ある朝のこと。
「うわあっ?!」
ソルティスの聴覚センサーが聞き覚えのない甲高い声を感知し、Aiはスリープを解除した。
声のした方向、遊作のベッドの方を確認すると、そこにはパジャマ姿の少女がへたり込んでいた。
「Ai
……っ、俺だ。遊作だ」
困惑した表情の少女はAiに必死にそう訴えかけてくる。
「なっ? あんたが遊作だって?」
「ああ、目が覚めたら女になっていた。俺自身も信じられないような状況だが
……本当なんだ、信じてくれ」
「
……」
遊作を名乗る少女の動揺しつつも真剣な様子にAiも戸惑う。機械的に判断すれば目の前にいるのは遊作によく似た特徴のある見知らぬ少女だ。だが、そこに状況の連続性や自身の感情といったものを考慮すれば話は違う。
「いや、わりぃ、俺も混乱してんだ。だけど」
Aiは少女の肩をそっと引き寄せ、優しく抱きしめる。
「ちょっとくらい姿が変わったって、遊作がちゃーんと元気で生きててくれるなら、俺はそれだけで嬉しいんだぜ?」
少女、いや遊作はその反応に目を丸くするが、信じてもらえたことに安堵したのか相棒の腕の中で小さく体を震わせ
……ふと何かに気づいたようにAiの耳元に尋ねる。
「どこの昼ドラで覚えたセリフだ?」
「あーん、そういうのじゃないってぇ! くーっ、この塩対応、間違いなく遊作だな!」
なぜか嬉しそうな、普段と変わらない調子のAiに緊張がほぐれたのか、ようやく遊作の表情が緩んだ。
「ところで、これから一体どうすればいいんだ?」
ようやく落ち着いてきたところで遊作は困ったように呟く。女の子になって一回り小柄な体格になってしまったせいでパジャマもぶかぶかになっている。
「まずは着替えたほうがいいか」
遊作は普段着のパーカーを手に取り、無造作にパジャマの前を開けようとして
――
「わーっ!! ちょっと遊作!? 俺が見てるでしょ!!」
慌てた様子のAiに止められる。
「? 別に着替えくらい、いいだろ?」
「よくなくて! 遊作は今、女の子なの! 乙女のそーゆー姿を簡単に人前に晒すもんじゃないの!!」
女の子になってしまったことへの戸惑いはあってもまだあまり実感として飲み込みきれていなかった遊作だが、そんなことを言われてしまうと妙に意識してしまう。なんだか急に恥ずかしくなり、Aiに背を向けてそっと胸元を覗き込む。そこにはふっくらとした膨らみが
……今の遊作にはささやかながら胸だってあるのだ。
「っ
……!」
改めて自分の目で確認して頭がくらりとした。慌ててパジャマの前を押さえる。
「な? わかっただろ。遊作ちゃんさぁ、もっと自分を大切にしなきゃだよ? それにしてもパーカーってのも色気がないよな
……なぁ、こういうの着てみたりしない?」
Aiはいつの間にかタブレットで検索していた画像を見せてくる。表示されているのは女性向けの服で、Aiの好みなのかひらひらしたブラウスやふんわりしたスカートのようなかわいらしいものばかりだ。
「なっ、なに言ってるんだ。俺は男だぞ」
「えー? 今はしっかり女の子なんだろ。それにせっかくかわいいんだからかわいい格好しなきゃもったいないぜ?」
「かわいい? 女になったって俺は俺だ。そんなに見た目に変化なんてないだろ」
「んー? だいぶかわいくなってると思うんだけどなぁ」
Aiは遊作の顔を覗き込む。元から少々女性的な顔立ちの遊作だが、比較してみれば女顔と女の子の顔というのはかなり違っている。肩ほどまでさらりと伸びた髪。普段よりも丸みのあるふっくらと柔らかそうな頬は薄紅に染まっている。薄くなった眉は困ったように下がり、長い睫毛が縁取る大きな瞳はほんのりと潤んで不安の色が浮かんでいる。
「あ、Ai
……あまり
……ジロジロ見るな
……」
鈴の鳴るような愛らしい声を紡ぎ出したのは花弁のような可憐な唇だ。震えるその声と華奢な体は簡単に壊れてしまいそうな儚さを纏っていて、いつも以上に危なっかしい。
……などと分析していると急に目の前が暗転する。
「わぷっ?」
顔面に枕を投げ付けられたのだ、と認識するのに人間並みに時間がかかった。
「いい加減にしてくれ!」
気がつくと遊作はすっかり真っ赤になっていた。
さっきまではあんなに無頓着だったのに。人間ってのは難しいものだ。
とりあえず他にできることもない。遊作はあまり体のことは意識しないようにしながらパーカーとスウェットパンツに着替えた。やはりサイズは少し大きい。
遊作の着替え中は壁を見つめていたAiが向き直って、首をひねりながら呟く。
「うーん、その格好じゃなーんか野暮ったいよねぇ
……あっ、そうだ」
少しじっとしててな、と告げるとAiは長く伸びた遊作の髪を梳きはじめ、そのままなにやらいじくっている。
「ほら、これでちょっとは華やかだろ?」
姿見を背に立たされ、Aiに渡された手鏡を覗くと、長い髪がヘアゴムでポニーテールにまとめられているのが見えた。
「これは
……」
「俺がたまに髪まとめるのに使ってるやつ」
「いや、そういうことじゃなくてだな。その
……悪くはない、な」
「ふぇ?」
もっと文句でも言われるかと思っていたAiは遊作の意外な反応にきょとんとする。
「
……なんだその反応。お前がやったことだろう?」
「いや、遊作って意外とこういうの嫌じゃないんだなって」
Aiは目をパチパチとさせながらもごもごと呟く。
「ああ。邪魔になる長い髪をまとめるのは合理的だろう」
「あっ、そういうことね
……」
「それに
……お前の言う『かわいい』というのもそんなに悪いものじゃない、かもしれない」
遊作は少し恥ずかしそうにそわそわと俯きながら小さな声で付け加えた。
本当に想定外の言葉にAiは一瞬フリーズし、恐る恐る聞き返す。
「あのー、遊作? もしかしてバグった?」
「黙れ」
デリカシーに欠けるその言葉には、むすっとした表情といつも通りのしょっぱい反応が返ってきた。
「それにしてもAi、お前今日はなんだかときどき鈍いというか、少し反応が遅いよな?」
不思議そうに訪ねた遊作に、Aiは少し困ったように笑う。
「あはは
……バレちった? AIじゃこういう突拍子もないファンタジーなことにはなかなか対応しづらいんだよな。遊作が女の子になっちまったなんて、これまで積み上げてきたデータじゃ対処しようがねぇからどうしても普段より反応が遅れちまう」
「じゃあ俺がこうなった原因の推測や未来の予測なんかもできないのか?」
「ああ、全然情報が足りねぇ。なにも参照できるものがねぇからなんだか変な感覚だな」
その言葉に遊作の表情が綻ぶ。
「ふふっ、それならいつもと違って落ち着かないのはお互い同じなんだな。そうか、お前も一緒なら心細くないな」
「ありゃ? 遊作も心細いとかそんなこと考えるわけ?」
「当たり前だ。お前は俺をなんだと思ってるんだ?」
なんだかおかしくなってきて、ふたりは顔を見合わせて少し笑い合った。
「
……んで、これからどうすんの?」
「じっとしてても仕方がない。まずは草薙さんに相談しに行ってみようと思う」
「お前ほんとに草薙のことやたらと信頼してるよな
……あっ、遊作のブラジャーとかも買いに行かないとだよな」
「い、いるのか?」
「そりゃ必要でしょ! 女の子の体はデリケートだって言うぜ? あっ、あとかわいい着替えも必要だよな。それとそれと
……」
「はぁ
……俺は早く男に戻りたいんだが
……」
いつもと違うふたりはいつものようなやり取りをしながら支度をし、和やかに賑やかに出かけていった。
「Ai
……待ってくれ
……」
草薙に相談しに行くためにワゴンが営業しているであろう広場を目指していたふたりだったが、歩いているうちに遊作とAiの距離はどんどんと離れていく。
「どしたの遊作?」
「さっきから
……その
……違和感が
……」
遊作は俯きながら胸元を抑える。
控えめとはいえはっきりわかるほどにあるやわらかなふくらみが動くたびに揺れて
……
生まれつきの女性ならばそこまでは気にならないほどの感覚なのかもしれないが、女の子になったばかりの遊作は今、その存在感を痛感していた。
「ほら、やっぱり下着はちゃんと着けてたほうがいいんだって!」
Aiにそう言われると反論はできなかった。
「女の子の身だしなみってやつだな。草薙に会う前にちゃちゃっと買いに行こうぜ?」
「
……仕方がない」
遊作は恥ずかしさと不便さを天秤にかけて渋々覚悟を決めた。
Aiは一瞬で近くの店舗を検索する。
「ん、そっちのビルん中にお手頃でかわいい下着を扱ってるショップがあるな」
「別にかわいさを求めているわけじゃないんだが
……まあいい、案内してくれ」
覚悟は決めたつもりだったが、実際に店の前まで来て色とりどりの女性用下着が目に入ると動揺して逃げ出したくもなる。
どれを買えばいいのかもわからないし、しかも自分は場違いな長身の男を連れている。
悪目立ちしてはいないだろうか? などと悩む遊作をよそにAiはあっさりと店員に声を掛ける。
「すみません、妹に下着を選んでもらえませんか? コイツ、男っぽい性格な上に恥ずかしがり屋なもんで、今までちゃんとしたものを買ったことがないらしく兄としては心配で
……」
よくもまあそんな嘘がペラペラと出てくるものだ。いつものことではあるが。
「そんじゃ、妹よ! 兄ちゃん向こうで待ってるからなー!」
Aiはデタラメを語るだけ語って、笑顔でひらひらと手を振って出ていってしまう。
なにが兄だ、と言いたい気持ちもあったが、Aiのおかげで話を切り出しやすくはなった。
男なら
……いや、今は女なのだが
……ここまで来たのなら腹を括らねば。
遊作は恐る恐る店員に話しかける。
「よろしく、お願いします。すみません、お節介で出しゃばりな
……兄で」
「おっかえりー
……ん? どうしたんだ?」
Aiと合流した遊作はなんだか落ち着かない様子だった。
「別に
……」
言えるわけがないだろう。人生ではじめてバストサイズというものを測られた上に、想像以上にかわいらしいデザインのプラジャーと揃いのショーツを勧められて動揺し、しまいにはブラの調整のために店員に体を触られてびっくりしてつい声を上げてしまったなんて
……!
はじめてですものね、と店員は慣れた様子だったが、遊作にとっては店員の想像以上に初めての要素がありすぎて終始気が気ではなかった。
「
……ところで、それは?」
遊作は話を逸らそうとAiの手にぶら下がっている袋のことを尋ねる。
「よくぞ気づいた! じゃーん!」
手渡された袋からでてきたのはレディースのスニーカーだった。
「遊作、足の大きさも変わってるだろ。さっき歩きにくそうにしてたじゃん。サイズは歩き方からの推定だけど、たぶん合ってるはずだぜ」
さりげないその心遣いに遊作の胸にじわりと込み上げる感情がある。
「Ai、ありが
――」
「遊作に似合いそうな服のシミュレートもしてたんだけど、流石に買ってる時間がなかったからさ。まずは草薙のとこに行くんだろ? 服は後で買いに行こうな!」
「
……」
なんだか複雑な気持ちになった遊作はそれ以上何も言えなかった。
広場に到着し見慣れたワゴンに近づくと、Aiに気づいた草薙が声をかけてくる。
「よぉ、いらっしゃい! って、あれ? そっちの子は
……」
草薙の言葉にぎゅっと身を固くする遊作。そこそこに長い付き合いの草薙が疑問符を浮かべるほどに、今の姿は普段の自分と異なっているらしい。
「朝起きたらさ、遊作が女の子になっちゃってたんだよねぇ」
「えっ、たしかにそっくりだが
……君、ほんとに遊作なのか?」
草薙は少しかがんで遊作の顔を覗き込む。
「あっ、ああ
……本当なんだ、草薙さん」
「驚いたな
……でも、信じるよ。Aiはともかく遊作はこんな冗談やるわけないもんな」
「俺はともかくってなによぅ」
Aiの抗議を背に草薙は遊作ににこやかに笑いかける。ストレートな優しさになんだかAiに抱きしめられたときよりも変に恥ずかしくなって、遊作はもじもじとしおらしく俯いてしまう。
「なんでこうなっちゃったのか俺の積み上げてきたデータでもお手上げでさぁ
……草薙、なんかわかんね?」
「そんなこと言われたってなぁ
……とりあえず俺の方でも調べてはみるよ。それよりも
……顔が赤いが大丈夫か、遊作?」
「な、なんとか
……」
相談しに来たはずなのに、草薙に優しく話しかけられるとなぜだかドキリとしてうまく喋れなくなってしまう。
「あら~
……遊作ちゃんってば、オトメなカオしてる」
「っ
……黙れ」
「あんまりからかってやるなよ? きっと遊作も苦労してるだろうしな」
「草薙さん
……」
このなんだか胸がギュッとなる気持ちは、きっと草薙さんの大人な態度への憧れからくるものなのだろう。そうに違いない。決して、決して草薙さんに対してドキドキしているわけじゃない
……そう自分に言い聞かせる遊作の横で、
「えー? なんで草薙のときだけそんな反応なワケー?」
と、Aiはちょっぴり不満そうだった。
ひとまず元気を出せ、と草薙にホットドッグとコーヒーを奢ってもらうことになった。
ホットドッグを焼いてもらっている間、渡されたコーヒーを一口飲んだ遊作は軽く咳き込み、渋い顔で尋ねる。
「ケホッ
……草薙さん、豆変えたのか?」
「いや、いつもの豆だぞ。どうかしたか?」
「いつもより苦みと渋みが強いような」
遊作の言葉に草薙は自分でコーヒーを淹れて一口啜る。
「うーん? 味にも変わりはないようだが
……悪い悪い、代わりにオレンジジュースでいいか?」
「ああ
……すまない、ありがとう」
Aiは、ふむ? と興味深そうにそのやり取りを眺めていた。
「ああ、そうだ。もうすぐうちのお客様感謝デーってことでさ、仁が菓子を配るのはどうかって提案をしてくれてな。隣町の菓子店のクッキーを仕入れる相談をしていて、試しに少し買ってあるんだ。こいつの味見、頼んでもいいか?」
「構わないが、俺は普段甘いものはそんなに食べないから参考になるかは
……」
そう言いながらも遊作は草薙に渡されたクッキーの個包装を開ける。バニラとココアの生地が市松模様になった、アイスボックスクッキーというやつだ。
何気なくそれをサク、と齧った遊作の表情がぱっと輝く。
「なんだこれ、すごくうまい! 香ばしくて優しい甘さで
……こんなにうまいクッキーなら、いいサービスになるんじゃないか?」
「おっ、それは嬉しいな! しかし遊作がこんなに喜んでくれるとは予想外だな。うちのホットドッグもたまにはそのくらい褒めてくれよ」
草薙は苦笑いする。
「ふんふん、にゃるほど
……やっぱり遊作、味覚も女の子寄りになってるんだな」
「えっ?」
Aiの放った言葉にクッキーを齧っていた遊作の手が止まる。
「男よりも味に敏感で、苦味や酸味なんかを感じやすく、甘味に対して好感を持ちやすい
……女性の味覚の特徴みたいだぜ。もちろん個人差や好みはあるけどな」
「
……」
そう言われて齧るクッキーのココア味は、さっきよりもなんだかほろ苦かった。
「どう、すればいいんだ?」
草薙に礼を言って、ワゴンが見えなくなるまで離れたところで、遊作はぽつりと不安げにこぼした。
姿が変わって、下着や靴も女の子のものを身につけて、草薙さん相手に緊張してしまったり、味覚さえも変わって
……普段との違いを感じるたびに女の子になってしまったことへの実感と不安が襲ってくる。俺は
……ちゃんと男に戻れるのだろうか?
「ちょっ、遊作!? どっか痛むのか?」
慌てたようなAiの声に意識が現実に引き戻される。
いつの間にか遊作の目には涙がじわりと溢れていた。
「なっ
……俺、なんでこんな
……」
こんなに涙脆いのも女の子になってしまったせいなのだろうか?
なんだかさらに不安になってきて、遊作はついにすんすんと鼻を鳴らしながらぽろぽろと泣き始めてしまう。
「わわっ!? 落ち着いてくれ、な?」
「だって
……だって、俺ぇ
……」
少しずつ、段々と自分が自分でなくなってしまうようで、そのうち心まで完全に女の子になってしまうのかもしれないと思うと、ひどく怖い。
Aiは近くのベンチに遊作を座らせ、なだめながらその話を聞いていた。
「うーん
……泣いちゃったのってさ、女の子だからってより、遊作がいつもより自分に素直になってるってことじゃない?」
「どういう
……ぐすっ、意味だ?」
「今朝だって心細いって言ってたろ。フツーじゃあり得ないような事が起きれば誰だって不安になるし気持ちが弱くもなるってもんよ。特にお前さ、いつもクールぶってるぶん今は取り繕う余裕がなくて、余計に感情が表面化しやすくなってるんじゃないの?」
言われてみればそうかもしれない。
普段はクールだのドライだのと言われがちな遊作だが、今は自分のことを考えるので手一杯になっている。
抱えきれない感情が溢れて、いつもよりもはっきりと言動に反映されているのかもしれない。
「あんまり心配したってもとに戻れるわけじゃないし
……だからさ、ゆーさく! 俺とデートしよ!」
突拍子もないAiの言葉に思わず遊作の涙も止まる。
「なんでそうなる?」
「だって中途半端に女の子っぽくなってるのを感じて不安になってるくらいなら、もういっそ戻れるまで女の子を楽しんだほうがお得だろ?」
「だからってなんでデート
……」
「いいだろ! なぁ、草薙だけじゃなく俺にもカッコつけさせてくれよ~」
どうやらAiは先程の件で草薙に謎の対抗心を燃やし始めたらしい。
「まったく
……別に俺は草薙さんやお前をそういう目で見ているわけじゃない」
「でもでも、俺だって遊作をきゅんきゅんさせたいの!」
「
……お前は変に格好つけようとしてないときのほうがまだ格好良く見えるんだがな」
遊作は小声でぽそりと呟いた。
「んあ? なんか言った?」
「別に。それで、どこに行くんだ?」
「え、いいの?」
Aiは不思議そうな顔をする。
「お前の提案だろう。だが、全てに納得したわけじゃない。たしかにただ思い悩むよりも、いっそ波に乗ってしまったほうがいいこともあると、そう感じただけだ」
「うんうん、そのノリ! そんじゃさ、まずは
――」
「こんな格好
……おかしくないか
……?」
Aiの選んだひらひらしたブラウスとふんわりしたスカートに着替えさせられた遊作は落ち着かない心持ちだった。ふんわりした布が足にまとわりつく感覚ははじめてで、なんだか変な感じだ。
たまにはAiのたわごとに付き合ってやろうかと思ったら、じゃあデートなんだからまずはそれっぽくしようぜ! と服屋に連れ込まれて、あっという間に着替えさせられてしまった。
女性ものの服に全く抵抗がないかと言われたらないわけではないのだが、それでもAiの選ぶものなら今の自分の姿に最適化された格好なのだろう、という考えはあったのでされるがままにしていたらこれだ。
鏡を見ればもう完全に女の子にしか見えない自分が写っていて
……いや、実際に今は女の子で
……なんだかもどかしいような照れくさいような、なんとも言い表せない妙な気分になってくる。
「だーいじょーぶ! やっぱシミュレーション通り似合っててかわいいな!」
遊作の髪を器用にハーフアップに結い直しながらAiは言う。そのとき、遊作の中でなにかがカチリと音を立ててハマった気がした。かわいい。そう言われることが少しだけ
……嬉しい。
朝の時点でもかわいいという言葉に悪くはないような気持ちはあった。だが今はかわいいと言われることを素直に嬉しいと思う気持ちが自分の中にあることを自覚してしまい
……遊作は急に恥ずかしくなってまた話を逸らす。
「
……それで、これからどうするんだ?」
「うーん、デートと言えば遊園地とか、水族館とか、映画とか?」
「別に俺はお前とそういうデートスポットに行きたいわけじゃないんだが」
「えー、じゃ遊作はどこに行きたい?」
お前がデートとかいい出したんだろ、と遊作はため息を吐いたが、自分も行きたい場所など何も思いつかないのでAiに言えたことではなかった。
「じゃあさ、散歩しようぜ、散歩!」
「そんなのでいいのか?」
「一緒のお散歩だってデートの定番だぜ? それに、ウロウロしてたら遊作の行きたい場所とかも見つかるかもしれないじゃん」
そんなものだろうか。目的もない散歩なんて、相変わらずAIのくせに適当なやつだ。
「そういえば
……Ai、その
……デートだとかいうのなら、歩く速度を俺に合わせてくれないか?」
「もちろん! エスコートなら任せてくれよな!」
「黙れ。ただでさえ落ち着かないのにさっきみたいに置いていかれると余計に不安になるってだけだ」
遊作は少しぶっきらぼうに答えたが、本当はAiが自分に合わせてくれるのが嬉しかった。
慣れない体に、先の予想できない現実に、どうしても不安はつきまとうが、それでもAiが一緒なら、なんとなく乗り越えられるかもしれない気がした。
はじめてのスカートで歩くのは足元が気になって仕方がない。
気にしすぎないように堂々と歩くとAiが「お転婆すぎるぜ、お嬢さん」なんて気障ったらしく声をかけてくるので、黙らせようとわざと内股でとことこと小さく歩いてやった。すると今度は「ちょっとわざとらしすぎ? 逆に違和感だぞ」なんて言ってくる。
歩いている間、Aiは近くの店舗を覗き込みながらお肌のケアがどうだとか、アクセサリーを身に着けたりしないかだとかいろいろ勧めてきて少々煩わしくもあったが、ちゃんと約束通り遊作のぎこちない動きにも歩調を合わせてくれてもいた。
自分がどこかへ消えてしまいそうな浮遊感は、Aiが隣で日常へと繋ぎ止めてくれている。そう思うと少しだけ気持ちが楽になってきた。
女の子になってしまったことを過度に恐れるより、見た目に合わせた振る舞いをしていても自分は自分だと心で割り切っていれば自然に行動できるのだな、と遊作はぼんやりとわかってきた。
試行錯誤しながらしばらく街中を散策していると、だんだんスカートで歩くコツが掴めてきた
……かもしれない。だんだんとAiの言葉に相槌を打てるような余裕も出てきた。
「うんうん、だいぶかわいいが板についてきたな!」
そんなことを言われるとかなり恥ずかしいが、同時になんだか自信が持てる気もしなくもない。
「で、どーお? どっか行きたい場所とか決まった?」
「いや、お前が勧めてきた場所には興味はないが
――」
遊作は少し考え込む。今なら
……普段とは違う姿で、はじめてのことに挑戦している今なら、あの場所にも抵抗なく入れるかもしれない。
「Ai、一緒に行ってほしい場所がある」
「カードショップ?」
店の前でAiは首を傾げる。そっと遊作に目をやれば、やや緊張した面持ちだ。
「ここに来るのはダミーデッキのカードを調達して以来だ。今更怯える必要がないのはわかっているんだが
……こういう場所に来るとつい身構えてしまう」
遊作は言葉を切り、深呼吸してAiの目をまっすぐ見つめて言う。
「入ってみたいんだが、付き合ってくれるか?」
Aiははっとする。遊作にとってのデュエルは生きるためのものであり、カードはそのための武器
……そんな武器を集めたショップは遊作にとっては息の詰まる場所なのだろう。
遊作もかつては楽しくデュエルをしていた時期もあったはずだ。それを奪ったのは
……そう思うとなんだか居心地が悪く、人間でもないのに少し身震いする。目の前の遊作の硬い表情に、今ではAiにも罪悪感というものがあった。
理由は違えど、ちょっと怖いのはきっとふたりとも同じだ。だから、Aiはできるだけ柔らかく微笑んで応える。
「もちろん。どこまでもお供させていただきますって」
身構えたものの、店内は拍子抜けするほど普通だった。むしろ広めで明るい店舗で、態度の悪い客も見当たらないぶん平和なほどである。
それでも遊作は緊張気味で、無意識なのかAiのシャツの裾をぎゅっと掴んでいる。
デンシティではデータカード主流になっているとはいえ、まだまだ物理カードも現役だ。
店内には診断のパック、人気テーマのかっこいいカードにかわいいカード、特別なショーケースのレアカード
……とさまざまなカードが並ぶ。
「へぇ? 最近は寿司やハンバーガーで戦ってんのか?」
Aiはショーケースを見て不思議そうにしている。
ふいに棚の影でガタンと音がした。客のひとりがストレージを容器ごと取り落としたらしい。遊作は反射的に足元まで散らばってきたカードを拾い上げる。
「いやー、すんません! お手伝いいただきありがとうございますぅー!」
そう言いながら棚の影からひょっこり現れたのは、遊作と同じクラスの島だった。目があった島はやたらオーバーリアクションでこちらに声をかけてくる。
「なぬっ! お美しいお嬢さん! あなたのような方に手伝っていただけるなんて
……これはきっと運命の出会い!」
島の勢いに圧倒され一瞬ぼんやりしていた遊作だが、『美しいお嬢さん』という言葉が自分を指し示すものだと気づき、今の自分は女の子なのだと思い出して慌てる。
自分だと、藤木遊作だと気づかれないように振る舞わなければ
……
「どうですか、ボクといっしょに運命のタッグデュエルでも!」
「えっ? おれ
……いや、私
……は、その
……」
心配を他所に、どうやら島は遊作の正体には全く気づいていないようだ。それはありがたいのだが、初対面だと思われているからには普段のように受け流すわけにもいかない。困っていると、Aiが急に肩を抱き寄せてくる。
「おにーさん。俺のツレになんか用?」
だからそういうのやめろ、と遊作はAiに目配せするが、軽くウインクで返されてしまう。
「おおん! お嬢さん彼氏持ち!? くぅ~美男美女カップルとはうらやまけしからん!」
「だからカップルなんかじゃ
……」
「ふふん。悪いが運命の女神サマは俺に微笑んでくれてるってことよ。もちろんデュエルだってな」
「にゃにおう?! 言わせておけばモテないうえにデュエルまで弱っちいだの言いたい放題言いやがって! おい、そこの派手なイケメン! 俺はあんたにこのブロークンハートを癒やすためのデュエルを申し込む!」
「そこまでは言ってねぇけどぉ!? おん? やんのか?」
勝手によくわからないヒートアップをする島といちいち噛みつこうとするAi。遊作は火花を散らす2人の間に割って入る。
「ま、待ってくれ
……えっと、それなら、お
……私、とデュエルしてもらえませんか?」
「えっ?」
島に向けた遊作の意外な言葉にAiのほうが声を上げる。
「お嬢さんが? ふふん。彼氏持ちとはいえレディのお願い、喜んでお受けいたしますとも!」
島は鼻息荒く満面の笑顔で答えた。
島はお世辞にもうまいとは言えない腕前だった。
はじめのターンから初歩的なプレイミス5回に致命的プレイミス2回。自分のデッキも把握できてないのかよとAiはすっかり呆れていたが、遊作は島のもたつくプレイングを見守るように向き合っていた。
一方、遊作は初めて触るショップのレンタルデッキを使いこなし、結局勝ったのは遊作だった。
「お嬢さん、お強いっすね
……!」
「いえそれほどでも
……私も楽しませていただきました」
シャコージレーってやつ? と、Aiは苦笑いするが、遊作は本当に満足したような様子で、滅多に見ないその表情の眩しさにAiは目を丸くする。
「じゃ、行くぞ」
Aiに短く告げて遊作は店を出ようとする。
「え? もういいの?」
「ああ、大丈夫だ
……じゃあな、島」
ヘラヘラと手を振る島は遊作たちが店を出たあとで、ようやく首を傾げた。
「あれ? 俺、名乗ったっけ?」
「島はあんな腕前だが、まあだから肩の力が抜けるというか
……なにもかかっていない、なんでもないデュエルをするにはちょうどいい相手だと思ったんだ。強くないってことは、俺みたいにどうしても強くなる必要がなかったということだから」
再びベンチに腰掛けて、ふたりはさっきまでのことを話していた。遊作は店に入る前とは違う晴れやかな表情だ。
「俺がショップに行きたかった3つの理由。1つ、ここはもう恐れるべき場所じゃないということを実感したかった。2つ、そのためには命の削り合いじゃない、完全に遊びとしてのデュエルをしてみたかった。3つ、今なら
……お前が一緒なら、店に入るのも怖くない気がした」
いつもと違う姿で、いつもと違うことをして、ちょっと怖くても。お前がいつもみたいにそばにいて変わらずに接してくれる。それはまるで遠くの知らない場所に行ってもちゃんと帰るところがあるみたいで、お前といると安心できる。お前の前だとこの姿でも不思議と自然体で、いやそれ以上に心強くいられるんだ。
遊作はぽつぽつとそんなことをAiに伝える。
「遊作、今日はほんっとに素直だな」
「俺が素直じゃおかしいか?」
「いんや。こーゆー遊作もなんか新鮮」
そんなことを言われるとなんだか胸の奥が妙にくすぐったい。
今日のAiはなんだか妙に頼もしく感じる。これも自分が女の子になっているせいなんだろうか。
「いつもだってさ、もっと俺を頼ってくれていいんだぜ。遊作はもう、ひとりじゃないんだから」
遊作はAiの言葉に心の中を見透かされたようでどきり、として
……少し悩んだが、思い切ってAiに尋ねてみる。
「なら、その
……変なことを言うんだが
……今度は俺から抱きついてみても、いいか?
……俺もたまには、誰かに思いきり甘えてみたいんだ」
照れくさそうに、普段なら絶対言わないような言葉を紡ぐ遊作にAiは驚いたが、
「もちろん、どーぞ」
すぐに手を広げて笑ってみせた。
遊作はいつもよりも小さく華奢な体で、まるで子供みたいにAiの胸に飛び込み、ぎゅっと抱きついた。大きな腕の中はなんだか安心感に満ちている。
「
……俺、ずっとこうやって、甘えられる相手がほしかったのかもしれない
……親きょうだいがいたら、こんな感じなんだろうか」
「デートなんだし、そこはカレシじゃないのぉ?」
「黙れ。お前は
……俺の、相棒だ
……ろ
……」
遊作の声はだんだんちいさくなり、やがて沈黙する。
「ん? あ、あれ? 遊作?」
様子がおかしい。
Aiは慌てて遊作のバイタルをチェックする。少し体温が高く、呼吸は荒い。
普段と違って予測ができないからと気が緩んでいたようだ。こんなことにさえ気づけなかったなんて。
「ちょっ、大丈夫か?!」
「あ、ああ
……ちょっと
……疲れたみたい、だ
……」
遊作の声には疲労が混じっている。慣れない体で普段と違うことをして、きっとかなり負荷がかかっていたのだろう。
「遊作っ、お前いつもそういうことなんも言わなくて
……俺、ギリギリまで気付けなくて、いつも、いつも
……!」
「っ
……大丈夫
……だ。こんなことくらい、じゃ別に
……」
「無理すんな! 帰るぞ。恥ずかしいかもだけど、ちょっと我慢してくれな」
そう言うとAiはふわりと遊作を抱えあげる。
人間より遥かに力のあるソルティスにとって、いつも以上に軽い今の遊作を担ぐなど子猫を持ち上げるようなものだ。
元気があれば抗議するところだが、今はそうも言っていられない遊作は、Aiにすべてを委ねるように身を縮こまらせた。
家に着くと、Aiはぐったりした遊作をベッドに降ろす。熱は先ほどよりも上がったようだ。
「わり、遊作。脱がすぞ」
なるべく裸を注視しないように、遊作の服を脱がせ、下着を替え、パジャマを着せ
……と、Aiはてきぱきと着替えさせていくが、それでもどうしても遊作の柔肌がちらりと視界に入る。その体の繊細さに改めて、今は女の子の体なんだと感じさせられる。
着替えを終わらせ、遊作を改めてベッドに横たえる。濡れタオルでも持ってこようかと立ち上がろうとしたとき、
「あい
……ありがと
……な」
遊作のか細い声が聞こえた。
「気にしなくていいから、静かに寝てろって」
「ふふ
……お前やっぱり
……こういうときのほうが
……かっこいい、ぞ
……」
「だーかーらー! もう
……たまには素直でかわいい遊作もいいけどさ、俺はクールぶってて素直じゃなくてもいいから元気な遊作とずっと一緒にいたいの! だからちゃんと寝てなさい!」
「ああ、わかったよ
……」
今度こそと立ち上がったAiの背に遊作の微かな声が届く。
「なぁ、Ai
……おれ、もしほんとに女だったら
……きっと、お前のこ
……と
……」
どんどん小さくなっていく声にAiが聴覚センサーをフル稼働させたときにはもう、すぅすぅという遊作の寝息しか聞こえなくなっていた。
Aiはちょっとだけ惜しそうな苦笑いを浮かべ、濡れタオルを用意しに洗面台へと向かった。
翌朝。
「戻ってる
……」
遊作は目覚めて真っ先に股間についていることを確認し、平らな胸をほっと撫で下ろした。
ベッドに寄り添うようにしてスリープ状態に入っていたAiが、その声に反応して起動する。
「んあ
……遊作、戻ったんだな。ん、もう熱もないな」
「ああ、そのようだな。着替えは
……お前がやってくれたのか?」
「へ? そうだけど
……遊作、覚えてないの?」
「ああ
……熱を出してお前が担いで運んでくれたとこまでは覚えてるんだが
……」
話を聞けば、帰ってきてからのことは全く遊作の記憶にないらしかった。
「なんだぁ
……覚えてないのか、そっか
……」
つまりはあの甘酸っぱい言葉の続きも、もう聞くことはできないのだろう。
もう少し、素直でかわいい女の子の遊作を見ていたかった気持ちもなくはないが、まあこれで全部いつも通りに
――
「
……なぁ、Ai」
「ん、なに?」
「もし
……もし、また不安になったり、誰かに頼りたくなったら
……この姿でも、昨日みたいにお前に甘えてもいいだろうか?」
少し照れくさそうなその顔はやっぱり女の子のときとおんなじ表情で。なんだ。やっぱりどんな姿でも遊作は遊作だ。
「へへ
……もちろん、どーぞ」
Aiは、クールなように見えてちょっぴり不器用な相棒に、にっかりと笑顔で返した。
まるで少しだけ遠くに旅をしたような不思議な一日は、こうして静かに幕を降ろした。
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