2024-11-19 16:58:32
4896文字
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大事故は二度ある❸

次回 大事故

「本当になかったことになっちゃったなぁ」
 くたり、と先日の顛末書をどうにか仕上げて指先を回す。愛らしい小さな梟の形になったそれはばさりと飛び立っていく。本当はもっとたくさん書かなきゃいけない書類や裁かれるべきことがいろいろあるだろうけれども、アゼムの心情を思ってほんの少し軽くなってる気がする。身体を見られて触られたぐらいで、それなら治療行為とそこまで変わらないはずなのにな、とは思いながらもあの肌を撫でた気持ち悪さはしばらくは忘れられないだろう。けれども、それでも委員会に座するものとして、正すべきことを正すために、アゼムにだってある程度の覚悟はあるのだ。
 それよりも、だ。すっかり、アゼムの身体は傷を負う前に戻ってしまった。それは即ち、エメトセルクとうっかり一夜の過ちを犯す前の体である。あの夜はアゼムの記憶に残るだけのものになってしまって、あの日エメトセルクとセックスをした、なんて証明は到底できやしない。証明する必要はないけど。それでも、初めては好きな人、なんてささやかな乙女心は残念ながら微妙なオチとなってしまった。
 あの事件は、随分と色々なことを残したものだ。アーモロートでは時魔法について散々議論が交わされている。規制するべきだ、なんて声も多い。魔法もイデアも使い手、使い方次第としか言いようがないのにな、というのがアゼムの意見だが、星の行末を定めるのは委員会で何かしらの総意があるだろう。そこに任せれば、きっといい。きっと、星と愛し合うべくより良い道筋を示せる。
 それよりも、だ。それに集中できない程度に、ほんの少し、アゼムに不調があった。くぁあ、と欠伸をして、眉を寄せる。眠気がほんのりと頭痛になっている。エスナじゃどうにもならない異常だ。あまり睡眠魔法に頼るのも良くないしな、とぼんやりと宙を眺める。ふつ、と。瞼が落ちる。眠りたくないけれど、とっても眠いし、寝なくちゃいけない。わかってる。ああ、何も夢を見たくないな、と思っても、そんな思考はすぐに溶けてしまった。

 夢を、見るのだ。ローブを剥ぎ取られ、知らない誰かの手が、アゼムの体に触れている。肌に手が触れて、なぞっている。嫌だ、と叫びたくても声も出せず、指一つ動かない。助けて、と叫べば、応えるように魔法陣が刻まれる。現れた一つ分の光の向こうに見慣れた姿にホッとして。けれどどうしてだか彼の目の前で、アゼムの体は無数の手に触れられて、まるで皮膚が泥のように爛れていく感覚を覚える。穢されている。好きな人の目の前で、知らない人に。このままじゃ、好きな人に運よく捧げられた筈のハジメテさえ、彼の、目の前で。やだ、見ないで。触らないで。わたし、わたし。
 いやだ。たすけて。
………………
 いや、いやだ。たすけて、おねがい。いや。
……………………、」
 たすけて、ハーデ、

「おい、起きろアゼム!」
 カッと身体が熱くなって、アゼムは飛び起きる。ハッとして辺りを見渡せば、エメトセルクがアゼムの隣にあってその肩を掴んでいた。肩から彼のエーテルが滲むのを感じて、眠っていたアゼムを起こすために無理矢理エーテルを流し込んだのだと知る。
「あ、ご、ごめ、寝てた……?」
「お前…………
 眉間の皺がとても深い。執務室で居眠りなんて怒られる、と首をすくめると、エメトセルクがアゼムの顔を覗き込み、薄く焦点をずらす。
……夜、眠れてないな」
……!」
「体調に影響が出る程度には寝不足だろう」
 焦点がアゼムに戻ってきた。溜息をついたエメトセルクが少し歩いて扉から顔を出すと外にいるらしい誰かと何か一言二言話している。声的にアゼムの秘書官だろうなあ、とぼんやり考えながらくぁ、と欠伸をこぼした。今ちょっと寝れてたはずかのにかあ、と考えていると、すぐに戻ってきたエメトセルクがアゼムの腕を掴む。
「エメロロアルス行きか、家に帰って寝るか」
「えぇ……エメロロアルスに相談しても意味ないよ」
「原因はわかっているのか?」
 眠れないんだろう、と言われ、この人は何でこんなにわかってしまうのかなあ、と小さく笑う。そう言うところが好きだったなと思うのだ。
「ちょっと、夢見が悪いだけだよ」
……アゼム」
 言え、と言わんばかりに腕を掴む力が強くなる。その強さにそっと息を吐いて、親友想いだなあ、と少しだけ、力を抜く。
「ほら、この間の任務でさぁ、拘束されてちょっと触られちゃってたわけじゃん?」
…………
「裸見られるぐらい減るもんでもないしって思ってたのにねえ。触れられた感触がどうにも、さぁ」
 そう言えばエメトセルクの手がゆっくりアゼムから離れていく。咄嗟にその手を掴んでしまった。
「君は違うから、触って!」
 ぎゅう、と手を繋ぐ。この手がいつも、アゼムを助けてくれるから。この手とあの気持ち悪い手を一緒にしないで欲しい。
「君の手は、いつも私を助けてくれるから。……君は違うから」
 必死だった。まったく、これを機にエメトセルクがアゼムから距離を置こうなんぞ考えたらどうしてくれるんだ!
「ちょっと夢見が悪いだけだし、寝ようと思えば寝れるから!!」
「魘されながら、か?」
「平気平気! 別にたいしたことじゃ、」
「たいしたことだろう」
 ゆっくり、エメトセルクがアゼムの手に指を絡める。そんな触れ方、したことないじゃないか。いや、うそ。あの夜に確かにこうして指を絡めてシーツに縫い付けられた。記憶は残ってるのに、この身体はもう、好きな人に触れてもらった身体じゃない。ただ、嫌な記憶だけが残る身体だ。
 ふ、と。甘え切った愚かしい考えが浮かんだ。優しさにつけ入るような、醜さだ。
……じゃあ、寝る時側にいてくれる? 魘されてたら、起こしてくれるだけでいいから」
 エメトセルクの眉間の皺がほんの少し深くなる。それでもゆっくりと吐き出された溜息の温度は、親愛なる友人を甘やかしてくれる時のものだ。
「ならさっさとそこに横になれ」
 ソファーを指差され、やったー、と喜んでゴロリと横になる。指は、絡まったままだ。解かれないことをいいことに、ほんの少し力を込める。熱が、温かい。
 エメトセルクは椅子を一つ創造すると隣に腰掛け、ぱちん、と指を鳴らしてアゼムに毛布をふわりと掛けた。
「一時間したら起こしてやる」
「うん。ありがとう」
 じわりと、熱が指先から広がっていく。そういう優しいところだ。時折見せる、甘やかさがダメなんだ。そんな言葉は、けして溢さない。飲み込んで、抱え込んで、ゆっくりと泥に沈めて、押し殺す。目を閉じて、大丈夫、と呟いて。エメトセルクの熱を、ずっと、指先から追いかけ続けていた。



 夢も見ずに眠ったのは久々で、きっかり一時間で起こされれば随分と体が軽く感じた。しばらく眠らなくてもある程度はやっていけると思ってはいたが、それでもやはり不調があったのだと気付く。久々によく寝た、と笑ってお礼を言って、繋いだ指先を離して。指先に熱が残っているうちにもう一眠りしよう、と自宅に帰ってベッドに入り込んで。繋いでいた指先をそっと胸元に抱え込んで、目を閉じる。
 大丈夫。まだ、温もりが残ってる。そう言い聞かせて、目を閉じて。 

 全く、効果はなかった。悪夢を見て飛び起きて、冷や汗でべとつく身体を自分で抱きしめる。驚いた。こんなにトラウマになってるとは思わなかった。肌を這う感覚がまだ残っているようで、気持ちが悪い。
 上手いこと一回好きな人に抱いてもらえたじゃないか。全部を初めて見せたのも好きな人じゃないか。なかったことにはなったけど、感情は、思い出は残っているのに。
 もういっそ、エメロロアルスを誤魔化してさっさと旅に出てしまう方がいいかもしれない。旅先ならきっと緊張感でちゃんとできるかも。なんて頷いて、アゼムは目を閉じる。眠らずに休むことだって、できなくはない。意識を閉ざさずに、息をゆっくり吐く。抱き締めてもらいたいなあ、なんて。言えるわけもない。君がいなきゃ眠れないなんて、親友の域を超えてしまう。
 はず、だった。

「お前、昨日眠れてないな」
 おはよう、と議事堂で顔を合わせるなり腕を引かれて物陰に連れ込まれる。ええ、と思わず呟いてしまったから、誤魔化しようがない。
「なんでわかるの」
「顔を見ればわかる。……終わったら仮眠に付き合ってやるから私の執務室にこい。あと、夜お前の家に行くからな」
「そこまでしてもらわなくても、」
「お前は」
 エメトセルクが口を開いて、そして言葉を飲み込む。ゆっくり息を吐いて、エメトセルクがアゼムの目の下を親指で撫でた。
……自覚してくれ。お前は、傷付いている」
「自覚してるけど」
「それを癒すのにお前の友人が使えるって言うのなら、使ってくれ」
 隈、酷いのかなあ、と瞼の下の薄い皮膚をなぞる体温に目を閉じる。こうして触れられるのも、彼にとってアゼムが良き友人であるからだ。それを、間違えたくない。彼にとって、彼の思い描く友人でいたい。
……じゃ、甘えようかな」
 笑った顔に、甘ったれた感情が滲んでないといいな、なんて。大丈夫。ずっとずっと、そうしてきたのだから。



 夜、食事も風呂も済ませた頃に玄関のベルが鳴る。好きに入れるようにしてるのに律儀だなあ、とドアを開ければ、宣言通りエメトセルクが立っていた。
「何か飲む?」
「いや。さっさと寝るぞ。一秒でも長くお前は寝るべきだ」
 さてどうするつもりなのか、とアゼムは寝室にエメトセルクを招き入れる。ほんの少しだけ胸が高鳴ってしまうから、本当に愚かだ。エメトセルクはベッドに腰掛けると、わざわざブランケットを持ち上げてアゼムを手招く。いそいそとアゼムがそこに入り込めば、しっかりブランケットでアゼムを包み込むと、そのままそっとアゼムの手を握る。
……で、君は?」
「お前が寝たら適当に床で寝る」
「そんなの私が許すわけないでしょ、馬鹿!」
 身体をずらしてベッドの横をべしべしを叩く。
「ほら! 寝ろ! 私は君がそばに居てくれれば多分平気だから! 見張らなくていい!!」
「は?」
「ほら、君も風呂とか済ませたんだろ? 体冷えちゃう!」
 こんな理由でエメトセルクが風邪を引いてしまったらたまったもんじゃない。早く、と腕を引いて無理矢理倒れ込ませて、ブランケットに一緒に入り込む。
「よし!」
「お前……一応、私もお前にトラウマを植えつけたやつと同じ性別だぞ」
「君は君! 私にとってハーデスが良くないものになることはないから」
 だから困っている、だなんて言えない。ちょい、と手を繋げば、呆れたように溜息を吐いて、握る手に力をこめてくれる。
「まあ、君が忙しい時はヒュトロダエウスにでも頼むよ」
……迷惑を広げるな。このぐらいいつでも付き合ってやる」
 本当に、優しい人だ。うん。じんわりと伝わる熱に小さく欠伸をする。ちゃんと、眠れる気がする。
 おやすみ、と呟いて、返す言葉を遠く聞きながら、アゼムはふわりと意識を飛ばした。夢は、見なかった。



 睡眠不足は無事解消された。まだエメトセルク無しではうまく眠れないけれども、体調はすこぶる良くなった。体調不良とは、いろいろなものを鈍らせる。思考も、食欲も。それこそ、性欲も然り、だった。
 毎晩毎晩、好きな人の体温を毛布の中で感じながら、手を繋いで眠って。そうすると不意に、ぐずり、とお腹の奥が蕩けるような感覚を覚える。体はまっさらになっても、あの夜はずっと覚えている。あの夜に与えられた熱を、アゼムは永遠に忘れられないでいる。だからこそ、困ってしまった。
 触れられたトラウマで眠れないと言うのに、触れて欲しくて寝つきが悪いなんて。そんな馬鹿な話が、残念ながらあるのだ。
 本当に、浅ましい人間である。アゼムは頭を抱えてひっそり息を吐いて、今夜も寝かせにきてくれる人を、待っている。