこわばる体は、それでも否と言わなかった。だから、動けばどちらかの体のどこかが布団からはみ出て外気にふれるような頼りない薄ら寒さの中だっていうのに、お互いの熱でもって一夜をしのいでしまったのだ。
 小松田くんは一声も発しなかったし、私も何も話さなかった。
 ただ黙って、お互いの情に流されるのが心地よかった。
 その後も幾度かそんな夜を重ねるうちにやがて春がきて、もう体を温め合う大義なんてなくなったのだけれど私たちはまだ一つの布団で眠った。
 何も言葉を交わさないのがかえって彼との絆のように思えて、秘めた関係に満足していた。

 そしたら、ある時ぱたりと彼が部屋へ来なくなった。
 初めは用でもできたのかと気にしていなかったが、その後何度学園に訪れても彼が夜に布団を持ってやってくることはなかった。
 元々約束なんてしていなかったのだし、気持ちを告げ合うなんてこともした試しがないのだから、別に彼が何をどう思おうと私の知るところではない、のだが。
 ひょっとしたら沈黙を絆だなんだと捉えていたのは私だけで、お互いの温もりを分け合う行為だって彼にとってはただ奪われるものだったのかもしれない。
 嫌がる様子は今まで少しもなかったが、その代わりに一言だって彼の本心を聞くことはなかった。私は尋ねさえしなかった。
 一人で眠れもせずに過ごす客間の夜がこんなに長いことを、日の出が早まりつつある頃になってから初めて思い知った。
 それを気づかせた張本人、私の側にいない小松田くんのことが何だかどうにも気になって、起きた後にそれとなく学園内を歩いて彼を探し、倉庫の整理だとかで一人になるのを物陰に隠れて待った。
 わざと気配を消さずに倉庫の戸口から入ってみたが、彼が気づく様子はない。棚に向かって備品を確認しながら手元の台帳と数を見比べている。
 真剣な表情。丸い頬や幼い顔立ち。細かな傷だらけの指先。私の手を離れてからというもの、自分の体の一部が欠けたように感じるのはなぜだろう。もともと無関係の他人で、その鈍くささに苛立ちすら感じる彼なんて、私の一部などではなかったのに。
 戸口に寄りかかったままじっと見ていても一向に気がつかないので、背後へ近づき「小松田くん」と声をかけながら肩に手を置こうとしたら
「触らないでください」
と彼は振り返らずに言った。
 ぴしゃりと目の前で門を閉ざされたような感覚だった。
 あっけに取られた後、私の胸は早鐘のように打ち始め、いよいよ私の中から抜け出した温度が取り返しのつかないものかに思えた。
 ――だけど、小松田くんだって、何も言わなかったじゃないか。
 いいとも嫌だとも、好きとも嫌いとも、何一つ。
 私の内側へするりと入り込んできて、馴染んだ頃に急にいなくなるなんて。
 ――いや、酷いのは、けっして彼の方じゃない。
「怒ってるの?」
 半歩踏み込めば重なる距離で、それ以上近づけずに背中へ目をやる。無言のままの肩はしばらく動かなかったが、ややあってぽつりと言った。
「こわくなったんです」
「私のことが?」
「いえ……
 彼は今、どんな顔をしているだろうか。
「聞きたい」
 私はもう、許されることはないのだろうか。
「僕、憧れだったんです。利吉さんのこと。それで、何となくああいうふうになって、夢みたいだと思ってました。ずっと。でもお付き合いしてるってわけでもないし、利吉さんも何もおっしゃらないので」
 彼が言葉を詰まらせた。
 泣いてる。身動きもせずに。
「僕だけが嬉しいのかと……。一緒にいて、そんな気持ちになるのはきっと僕だけなんだと気がついて。もちろん、憧れるのは僕の勝手ですから、利吉さんの方は何とも思っていなくたって、かまいません、けど」
 震える背中は雨に濡れそぼる仔犬かなにかのように思えた。
「そしたら、なんていうか、ぜんぶ偽りのような気がしてきて……。利吉さんが僕に優しい気がするのも、ふれると温かい気持ちになるのも、最初からありもしない絵空事を抱きしめているみたいで、こわくて」
 泣きじゃくる彼の背中を、私は思いきり抱きしめた。
「ごめんね」
 彼は一度びくりとしたが、私の声を黙って聞いていた。
「君に言ってないことがある」
 はらはらと溢れ落ちる涙が、腕を回した私の袖を濡らす。小松田くんの耳元へ口づけそうなほど顔を寄せて、ひそめた声で伝える。
「君とこうしてると温かいよ、とても」
 彼は、私の腕にしがみついてしゃくりあげた。
 だからいなくなるなよ、と乞うように願いを告げると、小松田くんは鼻をすすりながらはい、と濁った声で言ってくれた。
 私たちはそれから長いこと抱きしめ合った。
 二人とも何も言わなかった。
 彼のぽかぽかとした温もりが私の腕の中を満たしていく。冬でもないのに寒がっていた胸へ、またあったかいのが戻ってきた。
 もう離すまいと力を込めたら苦しかったのか、つぶれた蛙のような声を小松田くんが出すから、感傷なんてどこかへ吹っ飛んでいく。
「まったく、君にはかなわないよ」と笑ってしまった。





(終)