吾妻
2024-11-19 01:30:28
5119文字
Public アークナイツ
 

葡萄は互いを見て熟す【3】


3.
 
――すみません。お二人と合流するのに、もう少し時間が掛かるかもしれません。
 
 朝の定時連絡を終えて宿の外へ出たテキーラは、アーミヤと交わした会話を反芻する。
 予定通りなら今日明日にも合流可能だったはずだが、どうやらアーミヤたちは予期せぬ〝足止め〟に遭っているらしい。
 
――地主の方からの通行許可が下りないんです。表向きは『相次ぐ事故によって周辺地域の安全性が担保できない』というのが理由のようですが、それだけとも思えません。
 
 地主。また地主だ。
 会ったこともない人物の印象を伝聞だけで固めるのは愚の骨頂とわかってはいるが、胡散臭さは拭えない。
 たとえどれほど悪辣な手段を用いたとしても、ルールを逸脱していない限りは咎められないのが商売というものだ。
 テキーラは、そのような連中を掃いて捨てるほど見てきたし、彼らのやり方を一方的に悪と断じるつもりもない。
 それでもきな臭い。燻る煙には往々にして火元があるものだ。
 
――私たちは今、ライン生命の要請を受けて行動しています。具体的には、お二人の滞在ポイントからほど近い工場に薬品を届ける依頼です。その工場は、ドロシーさんが出資している開拓者支援施設で、従業員のほとんどが感染者です。地主の方は、この周辺にそのような施設があることを歓迎していない――具体的に言えば、〝そのような施設があることを流布されたくない〟といった印象を受けました。
 
 ぼんやりと、悪意の塊が見え隠れしている。
 しかし、まだ情報が足りずに全容が見通せない。
……ドクターはもう大方見当がついてるのかな?)
 定時連絡を自分で行うこともできるのに、あくまでテキーラに任せるのは、アーミヤとの会話によって情報を得てほしいと望んでいる? さすがにそれは考えすぎかもしれないが。昨日の口ぶりからすると、もう既にある程度の予測を立てているに違いない。
(どちらにしろ、一度合流して情報共有しておいたほうがよさそうかな)
 アーミヤは直接的な言及を避けたが、地主はライン生命に真っ向から楯突くほどの器でもないようだから、足止めも長くは続かないだろう。それ自体は喜ぶべきことだが、追い詰められた側がどのような強硬手段に出るかもわからない。
「それで、ドクターは……
 どこへ行ったのだったか。確か、町長――パーカーさん――に地方特有の果樹の栽培方法を教えて貰いに行くと言っていた気がする。
 町長の住まいについては昨日教えてもらった。確かこの通りを上って――
 
……危ないことをやめてほしいだけなの!」
 耳に飛び込んで来たのは、潜められてはいるが語気の強い女の声だった。
(セルマさん……?)
 女の声には聞き覚えがある。人の名前や特徴を覚えるのは前職で磨いたスキルだ。もちろん声も、個人を特定する特徴たりうる。もはやセルマの声を聞き間違えるはずもない。
「だったらお前は、このまま奴らのいいようにされてろって言うのかよ!」
 答えたのは知らない男の声だった。
 声はすれども姿は見えない。おそらく建物の影にいるのだろう。テキーラは足を止め、二人の声に耳を澄ました。
「お前だってわかってるだろ。親父が感染したのは奴らの……!」
「それは……、でも……
「連中、製薬会社の人間と接触してるんだ。お前と親父を助けたって二人ももしかしたらあの地主の……
「やめてよ! あの人たちは父さんを助けてくれたのよ!」
「愛想振り撒いて近づいてきた奴らに俺たちは何度騙されてきたと思ってるんだよ! ……決行は今晩だからな。お前も覚悟を決めておけ」
「待っ……!」
 隣の建物との間にある細い路地から人影が飛び出してくる。ヴァルポの青年だった。テキーラに気づき、舌打ちをして走り去っていく。続けて路地の奥から飛び出してきたセルマもまた、テキーラに気づいて息を飲んだ。
「エルネストさん……
 名を呼んだきり、その場に立ち尽くすセルマに、テキーラはわざとらしく笑顔を向けた。
「ごめんね、もしかしてお邪魔しちゃったかな」
 彼女らがおそらく兄妹であることも、そのような和やかな会話ではなかったことも、ちゃんとわかっている。その上で、らしくもなく下世話な話題に振ったのは、セルマの動揺を慮ってのことだ。
「い、いえ……そういうわけでは……
 想定通り、セルマもぎこちなく笑顔を返してくれる。彼女とて、テキーラが何も聞いていないとは思っていないだろうが、少なくとも表立って言及する気はないと理解してくれたはずだ。
「エルネストさんこそ、奥さんはご一緒じゃないんですか?」
「あー、ド……――■■さんは、町長さんに果樹の栽培方法を聞きに行ってて……
 人前でドクターの名前を口に出すのはいささかの照れがあるのだが、本人からの要望とあっては従わざるを得ない。ドクターのほうは顔色ひとつ変えずに「エルネスト」呼びをしてくるので尚更ずるい。基本的に本名で呼び合うのはプライベートの時だけだったので、彼女の口から出る自分の名前には、奇妙な甘さを感じてしまうのだ。厄介な条件付けである。
「栽培方法……ですか。奥さんは、学者さんなんですよね? 果樹栽培に興味が……?」
「彼女は地質学者だから、このあたりの地質に興味があるのかも。昨日ご馳走になったブドウがとっても美味しかったって喜んでたし、仕事とは関係なく、単純な好奇心かもしれないけど……
「地質学者……
 正確には源石関連の研究者だと聞いているが、細かいことを説明する必要はないだろう。特に感染者を家族に持つセルマにとって、源石という単語はあまり聞きたくないものに違いない。
 それに、源石研究者という肩書きすらドクターの全てを表すには不十分だ。指揮官であり、学者であり、経営者であり――
 そこまで考えてテキーラは思考を止めた。似たようなことを考えるたびに、いつもこのあたりで立ち止まってしまう。
 あんな折れそうな体で、彼女はどれほどの重責を担い、どれほどの重圧に耐えているのだろうか。
 自分は、彼女にのしかかる重みを少しでも肩代わりできているのだろうか?
……エルネストさん?」
 黙り込んだテキーラを、セルマが怪訝そうな顔で見上げる。今は感慨に耽っている場合ではない。忍び寄る憂いを振り払って、テキーラはよそ行きの笑顔を浮かべた。
「ごめんね、なんでもないんだ。セルマさんのお家って、この坂道を上ったところでよかったよね? あんまり長くお邪魔するのもよくないから、■■さんを迎えに行こうと思って」
「でしたらご案内します。私もちょうど家に戻ろうと思っていたので……
 ややぎこちなさを残しながらも、親愛を感じさせる態度でセルマが歩き出す。その背に続きながらテキーラは、先程走り去ったヴァルポの青年について考えていた。
 彼はおそらく、ダイナーの駐車場から走り去った男なのだろう。
(決行は今夜……か)
 彼は一体、何を〝決行〟するつもりなのだろうか?
 
 
            *
 
 
「やはり気温と降雨量が重要なんですね」
 パーカー氏の書斎には果樹栽培に関する資料が堆く積まれていた。想定していたよりも大量の文献が雑然と保管されている部屋に、ドクターは埃っぽさと奇妙な居心地の良さを感じた。
「このあたりは昔から天災がほとんど起きない土地だ。乾燥してはいるが気温が上がりすぎることも下がりすぎることもない。ブドウの栽培にはそれが一番重要なんだ。だから俺たちは代々ここに暮らして、移動都市にも乗らなかった」
 パーカーの声は硬く、緊張が伝わってきた。部外者を自宅に招き入れたからだろうか? そうではない。彼はこちらの出方を窺っているのだ。
「天災が少ない土地ということは、鉱石病の罹患者数も元々は少ないほうなのでは?」
 この町の歴史や果樹の栽培方法に興味はある。だが、ドクターが町の長である彼を訪ねたのには別の目的があった。
 こちら側から一歩踏み込むと、パーカーは一度目を伏せたのち、深く長い吐息を漏らした。
「先生、あんたはとっくに全部お見通しなんじゃないのかね……
「まさか。無神経な推測を立てているだけです。ただ、あなたを含めて、ごく短期間に鉱石病に罹患した方々が複数いるのが気に掛かりました。あなた方は――意図的に鉱石病に感染させられたのではないのですか?」
……
 パーカーは答えなかった。
 だが、その沈黙こそが肯定の意を雄弁に表していた。
……先生――
「てめぇ! 親父から離れろ!」
 逡巡の後にパーカーが口を開くのと、庭に面した窓から怒号と共に男が飛び込んできたのはほぼ同時だった。
 青年の腕がドクターの胸ぐらを掴み上げ、そのまま床へと引き倒す。
 強かに背を打ちつけたドクターはうめきを漏らし、男の方は組み敷いた相手が女と気づいてわずかにたじろいだが、すぐに勢いを取り戻した。憎悪と怒りを滾らせ、ドクターの胸ぐらを締め上げる。
「何しに来やがった! 親父たちを感染者にして、今度は町から追い出すつもりなんだろう!」
「きみ、は……
「俺たちはずっと昔からここで暮らしてきたんだ! それを今更……っ!」
 首に掛かる男の腕は震えている。自身を見下ろす双眸に、憎しみと同時に恐れを感じ取ったドクターは、目を凝らしてそれらの感情の出どころを探ろうとした。しかし、気道を圧迫されているせいで視界がぼやけ、すぐに何も見えなくなった。
「キース! やめろ!」
 パーカーの叫び声。
「兄さん!?」
 ドアが開け放たれる音と、セルマの悲鳴。
 それから――
「ドクター!」
 切羽詰まった男の声と共に乱れた足音が近づく。
 横合いから伸びてきた腕が、ドクターに覆い被さる男の体を荒々しく引き剥がした。
 跳ね飛ばされたヴァルポの青年は、背中から壁に叩きつけられて苦悶の声を漏らしたものの、すぐに立ち上がり、再び窓から飛び出していってしまった。
……エルネスト」
 憤りを隠そうともせず、逃げた男を追おうとする恋人を、ドクターは名を呼んで制した。
「大丈夫だから。落ち着いて」
 極めて平静を装って上体を起こし、傍らに屈み込んだテキーラの首筋に掌をすべらせる。男の首にかかるチョーカーに指を引っ掛けて軽く引くと、青年の薄水色の瞳から焦りと憤りがゆっくりと抜け落ちていくのがわかった。
……ごめんね。君をひとりにするべきじゃなかった。怪我したりしてない?」
「背中がちょっと痛むけど、それ以外は平気だよ。私も不注意だった、すまない」
 大丈夫だと伝えても、テキーラは申し訳なさそうにドクターの顔を覗き込んだままでいる。
 大方、「何があっても守る」という約束を破ってしまったと自分を責めているのだろう。
「君が来てくれたおかげで助かった」
 先程まであれほど獰猛な番犬の顔をしていたくせに。これではまるで捨てられた子犬だ。
 重ねて謝意を伝えれば、テキーラはようやく口の端を緩めてぎこちない笑顔を浮かべてみせた。
「ご……ごめんなさい……
 おずおずと歩み寄ってきたのはセルマだった。
 声を震わせ、顔色を無くし、心細そうに胸の前で両手を握り合わせている。
 ドクターは、怯え切った娘の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「どうしてあなたが謝るのかな? さっきの青年があなたたちの家族だから?」
 いささか直球の切り込みだった。セルマは息を飲み、パーカーは疲れ切った様子で深い溜息をこぼした。
 ドクターは、衣服の埃を払いつつ立ち上がる。
「責めているわけではありません。あなた方にはあなた方の事情があるとわかっているつもりです。我々は通りすがりであり、本来あなた方の問題に口を出すべきではない。ですが、あなた方が抱えている問題が、おそらく我々にも関わりがある段階にまで発展しつつある」
 そこまで言って、ドクターは傍らに立つテキーラを振り返る。テキーラは、彼女との合流を図ろうとした理由を思い出した。
「ドクター、アーミヤさんたちは通行許可が下りなくて足止めを食ってるって」
 本来は部外者のいない場所で耳打ちするような内情だが、今ここで発言するべきと判断した。ドクターは既にある程度の察しがついていたのか眉ひとつ動かさなかったが、代わりにヴァルポの父娘が息を飲んだ。
「我々は、情報共有を行うべきかもしれません。パーカーさん」
 ドクターの言葉に老父は項垂れ、もう一度深い溜息を落とした。