デュエルリンクス
――
電脳空間に再現されたその都市は、世界各地からアクセスしたデュエリストたちの集う仮想空間だ。
不動遊星やその仲間たちもこの場所の常連であり、先日はブルーノとも再会を果たした、そんな不思議な空間でもある。
そして、今日もここで新たな事件が起きようとしていた。
「ん?」
その日、リンクスにアクセスしようとした遊星はギアを装着する瞬間に軽い違和感を覚えた。
リンクスは専用の機材を装着することで装着者の意識を仮想空間に同調させ、指向性のあるイメージを再現する
――早い話が他人と共有できるリアルな夢を見せる機構だ。
あのKCの生み出したシステムだけあって、詳しい全容は遊星にも把握しきれてはいない。
(違和感
…とはいえ危険な感じはしないな
…まあ、戻ってから異常がないか確認すればいい)
慎重な遊星でも深いことを考えないほどにリンクス世界は魅力的であった。
違和感を振り払い、遊星はギアを装着した。
青い空間で遊星は目を覚ます。
リンクスのログイン待機空間だ。
今の遊星は意識だけの存在であるが、ログインが完了するとアバターを使用して電脳空間を自由に動き回れるようになる。
(それにしてもさっきの違和感はなんだったん
……)
「だ?」
リンクスに接続された瞬間、遊星はその異変に気がついた。
視界に入る自分の胸が
……胸元が膨らんでいる。
『それ』はなかなかに大ぶりでしっかりとした重量感も備えており
……
「
……ん
……っ!?」
恐る恐る触れると柔らかい感触が、指先にも、胸そのものにも伝わってきた。
遊星はリンクスの五感再現システムの無駄な高性能さを少し恨んだ。
(やはりこれは
……女性アバターになっている!? さっきの違和感はアバターエラーの前兆だったのか?)
きょろきょろと全身を見回すと服装も女性のものになっているらしい。
上は肩の部分に切れ込みの入ったオープンショルダーのシャツと下はショートパンツになっており
――つまり肩と脚が露出している。
「なっ、なんだこの格好
……」
普段は露出の少ない服装の遊星はこれだけでもなんだかそわそわする。
急いでアバターを修正しようとしたのだが、なぜかアバターにはロックが掛けられて変更が効かなくなっている。
はぁ、とため息をつく遊星。
「まいったな
……仕方がない。みんなを待たせているし
……」
遊星は深呼吸すると、待ち合わせの空間へと転移した。
いつもの広場を模した空間にアクセスするとそこには先客がいた。
胸元にエレガントなフリルの付いたブラウスとスリットの深いロングスカートに白いコートを重ねた背の高い金髪美女と、ヘソ出しのクロップドTシャツにミニスカートとスパッツを重ねオレンジの髪をヘアバンドでまとめた活発そうな少女がなにやら口論をしている。
どちらにも見覚えはないが、この状況、さすがに予想はつく。
「ジャックとクロウ、だよな?」
遊星が声をかければ、
「そうだが
……お前こそ、遊星なのか?」
オレンジ髪の少女
――クロウが尋ね返してくる。
「お前たちもアバターバグか」
「ああ、ログインしたらこのザマだ。に、しても
……お前もか」
ため息を付くクロウの視線は遊星の胸元に向いていた。
「なんだ?」
遊星はその意味を理解しかねてきょとんとしている。
「妬みは見苦しいぞ、クロウ」
横から金髪美女
――ジャックの声がする。
「だーかーらー! 羨ましいわけじゃねぇって言ってんだろ! まったくお前は見た目が女でも態度がバカでかいというか微塵も変わらねぇな」
「フン、俺は俺だ。見た目に左右されてたまるものか」
「その割にはさっき動揺してたじゃねぇか?」
「流石に普段とは感覚が異なるからな。貴様とは違ってな」
「気にしてねぇ! 気にしてねぇってんだろ!」
「もしかして
……胸の大きさがそんなに気になっているのか?」
ふたりの様子を見ていた遊星はようやく腑に落ちた。
遊星は巨乳と呼べるボリューム。ジャックはもはや爆乳と言うべき特盛サイズ。そしてクロウの胸元は
……言われてようやく微かに膨らんでいることがわかるほどにささやかであった。
「なっ、遊星まで!? ちげぇって! おいジャック、それもこれもお前が変にからかうから
……」
どうやらふたりはさっきからこんなやり取りをしていたらしい。
「しかし俺だけかと思っていたが広域バグなのか? 困ったな
……今日のところはログアウトしてバグの修正を待つか
……」
遊星が呟いたそのとき、
「ごめんなさい、遅くなって」
広場エリアに転移してくる者がいた。
赤い髪に赤いドレスの少女
……アキであった。
「龍亞と龍可は友だちと約束があって今日は来られない
……って」
アキは目の前に広がる光景に瞬きをしてしばし固まる。
クロウたちはアキのその反応に今更ながら居心地の悪さを感じているようだった。
遊星に至っては、もじもじと恥ずかしそうに俯いて、そろそろとその場から逃げ出そうとして
――
「待って!」
「ひゃあっ!
……っ?」
アキに腕を捕まれ思わず甲高い声を上げてしまった遊星は、自身の声に驚いて立ち止まる。
「あなた、遊星よね? 他のふたりもジャックとクロウ、そうでしょ?」
「あ、ああ
……」
遊星はバツが悪そうに答える。
さっきまであまり気にしないようにしていたものの、アキを目の前にするとこの姿をしていることが猛烈に恥ずかしくなってきた。
「違うんだアキ、これはリンクスのバグで
――」
なにがどう『違う』のか遊星自身にもよくわからないが、とにかく必死に弁明をしようとしたその言葉は、
「かわいい!」
というアキの一声に掻き消された。
「
……は? かわいい、って
……俺が?」
「ええ、もちろん。遊星って普段は凛々しいのに女の子だとこんなにかわいくなるのね」
腕を掴んでいるのと反対のアキの手がそっと優しく遊星の頬を撫でる。そこでこのアバターの身長がアキよりも少し低いのだということに気がついた遊星は気まずさと照れくささで余計に戸惑ってしまう。
「ねぇ、バグって深刻なものなの?」
「い、いや
……はっきりとはわからないが、おそらくはアバターの外観とそれに伴う感覚に影響するだけのものだと
……」
「それなら、せっかくかわいらしいのだし今日はそのままでもいいじゃない。一緒にリンクスを回りましょうよ」
アキの表情はわくわくと楽しそうで、そんな表情をされると逃げ出すのも申し訳ない。というか、アキが気に入ってくれているのなら修正されるまではこの姿でも
……
「構わない、が
……」
小さな声で返事を絞り出すと、
ぎゅっ。
と、予想していなかった柔らかな感触に全身が包まれ、遊星の思考はフリーズした。
「はぇっ?」
アキに
……アキに抱きしめられている? ちょっと待て、アキの胸に自分の胸が押し当てられているという生まれて初めての感覚までもが完璧に再現され
……遊星の脳内は真っ白に、頬はすっかり真っ赤に染まっていた。
「嬉しい! じゃ早速いきましょ! ああもう、デュエルリンクスにはアバターの着替えアイテムが売っていないのが残念よね。遊星がこんなにかわいいのならいろんな服を着てみてもらいたいのに」
「あ、アキ
……ちょっとその
……ひゃっ
……」
遊星はあたふたとアキの腕から逃げ出そうとするが、アバターとはいえアキを傷つけないようにと思うあまりまともに抵抗もできず、興奮状態のアキの抱擁からはなかなか逃げ出せない。
「遊星め、まったく軟弱な
……なにをやっておるのだ!」
「アキって遊星に対してはときどき大胆なとこあるよな
……」
ジャックとクロウはふたりを呆れたように眺めていた。
「戯れは後にしてもらえるか、不動遊星」
ふいに空間を切り裂くような鋭い声が響いた。
そして本当に空間を切り裂いて中空にゲートが出現する。
カツカツとヒールの音を響かせながらゲートから現れたのは金色の長髪をなびかせたジャック以上に高身長の女性
……いや、この人物は
――
「パラドックス
……なのか?」
ようやくアキの腕を逃れた遊星は向き直って息を呑む。普段はネットの深部に潜んでいるはずの彼がなぜここに? いや、そもそもパラドックスまで女性の姿ということは、このアバターバグは彼らにまで及んでいるというのか?
立派な胸のシルエットがはっきりと浮き上がるノースリーブのタートルネックにスキニーパンツいう出で立ちのパラドックスは、女性の姿でも普段と変わらぬ威圧感を放ちながら、整った顔の眉間にシワを寄せている。
「何故ここに? という顔だな。それもそうだろう。これがただのバグなら我々がこんなところまで赴く必要もないのだが」
そこまで言うとパラドックスは背後のゲートをちらりと見やる。ゲートからはまた新たな人物が姿を現そうとしていた。
この場にいる誰より高い身長に、がっしりとした体格。しかしその全身はひらひらとしたフリルやリボンに飾られたふんだんに布を使用した愛らしいドレスに包まれている。白を基調にしたそれは、いわゆるロリータファッションという服装だ。
白ロリの大柄な女性は両腕に抱えていたなにかを遊星たちの前にどさり、と降ろした。
「ったたたた
……」
「むぅ
……いくらなんでも扱いがぞんざいすぎやしませんかね?」
降ろされたのは青いライディングスーツ姿のスポーティーな雰囲気の女性と、ブラウスにカーディガンとロングスカートという淑やかな服装の、だが頭部にはいかつい機械の仮面を着けた細身の女性だった。
「さすがに君たちとはいえ、今回は我々も実害を被っているのだからな。少々手荒な扱いでも勘弁してくれ」
筋肉の上に脂肪も乗った、ジャック以上に重量感のある胸の前で腕組みをして、白ロリの女性
――アポリアは抱えてきたふたりに言う。
「
……と、まあ、要するに犯人はこのふたりだ」
パラドックスは眉間のシワを深くしながら渋い顔をする。
その横でライディングスーツの女性
――アンチノミーと、仮面の女性
――ゾーンは不服そうにしている。
「ちょっとした実験で、悪気などなかったのです」
今は若い姿をベースにしているらしく、半分遊星と瓜二つの顔をしたゾーンが口を尖らせる。
「そうそう、面白そうだからちょっとアバターを改変してみようかって話になって。それで本人の詳細な情報がわかってたほうが都合がいいからボクたち自身と遊星たち3人のデータをちょちょっと弄ってみて
……」
アンチノミーが調子良く頷く。
「今日は姿を見ないと思ったら
……ブルーノ、お前だったのか
……」
遊星ははぁ、とため息を吐く。
「ご、ごめん! ボクもゾーンもデュエルリンクスの構造について真面目に解析と研究をしてたんだよ。で、ちょっとした息抜きがてらシステムから止められずにどこまで干渉できるかのチキンレースを
……」
「そんなくだらん理由で俺達をこんな姿にしたということか?!」
ジャックがつかつかとアンチノミーに歩み寄り、ぎゅっと両頬をつねりあげる。
「ひたひ! びゃっく! ごめんってわ!」
パラドックスは呆れながら首を振ってため息まじりにゾーンに問いかける。
「友よ。君たちは我々が今どういう存在なのか理解しているのだろう? これが悪質なハッキングと見做された暁には存在ごと抹消されかねないのだが?」
「先日、どこかのワールドで、電脳世界そのものを消し去るプログラムの再現実験が行われて、すぐ沈静化したでしょう。あの元凶の人物も特に制裁は受けていないようですし、この程度ならおそらく大事にはなりません」
ゾーンは自信満々に平らな胸を張る。
「実験好きのパラドックスなら理解してくれると思ったのですがね
……」
「私が求めるのはあくまで平和な未来のための実験だ。君もそのためにこの世界を観測しているのだろう? このような無駄な悪影響を及ぼしかねん実験は論外だ」
「未来を救うためならバンドでも漫才でもやってやろうと言っていたのは誰ですか!?」
「それが必要な一過程ならば、という話だ
……と、このように屁理屈ばかりで全く反省の色がなくてな。今回ばかりは流石にこちらに非があるのが明確なために態々ここまで赴いたというわけだ」
「我々と違って実体のある君たちでも、巻き込まれたことでなんらかのペナルティを負いかねないからな。このとおり、ゾーンに代わって詫びを申し上げる
……すまなかった」
隣でアポリアが頭を下げる。
「頭を上げてくれアポリア。今回はあんたたちが悪いわけじゃない。まぁ、たしかにブルーノたちにゃ反省してもらいたいが
……」
クロウはちら、とアンチノミーの方を見る。
「それで? いつごろアバターは元に戻るのだ?」
ジャックはアンチノミーの耳を引っ張りながら尋ねる。
「あたたた
……それなら明日には戻しておくから! だから離して!」
「では明日にはアバターは戻させておく。今日のところはログアウトするなり逢引の続きなり好きにするがいい
……ふたりは戻って復旧作業だ」
パラドックスはそう言って3人を引き連れゲートに向かう。
「意外と
……ゾーンはノリがいいというかこういう悪ふざけのようなこともする人間だったんだな」
遊星はポツリと呟く。
「ああ、今までは君たちにそんな姿を見せたことはなかっただろうがな。尤もそんな猶予などは残されていなかったわけだが
……仮想世界の擬似的な人格とはいえ羽目を外せるようになったのも、不動遊星、お前たちのおかげだ」
パラドックスはふっと微笑む。
「ああ、そういえば、ひとつ気になることがあるのですが」
ゲートを潜ろうとしていたゾーンがふと思いついたように遊星に振り返る。
「不動遊星、今はアバターだとはいえ私は貴方自身のはずなのに
……何故このような格差が生じるのです?」
ゾーンの視線は、平らな自分の胸元と豊かな遊星の胸元を往復していた。
それから少し経った年末の迫るある日、遊星たちはブルーノからリンクスに呼び出された。
「今度はくだらん用事ではあるまいな」
「だ、大丈夫だってば! えっとこの間はみんなに迷惑かけちゃったけど、今日はちょっと面白いものを見てもらいたくって!」
じろりという音が聞こえそうなジャックの視線を受け流してブルーノは答える。
「でも、女の子の遊星たち、ちょっと見てみたかったかも」
「えー? 俺はやっぱ、いつものかっこいい遊星たちがいい!」
今日は龍亞と龍可もしっかりやってきている。
ブルーノはえへんと咳払いし、話を続ける。
「リンクスはシステムが複雑だからこそ、表層で発生する軽微な異常や短時間の誤作動程度なら、修正が必要なバグや対処すべき外部干渉だとは見做されないってことが確認できたから
――」
「だからなんなんだよ。もったいぶって」
クロウがブルーノを急かす。
「えへへ、見ててね!」
そう言ってブルーノは空に向けて指をパチンと打ち鳴らす。
その音に合わせて、世界が輝き出す。
リンクスのワールド内に無数の光の粒が舞い、キラキラと光を放ちはじめた。
「わ、綺麗
……」
アキは空を見上げて呟く。
「ああ、これは美しいな
……」
遊星も微笑みながらその光景を眺めている。
満足気に空を見上げる仲間たちを見て、ブルーノは嬉しそうに笑みを浮かべる。
「ささやかだけど、ボクたちからのクリスマスプレゼント! これからもよろしくね、みんな!」
クリスマスのデュエルリンクスは、優しい光の瞬きに包まれていた。
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