botanin5
2024-11-18 21:23:57
32182文字
Public トレ監♀(小説)
 

ケチャップソースはお好みで

先輩の作るものだけ食べたいと言ってたら、先輩が作ったもの以外、味がしなくなってしまう話

 キラキラとナパージュが輝くイチゴのタルト。サクッとした軽い歯応えにバニラの良い香りが鼻腔をくすぐる絞り出しクッキー。瑞々しいオレンジの果肉がたっぷりと入ったツヤツヤのゼリー。
 美味しそうなスイーツが並べられているのは、ハーツラビュルの庭にあるテーブルの上……ではなく、いつも全校生徒が食事に使っている学校の食堂のテーブルだ。今は、全ての授業が終わった放課後。なんの部活にも入っていないオンボロ寮の監督生である私と、部員がたったひとりの美食研究会を名乗っているグリムは、トレイ先輩に呼び出されてここへやってきていた。


「さぁ、ここにあるものは全部食べていいぞ」
「いいんですか!?」
「もちろん」
「やったー!オレ様ちょうど腹が減ってたんだゾ!」


 目の前に並べられたスイーツたちは、次のなんでもない日のパーティーで作る予定の試作品らしい。前々からトレイ先輩の小さな頼みごとを手伝っては、試作品のスイーツを作ったときには味見係として呼んで欲しい!と図々しくもお願いしていた。その甲斐あって、今回「食べに来ないか?」とメッセージが入ったときはグリムとハイタッチをして喜んだ。サーブされたタルトにフォークを差し込む。イチゴのタルトはハーツラビュルとしては定番のスイーツだが、今回はイチゴの種類とクリームを少し変えてみたらしい。口に入れてみると、イチゴはいつもより甘く、クリームは逆に甘さを控えて作られているようだった。


「すごく美味しいです!イチゴの下のクリームと、外側を囲んでるクリームのバランスもちょうどいいです」
「ふなぁ……さっぱりとした甘みの中にイチゴの果肉がジュワッと染み出して……最高なんだゾ!」
「よしよし、反応は上々だな」


 美味しくて落っこちそうな頬に手を添えながら、もぐもぐと次のひと口を運ぶ私たちを見て、トレイ先輩は満足気に私の頭を撫でる。微笑ましそうに私たちを見つめる視線に、むず痒い気持ちになる。身寄りがないこの世界で、トレイ先輩が自分のことをまるで妹のように扱ってくれるのはラッキーだった。優しい人を頼ることができるのは心強い。先輩からは、宿題は自分の力でやるように言われるし、最近は歯磨きの指導も厳しい。でも、そうやって説教じみたことを言われるのも嬉しかった。いつまでも馴染めないでお客様のような、一線引かれた扱いをされ続けるのは苦しいから。

 とはいえ、このところ先程のような頭を撫でる程度の接触が増えた気がする。先輩のことは、元の世界でよく遊んでくれた、幼馴染のお兄さんと同じくらい大好きだし、触られることに嫌悪感はない。ただ、あまりに幼い子の扱いをされているようで気恥ずかしかった。そんな小さな羞恥心がバレないように、今度はゼリーへと手を伸ばす。スプーンで大きく掬い取って、そのまま口に放り込んだ。


「ほんほうに、おいひいへふ!」
「こらこら、口に入れたまま喋るんじゃない。こぼすぞ」
「んくっ……このゼリーも、瑞々しくて果肉がたっぷりで美味しいです!さっぱりしているので、ケイト先輩も食べられると思います」
「それは良かった。俺としてはそんなに甘くないと思っても、人によっては感覚が違うみたいだしな」
「どうせなら美味しいと思うもの食べてもらいたいですもんね。私、トレイ先輩が作るスイーツも料理も大好きです。ずっと食べていたいなぁ……
「そう言ってもらえるのは嬉しいよ」


 にこっと笑ってくれたトレイ先輩を見て、再び温かい気持ちになっていると、自分の背後からパキンッと何かが割れる音がした。
 驚いて後ろを確認する。トレイ先輩とグリムも音に気がついたようで、一緒に背後を覗き込んだ。
 音の正体は後ろのテーブルの上だった。親指の爪サイズの宝石がついたネックレスが置かれている。ビー玉のように丸く加工されたその石は、中心にヒビが入って割れてしまっていた。先ほどの音のことを考えると、今、この瞬間に割れたように思われる。学校の食堂なのだし、誰かが忘れ物をしたのかもしれない。そっと手を伸ばして拾おうとすると、トレイ先輩に止められてしまった。


「何があるかわからないから、不用意に触るな」
「あ、はい」
「魔法石か……ブロットの許容量を超えたのか?魔力はもう無くなっているな……どの寮の色でもない。バルガスのキャンプがあったとき、ドワーフ鉱山で誰かがこっそり持ち帰ってきたのか……?」


 トレイ先輩は自分のポケットから取り出したハンカチに何か魔法をかけて、それ越しに割れた魔法石のネックレスをそっとつまみ上げた。ゴールドの細いチェーンの先に、同じくゴールドの枠があり、魔法石が覆輪留めで嵌め込まれている。


「素人の手作りじゃなさそうだ。既製品かもしれないな……。今ここで急に魔力が消費されたことが気になるから、クルーウェル先生に届けてくるよ」
「あ、それなら私とグリムで食器を片付けておきますね」
「えー!めんどくせー!子分が勝手にやればいいんだゾ」
「ふーん、じゃあ、今度からトレイ先輩の試作品を食べられるのは私だけだね」
「ふなっ!?それはオレ様も食うに決まってるだろー!!」


 私たちのやりとりを見て苦笑いをしたトレイ先輩は、ネックレスをハンカチに包み直すと「それじゃあ、片付けは頼んだ」と言って、私の頭をひと撫でしてから食堂を出て行った。その背中を見送り、食器を厨房へと運ぶ。中は夕食の用意のために右往左往しているシェフゴーストで溢れかえっていた。その間をすり抜けてシンクへと辿り着くと、お皿を簡単に洗って片付ける。

 ネックレスについては、きっと後で詳細を教えてもらえるだろう。グリムと一緒に学校を出て、夕食の時間になるまで暇を潰すためにメインストリートに向かってぷらぷらと歩く。いつもだったら図書館で宿題をしながらエースとデュースの部活が終わるのを待つのだが、今日は先に甘いものを食べてまったりしたこともあって、とても勉強する気にはならなかった。

 体育館の前を通りがかり、開いているシャトルドアから中を覗き込む。ちょうどバスケ部が休憩に入ったタイミングだったようで、私とグリムに気づいたエースがペットボトルを片手にこちらへ近づいてきた。


「何してんの?見に来るなんて珍しいじゃん」
「勉強する気にならないからふらふらしてた」
「暇ならお前らもどっかの部活に入ればいいのに。バスケ部どーよ」
「オレ様は美食研究会だからな!子分だってその一員なんだゾ」
「え。入った覚えないけど……。あと、バスケ部はフロイド先輩が怖いからやめとく」
「後でバラしてやろ。まー気まぐれでたまにこえーけど、慣れればそんなでもないよ。今日もほら、モストロ•ラウンジの仕入れ先からもらった試作品の余りを持ってきてくれてるぜ」
「ふなっ!?食いもんか!?」


 エースが体育館内の壁沿いに置かれた箱を指差す。タオルを肩にかけたジャミル先輩が、箱の中から取り出したものを部員に配っているのが見えた。差し入れとして箱を持ってきたという当のフロイド先輩は、体育館の中心にひかれたネットを超えて、隣の部活へ絡みに行っているようだった。
 配られている小袋がどうやらお菓子であることを悟ったグリムが、勢いよくジャミル先輩に向かって突っ込んでいく。そのまま「オレ様にもよこせー!!」と箱の周りをぐるぐると回りはじめた。早く捕まえないと、バスケ部の人たちに怒られてしまう。急いで靴を脱いでいると、エースが「お前も貰ってくれば?」と笑った。


「え、いいの?」
「すっげー量だったし、いいんじゃね?まぁみんなけっこう食うから部内で配り切れるとは思うけど、ひとりふたり増えたところで文句は言われないっしょ」


 ちらりとジャミル先輩の方を見れば、グリムにいくつも小袋を渡しているようだった。騒がれるよりは多めに渡してしまったほうが楽だと思ったのだろう。私と目が合うと、小さくため息を吐いてから手招きしてくれた。エースと共に人だかりへと近づく。
 箱の中身は小分けにされた焼きチョコだった。軽くてお腹にもたまらないし、つまむにはちょうどいい。モストロラウンジのレジ横で販売してくれないかと打診が来ているそうだ。先方がかなり意欲的で、モストロ•ラウンジがダメなら購買に……という目論見があるようで、「どうぞ学校でお配りください!」と何箱も置いて行ったのだという。

 ジャミル先輩にお礼を言って、焼きチョコの小袋を受け取る。さっきたくさんトレイ先輩のスイーツを食べたが、目の前にあるお菓子は別腹だ。ここで食べればバスケ部の人たちがゴミを一緒に回収してくれそうだったので、すぐに封を開ける。グリムはとっくに食べ終わって、もっとよこせとねだり始めていた。
 開けた袋からチョコを摘んで取り出すが、特に香りはない。たまに購買で買う焼きチョコは、袋を開けた途端に甘い香りが漂ってきていたので、無臭なのは意外だった。そのまま口へと放り込む。舌に乗っても、まだ味はしてこない。噛んでみる。普通なら、もう味がしてくるはずだ。しかし、口の中のチョコは全く味がせず、まるで発泡スチロールの塊を口に含んでいるかのような舌触りがする。味がしないことに身体が驚いたのか、じわじわと唾だけは出てくるが飲み込めない。口を押さえて、中のものが残ったままエースにこっそりと耳打ちする。


「これ、味無いよね。お店に置くのは無理じゃない?」
「は?いや、普通のチョコって感じだけど。まぁよくあるお菓子と変わんねーから、モストロ•ラウンジに置くのはアズール先輩が嫌がるかもね」
「え、いや、チョコの味すらしなくない?飲み込めないよ……
「はぁ?」


 訝しげなエースの様子を見て不安になって、他の部員やグリムを見るが、みんな美味しそうに次々と焼きチョコへ手を伸ばしている。ジャミル先輩も、なんの違和感もない様子で食べていた。
 どういうことだろう。私の味覚がおかしくなったのか……
 エースから飲み物を分けてもらって、なんとか口の中のものを飲み込む。「水ありがと」と言ってペットボトルを返すと、エースは「いや、これスポーツドリンクだけど……」と眉を顰め、ペットボトルカバーを外してこちらに中身を見せてくれた。たしかに、パッケージはスポーツドリンクだ。でも、味がしなかった。


「うそだぁ。エースもう一回飲んでみてよ」
……ん、やっぱりスポーツドリンク。水はねーよ」
「え、ほんと……?」
「ちょっと疲れてんじゃねーの?部活終わるまで、座って休んでけば」
「うん……


 エースにそう言われて、体育館の壁際に座り込む。グリムは、隣のコートから戻ってきたフロイド先輩に捕まって、ボール代わりに放り投げられている。部活が終わるまで遊ばれているだろうから、エースの言葉に甘えてここで休んでいこう。
 さっき、トレイ先輩のタルトやゼリーを食べた時はちゃんと味がしていた。クッキーの中にはチョコチップもあったし、チョコの味だけを感じ取れなくなったわけではないだろう。ストレスや偏食で味覚障害が出てしまうという話を、元の世界の学校で行われていた保健講話で聞いた覚えがある。詳細は記憶していないが、疲れやストレスの可能性は十分にあるだろう。なんせ、たったひとりで異世界にやってきてしまったのだから。

 ぼーっと部活の様子を見ていたら、いつの間にか居眠りしていたらしい。肩を叩かれて目を覚ますと、エースが「早くメシ行こーぜ」と声をかけてくれた。へとへとに疲れた様子のグリムを抱えて、校内の食堂へと向かう。もう夕食を済ませた様子の人たちとすれ違いながら中に入ると、まだまだ大勢の生徒が食事をとっているところだった。食べ物をトレーに乗せて喧騒が続く人の間を抜け、席をとってくれていたデュースと合流する。同じテーブルに、トレイ先輩とルーク先輩もいた。食べ物を選んでいるとき一緒になったらしい。さっきのネックレスについて聞こうかと思ったが、とってきたオムライスを冷めないうちに食べるほうが先だとスプーンを差し込む。
 このオムライスはお気に入りで、日によってケチャップだったり、デミグラスソースだったり、チーズソースだったりと種類が変わる。毎日食べたとしても飽きないご飯だった。今日は明太子のソースだ。

 ぱくり、とひと口を放り込む。
 口の中に広がったのは、いつも通りの卵に包まれたチキンライス……ではなく、無味無臭の柔らかい物体だった。

 思わず口を抑える。粘土を口に入れたら、こんな感じだろうか。飲み込みたいのに喉が拒否している。入れてきていたオレンジジュースをとって、急いで口の中のものを流し込む。やっとのことで飲み込むことができたが、コップの中身も全くオレンジの味はしなかった。水だ。
 呆然と目の前のオムライスを見る。こんな状態では、とても食べられない。放課後にトレイ先輩から試作品をご馳走してもらってからそんなに時間が経っていないから、それほど空腹というわけではなかったけれど、このままでは夜眠るまで保たない。……いや、勘違いかもしれない。恐る恐るサラダにフォークを刺して、レタスを一枚取る。ちびり、と少しだけ齧った。やはりドレッシングの味はしない。食感がある紙を食べている気分だった。

 私の異変に気づいたエースが、手元をチラリと確認してから「……やっぱり味しねーの?」と気の毒そうな顔をする。それを聞いたデュースや先輩たちが、どういうことだ?と不思議そうな顔をする。体育館での出来事と、今のこのオムライスについて説明すると、トレイ先輩は特に驚いたようだった。


「俺の試作品は普通に食べてたよな?」
「はい。美味しかったです」
「トレイくんの作ったスイーツを食べてから体育館でチョコを食べるまでの間、何か変わったことはあったかい?」
「いえ、特には……


 トレイ先輩もルーク先輩も首を傾げている。食堂を出てから体育館に辿りつくまではほんの十分程度だったし、その前の食器を片付けていた時だって変わったことはなかった。原因はなにも思いつかないが、このままご飯が食べられないのはきつい。エースが、私のオムライスを横から掬ってひと口食べたが、いつもの美味しい味がするらしい。
 先輩たちから保健室に行ってみるよう勧められる。オムライスの残りをグリムに譲り、そのまま監督をお願いして食堂を出た。もう薄暗くなった廊下を一人で歩く。中庭に面する廊下に出たところで、風に乗って外の匂いがした。そこで初めて、そういえば食堂ではあれだけ大人数が食事をしていたのに、食べ物のにおいが一切してこなかったと気がついた。

 保健室に入り、先生からの質問に答えながら口の中を見てもらう。元の世界では見たことがない器具も出てきたので、魔法も使いながら調べてくれたようだ。しかし、舌も歯も、口内にはなにも問題は見つからなかったらしい。様子を見たいところではあるが、食べられないのも困るよねぇ、と先生と話していたところで、コンコンとドアがノックされた。先生が、いいよ、と声をかけると、中に入ってきたのはトレイ先輩だった。


「もしかして、ネックレスが原因じゃないかと思って」
……ああ!」


 先輩は、食堂で思い至ってからすぐに来てくれたららしい。件のネックレスは、今はクルーウェル先生に預けてあるそうだ。もう解析が済んでるかもしれないということで、先生にお礼を言ってから保健室を出る。グリムはエーデュースとルーク先輩が見てくれているらしく、トレイ先輩はこのままクルーウェル先生のところに付き添ってくれるという。本当はひとりで心細かったから、トレイ先輩が来てくれて本当に嬉しかった。
 クルーウェル先生がいる職員室へと入室する。私と先輩を見た先生は、すぐに用事を察したようでネックレスが包まれたハンカチを机の上に広げた。


「確かにこれは魔法石だが、お前たちのペンに嵌め込まれているものとは種類が違う。一部の富裕層で取引されているアクセサリーで、石の中に魔法が閉じ込めてある。この石に魔法を施した術者の実行可能な範囲で、願い事を叶える効果があるんだ。魔力を持たないものでも使えることから、魔法の規模が大きいものは高額で取引されている。これはそこまで高価なものではないようだが……それでも、買おうとすれば数十万マドルはする」
「ひぇっ!数十万ですか!?」
「はは、俺たちには縁がなさそうな代物だ……。そんなものがどうして学園の食堂に?」
「まぁ、この学園には実家が太いお坊ちゃんが何人も在籍しているからな。これくらいの魔法道具なら持っているやつが何人かいてもおかしくはない。周りに見せびらかして置き忘れた……そんなところだろう」


 ハンカチの上に置かれたネックレスを見る。これが、数十万……。宝石の価値すらよくわからないけれど、この世界では魔法の規模にも価値が付与されるらしい。魔法を使える人の方が少ないのだから、商売にしようと考える人がいるのはおかしくない。
 クルーウェル先生の説明をひと通り聞いたところで、トレイ先輩に促されて今度は私が味覚を失っていることに関して説明する。嗅覚も、食べ物に関してはどうやら反応しないことも。先輩のタルトやゼリーを食べてから、バスケ部で貰ったチョコを口にするまでに起こっためぼしい出来事は、このネックレスの破損くらいである。味がしないことへのショックで忘れていたくらい小さな事件だった。


「ふむ……この魔法石が原因である可能性は十分にあるな。なにか『願い事』になりそうな事を口にしたか?」
「願い事か……あの時は、二人とも俺の作った試作品を食べていただけだしな……
「割れる直前って、何か話してましたっけ……


 いまいち思い出せない。タルトやゼリーが美味しいという話しかしていなかった気がする。
 うんうんと唸っていると、ふわりと甘い香りが鼻を掠めた。これは、バニラ……?これまで一切感じ取れなかった食べ物の匂いが突然漂ってきて、思わず周りを見回す。


「あの!先生、今、バニラっぽい匂いがしたんですけど」
「バニラ……?ここにはルームフレグランスも置いていないし、今日の俺の香水も違う香りだ。……とすると、これか?」


 クルーウェル先生が机の引き出しから取り出した箱に、数枚のクッキーが入っていた。それを見たトレイ先輩が、あ、と小さく呟く。


「これはさっき、クローバーが持ってきた」
「ネックレスを預ける時に一緒に渡したクッキーですね。放課後、タルトとゼリーを出した時に一緒に置いてたから、監督生とグリムも食べたはずだぞ?」
「本当だ……あの、一枚貰ってもいいですか?さっきまで食べ物の匂いは全然しなかったのに、このクッキーはちゃんと甘い匂いがするんです」
「ふむ、よし。食べてみろ」


 差し出された箱からクッキーを一枚取り出す。甘いバニラの香り。そっと口を開いて、さくりと軽く歯を通す。
口の中に、バニラの香りと一緒にバターの味わいが広がっていく。
粘土でも発泡スチロールでもない、確かなお菓子の甘さがそこにはあった。


……美味しい」
「良かった、味覚が戻ったのか?」
「いや、まだそう判断するには早い。仔犬、こっちも食べてみろ」


 続けて差し出されたのは、先生がいつも食べているレーズンバターだった。購買から毎週ダースで仕入れているという噂も聞いたことがある。パッケージを破いて、顔を出したレーズンバターに齧り付く。味がしない。もったりとした粘土のような感覚だ。私がぐっと眉間に皺を寄せたのを見たクルーウェル先生が、ティッシュを差し出し「出していい」と言って、続けて下に置いてあった小さいゴミ箱を指さす。


「スイーツだけが食べられるというわけではなさそうだ。クローバー、ユニーク魔法を使えるか?クッキーとレーズンバターを思い切り辛くしろ」
「え?はい」


 クルーウェル先生の手短な指示に従って、トレイ先輩が「ドゥードゥル•スート」と呟く。先生からまずレーズンバターが差し出され、恐る恐る少し齧る。先ほどと変わらず味がしなくて、練り消しを噛んでいるような気分だ。それを今度は飲み込んでから、次はトレイ先輩のクッキーの方をひと口齧る。舌に乗せた瞬間、襲ってきたのはもはや痛みだった。


「からい!!」
「大丈夫か!?辛くしすぎたみたいだ……
「いや、これでいい。監督生は、クローバーが作ったものしか味を感じ取れなくなっているんじゃないか」
「え、俺が作ったもの……ですか」


 ヒリヒリする舌をまさしく仔犬のように外に出して冷やしていると、クルーウェル先生が職員室の冷蔵庫から紅茶が入った新品のペットボトルを出してくれた。受け取って飲むが、こちらはやはり味がしなくて、色がついた水を飲んでいる気分になった。トレイ先輩の作ったものしか味がしない……そう言われて、ようやく思い出した。


……あの、私、……トレイ先輩が作ったスイーツを食べながら、『ずっと食べていたい』って言ったと思います」
「そういえば言ってたな……タイミング的にも、そこで石が割れた音がした気がする」
「なるほどな。魔法石がお前の言葉を『願い事』として受け取り、魔法がかかってしまったようだな。『ずっと食べていたい』という願いが『それ以外の味がしなくなる』状態になるとは……やはり、あまり高位の魔法士が作ったものではなさそうだ」
「ど……どうしたらいいですか?この魔法、解けるんでしょうか……
「製造元を調べて、これを作った魔法士に解く方法を聞くしかない。おそらくアクセサリーを取り扱っている企業の下請けだろう。非合法の品ではないし、メーカーを調べれば必ず作った魔法士に繋がるはすだ。こういったトラブルに備えて、誰が魔法を担当したか企業側で記録しているはすだしな。どの程度時間がかかるかはまだ分からないが……サムに頼むとしよう」


 私があまりに不安げな顔をしていたのだろう。クルーウェル先生は「そんなに心配するな。すぐ依頼してくる」と言って、ハンカチに包み直したネックレスを手に取った。そのまま私とトレイ先輩を促し、一緒に職員室から出る。そして、「クローバー、しばらくはお前が世話してやれ」と言うと、購買へ向かってスタスタと歩いて行ってしまった。


「私も一緒に行って、お願いしてきた方がいいですか……!?」
「いや、クルーウェル先生に任せていいんじゃないか?それより、今からハーツラビュル寮へ行こう。お腹空いただろ?」
「え、お腹は空きましたけど、どうしてハーツラビュルに……
「はは、さては話がつながってないな?今のお前は、俺が作ったものしか食べられないんだ。だから、これからハーツラビュル寮のキッチンで、俺がお前の夕食を作る。それならちゃんと食べられるだろ?」
「えっ!?」


 片眉を下げたいつもの困り笑いをしたトレイ先輩に連れられて、ハーツラビュル寮の鏡を通り抜ける。キッチンへ入り椅子で座って待つように言われた。手伝いを申し出ると、少し考えた先輩は「お前が自分で作るものも食べられないのか、試した方がいいかもな」と言って、材料と料理道具をいくつか貸してくれた。


「さて、何が食べたい?」
「えーと、さっき食べそびれたのでオムライスがいいです」
「分かった」


 炊き立てのご飯は流石に無いため、寮生が気軽に食べられるように買い溜めてあるというご飯パックをレンジで温める。私も自分で作ってみるということで、分けてもらえることになった。鶏肉とにんじん、玉ねぎを切って、塩胡椒で下味をつけ、ケチャップ、バターと合わせてご飯を炒めてお皿に盛る。ボウルに卵を二つ割入れて、牛乳と塩を少しいれてかき混ぜたあとフライパンで薄く焼き、先ほど作ったチキンライスの上に乗せる。
 隣で同じものを作っていたトレイ先輩は、卵を薄く焼いたフライパンの方にチキンライスを乗せ、くるりと包んでからお皿に乗せた。私はすぐ卵を破いてしまうのでいつも最後に乗せているのだが、先輩はとても綺麗に包んでいて感動してしまった。
それぞれのお皿に乗った二つのオムライスは、ケチャップをかけて完成となった。キッチンテーブルの椅子に腰掛けて、まずは自分で作った方にスプーンを入れる。


……味がしません……
「はは、やっぱりダメだったか。じゃあこっちを食べてみてくれ」


 自分で作ったオムライスは、食堂で食べたものと同じように全く味がしなかった。悲しい気持ちになりながら、次はトレイ先輩が作ってくれたオムライスを食べる。
包んでいる卵は私が作ったものより厚みがあってふわふわしている。割ったところは見ていなかったが、使った数が違うのかもしれない。チキンライスも、いつもケチャップだけ使っている私のものとは少し違う味がした。


「美味しいです……!チキンライス、普通のと違う気がします」
「ああ、オイスターソースを少し入れてるんだ。これは本当」


 イタズラっぽく笑う先輩にどき、と心臓が跳ねた。なんとなく恥ずかしくなりながら、お腹を満たすために美味しいオムライスに舌鼓を打つ。自然と笑顔になっていると、トレイ先輩は紅茶を入れてくれた。飲んでみると、そちらもしっかりと味がする。本当にトレイ先輩が作ってくれたものしか味がしないみたいだ。
食べながら、自分が作った方のオムライスをどうしようかなぁ、グリムを呼ぶか……と考えていると、トレイ先輩がスプーンを出してきた。そのまま、私の作ったオムライスを食べ始める。


「えっ!先輩が食べるんですか?」
「ん?だって俺は普通に食べられるんだし……
「でも先輩さっき夕食を食べてましたよね、お腹いっぱいなんじゃ……
「別に、これくらいなら食べられるよ。上手に作れてるぞ。美味しい」
「あ……ありがとうございます」


 嬉しい気持ちと、少し恥ずかしいような、むずがゆい気持ちが一緒になって訪れる。トレイ先輩に食べてもらえて、なんだか嬉しかった。オムライスを全て食べ終えると、先輩は冷蔵庫からプリンを出してくれた。前日に作って冷やしていたものらしい。今日は放課後にタルトもクッキーもゼリーも貰ったというのに、いつ作ったのだろう。ありがたくいただいたぷるぷるのプリンは、とても美味しかった。

 全て平らげて先輩と一緒に片付けをしていると、エーデュースと共にグリムが私を迎えにやってきた。みんなに事情を説明すると、トレイ先輩は「しばらくは俺が監督生の食事を作るから」と続けて片眉を下げて笑った。ご飯を食べられないのは困るので、お言葉に甘えることにする。


「明日の朝は何時に食堂へ行く予定だ?グリムは学校で食べるだろ。何か作って食堂に持って行くよ」
「ありがとうございます……!8時に行きます」
「分かった。じゃあまた明日な」


 トレイ先輩とエーデュースは、鏡を抜けるまで見送ってくれた。
自分で作った食べ物まで味がしないことに、少なからずショックを受けていた。だから、トレイ先輩が作るという縛りはあるが、食べられるものがあって本当に良かった。お礼に、これからトレイ先輩のお願いや頼み事は全部聞こう。食事の材料費についてもどうにかしなくてはならない。明日は学園長にも相談してみよう。それに、もしかしたらすぐにネックレスの魔法石を作った魔法士が見つかるかもしれない。

これからの不安は大きかったが、トレイ先輩のご飯が食べられることは嬉しかった。






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 朝、お腹が空いて目が覚めた。
 いつもは夜にお菓子をつまんだりして過ごしているのだが、昨日は市販のお菓子も味がしなくて寮では何も食べられなかったのだ。のっそりと着替えて、半分寝ているグリムとカバンを抱えてオンボロ寮を出る。メインストリートに差し掛かったあたりで、お腹が盛大に音を鳴らした。
 食堂前でスマホを確認すると、トレイ先輩から中で待っているという連絡が来ていた。入り口から顔を覗かせると、壁際の席からこちらを見た先輩が小さく手をひらひらと振る。グリムが食べる分の朝食を言われた通りに確保してトレイ先輩が座るテーブルの席に着く。すると、先輩は早速お弁当サイズのバスケットを取り出した。


「サンドイッチにしてみたぞ。こっちはミルクティーだ」
「わぁ……!ありがとうございます!朝から大変だったんじゃないですか……!?」
「具材は昨日の夜のうちに用意しておいたから、朝は挟むだけだったんだ。卵サンドと……こっちは、昨日のオムライスのために小さく切ってた鶏肉の残りを照り焼きにして、レタスと一緒に挟んでみた」
「美味しそう……。ありがとうございます!」


 綺麗に半分にカットされたサンドイッチを手に取って食べる。トレイ先輩は他の生徒と同じように学食をとってきており、本当に私のためだけに作ってくれたことが分かる。食パンは乾いておらず、卵はほんのり温かい。昨夜のうちに作っていたのなら、朝、挟む前に温め直してくれたのだろう。何度もお礼を言いながら、美味しいサンドイッチを頬張る。


「そうだ、食費をどうやって先輩に支払おうかと思って……。私はいま学園長に養ってもらっている状況なので、材料費をメモしてまとめていただければ、学園長に提出します」
「ああ、それならさっき、クルーウェル先生から当面の食費を渡されたよ。使った分は金額と合わせてしっかりメモして、最終日に提出するようにってさ。費用の出所は学園長だそうだ。例の魔法士を見つけるまで、一週間はかかりそうだと頭を抱えていたな」
「い、一週間ですか!?長い……!それに、出費のメモって大変じゃないですか!?私やります」
「気にするなって。いずれ一人暮らしをするときの練習だと思えばいい経験だ。買い物をいちいちお前に頼むより、メニューを考えながら自分で買った方が楽だしな」
「そうですか……?」


 トレイ先輩は少しワクワクしている様子で機嫌がいい。しかし、どう考えても面倒だと思うし、負担が大きいだろう。かと言って、ではお礼として私が先輩の食事を……と申し出るにはスキルが足りない。絶対に、学食の方が美味しい。


「あの、お礼には到底及ばないかもしれないんですが、私トレイ先輩の頼み事ならなんでも聞くので……
「お、それは良いな」
「出来ることは少ないですが、がんばります!私のご飯作りも手伝おうと思ってて」
「そうだな、食材を切るくらいは手伝ってもらっても大丈夫な気がするよ。サンドイッチのパンは俺が焼いたわけじゃないのに味がしてるみたいだし……。ネックレスを作った魔法士が考える“料理”の範囲でいけそうだ」
「なるほど、そういうことですか」


 確かに、食材は料理に使われるまでの間にたくさん人の手や機械を介している。サンドイッチのパンを切って挟むことを料理とみなしてもらえるのならば、世の中にカット野菜が存在するくらいだし、私が野菜を切っても大丈夫だろう。トレイ先輩の負担をできるだけ減らしてあげたいなと思った。たまたま食堂に一緒にいて、私が先輩の料理を食べたいなんて言ったせいで巻き込まれただけなのだから。まぁ、ネックレスが置き忘れてあったのはたまたまだから、私にとっても事故と言えるけど。
 みんながそれぞれの朝食を食べ終えると、トレイ先輩は別の手提げを机の上に取り出した。保冷バックに見える。


「はい。これは昼食な」
「お弁当ですか!?」
「昼は午後の授業の移動に合わせることもあるから、常に食堂に来るわけじゃないだろ?明日からもこうして朝のうちに渡しておきたいんだが、いいか?」
「大丈夫です。ありがとうございます……!」


 グリムが「腹が減ったらいつでも食えるじゃねーか!ずりぃんだぞ!」と膨れていたが、私の事情を分かっているからかそれ以上は騒がなかった。流石に子分を飢えさせるわけにはいかないのだそうだ。出会った頃よりもずっと、周りを思いやる発言が増えてきたことを嬉しく思う。
 少しだけ保冷バックのチャックを開けると、一番下にお弁当箱、その上に小さい水筒と半透明のタッパーに入ったブラウニーが見えた。おやつまでついているなんて……!感動してトレイ先輩を見ると、小声でしーっと言われる。これは、絶対にグリムに取られるわけにはいかない。こくこくと頷いて、ドキドキしながらチャックを閉じた。


 こうして、トレイ先輩が手作り料理を食べる日々が始まった。朝食はサンドイッチがほとんどで、食パンの日もあればバゲットの日もあった。具材は先輩が新しく作ってくれることもあれば、夕食作りの時に余った材料をアレンジしてくれたりもした。洗い物はもちろん私が担当した。
 お昼のお弁当は、先輩はいつも私を帰してから作ってくれていた。先輩曰く「中身を知らない方が、食べる時にワクワクするだろ?」だそうだ。オムライスやドライカレーがみっちりと詰め込まれていることもあれば、クロワッサンサンドの日もあった。そして、必ずデザートが付いていた。こうしてお弁当を作ってくれている間にもなんでもない日のパーティーはやっていたし、そうでないときも先輩は新作の研究と称してたくさんお菓子を作っていた。だというのに、それ以外に私のおやつまで作ってくれていて、先輩はいったいどうやって時間を作っているのか本当に不思議だった。


「野菜、切り終わりました!」
「ありがとう。じゃあ、こっちのスープをしばらくかき混ぜていてくれないか?」
「了解です」
「もうお前に料理を作るようになって10日か。慣れるもんだな」


 ネックレスを作った魔法士を見つけるまで一週間はかかると言われていたが、想定した期日はとっくに過ぎ去っていた。その間に私はこの生活に慣れてしまって、食堂でグリムのご飯に付き合ってからハーツラビュル寮へ行くことが普通になっていた。
 トレイ先輩からレードルを受け取って、鍋底が焦げないようにゆっくりと混ぜる。こっそりと先輩を盗み見ると、私が切った野菜をフライパンに入れてお肉と一緒に炒め始めた。少し大きめのフライパンを振る先輩の左腕は、力が入ることで筋肉が目立って、血管も浮き出ている。その逞しい腕に、なんだか見てはいけないものを見た気分になって、慌てて視線を鍋へと戻す。

 今まで、トレイ先輩のことは幼馴染の近所のお兄さんくらい好きだと思っていた。毎日ご飯を作ってくれて、私が美味しいとご飯を頬張ればすごく嬉しそうに笑ってくれて、さらには勉強まで教わる日も増えている。……そんな風に毎日トレイ先輩と一緒に過ごしていくうちに、親近感があるとか、好感度が高いとか、そんな言葉では片付けられない感情が自分の中に芽生えていた。
 もっとトレイ先輩に近づきたい。触れてみたい。触れて欲しい。そういった欲がほんのり生まれてきて、私はトレイ先輩のことが好きなのかもしれないと自覚した。

 そんなことを考えていたらなんだか恥ずかしくなってしまって、無心で鍋をかき混ぜ続けていると、突然後ろからにょきっと手が出てきてレードルを持つ私の手が包まれた。「な、もう十分だって」と弾むような声が背後から聞こえて、思わず振り向くとトレイ先輩が私の真後ろに立っている。何度も声をかけてくれていたようだ。笑って私を見下ろす先輩の視線に、ぶわっと全身が一気に茹ってしまって、急いで前を向く。すると今度は先輩の大きな手に包まれている自分の手が見えて、動揺してするりと引っこ抜いてしまった。


「もう席についていいぞ。あとはこのスープをよそうだけだから」
「あ……ありがとうございます」


 ドキドキと高鳴る心臓を手でこっそり押さえる。トレイ先輩は、そんな私のことなんてまるで気がついていないのか、何事もなかったかのようにスープをよそってくれた。
 ここ数日ですっかり馴染んだ席について、いただきますとおかずを頬張る。いつも通りとっても美味しくて、目を輝かせれば先輩は頬杖をついて嬉しそうに笑う。なんだか本当に恥ずかしい。先輩の反応をみていると、付き合いたての彼女の手料理を食べている気分になる。いや、新婚か?自分の想像でもっと照れくさくなってしまって、急いでご飯をかき込んだ。


「今日のデザートは、コーヒーゼリーだ」
「えっ!今日も作ってくれたんですか?」
「寮生に作ったついでだよ。それに、お前いつも美味しそうに食べるから、作るのが楽しいんだ。いま冷蔵庫から取ってくる」


 そう言って、席を立った先輩を眺めていた時だった。
 私に身体半分だけ向けていたその背中が、隠すように欠伸をするのが見えた。
それはほんの一瞬で、小さな小さな欠伸はすぐに噛み殺された。トレイ先輩は、後輩の前ではあまり気を抜いたような行動は見せない。寮服のベストのボタンを留めずに「だらしなくて悪い」なんて笑ってはいたけれど、リドル先輩の手前なのか、弟妹を世話していた頃の癖なのか、いわゆる“年上、先輩”というイメージからは崩れない程度の振る舞いをしていた。後輩に情けないところは見せられないからな、なんてこぼしていたこともある。ケイト先輩は「同級生の前では結構テキトーだよ」なんて言っていたが、やはり、私の前でも“先輩”の仮面を崩すことはなかった。

 だから、その小さな欠伸は私に衝撃を与えた。トレイ先輩、私に料理を作ることがかなり負担になっているのではないだろうか。夕食は一緒に作っているとはいえ、毎日の朝と昼のお弁当、そして毎回ついているデザート。それに加えて、寮生たちに振る舞うスイーツも作っている。
どうやって時間を作っているのだろう、なんて、考えればすぐ分かるはずだったのに。
トレイ先輩は、私のために睡眠時間を削っているに違いなかった。





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 トレイ先輩が、ちゃんと寝ていないかもしれない。
その可能性にようやく気がついた翌日、私は学校でトレイ先輩を追いかけて観察していた。授業中はもちろん無理だが、休み時間のたびにグリムを引っ張って先輩がいる場所に行き、物陰からこっそり眺めた。

 やっぱり、先輩はなんとなく眠そうにしている。廊下でクラスメイトに振られた話題への反応がワンテンポ遅れて「ちゃんと聞いてくれよー」なんて笑われていたし、移動教室ではリリア先輩から「トレイが居眠りなんて珍しいのー」と揶揄われていた。先生に小言を言われてしまったらしい。
先輩の日常生活に支障をきたしてしまっている。最悪だ。
 元々、食事を三食作ってもらう時点で負担をかけている自覚はあった。しかし、先輩はこれまでもキッチンに立っていることが多かったから、寝不足になってしまうほど迷惑をかけているなんて深くは考えていなかった。先輩が、ご飯を作っている時も私に食べさせている間も、嫌な顔ひとつしないで楽しそうに見えていたというのも、私の鈍さに拍車をかけていた。普通に振る舞うのが得意な人なのに。どうして早く気がつかなかったのだろう。先輩と過ごすのが楽しくなっていて、浮かれすぎていた。

 悔しくなってしまった。
 お礼のつもりで、部活や寮での細々とした手伝いをする程度で満足していた。そこで小さな負担を減らしたところで、副寮長しかできない仕事や、日々の授業の予習や課題の時間を短縮することなんてできない。

 どうしたら先輩を楽にできるのか。ぐるぐる考えても、私のご飯を作りをやめてもらう以外に案は思いつかなかった。もう10日も前になる、あの味がなかったご飯を思い出す。食材そのものの成分に変化があるわけではないのだから、私が我慢して食べれば栄養は取れるに違いなかった。
 放課後、グリムをエーデュースに預けてクルーウェル先生の元へと向かう。職員室に入るとちょうど他の先生がコーヒーを入れて配っているところだった。その匂いは届いてこない。
 ネックレスを作った魔法士について尋ねたが、調査の進捗はあまり芳しくないようだった。先生は小さくため息をついて、眉間に皺を寄せながら説明してくれた。


「このネックレスを扱っている会社が魔法アクセサリーの事業に参入したのは、ここ数年のようだ。現在も、魔法を使わない全く畑違いの商品を一緒に扱っていて、自分たちの店舗で食品や食器、家具、衣料品を販売しながら企業向けにも卸したりと手広くやっている。元々魔法を使わない商品を扱っていたからか魔法士のツテがほぼ無く、募集する形で魔法を使える人材を集めたらしい。経歴も実力も問わずに雇い、とりあえず魔法をかけさせて、出来上がったネックレスの魔力を測ってランク付けし相場より多少低い値段をつけて販売しているという。日雇いアルバイトも多いことから、誰がどのアクセサリーを作ったのかまでは細かく記録していないときた」
「ちゃんとした魔法士かどうかも分からないから、辿るのが大変なんですね……
「アクセサリーの老舗企業だったら管理はしっかりしてるんだがな……。とりあえず、ネックレスを置き忘れた生徒を探しだして購入時に入っていた説明書を確認させたら、製造日は判明した。その日の出勤状況から魔法をかけた該当人物を探してもらっているところだ。対応した社員の印象はそんなに悪くなかったが、業務の合間に作業している分時間がかかっているんだろう。なにしろ莫大な資金を投入して随分人を雇ったようだからな。ただ、今後は再発を防ぐために魔法をかけた人間を全て記録すると反省していたぞ」
「これまでよく同じようなトラブルが起きませんでしたね……。まぁ、それなら見つかるまでは何もできませんし、仕方ないですよね」


 先生にお礼を言って、肩を落として職員室を出る。すぐに魔法を解くということは出来なさそうだ。とぼとぼと学校の薄暗い廊下を歩く。雇っていた会社ですらなかなか見つけられない魔法士を、自力で見つけられるはずがなかった。
それならば、私がいま出来ることはひとつである。

 今の時間だと、先輩はもう夕食作りを始めているかもしれない。急いでハーツラビュル寮のキッチンへと駆け込むと、先輩はお肉を捏ねているところだった。寮服のジャケットや帽子は椅子に引っ掛けられていて、かなりラフな格好だ。私が来たことに気がついた先輩が「今日はハンバーグにしようと思って」と笑う。その笑顔に胸を締め付けられながら、先輩の近くに寄って考えてきた“嘘”を話す。


「味覚が戻った?」
「はい。魔法の期限が切れたみたいです。クルーウェル先生に聞いたんですけど、ネックレスを作った人たちの魔力にはばらつきがあるみたいです。きっと魔力が弱くて、願い事を叶え続ける力が無くなったんじゃないかと思って」
「うーん……まぁ、そういうこともある、か?」
「今まで私のためにご飯を作ってくれてありがとうございました!材料費の余りは、お礼の一部としてトレイ先輩が貰ってください。学園長にはもう話してあります。金額をメモした紙は預かりますね。あ、先輩へのお礼はまだまだし足りないので、出来ることがあったら呼んでくださいね!」


 本当は、学園長には何も話していない。先輩からメモを預かって、お金を全て使い切ったように書き換えてから提出するつもりだ。だって、こんなに頑張ってくれたのに、ご褒美が何もないなんておかしいじゃないか。ボロが出ないように早口で説明し終えると、トレイ先輩は少し面食らったような顔をしていた。


「あ、ああ。分かった。じゃあ、学食も食べられるってことか……。でも、今日はここで食べていかないか?もう作り始めてるし」


 そう言った先輩は手を突っ込んだままのボウルをこちらに見せて苦笑いした。あとは形を整えて焼くだけに見える。ここまで作ってもらって食べないのは失礼だろう。それに、これはトレイ先輩が私のためだけに作る最後の料理になるのだ。今後も、寮生のために作ったスイーツのおこぼれはもらえるだろうが、これは私専用のご飯だ。「もちろんいただきます!」と笑顔で答えると、先輩は満足そうに笑った。


「よし、半熟の目玉焼きを乗せて……
「わぁ!」


 クローバー家流だよ、なんておどけて言う先輩にきゅうと心臓が握られる思いをしながら、完成した料理を見つめる。もう口の中は食べる準備が万端だ。先輩は、向かい側の席について自分の分のハンバーグを置く。本当は残ったお肉はアレンジして明日のお弁当に使おうと思っていたらしいが、私の味覚が戻ったことでその必要がなくなったので自分用にしたらしい。


「いただきます」
「いただきまーす!」


 いつもトレイ先輩は食堂でご飯を食べてから私の食事を作っていたから、こうしてここで一緒に食べるのは新鮮だ。オムライスを食べたとき以来だろうか。材料費を学園長から支給されていたこともあって、作ったものを先輩自身が食べることは憚られたのだと思う。他の人だったら、メモを誤魔化してお金を自分の懐に入れていたっておかしくないけれど、先輩はきっと「バレた時の方が面倒だ」と言うんだろう。

 トレイ先輩の最後の手料理。
 柔らかいハンバーグにフォークを差し込むと、上に乗った半熟の黄身が割れてとろりとお肉にかかる。それをひと口大に切って口の中に放り込む。デミグラスソースは以前買った市販のものに味が似ているが、もっと深い味わいがする。きっとまたトレイ先輩なりのアレンジが加わっているのだろう。ああ、本当に美味しい。ずっと、これからも食べていたい。でも、明日から私は味のしない粘土や練り消しのような物を食べなくてはならない。先輩にこれ以上の無理をさせるわけにはいかないから。

 思わず涙が出そうになって、急いでお茶を飲んで誤魔化した。飲み物は、先輩が手ずから入れてくれた紅茶や、フルーツを使って作ってくれたスムージーなどは味がしたが、市販のパックのジュースなどは先輩が注いでくれても味がしなかった。そのあたりが、ネックレスを作った魔法士にとっての“料理”の範囲らしかった。これからは、飲み物は水だけになるのだ。まだ、固形物よりはマシだけれど、飽きないかは少し心配である。


 全て食べ終えて、食器を片付ける。スマホを見るとエースから「グリムはオレらの部屋で遊んでる」と連絡が来ていた。迎えに行こうか……と考えていると、トレイ先輩から声がかかった。


「今日の宿題がまだ終わってないなら、一緒にやらないか?」
「え、いいんですか?あ。それならグリムも呼んでこようかな。エースたちの部屋で遊んでるらしくて……
「遊んでるなら、無理に呼ばなくていいんじゃないか?談話室で勉強してれば通りがかるかもしれないし」
「そうですね!」


 そもそもグリムは、勉強をちらつかせたら呼んでも来ないかもしれない。それに、トレイ先輩と一緒の時間を二人で過ごせるのは嬉しい。
一緒にキッチンを出て、並んで廊下を歩いて談話室に入ると、何人かのハーツラビュル生がカードゲームをしたり勉強をしたりしていた。流石にここじゃ二人きりにはなれないよね……とこっそり落ち込みながら、集まっている人たちからは少し離れた位置のソファへと移動する。ここ最近、図書館で一緒に勉強したときは向かい側に座っていたトレイ先輩だったが、今日は大きなソファがひとつしか空いていないこともあって隣に座った。いつもより近い距離に、自分の左側が熱い気がする。先輩は、ほんのり甘い香りがした。いつもお菓子を作っているから、身体もお菓子みたいな匂いになっているに違いない。すごく、美味しそうだ。

 それぞれの宿題を広げ、分からなくなったところを質問する。先輩の低い声で返される言葉が、いつもより近い距離から聞こえてくることにドキドキした。庭の方を向いているソファに座っているから、談話室にいる他の寮生たちの声はどこか遠くで響いているようで、なんだか隠れて秘め事をしているような気持ちになってむずむずする。


「じゃあ、この公式を使って……こうですか?……あ、できた気がします」
「うん、合ってるぞ。よくできたな」
「ありがとうございます!」


 錬金術で扱う苦手な数式を、先輩のヒントを頼りに自力で解くことができた。嬉しくて思わず笑顔でトレイ先輩を見上げると、とても柔らかい視線が降り注いできた。目が合った先輩はいつもよりリラックスしているようで、私の頭を撫でる手はゆっくりと動いている。それがいつもと少し空気が違う気がして、緊張で身体が固まってしまった。
そこから少しの間、それぞれ静かに問題を解いていた。と言っても、先輩はとっくに終わって私の教科書を「懐かしいな」と言いながら読んでいただけだが。

 ああ、集中できない。私、いつもこんなに緊張してたっけ。幼馴染のお兄さんと一緒にいる時って、どうしてたっけ。
先輩の存在を意識してしまってなかなか宿題が進まないでいると、左側からぐっと体重をかけられた。突然の圧に驚いて顔を前に向けたまま目だけで隣を見ると、トレイ先輩がこちらに寄りかかっている。そっと顔ごと先輩の方を向いて確認すると、大きな節くれだった手から落ちた教科書が開いたまま机に引っかかっている。


「ね、寝てる……


 小さな吐息が耳元に届いた。
 先輩はジャケットを脱いでソファの背に引っ掛けていて、今はTシャツにベストという薄着だから、体温がじわじわと熱を伝えてくる。身体を動かさないように固定したまま首だけで周りを見るが、他の寮生たちは気がついていないようだった。ほぼ死角なのだから当たり前かもしれないが。
やっぱり、先輩は疲れていたんだなぁ。
普段は居眠りするところなんて見せてくれないし、偶然見かけても「はは、だらしないところを見られてしまったな」なんて笑って誤魔化す。こうして、私の肩で気を抜いて休んでくれたのが嬉しかった。この疲れの原因は、私だけれど。少しでも長く休んでほしい。


「おやすみなさい、トレイ先輩」


 小さく小さく呟いて、こちらに傾いている頭にそっとキスを落とした。すぐに自分のしたことが恥ずかしくなって、周りを見回す。良かった、誰にもバレていない。はぁ、と息を吐き、目を閉じてソファに背中を預け直す。
うん、私もこのまま眠ってしまおう。
トレイ先輩の温かさに身を任せて、そのまま意識を放り出した。







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 さて、今日から私のご飯は味のない粘土だ。覚悟しなければならない。
トレイ先輩が作る美味しい朝ごはんも、大胆なお弁当も、温かい夕食も、もう食べることはできない。
制服に着替えて鏡の前に立ち、両頬をぱし!と叩いて気合いを入れる。これ以上、先輩に甘えてはいけない。

 トレイ先輩、昨日はよく眠れただろうか。
 あのままソファで寝落ちてしまった私たちを起こしてくれたのはケイト先輩だった。「そろそろ帰らなくて大丈夫?」という言葉にスマホを確認すると、21時になっていた。勉強を始めたのが19時くらいだったと思うから、大体1時間は居眠りをしていたようだ。ケイト先輩に肩を揺すられて目を覚ましたトレイ先輩は、私に寄りかかっていたことに気がついて、ばっ!と上体を戻した。「悪い、重かったよな」と少し焦っていたのが可愛かった。思い出してニヤニヤし始めた自分のほっぺをつねり、洗面所から出る。


 眠そうなグリムとカバンを抱えてオンボロ寮の扉を閉める。少し早めに登校したことで、あまり生徒に会わないまま食堂に着くことができた。まだそんなに人もいない。グリムががっつり系のメニューを選んでいる中、私はスープに入った麺を選んだ。にゅうめんみたい。スープなら、味がなくても水みたいに飲むことができるし、液体に合わせて麺を飲み込むこともできるんじゃないかと思った。席について「いただきます」と手を合わせると、グリムは不思議そうに私のトレーを覗き込む。


「あれ、今日はトレイのメシじゃねーのか?」
「うん。えーと、トレイ先輩からは後でご飯を受け取ることになってるよ。ちょっとずつ普通のご飯も練習で食べてみようってことになったの」
「ふーん。ま、食えなかったらオレ様に寄越せばいいんだゾ。子分の世話は親分の役目だからな!残すときは始末してやる」
「ありがと」


 正直食べ切れる自信はなかったので、グリムの反応は助かった。朝食にこの早い時間を選んだのも、他の人に食べ物を残すところをあまり見られたくなかったからだ。それから、トレイ先輩からご飯を貰う予定というのはもちろん嘘だった。グリムに心配をかけたくない。

 目の前のスープ麺を見る。匂いは全く無いから、どんな味付けがされているのかも予想できない。塩ラーメンみたいなスープの色をしている。深いスプーンで、汁を掬って飲んでみる。やっぱり味がしなくて、ぬるいお湯だった。でもまぁ、これはまだ飲み切ることができる。今度は乗っていた葉っぱを箸でつまむ。豆苗だろうか。口に含んでみる。生の野菜を食べているような口当たりだが、青臭さみたいなものも無い。量があると無味できついが、少しづつなら食べられる気がする。今度は麺を一本挟んで口に運ぶ。素パスタでさえ調味料がかかっているというのに、本当になんの味もしない。ただ柔らかい紐が口の中にある状態だ。思いきって麺をまとめて啜ってみる。口の中に入れて咀嚼するが、味がないとなかなか食道の方に移動してくれなくて、お湯のスープで流し込むことしかできなかった。鍋のまま湯がいた麺を食べたらこんな感じなんだろうか。下味すら無いけれど。

 結局、半分以上も食べられないままグリムに残りを渡した。お腹は全然満たされない。
ひたすら水を飲んで空腹を誤魔化していると、グリムが「足りねーから何か取ってくる」と言って席から離れた。ちょうどそのタイミングで、トレイ先輩とケイト先輩が食堂にやってきた。二人は私たちに気がつくと、そのまま隣に座る。


「お、本当に食べられるようになったみたいだな」
「おかげさまで……本当にお世話になりました」


 さっきグリムから戻された空のお皿を見て、トレイ先輩は私が食べたのだと勘違いしてくれたようだった。


「そんなに畏まるなって。毎日色んな料理を作るのは久しぶりで楽しかったよ。弟や妹の世話をしていた時を思い出した」
「寮生に作る時は当番制だもんね〜。そんなに楽しかったんなら、今度オレの当番のとき変わってもいいよ、トレイくん」
「こらケイト、当番の仕事はちゃんとしてくれ。……あ、そうだ監督生、これ。今日のおやつに食べないか?」
「えっ!」


 そう言ってトレイ先輩が差し出したのは、透明の袋に収まったドーナツだった。普通のチョコレートがかけられたものと、イチゴチョコがかけられたものの二つだ。片側にアラザンがかかっていて可愛い。思わずお腹が鳴りそうになる。


「い、いいんですか?」
「もちろん。このところずっとお前の食事を用意してただろ?なにも作らないとなると、今度は少し手持ち無沙汰になってさ。寮生たちの分は昨夜のうちに談話室に置いておいたら売り切れたんだ。だからこれはお前の分。良かったら食べてくれ」
……ありがとうございます。あの、これあの後作ったんですか?先輩ちゃんと寝てますか?」
「ん?……ああ、談話室で居眠りしたからか?心配しなくても、しっかり寝てるよ」
「そういえば、昨日はトレイくんいつもより寝るの早かったね」
「あーっ!お前らずるいんだゾ!」


 きょとんとした先輩に少しホッとしたところで、大きなパンケーキをトレーに乗せたグリムが戻ってきた。その視線は私が受け取ったドーナツに向いている。グリムの勢いに苦笑いしたトレイ先輩は「こっちはグリムの分だぞ」と言って別の袋を取り出して渡す。


「今日はオレ様の分もあるのか!?やったー!」
「ははは、喜んでもらえて良かったよ」


 少し雑談をしてから食事は終わり、先輩たちと分かれて教室へと向かう。もう作らなくてもよくなったのに、私の分までドーナツを用意してくれてすごく嬉しかった。朝食の味がないスープ麺に、早くも心が折れそうになっていた。今日1日は、このドーナツを食べて過ごそう。グリムに見られないように、こっそりとひと口大にちぎったドーナツを食べる。甘くて美味しくて、余計にお腹が鳴りそうになる。もっと食べたいけれど、昼と夜のことを考えたら我慢しなければならない。

 やっぱり、先輩は優しい。いつも食堂ですぐに私のことを見つけてくれる。それに、こうして気遣ってくれて、構ってくれるのが嬉しい。トレイ先輩の優しさに感謝しながら、ぎゅっと袋のくちを握り締めた。






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 きゅるきゅる、ぐぅぅぅとお腹が鳴る。
 トレイ先輩の食事を無くしてから、三日が経った。相変わらず食べ物の味も匂いもしなくて、ろくに食べられないままグリムに渡すことが続いていた。固形の食べ物よりスープ麺の方が口に含みやすいが、日に日に口の中に残る柔らかい物体への失望が増していき精神的にキツかった。

 トレイ先輩は、毎日ひとつデザートを作ってくれるようになっていた。こんな状態になる前もたくさん作った時は分けてくれていたが、それは偶然タイミングがあった時くらいだった。でも、今は毎朝、食堂で朝食をとるときにずっと届けてくれる。
正直助かっていた。毎日をほぼそのデザートを食べることで凌いでいた。味がするのは、やっぱりトレイ先輩の手作りだけだったから。貰ったマフィンや、寮に招待されたときに出してもらったタルトを慎重に、ゆっくりと味わいながら食べた。持ち帰れるときは、部屋でグリムに見つからないようにこっそり千切りながら食べたりした。美味しくて、そのまま美味しかったトレイ先輩のご飯を思い出してちょっと涙が出るときもあった。
 でも、私が弱音を吐いたらトレイ先輩がまた大変な思いをすることになる。寝不足で授業を聞き逃したら大変だ。先輩の安眠を守るためなら、頑張れると思っていた。


 限界は、先に身体に訪れた。
 朝に貰ったトレイ先輩の手作りチーズケーキを少しだけ齧って、残りは夜に食べようと昼食を抜いた。最近、お腹に力が入らないことが増えていて、エースやデュースからもボーッとしていると心配されていた。
そんな中、今日の体力育成はグラウンドを使った長距離走だった。お腹の音がならないように押さえたりしながら走っていると、足がぐらっとふらついた。
そのまま踏ん張ることができずに地面に倒れ込む。

頭がふわふわしていた。走っていたことで呼吸が乱れて、どんどん視界が白んでいく。

薄れる意識の中で、誰かが私の腕をしっかりと掴んでいた。





「あ、起きた」
「ふなーっ!子分、しっかりするんだゾ!」
「大丈夫か!?」


 目を開けて真っ先に視界に入ってきたのは、眉間に皺を寄せたエース、半泣きのグリム、焦った様子のデュースだった。身体を起こそうと思ったけど無理で、そのまま周りを見回す。


「あれ……保健室?」
「お前、体力育成中にぶっ倒れたんだよ。つか、さっき保健室の先生に調べてもらったら、胃がほとんど空っぽで栄養失調になりかけてるって言われたんだけど。どういうことだよ」
「そうだぞ子分!オマエ、本当はメシ食ってなかったんだろ!?」
「味覚は戻ったんじゃなかったのか?僕やエースにもそう言ってたじゃないか」


 次々と言われて頭が追いつかないが、私は空腹で倒れたようだった。結局、心配も迷惑もかけてしまった。じわ、と涙が目に集まってくる。


……ごめん」
「謝らなくていーから。それより説明してくんね?トレイ先輩に聞いたけど、先輩もオレらと同じように『味覚が戻った』って聞いてたらしいじゃん。でも、本当はまだ味しないんだろ?なんで先輩の手作り断ったわけ?」
「え、トレイ先輩に話したの!?」
「当たり前。そもそも倒れたお前に最初に駆け寄ったの、近くで飛行術の授業受けてたトレイ先輩だし。ちなみに、ここまで運んだのもトレイ先輩。保健室の先生の話を聞いたら、スープ作って戻ってくるって言って出て行ったけど」
……そっか。えっと……理由は……その」


 言い淀んでいると、ドアが開いてトレイ先輩が入ってきた。手にはスープジャーを持っている。それを見たエースは「あ。……じゃあ、オレら部活あるからもう行くけど、ちゃんと後で理由聞かせてもらうから」と言って、グリムとデュースの背中を押して出て行った。入れ替わるように、トレイ先輩がベッド脇の椅子に腰掛ける。怖くて、申し訳なくて、顔を見れない。じっと掛け布団を掴む自分の手を見ていると、先輩はスープジャーを開けて中にスプーンを入れて少し混ぜた。


「俺が戻ったら、エースたちに席を外すように頼んでいたんだ」
「え」
「飲めるか?胃が驚くといけないから、スープにしたんだ。具も小さめに切ってみたんだが」
「あ、はい」


 ゆっくりと身体を起こして、先輩からスープを受け取る。中身はミネストローネだった。確かに具は小さめにカットされているけれど、種類が多い。私が出来るだけたくさん栄養を取れるように、色々入れてくれたのだろう。
ふぅ、と冷ましながらスプーンで掬って食べる。温かくて、美味しくて、じわ、と涙が出てきてしまった。お腹が空いていて、スプーンを動かす手は止まらない。スンスンと鼻をすすりながらミネストローネを食べる私を、トレイ先輩は静かに見守ってくれた。
 全て綺麗に食べ終わると、お腹が少し満たされて心にも余裕が出てきた。まだ足りないけれど、力が戻ってきた気がする。私の手から空いたスープジャーを受け取ったトレイ先輩は、中にスプーンを入れたまま蓋を閉めるとこちらに向き直った。


「それで、理由を聞いてもいいか? いつも美味しいって笑ってくれてたし、今もこうして全部食べてくれたし、口に合わなかった……とは思いたくないんだが」
「そんなわけないです!トレイ先輩の料理はすっごく美味しくて、あのとき、ネックレスの魔法石が割れたとき、ずっと食べてたいって言ったのも本心で……
「それなら、どうして俺の作る料理を食べることをやめたんだ?」


 そう問われて、思わず唇を噛む。正直に言ってもいいのだろうか。トレイ先輩、自分のせいだって思わないだろうか。たちまち不安が胸の中を占めたが、もう誤魔化しがきかないだろうことも悟っていた。小さく深呼吸する。掛け布団を握る手に力が入った。


……トレイ先輩、寝不足だったから」
「は?」
「先輩、私のご飯を作るために毎日無理してましたよね?眠そうにしてたし、授業中も居眠りしてたって聞きました。この前も私の横で眠っちゃたじゃないですか。……だから、このまま先輩に料理を任せ続けたら、倒れちゃうんじゃないかと思って」


 恐る恐る先輩に視線を向けると、驚いた顔でこちらを見ていた。怒っていない雰囲気であることに安心して、自分の指先をもぞもぞと遊ばせながら説明を続ける。


「何日か前にクルーウェル先生に聞いたら、まだ魔法士を見つけるには時間がかかりそうだって言われたんです。このままどれだけ続くか分からないのに、先輩に大変な思いをさせ続けるのは申し訳なくて。私が、味のないご飯に慣れて食べられるようになれば、なんとかなるかなって思って」
「こうして倒れたってことは、食べられなかったんだな」
「やっぱり、味がないのはキツかったです。食べ物って、調味料をかけなくても素材の味があるじゃないですか。でも、それすらなかったので食べ物を食べている気にすらならなくて……。だから、トレイ先輩がくれるおやつを一日かけて食べたりして過ごしてました。無茶してすみませんでした!!」


 がばっと先輩に向かって頭を下げる。「本当に、心配したんだぞ」と絞り出すような声が聞こえて顔を上げると、座ったまま上半身を引き寄せられるような形で抱きしめられた。先輩が今どんな表情をしているのかは見えない。でも、背中に回る腕の強さとか、受け止めている身体の温かさとか、肩から首元に擦り寄る顔とか、その全てが私を優しく包み込んでいた。ふわり、と甘い匂いがする。ああ、トレイ先輩の匂いだ。
顔が熱い。心臓がどくどくと血を巡らせている。そっと自分の手を持ち上げて先輩のジャケットにしがみつくと、背後に回る腕の力がもっと強くなった。


「あ、あの、せんぱい」
「ごめん」
「え?」
「寝不足気味だったのは本当なんだけど……別に、お前の食事を用意するのが大変だったからではないんだ」
……へ?」


耳元で言われた言葉を聞いて、頭にハテナが浮かんだ。
首を傾げていると、そっと身体が離される。私の両肩に手を置いたトレイ先輩は少し気まずそうに一度視線を逸らして、ぽつりと呟いた。


「メニューを考えるのが、楽しくて……
……はい?」
「朝ごはんは何にしようとか、お弁当はどうしたら楽しく食べてもらえるかとか、夕食も、何を作ったらお前が喜ぶかって考えてレシピを調べてたりしていたら、毎晩寝るのが遅くなってしまって」
「え、食事を作ってたから、その分課題とか仕事ができなくて寝るのが遅くなったんじゃ……
「いや、前日の夕飯を作るときに次の日の朝ごはんにも使えるように食材の仕込みをしていたし、昼のお弁当だってだいたい一品だっただろ?お前が帰った後、いつも一時間程度で作り終えてたから別に支障はなかったよ。魔法で保存も効くし。予習も宿題も、いつも計画的に進めてるから溜まって困るということもなかったな」
「それじゃあ……
「俺が勝手に浮かれて張り切って寝不足になってただけなんだ。……まさか、お前をこうして追い詰めてしまうなんて思わなかった。本当にごめん。悪かった」


 確かに、朝食のサンドイッチに挟まれていた具材はほとんど夕食のアレンジだったし、お弁当は仕切りのない箱にオムライスやドライカレーといった一品料理がどん!と入っていることが多かった。どれも美味しくて、間違いなく手間はかかっているけれど、先輩はちゃんと効率よく作っていたのだ。


「でも、大変だったのは本当ですよね?今までなかった作業が増えたわけですし」
「あのなぁ。俺は、相手がお前だから頑張ったんだぞ」
……?」
「下心も無しに、こんなに献身的なことをするわけないだろ。お前に良いところを見せたかっただけだよ。俺は」
…………え」
「胃袋を掴もうと思って色んなレシピをたくさん調べたし、味覚が戻ったって言われたときは寂しくて、そこからどうやって引き止めようか必死で考えた。勉強に誘ったり、毎日おやつを用意したりしてな。それに今日だって、いつもよりふらついてるお前のことが心配で、授業中にこっそり見てた。それで一番に助けに行けたんだ」


 驚いて、目を見開いてトレイ先輩をまじまじと見る。先輩の耳は見たことがないくらい赤くなっている。頬も、というか、全体的に赤い気がする。
それに気がつくと、今度は私が顔を真っ赤にする番だった。
どうしたらいいか分からなくて、頭の中はパニック状態だ。これって、この言葉って、前向きに受け取っていいのだろうか!

 あたふたと目を泳がせていると、私の肩を掴むトレイ先輩の手にぎゅっと力がこもる。あれ、さっきより距離が近づいてないだろうか?なんとなく、部屋が暗くなったような気がする。いや、部屋が暗くなったんじゃなくて、先輩がさらに近づいてきてるんだ!ああ、もう息がかかる位置だ!
これは、キスでしょ!

 そう考えて思いっきり目を閉じた瞬間、ガチャ、とドアが開く音が鳴り響いた。そういえばここは保健室だったと思い出して、思わず周りを見回す。他に生徒は居ないように見える。ドアから入ってきたのは、保健室の先生だった。そして、その隣にいるのは白と黒のもふもふしたコート。


「待たせたな。ようやくネックレスの魔法士が見つかっ──……どうかしたのか?お前たち」
「なんでもないです!」
「スープを食べさせていただけです!」
……ほう?」






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 私が保健室からようやく抜け出した翌日、休日だというのに先生から呼び出されて、グリムと共に応接室に向かう。すると、ソファにどっかりと座ったクルーウェル先生の前で、平身低頭をまさに絵に描いたような状態の、スーツを着た男性が二人いた。
件の魔法士さんがようやく見つかったことで、早速この学園に謝罪とお詫びをしにやってきたのだ。
 魔法士さんは、なんでも日払いの短期アルバイトとして雇われた人で、しかも社内の友人にどうしてもと頼まれ軽いノリで仕事に参加したらしく、履歴書もろくに書いておらずなぁなぁになっていたという。ネックレスの件が先生から会社へと伝わってから、書類をひっくり返しても該当者が見つからず、全社員に心当たりがないかと声をかけてようやく判明したそうだ。そこからさらに、この魔法士さんはアルバイトで得たお金を使って一人でぶらり旅に出ており、連絡をつけるまでにかなり時間がかかった。

 クルーウェル先生にこってり躾けられたのだろう。しおしおに小さくなっている男性たちは、その魔法士さんと社内の友人さん本人だという。そして、初めは気が付かなかったが、その横にもう一人男性が立っており、二人の上司にあたる人だと紹介された。まさに社会人といった大人たちからしっかりと謝られて、逆に恐れ多くなってしまった。「あの、あの……魔法を解いてもらえれば大丈夫ですから……」とこちらがおろおろするばかりだ。その言葉を聞いた魔法士さんが、すぐに立ち上がって私にかかっている魔法を解いてくれる。
 グリムはというと、クルーウェル先生の隣に偉そうに座って、悪い笑みをこぼしながら腕を組む。


「おいおい!オレ様の子分にこんなことしておいて、まさか何もお詫びが無いわけねーんだゾ?」
「はい!もちろんでございます!こちらお詫びの品です。どうかお納めください!」


 そう言って社内の友人さんが手を差し向けた方を見ると、ダンボールが山ほど積み上げられている。グリムがぴょんと飛びついて中を次々と改めると、そこにはたっぷりの食材や生活雑貨、衣料品が詰め込まれていた。


「ひゃっほーう!食いもんなんだゾ!」
「えええ!こんなに貰っていいんですか!?」
「当然でございます!ですからどうか、穏便に……!」
「それについては、生徒たちがいないところでゆっくりと話しましょう」
……はい……


 当面の生活の糧になりそうなものが大量に手に入ってしまい、驚きで開いた口が塞がらない。いや、二週間近くろくにものが食べられなかった実害と精神的負担を考えると、妥当な損害賠償になるのかもしれない。
箱の中を探っていたグリムが、あ!と大きな声をあげるどうしたのかと近づくと、取り出したのは焼きチョコの袋だった。


「これ、前にジャミルから貰ったヤツなんだゾ!」
「ああ、フロイド先輩が持ってきたやつね。モストロ•ラウンジに置いて欲しいって、営業の人が持ってきてたって……


 ここまで言ったところで、思い当たって社内の友人さんと上司さんを見ると、二人はびくっと肩を揺らして気まずそうな顔をした。ふーん。なるほどなるほど。


「私、アズール先輩にはお世話になっているんです!このチョコの感想、よくよく伝えておきますね!」
……はは、よろしくお願いします……


 アズール先輩と交渉できる、いいカードまで出来てしまった。これまたラッキーだ。今回の弱みを使って、うまいことモストロ・ラウンジの割引券やサービス券を手に入れられるかもしれない。
ダンボールは後で先生が魔法を使ってオンボロ寮に届けてくれるとのことなので、焼きチョコの大袋だけ持って応接室を出た。この後、先生たちはまだまだ大人の話があるそうだ。さっき教えてもらったが、ダンボールの商品以外にも、味覚が無くなってからかかった食費、それから、トレイ先輩が料理をしてくれた時間を賢者の島の最高賃金で換算した分のお金が支給されるという。全て相手の会社持ちだ。学校の指導外のところになってしまったから、気にせず“アルバイト代”として受け取るようにと先輩にも伝わっているらしい。先輩がタダ働きにならなくてほっとした。

 軽い足取りで廊下を歩き、中庭に出て外の空気を思いっきり吸い込む。ああ、これで解放された!私の隣を歩いていたグリムは、ゴソゴソを袋をあさって焼きチョコの小袋をひとつ取り出した。


「子分、本当に味覚が直ってるか確かめねーと。ほら、コイツを食ってみろ」
「そういえばそうだね。いただきまーす」


 袋を破って中身を取り出す。ふわりとチョコレートの香りが漂ってくる。それにホッとして、口の中にぽいっと放り込む。
ああ、味覚が戻ってきている!感動して、少し涙が出そうになりながら焼きチョコを味わう。
……うん。よくある市販のお菓子の味だ。これだったら、トレイ先輩が作るスイーツの方が何倍も美味しい。
これを食べた時のエースの反応を思い出して、確かにこれじゃ、モストロ•ラウンジには置かれないかもしれないなぁなんて苦笑いする。

 グリムと一緒に焼きチョコをつまみながらベンチに座っていると、廊下を通りがかったトレイ先輩が「終わったのか?」とこちらにやってきた。思わずびゅん!と背筋が伸びる。
あの保健室でのやり取りの後、まだしっかり話をしていない。私は、先輩のあの言葉をどう受け取ったらいいのか分かっていなかった。


「魔法は解けたのか?」
「はい!バッチリ元通りです。」
「それは良かった。……よし、グリム。実はさっきエースとデュースにタルトを持たせて、オンボロ寮に向かわせたんだ」
「ふなっ!?本当か!?」
「ああ。“親分”としてサポートを頑張ってた労いにな。急いで向かって寮のドアを開けてやってくれないか?」
「すぐ行くんだゾ!おい子分、早く!」
「あ、待て。監督生は借りてもいいか?」
「へっ?」
……ふーん。分かったんだゾ。じゃ、オレ様はもう行くからな!」


 にや、と笑ったグリムはオンボロ寮に向かって颯爽と駆け出していった。あっという間にトレイ先輩と二人になってしまった。緊張が飛び出してきてドキドキと鳴り始めた心臓を押さえていると、先輩に「ハーツラビュルへ行こう」と促される。鏡舎に着くまで、隣を歩く時間がすごく長く感じた。


「何かあるんですか?」
「ちょうど昼時だから、一緒に食べれたらなと思って。何が食べたい?」
「え!作ってくれるんですか?」
「もちろん」
「それじゃあ……オムライスがいいです!」
「了解」


 にっと笑ったトレイ先輩に、心がふわふわと浮き足立つ。嬉しい!ウキウキしながら道を進んでいると、ハーツラビュル寮内に入ったところでそっと手を繋がれる。驚いて何度も手と先輩の顔を交互に見ていると、先輩はぶはっと吹き出して笑った。なんだか恥ずかしくなって、手を引かれるがままについていき、キッチンにたどり着く。


「それじゃあ、冷蔵庫から卵と鶏肉を出してくれるか?あ、野菜室に玉ねぎもあるはずだ。俺はご飯を温めてくるよ。それから、俺の分はお前が作ってくれ」
「えっ!」
「俺の頼み事は、なんでも聞くんだったよな?」
「そ、そうですね……。がんばります!」


 ニヤリと片眉を下げていじわるに笑う先輩向けて、気合いの拳を向ける。お礼として、先輩の頼み事ならなんでも聞くと申し出たのは私だ。
隣に並んで一緒にオムライスを作っていると、あの、味覚を失った最初の日を思い出す。


「先輩、ケチャップと一緒にオイスターソース使ってみたいんですけど、どれくらい入れたらいいですか?」
「ん?ケチャップソースか。そうだな……せっかく味覚が戻ってるんだから、少しづつ入れて美味しいと思う味になるまで試してみたらどうだ?」
「!!……そうします!」


 出来上がったオムライスは、やっぱり先輩のよりはずっと不格好だったけれど、とても美味しいと褒めてもらえた。半分ほど食べたところで、先輩が「今日はシュークリームを作ってある」なんて言うから、私のテンションはもうこれ以上ないくらい上がりきった。先輩の作る料理もスイーツも、最高だ!


「はは。やっぱり、そうやって俺が作ったものを嬉しそうに食べてくれるお前が好きだよ」
「す、すき」
「うん。好きだ。……お前は、俺のことどう思ってくれてるんだろうなぁ。俺が寝不足なことに気づいて、自分の食事を我慢してくれるくらいだし、俺が居眠りしたときは、おやすみって小さくキスもしてくれてたなぁ」
「おおお、お、起きてたんですか!?」


 思わずガタッと席を立つと、先輩はスマホをすいっと操作する。見せられた写真は、私がこっそり先輩の頭にキスしている瞬間だった。


「こ、これっ!なんで!」
「ケイトがこっそり撮ってたらしい。なにがあったのか教えてもらったんだ。それから、これも」


 続けて見せてくれたのは、私と先輩が肩を並べて寝入ってる写真だった。ケイト先輩、私がキスした瞬間を撮って、その後戻ってきて、起こす前にもう一度撮ったってこと!?じわじわと顔が熱くなる。一緒に眠ってしまっている写真は私も欲しい。でも、キスの写真は恥ずかしすぎる!先輩はすっかり寝ていたから、バレないと思ってたのに!


「け、消してくれませんか!でも二枚目はください!」
「はははっ!正直だな。どっちも送ってやるから、告白の返事をくれないか?」
「そんな交換条件みたいに言わなくても……私も、トレイ先輩のことが、す、好きです」
「ありがとう。俺もお前のことが大好きだ」


 嬉しそうに笑った先輩は、テーブルの向こうから私の手を握った。「保健室じゃ、邪魔が入ったからな」と言われて、そっと目を瞑る。
先輩の気配が近づいてくる。自分の手をグッと握り込むと、先輩も包み込むように力を入れ直した。

とん、と触れるような一度目。
それから二度目は、もうちょっとだけ長いキス。


私のファーストキスは、ほんのりと酸味のあるケチャップの味がした。