溶けかけ。
2024-11-18 23:55:36
2074文字
Public ほぼ日刊
 

あめのはこにわ

夢の中でフォカロルスと会ってすぐの頃まで記憶が後退しているフリーナとフリーナの夢に入り込んで交流を続けるヌヴィレットのお話です。


「こんにちは、えーと……ヌヴィレット、だっけ?」
「ああ。合っている……フリーナ殿」
「ふふっ。良かったあ……実は合っているか心配だったんだ。今日は何をしようか?」
 フリーナがヌヴィレットの手を引いて歩みを進める。壁に沿うように並べられた本棚だけだった空間に、突如としてケーキスタンドや湯気を立てるお茶の入った茶器が置かれたテーブルが現れる。
「取り敢えず、お茶でもしながら考えようか……ああ、ありがとう」
 ヌヴィレットが椅子を引いてやれば、フリーナはしずしずとそこに座った。「レディファーストは基本だよ、ヌヴィレット」と笑うフリーナの姿が思い起こされてヌヴィレットは動きを止める。
「ヌヴィレット、具合が悪いの……?」
 フリーナがヌヴィレットを覗き込む。心配そうな顔に彼は頭を振って、脳内から過去のフリーナの幻影を追い出した。
「いや……君があまりにも淑女らしくなっていて驚いたのだ」
 ヌヴィレットがそういえば、フリーナは僅かにきょとんとした顔をした後、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「そうか……キミにそう言って貰えるなら、頑張ったかいがあるよ」
 安心したように胸を撫でおろすフリーナの色違いの双眸には隠しきれないほど濃い色をした隈が居座っている。
「また……徹夜をしたのか……
 ヌヴィレットがフリーナの隈を撫でれば、彼女は苦笑した。
「あはは……キミには何でもお見通しなんだね。実は、フォンテーヌの法律にどうしても理解出来ない部分があって、つい夜更かしをしてしまったんだ」
「そうか……努力する君の姿勢は好ましいが夜更かしは程々にしたまえ。勉強の効率が落ちる……何より、覚えられるものも覚えられなくなる」
 ヌヴィレットの忠告にフリーナは目を丸くする。その後、腕を組んで、「確かに……そういった論文を読んだことがあるよ……」と言ったあと、ぶつぶつと考え始めた。
「フリーナ殿。今は勉強より休憩の時間だ。休憩も勉強の一部。お茶の飲み方一つとっても学びだと思いたまえ」
 考えごとを始めたフリーナを現実へと連れ戻す。このまま放っておくと彼女はいつまでも考えこんでしまう。だからといってヌヴィレットが休めと言って素直に聞く相手でもないことは百も承知の上だ。それ故、お茶の時間も授業の一環とすることで休ませる口実にしているのが現状だ。────君の域にはまだまだ遠いな、フリーナ殿。
 ヌヴィレットはこっそりと自嘲するように口角を持ち上げながら窓の外を一瞥する。
 雨が降り続くモノクロの世界で唯一、鮮やかに色づく四片の花々は彼女の心の表れであった。

 フリーナは醒めない夢を見ている。

「ヌヴィレット大丈夫?」
 その声にヌヴィレットが顔を上げる。旅人とパイモンの二人が気遣わしげにこちらを覗き込んでいた。
「ああ……君たちか。なに、心配はいらない」
「心配はいらないって……お前、自分の顔を鏡で見てこいよ」
「ちょっと、パイモン」
 旅人がパイモンを肘で小突く。ヌヴィレットが首を左右に振った。
「いや……パイモンの言っていることは正しい。実は先ほど見舞いに来たナヴィアさんとクロリンデにも同じことを指摘された」
 ふ、とヌヴィレットの口角が緩む。彼の朝焼け色の瞳は深い隈に縁取られ、疲労の色がありありと浮かんでいた。
「ちゃんと食べてる……? というか、寝てる?」
 いくらヌヴィレットの身体構造が人と違うとはいえ、何事にも限度というものは存在する。旅人から見て、今がまさにその時だった。
「食事は摂らぬとも問題はない。睡眠は……適性とは言い難いが執務に支障を来すほどではないのでな」
「それならいいけど……
 いや、良くはないのだが。旅人が言ったところできっとヌヴィレットは聞き入れないだろう。彼が命令に従うのはいつだって、ベッドの上で眠るフリーナただ一人だけなのだから。
「それにしてもいつになったら起きるんだろうな。もう十日目なんだろ?」
 パイモンがふよふよと眠るフリーナに近づく。その顔色は決して穏やかとは言い難い。
「うっ……ゔああっ……
 フリーナが呻き声を上げれば、ヌヴィレットがすぐさまベッドへ駆けつけ、その手を握る。徐々にフリーナの呻き声は小さくなり、顔色も先ほどよりは明るくなったように思えた。これ以上、ヌヴィレットの邪魔はしないほうがいいと判断した旅人は、持っていた果物籠をサイドテーブルへと置くと、パイモンを促して帰り支度を始める。
「じゃあ、ヌヴィレットもう帰るね……おやすみ、フリーナ…………良い夢を」
 旅人はそっと扉を閉じる。
 いくら腕っ節が強くとも、アビスの力を浄化出来ても、こんな時、友にかける言葉一つ持ち合わせておらず、病床に伏す友人を治してやることすら出来ない無力感に旅人は打ちひしがれた。
「おい、どうしたんだよ!? 具合でも悪いのか!?」
 突如、扉の前でしゃがみ込んだ旅人にパイモンがおろおろと彼/彼女の周りを飛び交う。
「ううん……ただ、無力だなぁ、と思ったんだ」