botanin5
2024-11-18 21:07:22
27593文字
Public トレ監♀(小説)
 

待てるわけないだろ

好き好き言ってたら知らないうちに付き合ってた話
※「監督生」呼びだけど、ほぼ呼ばない



「は〜〜〜〜トレイ先輩今日もかっこいい」
「はいはい、いつもの病気ね」
「いや見て!?窓の外!ここから飛行術やってる先輩がちょうど見えるんだって!」
「分かったから、集中したほうがいいぞ監督生。トレイン先生がこっち見そうだ」


 おっと、それは危ない。デュースの忠告に大人しく従い、席へと戻る。今は魔法史のグループワークで、次回の発表に向けた資料作りをしている。みんなバラバラと席を移動してグループのメンバーと集まっており、喧騒が教室内を満たしている。ここぞとばかりに先生の視界をくぐり抜けて、窓の外から片思いしている大好きな先輩を眺めていたのだが、さぼっている事がトレイン先生にバレたら課題を出されてしまう。放課後はすぐにでもトレイ先輩のところへ飛んでいきたいので、余計な作業が増えるのはいただけない。


「先輩今日もかっこよかったよ。あのね、箒でね」
「あーもー分かったから、この資料ぱぱっとまとめて」
「エース冷たい」
「どーせ後で本人に『今日もカッコよかったです♡』って言いに行くんでしょ。オレが聞く必要ねーし」
「今この瞬間溢れてるパッションの行き場が無いの!」
「その熱量を発表資料に注いでくれ」
「デュースも冷たい」
「子分うるせー!」


 2人からだけでなく、グリムからも呆れた視線を投げられていることに気付き、流石に急いでペンを取る。珍しくやる気になっているグリムのテンションを落とすわけにはいかない。つい、ふと窓から見えたトレイ先輩に吸い寄せられてしまったが、私は普段、真面目に授業を受ける模範生なのだから。先生にもそう思われているはずだ。たぶん。
 資料をまとめながら、先ほど眺めたトレイ先輩の姿を思い返す。運動着は先輩の他の人より少し逞しい腕がばっちり見られるからとても貴重だ。真面目に振る舞っているけれど、ファスナーは下までだらっと開けているところが好きだ。眼鏡をかけている状態でも動いて平気な程度しか、やる気を出してないことも知っている。本当はもっと出来ることも。一度、暴走した絨毯に乗ったカリム先輩を助けていた所を見た。バルガス先生にも褒められていて、先輩は苦笑いしていたけどすごくカッコよかった。

 トレイ先輩の好きなところはたくさんある。お菓子を作れるところも素敵だし、勉強を教えてくれて優しい。困っているときすぐに声をかけてくれる。あと、笑ったときのつり目がかわいい。私よりずっと高い背もときめくし、手も大きい。……挙げ始めるとキリが無いけれど、とにかくトレイ先輩が大好きなのだ。そして、この思いを内に秘めておくことなんて到底できなくて、私は毎日先輩に伝えている。


「トレイ先輩!飛行術見えたんですけど、すっごくカッコよかったです!」
「はは、ありがとう」
「今日も好きです。ときめいた所を順番に話していってもいいですか?」
「はいはい、どうも。今は遠慮しとくよ」


 授業が終わり、迎えた放課後。
 エースの予言通り、私はグリムを連れてサイエンス部の活動教室に入り込んでいた。トレイ先輩に会いに来て、いっぱいお話してもらって、帰る。これが日課になっていた。部活のない日は、先輩はハーツラビュル寮でお菓子作りをしていることも多く、そこにも入り浸る私はすっかり寮の常連である。
 先輩はいつも通り私の言葉を流しながら、白衣を着てマンドラゴラの根を切っている。今日の活動はお菓子作りじゃないらしく、グリムはかなり不満そうだ。


「今日も素晴らしい愛の言葉だねトリックスター!」
「ルーク先輩!いや、師匠!」


 いつのまにか現れていたルーク先輩に駆け寄る。ぱっと出された手に捕まって、くるくると教室の真ん中で回る。ダンスとも言えないほどの戯れだ。ルーク先輩は愛の伝道師、私の師匠である。トレイ先輩にどんな言葉を伝えたらいいか、アドバイスをたくさん貰っているのだ。上手くいったことはないけれど。
 ぐるぐると回りすぎて気持ち悪くなってきたところで「そろそろ止まって、こっちを手伝ってくれ。ルーク」と言ったトレイ先輩によって謎のダンスが終了する。
 私は活動の邪魔にならないように、教室の隅に移動する。トレイ先輩を眺める定位置だ。他のサイエンス部の生徒も、私の存在に疑問を抱かない。そう、まるで空気のように馴染んでおり、誰も触れない。毎日毎日トレイ先輩に告白しに来る私に慣れきってしまっている。もちろん、クルーウェル先生も。

 実験手順を後輩に説明するトレイ先輩をじっと眺める。活動内容が料理じゃないときはグリムがすぐに帰りたがってしまうので、鞄には常に大量のお菓子を準備している。グリムがお菓子に夢中になっている間、トレイ先輩を見つめ放題だ。あの短い髪が爽やかでかっこいいし、眼鏡も似合っていて素敵。ゴーグルの時は外した眼鏡をポケットに入れるのだが、その動作も好き。恋は盲目というやつだ。何をしていてもかっこいい。


「おめー毎日毎日よく飽きねーな」
「何言ってんのグリム。好きな人が動いている、つまり常に最新情報を取得し続けることができるということなんだよ?飽きるわけないじゃん。あ、今、先輩くしゃみした!!見た!?かわいい……
「さっぱり分かんねーんだゾ……


 分からなくて結構、いや、分かってもらっても困る。他の人までトレイ先輩を好きになってしまったら、私が話しかけられる時間が減ってしまう。先輩は優しいから、声をかけられればちゃんと話を聞くし、返事もするのだ。最近の私は流されている気がするが。
 じっと先輩を眺める続けていると、ふっとこちらを向いてくれた。一気に心臓がどくんと音を立てる。


「監督生、グリム。ちょっと来てごらん」
「なんだ?美味いもんか!?」
「いや、今作ったスライム、手で揉むごとに香りが変わるんだ。触ってみないか?」
「食えねーなら興味ねーんだゾ」
「私はめちゃくちゃ興味あります触らせてください!」


 私の早口に笑ったトレイ先輩が、差し出した手にそっとスライムを乗せてくれる。ぶよぶよとして、ちょっと濡れたような触り心地がなんとも言えない。もにゅ、と揉み込むと、シトラスの香りがふわりと鼻をくすぐった。もうひと揉みすると、今度は薔薇の香りだ。


「す、すごい……!どう配合したらこんな風に香りが変わるんですか!?」
「材料にマンドラゴラの粉末を加えるんだ。ただし、粉状にする前に香りの元となる植物や果物を食べさせておく必要がある」
「へ〜面白い……私も毎日フルーツ食べてれば、いい香りになるかな……
……くっ、はは、冗談だよ」
「へ?」
「マンドラゴラに物を食べさせることなんて出来るわけないだろ?消化器官もないし。今はドゥードゥル•スートで香りを変えてただけだよ。これは普通のスライム」
「えぇっ!?」


 トレイ先輩の冗談は本当に分かりにくい。イタズラを成功させた子どもみたいに、楽しそうにくつくつと笑う先輩にきゅうと心臓が鳴いた。こうやって揶揄って構ってくれるところが好きだ。騙されるのは少し悔しいが。


「先輩またそうやって!ひどいです」
「はははっ悪かったよ。教室の隅でじっとしてるのも暇だろ?今日は魔法を使う実験じゃないし、一緒にやらないか?」
「良いんですか……!?もう、トレイ先輩大好き」
「はいはい」


 こうやって一緒にいられる時間が幸せでしょうがない。これ以上を求めたら、バチでも当たっちゃうんじゃないかと思うくらい。思わずトレイ先輩に抱きつきたくなったが、お触りは禁止だ。これは自分に課している線引きで、接触はしないように気をつけている。そこまでじゃれついて嫌われたくない。今の距離感がちょうどいい。
 鞄のところまで戻って再びお菓子を開け始めたグリムを放置して、部活の時間いっぱいまでトレイ先輩の隣を満喫した。





✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎




 昼休み。
 今日は朝からトレイ先輩を見つけることが出来ていなくて、ちょっとテンションが低い。最低でも1日1回は先輩とお話しすることを目標に生きてるのに。食堂で席についてから時折周りを見回しているが、トレイ先輩の姿は見当たらない。今日は購買でお昼を買っているのかもしれない。残念。
 今すぐ探しに出発したいのを我慢して、いつものメンバーと一緒にお昼ご飯を食べる。午前中の魔法史でグリムが珍回答をしたことを掘り返していたエースが、落ち着かない私の様子に気がついて、話題を変えた。


……な〜監督生ってさ、もしかしてトレイ先輩にフラれてんの?」
「へ?」
「だってあんなに毎日『好きです♡』って言ってるのに、全然付き合ったりしないじゃん」
「いや、フラれてはない……というか、付き合ってくださいって言ったことない」
「は?なんで?」
「だって釣り合わないじゃん。トレイ先輩はお菓子も作れて裁縫もできて勉強も運動もできてあんなに優しくてかっこいいんだよ?それにみんなに平等に優しいし。そんな素敵な人が、私のこと好きになるわけないじゃん」


 けろっと本音を言った私に、エースだけでなくデュースまで驚いた顔をする。そんなに変なことを言っただろうか。私は先輩みたいなスペックを持っていないし、アイドルみたいな可愛さもなければ、モデルみたいなスタイルの良さもない。料理の腕は先輩に勝てないし、裁縫は並縫いしかできない。優しいかと言われれば博愛というほどじゃないし、整理整頓も苦手だ。つまり、先輩に『恋人にしてください』と売り込みできるような人間ではない。


「じゃーなんで好きって伝えてんの?」
「えっ好きだから……?つい口から出るというか……?」
「クローバー先輩から何か返事をされたことはないのか?」
「えー?ないない!いつも『そうか』とか『ありがとう』って感じかな?最近は『はいはい』って流されがちだけど。まぁ、真剣に返されてフラれたら立ち直れないし、いいんだよ、この状態で」
「そういうものなんだな」
「ふぅーん」


 デュースはふむふむと頷いたが、エースは納得したのかしていないのか、微妙な面持ちだ。告白……してみようと血迷ったことは、一度や二度ではない。正直「好きです」と言うたびに体温は上がるし、心臓の音は早い。本気でフラれたら、もう二度と言うことが出来ないくらい凹む自信がある。今は妹みたいに可愛がってもらえてるし、好きと言っても受け止めてもらえているし、私としては心地よい距離感なのだ。


……トレイ先輩すげーな」
「え、なにが?」
「トレイ先輩が嫌がったりしてないなら別に自由だと思うけど。オレだったら、好きでもない奴から毎日告られるのちょー迷惑。あ、別にお前のことウザい奴とか思ってる訳じゃねーから。一般論な」
……えっ」
「だって面倒臭いじゃん。いちいち構うの。特に女子って徒党を組むというかさ〜」


 そこから、エースのミドルスクール時代の愚痴へと移っていった。しかし、そんな話はまったく耳に入ってこなかった。
 ど、どうしよう。好きという気持ちが先を行きすぎて、迷惑かもしれないなんて考えたことがなかった。トレイ先輩は優しいからスルーしてくれているだけで、本当は面倒だと思っているのだろうか。どうしよう。


「どうした?監督生。顔色が悪いぞ」
……わ、私……迷惑かな……?」
「いや、だからそれはオレの場合だって!トレイ先輩は別にそんなこと言ってねーし」
「でも……一般論って言った……
「エース……泣かせるなよ」
「はぁ!?泣いてねーじゃん。ってかこれ、オレが悪いの?」


 エースはぶすっと頬を膨らませている。いや、別にエースは悪くない。正直な感想を教えてくれただけである。ちょっと私には衝撃的だっただけで。
今までの自分の行動と、トレイ先輩の反応を思い返す。毎日毎日、見つけるたびに駆け寄って、挨拶をして、お話しして、お菓子を恵んでもらって……トレイ先輩の反応は、エースやデュースを相手にしている時と変わりないと思っていた。いや、今思い返してみてもそう感じる。でも、先輩は隠し事が上手い。嘘や冗談も、まるで本当みたいに振る舞って話す。もし本当は迷惑だと感じていでも、私にはそれを見抜くことができない。


「ど、どうしよう……迷惑かけてたかも……
「あーあ、エースのせいで監督生が落ち込んだぞ」
「はいはいオレが悪いですぅ〜。悪い子だからお前のミートボールもらうわ」
「あっ!おい!」
「オレ様も!」


 ご飯の取り合いをし始めた3人の声がずっと遠く聞こえる。
 今日は、トレイ先輩を探すのやめておこうかな。うん。もし迷惑だと思われていたら、怖い。あの笑顔の裏で(面倒だが後輩だし、邪険にはできない)とでも思われていたら……。そう想像するだけで、なんだか落ち込んでしまった。
 もし、自分だったら。たしかに、全く気のない相手から毎日告白されるのは疲れてしまうかもしれない。まして、『付き合って』とも言われてないから断りを入れる状況でもない。そんなの対処に困る。かと言って、付き合って欲しいと告白してフラれるのは……ちょっと耐えられない。

 今日だけじゃなくて、しばらく近寄るのはやめておこう……
 トレイ先輩の姿を見ることができないのは残念だが、迷惑をかけたい訳ではなかった。先輩断ちをしよう。
 私にできることは、それしかない。




✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎




 先輩を避け始めて3日が経った。
 すでにトレイ先輩が足りなくて、禁断症状が出始めている。たった3日だと思うかもしれないが、これまで毎日毎日毎日会いに行っていたのだ。こんなに先輩に会わなかったことなんて無い。


「ふふ……さっきルチウスからトレイ先輩の声がしたね……
「なぁもうやばいって、トレイ先輩に会ってこいよ監督生」
「我慢は良くないぞ。僕も、早く会いに行ったほうがいいと思う」
「でも、迷惑かもしれないし……まだ先輩断ちを始めて3日だし……


 エースは「は〜余計なこと言わなきゃよかった」と面倒臭そうな顔をしている。あれから何度か、やっぱり会いたいな……と思うこともあった。遠目でトレイ先輩の姿を見かけたこともある。でも、いざ顔を見ると『迷惑かも』という気持ちが邪魔をして、足が動かなくなってしまう。きっと先輩は、会いに行ったら今まで通りの笑顔で後輩として対応してくれるだろう。しかし、心の内はわからない。本当は面倒だと思っていたら?……怖い。

 教室移動を済ませ着席すると、クルーウェル先生からプリントが配られる。最近は座学が多かったけれど、次は魔法薬を作るらしい。先生が説明を始めたので、詳細を目で追う。そこに書かれていた内容に、思わず大声が出た。


「えぇっ!?」
「騒がしいぞ仔犬!なにか質問か?」
「いえ……なんでもないです……
「では説明を続ける。書かれているように、今回は3年生と協力して魔法薬を完成させる必要がある。ペアの生徒はそのプリントに書かれているから、各自でコンタクトを取れ。1週間後の魔法薬学は3年生と合同で行う。その日までに、完成に必要な材料を考えて用意しておくこと。植物園の中で欲しいものがある場合は、その都度俺に申し出ろ。必要な分だけ渡してやる。正解かどうかは言わんがな」


 もう一度、プリントを確認する。間違いない。
『Trey Clover』
 私とグリムのペアとなる3年生は、トレイ先輩らしい。
 どうしよう。先輩断ちをしようと決めたばかりなのに、絶対に会う必要が出てきてしまった。会えるのはすごく嬉しい。授業のペアが先輩だなんて奇跡、今すぐ踊り出したいくらいには嬉しい。でも。


「絶対に、好きって言わないように気をつけなきゃ……




 放課後、早速トレイ先輩に連絡を入れた。3年生にもすでに合同授業の話は通っているらしく、空き教室で落ち合う約束はすぐに取り付けることができた。トレイ先輩だということに浮かれていたけれど、単純に知り合いの先輩であることはすごくラッキーなのかもしれない。他の生徒は、知らない先輩の名前があったり、気が合わない人だったりしたらしく、授業終わりにかなり騒いでいた。私は、すでに知り合いな上に、穏やかな人でコミュニケーションが取りやすく、さらに言えば好きな人。こんなに運の良いことは他にないだろう。


「お待たせしてすみません!」
「いや、そんなに待ってないよ。……なんだか久しぶりな気がするな」
「え、へへ……そうですかね?あ、早速なんですけどーー」


 にこっと笑った先輩に、顔が熱くなって思わず視線を逸らす。3日ぶりの先輩を噛み締めたいところだが、態度に出さないよう気をつけなくては。でも、私からしてもすごく久しぶりな気がする。たった3日なのに。
 魔法薬に必要な材料は、トレイ先輩がほどんど目処をつけてくれた。さすがサイエンス部なだけあって、知識の量と情報を出すスピードが普通じゃない。クルーウェル先生は、真面目だけど魔法が使えない私と、成績が良いとはいえないグリムに、あえてトレイ先輩をあてがってくれたのかもしれない。


「よし、じゃあ残りの3つの材料については、ちょっと自分達で考えてみろ」
「えー!トレイが全部教えてくれりゃいいじゃねーか!」
「俺が一人で全部用意したら、お前たちのためにならないだろ?キーワードを元に図書館で探せばすぐに見つかるさ。合ってるかどうかは見てやるから」
「はーい!じゃあグリム、明日は図書館に行こう」
「めんどくせーんだゾ……


 うん、いい感じに話し終えることができた。今日は一回も「好きです!」と言わなかった。我慢できて偉いぞ、私。余計な事を口走らないうちに帰ろうと、トレイ先輩にお礼を言って席を立つ。すると、珍しく先輩の方から声がかかった。


「ちょっと寄り道しないか?購買で新作のスイーツが出てるらしくて、気になってるんだ」
「えっ……
「ふなっ!?行く!」


 私が返事をする前に、グリムが先輩の提案に飛びついてしまった。どうしよう。これ以上一緒にいるとまた癖で「好きです!」と言ってしまいそうだ。でも、先輩からの貴重なお誘いを無下にすることもできない。だって、嬉しい。発言に気をつければいいだけだと思い直して、一緒に購買へ向かうことにした。

 新作だという可愛いカップケーキをトレイ先輩に奢ってもらい、グリムはご機嫌だ。私はお金を出すと言ったのだが、「俺が誘ったから」と先輩はさっと会計を済ませてしまった。思わず「ありがとうございます、好……!」と言いかけてなんとか飲み込んだ。危ない危ない。
「お前たちの感想も聞きたいから」と、カップケーキはハーツラビュル寮で一緒に食べることになった。紅茶も用意してくれるらしい。至れり尽くせりで、頭が上がらない。キッチンに招かれ、背の高い椅子に腰掛ける。食べながら3人で感想を言い合い、少し雑談をしてまったりしていると、お腹いっぱいになったグリムは眠ってしまった。運んでいくには少し重いから、帰る時には起こそう。そう思って時計を確認していると、トレイ先輩がそっと口を開いた。


「最近、どうしたんだ?」
「え?」
「全然顔を合わさないし、ちょっと様子が違うから、何かあったのかと思ってさ。それとも……俺が何かしたか?」


 眉を下げて穏やかにそう尋ねてきた先輩に、動揺した。気にしてくれてたんだ。毎日会いに行くのが迷惑になるかもしれないと思っての行動だったが、急に会わなくなるのも心配させるのか。ままならないなと思った。ここは、正直に話してもいいかもしれない。どうせ、私の気持ちは筒抜けなのだ。


「えっと、毎日トレイ先輩に会いに行くのは迷惑だったかな〜と思いまして……やめてました」
「いや、そんなことないぞ。気にしなくていいのに」
「え、本当ですか?エースは、そういうの迷惑って言ってたので……
「そんなわけないだろ。毎日会いに来てくれること、俺は嬉しいと思ってたよ」
「う、嬉しい!?」


 そんなことを言われたら、舞い上がってしまう。よかった。迷惑じゃなかった。安心して思わず目に涙が溜まってきてしまった。嫌われていたらどうしようかと思った。ふにゃりと力が抜ける。知らないうちに、全身強張っていたらしい。


「私に気をつかって言ってるわけじゃないですか?」
「そんなことないって。泣かないでくれ」
「あ、安心して……毎日はうざかったかなとか、迷惑な奴って思われてたらどうしようって、おもって……
「ははは、そんなこと気にしてたのか。大丈夫だよ」
「また、今までみたいに会いにきてもいいですか?」
「もちろん」


 へへ、と笑うと先輩も眉を下げて笑ってくれた。よかった。私、これからも先輩に会いに行っていいんだ。


「嬉しいです。でも、これからはすぐ『好き』って言わないように気をつけます」
「え?それは……どうしてだ?」
「エースに『好きでもない奴から毎日告白されるのは迷惑』って聞いて。流石にそれはそうかもって。あっ、先輩が許してくれたので、これからも会いに来ようとは思うんですけど、いつまでも『好き』っていうのは止めようかなと」
「ちょ……と、待ってくれ」
「はい?」


……俺たち付き合ってるよな?」
……………は?」


 先輩が何を言っているのか分からなくて、頭が真っ白になった。え?付き合ってるって、誰と誰が?もしかして、トレイ先輩と、私が?いつから?そんな話になったことあったっけ?驚いて固まってしまった私を見て、先輩は少し汗をかきながら眉を寄せ、頭を抱えている。


「え、付き合ってるって、いつからですか……?」
「お前が最初に俺に好きって言ってくれたとき、『ありがとう』って返したと思うが……
「あ、はい。それはもちろん覚えてます」
……その時から、俺は付き合ってるつもりでいたんだけど……
…………はい!?」


 ちょっと待って欲しい。それっていつからだ?私が気持ちを抑えきれなくなって、初めて『好きです』と言ったのは、3ヶ月くらい前じゃなかっただろうか。え?じゃあ、トレイ先輩の中ではもう付き合って3か月ってこと?私はただ、言ったことに対しての「ありがとう」だと思っていた。頭が追いつかない。


「あの……でも、その、私たち手を繋いだことすら無いですよね」
「お前が、俺のこと好き好き言うわりにあれ以上近づいてはこないから、時間を置いた方がいいのかと思ってたんだ」
「わ、私は付き合ってもないのに触っちゃダメだなって、思って」
「そういうことか……


 先輩ははぁ、とため息をついた。逆に3か月もスルーしていたのは私だったということか?今までの先輩を思い出してみる。私が好きと言っても、顔色ひとつ変えずに「ありがとう」と返す先輩。そんな記憶しかない。いや、分かるわけないじゃん!先輩の挙動は告白前と全く変わらなかったし、エースやデュースに対する扱いと私の扱いにたいして違いはなかったように思う。しかし。はた、と気がついた。先輩は付き合ってると思っていたということは……


「トレイ先輩」
「ん?」
「先輩、私のこと好きなんですか……?」
……そこからか……
「だって、先輩一度もそんなふうに言ったこと無かったじゃないですか!」
「いや、普通は人前で言わないだろ……二人きりになる事なんてなかったし」


 たしかに、私はいつも周りに人がいる時に『好きです!』と言っていたし、常にグリムがそばにいるから二人きりになったことは無かった。でも、3か月……3か月だぞ!?デートを何回もしていたっておかしくないのに。……もしかして、先輩に誘われてグリムと3人で賢者の島の街にケーキを食べにいったり、本屋巡りをしたり、海を見に行ったりしたあれは……デートだったのか……!それを確認すると、トレイ先輩は再び頭を抱えてしまった。


「まさか認識が違っていたとは思わなかった。道理で、誘うたびにグリムが居たわけだ……
「私が一番びっくりしてます。え、これ夢じゃないですよね?」
「夢じゃない。……よく聞けよ」
「はい」
「俺も、お前のことが好きだよ」


 真っ直ぐこちらを見てそう言った先輩に、自分の顔が今までにないほど赤くなるのがわかった。動揺して、椅子ごとがたっと後ろに退がってしまった。腕で顔を隠す。恥ずかしい。どうしたらいいか分からない。ずっと、自分だけが好きだと思ってたのに。


「あ、あの、ちょっとまってくださ」


 落ち着こうと深呼吸をすると、トレイ先輩がこちらを見て目を丸くしているのが分かった。熱くなった顔を手で扇ぎながら首を傾げる。


……どうかしましたか?」
「いや……お前、いつも俺に好き好き言ってくるし、慣れてるのかと思ってた」
「そんなわけないじゃないですか!両思いだと思ってなかっただけです」
「なぁ……そっち行ってもいいか」
「だっだめです、来ないでください!」


 ガタッと椅子を鳴らして席を立った先輩が、キッチンテーブルを迂回してこちらに近づいてくる。ドキドキして、心臓が破裂しそうで、椅子ごとじわじわとさらに退がる。ところが、すぐ食器棚にぶつかってしまった。先輩は相変わらずこちらに近づいてくる。どうしようかと周りを見回した隙に、目の前を陣取られた。私を囲うように椅子の背に両手を置いて、こちらに顔を寄せてくる。離れてください!と大声で言うつもりが、口から出たのは「せ、せんぱい……近いです……」というか細い声だった。


……はは」
「せんぱい?」
「こんなに可愛い反応をしてくれるなら、我慢するんじゃなかったな」
「へっ?」


 すいっとさらに顔が近づいてくる。キスされる!
 咄嗟に手が動いて、自分の口を覆い隠した。私の手の甲に、先輩の唇が触れて、その柔らかさに脳がパンクしそうになる。ぴしっと固まって動けないでいると、トレイ先輩は少し不満そうに上目遣いでこちらを覗き込んでくる。


「こら、邪魔しないでくれ」
「む、むりです……そんな急に、むり……
「無理って……俺は3か月も我慢してるんだが」
「だって、せんぱいとキス、なんて、そんな」


 手も顔も熱い。今の自分はきっと、薔薇の花より赤い。目に涙の膜が張る。先輩は、ぐっと何か堪えるような顔をして、大きく息を吐いた。


……1週間だけ待つ」
「え」
「今すぐキスしたら、お前は気絶しそうだ」
「あ、あたりまえじゃないですか……
「ははっ……だから、1週間かけて俺に慣れてくれ。来週の金曜日……キスするから」
「ひぅ」


 低い声で、耳元に寄って息を吹き込むように、念入りに宣言されて、身体が痺れた。
 1週間。たった1週間で、トレイ先輩に慣れろと!?毎日会っていたとはいえ、息がかかるほど近づいたのだって今が初めてだというのに、キス!?
思わず先輩の唇を見る。少し厚みがあって、弾力がありそうな……先ほど手に当たった感覚を思い出して、頭がクラクラする。どう考えても、心の準備をする時間が足りない。


「と、とけちゃう……とけちゃいます」
「そうならないように、これからスキンシップを増やしていこうな」
……えーーっ!?」


 にやり、と笑った先輩に、気が遠くなった。




✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎




「ぶははははははは!」
「笑うなー!!」
「いやだって、お前、付き合ってること3か月も気づかないって、鈍すぎっ」
「みんなも気づいてなかったじゃん!」


「そうだけどさ〜普通、当事者は気づくっしょ」と、エースは泣くほど笑っている。キスすると宣言されたあの後、「うるせーんだゾ」と目を擦りながら起きたグリムによって、甘ったるい空気から無事抜け出すことに成功した。トレイ先輩の隙間を抜けてグリムを抱えると、猛ダッシュでキッチンを飛び出し、鏡を抜け、オンボロ寮へと戻った。当然、夜は全く眠れなかった。

 休日のうちに心を落ち着けようと、エースとデュースを呼び出してモストロ•ラウンジに来ている。今は、ハーツラビュル寮に行くのは危険すぎる。トレイ先輩からは『月曜日からな』とメッセージが来ていた。言わずもがな、先輩に慣れる練習のことだろう。想像するだけで、溶けてしまいそうになる。昨日、キッチンで近づいたくらいで手が震えたのに、どうなってしまうんだろう。デュースはずっと、ほんのり頬を赤らめながら「た、大変だな」と言ってフォークをケーキにぶすぶすと刺している。グリムはグリルチキンに齧り付いていて話に興味は無さそうだ。エースはジュースを空にしながら、それにしてもさ、と肩をすくめる。


「改めてトレイ先輩すごすぎ。3ヶ月も付き合ってるのに、手すら繋がないってマジ? でもまぁ、監督生の様子見て遠慮してただけなら、月曜からは宣言通り、すっげー押してくるかもね」
「こわい……そんなの、とけちゃうよ……
「なんだよ、せっかく両思いだったって分かったのに、なんでそんなに困ってんの?」
「だって、今までゼロだと思ってたものが、百になって降ってきたというか……
「思う存分いちゃつけばいーじゃん」
「無理だって!」


 他人事だと思ってケラケラと笑うエースが恨めしい。私はエースと違って、今まで恋人が居たことなんてないんだぞ。それどころか、人を好きになったのだってトレイ先輩が初めてである。だからこそ、自分の行動がどういう効果を生んでいたかなんて分かっていなかったのだけれど。

「月曜日からなら、今日は大丈夫じゃね?」というエースに引っ張られて、結局ハーツラビュルへ来ることになってしまった。嫌だと言ったのに、トレイ先輩のお菓子をちらつかせてグリムをその気にさせてしまった。こうなると、私も行くしかない。絶対、私の反応を見て面白がっているだけだと分かるからむかつく。薔薇の木が生えた小道を抜けて寮内に入るにつれて挙動不審になっていく私を、エースは面白そうに見て揶揄ってくる。こいつ、いつか絶対泣かす。

 廊下を進むと、甘い香りが次第に強くなっていく。バニラビーンズだろうか。今日は何を作っているのだろう。4人でそろってキッチンを覗くと、中にはトレイ先輩とケイト先輩がいた。エースが「こんにちは〜今日は何すか?」と楽しそうに声をかける。デュースの後ろに身を隠しながらそろそろと近づく。どうやらクッキーを焼いていたらしい。ちょうど、鉄板からお皿に移しているところのようだ。ケイト先輩のスマホから、写真を撮る音がする。「ケイトの撮影タイムが終わったら、自由に食べていいぞ。まだまだ焼いてるから」と言われ、先ほどモストロ•ラウンジで膨らませてきたばかりのお腹がもう音を鳴らす。


「トレイ先輩〜監督生から聞いたけど、付き合ってたんすね?」
「はは、まぁな。誤解が解けてよかったよ」
「せっかく気持ちが分かったのに、監督生をオレらと遊ばせてていいんですかぁ〜?」


 ニヤニヤと意地の悪い顔をしてトレイ先輩を揶揄い始めたエースを見て、これがやりたかったのか……と呆れた。思えば、私を揶揄うのなんていつもことだ。いつも大人の対応で、逆に嘘や冗談で遊ばれているトレイ先輩にちょっとした意趣返しがしたかったらしい。あからさまなエースを、ケイト先輩は微笑ましそうに見ている。トレイ先輩は動じることなく、ふっと笑った。


「別に、誰と遊ぼうが構わないよ。本人が楽しく過ごすのが一番だからな」
「え〜つまんね〜。『俺以外と一緒に居るなんて……お仕置きだな?』くらい言うかと思ってたのに」
「お前の中の俺は一体どういうイメージなんだ……。後でそれ以上の時間を過ごせばいいだけだろ?」
…………


 事も無げにそう言って、トレイ先輩は洗い物を始めてしまった。まあこの3か月の間、誰かと遊ぶ事についてとやかく言われたことも無いし、先輩の返事はこんなものだろう。むしろ、『俺以外と遊ぶな』とでも言われていれば、交際していることに気がついていた。デュースとグリムと一緒に、ケイト先輩の周りに座ってクッキーに手を伸ばす。トレイ先輩にさらりと交わされてしまったエースは、すすっとケイト先輩に近づいた。


「ねぇケイト先輩。『それ以上』って時間の話っすか?それとも内容?濃さの話?」
「さぁ……どうだろ。トレイくんの恋バナ聞いたこと無かったし、分かんないな〜」
「ふぅん……まぁでもこれは大変だな〜監督生」
「え?なんで?」
「今までの3か月分、たぶんこれから取り返されるぜ」
……えっ」


 洗い物をするトレイ先輩の背中を見る。背中が広くてかっこいい。いや、そうじゃなくて。
私は1週間後まで生き延びることがきるのだろうか。





✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎





 月曜日が来てしまった。
 これから金曜日までの、トレイ先輩に慣れる練習が始まってしまう。昨夜、『明日の朝、寮まで迎えに行くよ』と電話してきたトレイ先輩に『朝からは無理です!』と半泣きで抗議をした。先輩は少し残念そうだったが、私があまりにも動揺していたために笑って受け入れてくれた。緊張で手をびっしょりと濡らしながら、待ち合わせている購買横のベンチにたどり着いた。私たちに気がついて、にこっと笑って手を上げる先輩に、早速撃ち抜かれて瀕死の状態だ。え、これがずっと続くの……?幸せを過剰摂取しすぎて、逆に命が危ない。トレイ先輩が私の到着を待ってくれていて、見つけた瞬間嬉しそうな顔をしてくれる。こんなことがあっていいのか?


「おはようございます……
「おはよう。急いだのか?寝癖ついてるぞ」
「えっ!」
「はは、可愛い」


 ぷしゅっと音を立てたんじゃないかと思うくらい、顔が熱い。急いで両手で髪を抑える。今まで面と向かって『可愛い』なんて言われたことは無かった。おかしそうに眉を下げて笑う先輩に、恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。


「本当だったら俺が直してやりたいところなんだが……
「自分で!自分でできます!」
……まぁ、そう言うと思ったよ。今日はまだ触ったりしないから安心してくれ」
「へ……?」
「とりあえず、いつも思ってることを口に出すことからにする。今日1日はこれでいこう」
「はぁ……そうですか」


 もしかしたら、朝から手を繋いで登校するのかもしれないと構えていたのに、拍子抜けしてしまった。一人分とまでは言わないが、30センチほど間を空けてトレイ先輩の横を歩く。よかった。いきなり触れ合うわけじゃないなら、今日1日はひとまず安心して過ごせそうだ。一緒に歩き始めると、すぐトレイ先輩が後ろにずれてしまい、少し歩調を緩める。何度かそれを繰り返して、あれ、トレイ先輩いつもよりゆっくり歩いてるな?と気がついた。不思議そうな顔をした私に、先輩が苦笑いする。


「せっかく待ち合わせて登校してるんだから、少しでも長く一緒に居たいだろ?ゆっくり歩こう」
……は、はい」


 ぎゅっと鞄を握り締める。先輩の顔が見られなくなって、地面をじっと見ながら歩く。先輩から話を振られても生返事しかできない。ふと、「大丈夫か?」と聞かれて流石に顔を上げる。先輩は、心配そうというよりは、嬉しそうな顔だ。


「耳が赤いな。触りたいけど、我慢するよ」
「そ……うしてください」


 思ったことを言うって、こういうことか!ようやく理解して、もう一度視線を地面に戻す。前を歩くグリムには聞こえていないらしい。今日1日、ずっとこんな感じなんだろうか……と不安に思ったが、校内に入ってしまえば教室も授業も別だ。次に会うのは帰りだけ。そう気がついてやり過ごせるかもしれないとほっとしたところで、トレイ先輩はそれを見透かしたように「今日も部活に来るだろ?」と声をかけてきた。


「いや〜〜その……今日は、どうしようかなぁ〜
……グリム。今日の部活は料理の予定なんだが、どうする?」
「ふなっ!?行くに決まってるだろ!オレ様が全部食べ尽してやるんだゾ!」


「だってさ」と先輩はこちらを見て笑った。グリムから攻略していくなんて、ずるい。監督生である私は一緒に行かなくてはならない。しかし逆に、部活に参加すれば人の目もあるし、トレイ先輩も頻繁に甘い言葉を吐くことは無いかもしれない。金曜日までに先輩に慣れなきゃいけないんだし、頑張るしかないか……!そう意気込んで、これも先輩とキスするため……!と気合を入れ直した。





 放課後。部活の時間が半分くらい過ぎるまでまで教室にいようと思っていたが、開始前にトレイ先輩が迎えに来てその作戦は失敗に終わった。朝と同じくらいの距離感を保ちながら、食堂のキッチンに入る。今日の活動は料理だから不思議ではないのだが、サイエンス部の面々がキッチンに集まっているのはいつ見ても不思議な光景だ。トレイ先輩やシェフゴーストの指示を聞きながら、みんな着々と食材を切っていく。もう慣れたものだ。でも私だけ、いつもとは違う目に遭っていた。


「うん、上手に切れてる。卒業してからも料理の手伝いはバッチリだな。俺も助かるよ」
「火傷したのか?少し触っただけ?……ちゃんと冷やした方がいい。お前の指に跡が残ったら俺が悲しいんだ」
「お、綺麗に盛り付けできたな。はは、ここはお前のこだわりか?そういうところ、可愛いな」


 他の生徒が見ていない、聞いていない隙を狙って次々と含みのある事を言われ続けて、出来上がった料理を食べる頃には別の意味でお腹がいっぱいになっていた。今までは私の方が『トレイ先輩今日もかっこいいです!』と言う側だったのに。いつもよりかなり大人しい私に、他のサイエンス部の生徒たちは少し不思議そうにしていた。
 今日だけでどれくらい『可愛い』と言われたのか。今までの私が言ってきた量に比べれば少ないかもしれないけれど、一撃が重い。あの、大好きな低い声で言われるのも身体に響く。
 部活が終わって、帰り道はゆっくりと寮まで歩いた。その間も延々と甘い言葉を与えられて、1日目にしてもうへとへとである。こんなの慣れる気がしない。




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 火曜日。
 再び購買のベンチで落ち合うと、今日は『身体のどこかを常に接触させておく』という課題が出された。どういうことかと首を傾げると、トレイ先輩は突っ立っている私の横にすっと移動する。先輩の腕と、私の肩が当たる。驚いて「へぁ!?」と裏返った声を上げながら距離を取ると、「こら、離れるな」と先輩が近づいてくる。再び、先輩とくっついた。


「今日はこの距離な」
……が、がんばります」


 少し歩きにくいが、手を繋ぐよりはまだ、なんとかなりそうだ。制服越しなのに、先輩に触れている左側が熱い気がしてくる。昨日はあれだけ色んな事を言ってきた先輩が、今日は何も言わない。まぁ、この状態でも甘い事を言われ続けたら、トレイ先輩の過剰摂取できっと脱走してしまう。先輩も、私がそうなる事を予想しているのかもしれない。
 昨日と同じように、ゆっくりとメインストリートを進む。横を通り過ぎていく他の生徒たちが、みんなこっちを見ているような気分になって肩を小さくしてしまう。見ているわけないのに。先輩は気を遣ってくれているのか、私たちが歩いているのはメインストリートの右端で、さらに先輩が左側を歩いてくれているので、先輩より背の低い私の姿なんてあまり見えないだろう。それでも、トレイ先輩と一緒に、こんなに近づいて登校しているという謎の背徳感が私の中を駆け巡っていた。今日は部活はないし、今度こそ残るは帰りだけだ。そう思っていたが、次はお昼ご飯に誘われてしまった。慣れなきゃいけないという使命もあるのだから、断るわけにもいかない。


 お昼の時間になって、エースとデュース、グリムと一緒に食堂へ入る。キョロキョロと周りを見回していると、私たちに気がついたトレイ先輩が小さく手招きをした。リドル先輩とケイト先輩も一緒だ。近づくと、トレイ先輩の隣は空いていて、当然のようにそこへ座ることになった。今日の課題は『身体のどこかを常に接触させおく』だ。ご飯を食べるためにスプーンを持っているトレイ先輩の腕が、お皿に手を添えている私の腕に触れている。向いに座っているケイト先輩が、私たちの様子を見て「狭くない?こっち余裕あるし、空けよっか?」と気を利かせてくれた。しかし、トレイ先輩が「これでいいんだよ」と笑ったので、何か察したらしいケイト先輩は「そっか〜」と笑ってご飯に戻った。ご飯の味なんて、とてもじゃないが分からなかった。恋人ってすごいな。この距離が許されるのか。こちらを見てニヤニヤしているエースを無視して、急いでご飯をかき込んだ。

 放課後になり、先輩から図書館へ行こうと誘われた。そういえば、3年生と一緒に魔法薬を作る課題も金曜日までだったことを思い出した。衝撃的なことが起こりすぎて、すっかり忘れていた。危ない。グリムも一緒に3人で図書館に入る。今までだったら向かい側に座っていたところだが、今日は隣だ。二の腕に先輩の存在を感じながら、解説を聞く。先輩の話によると、課題として出された魔法薬に必要な植物は10個で、そのうち7つはすでに先輩が目処をつけている。残りの3つは、私とグリムで考えて見つけ出さなくてはならない。荷物を置いて、使えそうな本を探しに行く。
 トレイ先輩がくれたヒントをぶつぶつと呟きながら、本棚を抜けていくと、使えそうな植物辞典が目に入った。早速取ろうと手を伸ばすが、高すぎて届かない。私は魔法で取ることができないし、グリムもまだそんな繊細な魔法は使えない。仕方がない、ステップスツールを探しに行くか……と振り返ると、通路からトレイ先輩がこちらを覗き込んでいた。「遅かったから……どうかしたのか?」と近づきながら聞かれて、見たい本に届かない旨を説明する。「あぁ、あれか」そう呟く声に、どうやら取ってくれるらしいと横にずれようとしたら、とん、と背中に腕が当たった。トレイ先輩は本棚に右手をつき、空いた左手を本に向かって伸ばす。それは、いいのだが、私を挟む必要はあっただろうか。中途半端に振り向こうとしたせいで、私の右腕は本棚に、左腕はトレイ先輩の身体に当たってむぎゅ、っと挟まれた。ふわっと甘い香りがする。本を取るために手を伸ばしているせいで、私を覆い隠すように視界が暗くなって包まれているみたいだと錯覚する。『身体のどこかに触れておく』……たしかにその通りだけど、急に大胆な行動をとった先輩に、固まってしまった。


「はい、取れたぞ」
……あ、」
「大丈夫か?……じゃあグリム。はいこれ、先に席へ持っていってくれ」
「任せるんだゾ!」


 少し離れてから差し出された本を、咄嗟には受け取れなかった私を見て、苦笑いした先輩はグリムへとそれを託した。そのままグリムを席へと向かわせてしまい、ちょっと待ってと言おうしたのに言葉が出なかった。トレイ先輩の甘いいい香りが自分にも移った気がする。グリムを見送った先輩がこちらを見る。


「動揺しすぎだ」
……慣れるなんて無理ですよ……
「お前としてはどれくらいの時間が欲しいんだ?」
「一ヶ月くらいですかね……
「ははっ、それは俺が無理だな」


「ほら行くぞ。グリムが待ってる」と促すように先輩が私の腕にとんっと自分の腕を当てた。それだけで胸がざわざわする。
明日はどうなってしまうんだろう。





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 水曜日。
 今日の待ち合わせは購買部ではなくオンボロ寮だ。しかも、いつもより時間が30分早い。


「明日からは『手を繋ぐ』からな」


 昨日の帰り、そうトレイ先輩に言われていた。
長く繋いでいたいからと、オンボロ寮まで迎えに来てくれることになったのだ。時間が早くなったのは、出来るだけ周りに見られないようにという配慮らしい。クラスメイトに見られたら絶対に揶揄われるから、先輩がそう言ってくれたときはホッとした。グリムは眠そうで機嫌が悪いが、こちらはそれどころではなかった。用意を済ませて玄関を出て、髪を手ぐしで整えながら門の前で待機していると先輩がやってきた。思わず背筋が伸びる。


「おはよう」
「おはようございます」
「お、寝癖はついてないな」
「この前はたまたまです!」
「今日は直せるかと思ったのに、残念」


 そう笑って、すっと手を出される。早速か。
 制服で手汗を拭って、震える自分の手を先輩の手に乗せる。そのまま握手のようにきゅっと包まれた。先輩、結構手が熱い。厚みがあるし、指が長くて余っている。いつもお菓子を作っている先輩の手が、私の手を握っている。今まで見ていただけの手が、私に触れている。自分が、指の先から溶け出してしまうんじゃないかと不安になった。トレイ先輩は、半分寝ているグリムを空いている腕でよいしょと抱える。


「それじゃあ、行こうか」
「はい、あの……手、湿ってたらすみません」
「ははは、気にしなくていいよ。それは俺も同じだしな」
「え?」
「俺だって緊張してるんだぞ?」


 とてもそうは見えませんが……。先輩との近づいた距離感には少しずつ慣れてきているような気はする。顔を上げて先輩を見ると、こちらを見て笑ってくれる。トレイ先輩と付き合えていたことにもっと早く気がついていたら、この幸福感をもっと早く味わえていたし、距離にも慣れていたはずだし、とっくにキスもしていた気がする。ちょっと損していた気分だ。そんな事を考える余裕も出てきていた。


「今日の放課後は植物園に行こう。昨日まとめた魔法薬用の植物を取りに行かないとな」
「そうですね。クルーウェル先生に会ったときにお願いしておきます」
「助かるよ。ありがとう」


 お礼を言われて嬉しくなって、無意識に繋いでいる手を振ってしまっていた。それに気がついて、「す、すみません」と小声で謝る。トレイ先輩はふはっと吹き出して「別にいいのに。可愛いなと思ってたところだ」と言う。恥ずかしくて顔を上げられなかった。




 夕方になって植物園に着くと、何人も生徒がいるのが見えた。1年生と3年生の組み合わせがほどんどで、私たちと同じ課題をしに来た人たちだろうと当たりを付ける。クルーウェル先生から渡されたハサミは魔法がかかっていて、私たちがそれぞれ申請した植物以外は切れないようになっている。余計な植物を採取させないようにするためらしい。過去に手で花を千切った生徒が、クルーウェル先生にこってり絞られたという話を聞かされているので、そんな恐ろしいことを実践する者もいない。

 実験着を身につけて黒い手袋をはめようとしたところで、トレイ先輩がこちらにすっと手を出してきた。首を傾げていると、「今日は手を繋ぐって言っただろ?」と笑顔を向けられる。たしかにそうだけれど、ここは植物園だ。他にも生徒がたくさん来ている。こんなところで手を繋いで歩くのは、人が少ない時間の登校より背徳感がすごい。


「他の人に見られちゃいますよ!」
「大丈夫だよ。植物園にはよく来てるから、死角になる場所も分かってる」
「でも……でも……
「なぁ〜早くしろ。オレ様腹減ったんだゾ」
「ほら行くぞ」
「わぁ!?」


 手を掬い取られたと思ったら、朝とは違って指が絡められる。仕方ないので手袋は持って、先輩に手を引かれるがままに歩く。先輩の方が自分より指が太い。その分引っ張られることで、手の大きさを実感する。指で手の甲をすり、とさすられて、手にきゅっと力が入った。
 先輩の言っていた通り、他の生徒に遭遇することなく目的の植物の元にたどり着く。グリムが「あったんだゾ!」と花に飛びついたところで、先輩の手が離れた。

 予定していた全ての植物を採取して、箱に入れる。あとは金曜日の授業に持って行って、魔法薬を完成させればいいだけだ。トレイ先輩のOKももらったし、成功間違いなしだろう。植物園から出ると、先輩が「送るよ」とまた私の手を取った。恋人繋ぎ。恥ずかしい気持ちより、嬉しい気持ちのほうが勝っていることに気がついた。オンボロ寮へ向かって歩きながら、トレイ先輩の話に笑顔で相槌を打つ。


「手を繋ぐのも慣れたみたいだな」
「な、慣れてはないですが……
「これなら明日も大丈夫そうだ」
「明日は……何するんですか?」


 不安半分、期待半分で聞くと先輩はにこっと笑って、足を止める。片手は私と繋いだまま、おいでと迎えるように両腕を広げた。


「ハグ」




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 木曜日になった。
 朝は昨日の帰りと同じように指を絡めて登校した。でも、今日の私はそれどころではなかった。だって先輩は、『ハグ』って言ったのだ。教室について先輩と分かれてからも、頭の中はそのことでいっぱいだった。授業の内容なんてろくに入ってこない。お昼ご飯も、スプーンを動かすことなくぼーっとして、エースとデュースにまで心配されてしまった。


「今日はハーツラビュル寮に来ないか?昨日の夜、桃のタルトを作ったんだ」
「ふなっ!?絶対行く!」
…………


 教室まで迎えに来てくれたトレイ先輩が、真っ先にグリムに向かって提案したのを見て、今日も逃してもらえないなと分かった。いや、逃げて後で困るのは私だけれど。まだ部活中で、多くの生徒がいる廊下やメインストリートをひっそりと進んでいく。別に意識してそうしている訳ではなかったけれど、誰にも見つかりたくない気分だった。人が多いからか、手は繋いでいない。でも、火曜日の時みたいにくっついて歩いた。トレイ先輩も、何も言わない。グリムはいつも通りだけれど。

 ハーツラビュル寮に着いた。いつもお菓子をご馳走してくれるときと同じように迎えられたが、今日は談話室へと案内された。トレイ先輩によって、紅茶と桃のタルトが運ばれてくる。いつもだったらじっくりと舌鼓を打つところだが、今日はどんどん口に運んでしまう。私が1ピースを食べ終わるうちに、グリムにはさらにホールのタルトが差し出された。それと同時に、ケイト先輩が談話室に入ってくる。


「あれ?グリちゃんたち遊びに来てたんだ〜」
「グリムのこと、預けていいか?」
「おっけおっけ。タルト食べてるグリちゃん、いっぱい写真に撮っちゃお」


 さくっと交わされたやりとりを理解する前に、トレイ先輩に手を引かれて談話室を出た。


「え、え?どこ行くんですか?」
「俺の部屋だよ」
「へや!?」
「そんなに驚くことないだろ、一度来たことあるじゃないか」
「それは、お見舞いのときにみんなで行ったわけで」


 誰にも会わないまま、先輩の部屋に着いた。以前見たときと変わらず、四つ葉のカーッペットと整えられた机、緑のベッド。違うのは、二人きりということだ。緊張で言葉が出なくて、部屋の真ん中に立ったまま動けない。そんな私の様子に、トレイ先輩は苦笑いした。


「大丈夫か?」
「だ、大丈夫じゃないです。トレイ先輩の部屋に入るなんて」
「これにも慣れてもらわないとなぁ。これからもこの部屋は使う訳だし」
「う」


 先にベッドに腰掛けた先輩が、「おいで」とこちらに手を伸ばしてくる。ぎこちなく近づいて、先輩に向かってそっと手を伸ばすと、きゅっと握られてくいっと引かれる。先輩の前にたったまま、次の行動はどうしようかと迷った。私はどこに座ったらいいのだろうか。隣か?隣に座ってハグって、どうやったらいいんだろう。立って抱きしめるのかと思っていたから、想像と違う流れに困惑する。どうしたらいいですか。そんな思いを込めて前をみると、先輩は自分の太ももの間をあけて布団の上をぽんぽん叩いた。


「ここに座ってくれ」
「は……?」
「正面より後ろからのほうが、お前も緊張しないかと思って」
「いや……あの……


 後ろから抱きしめられる方が緊張しますが!?「ほら早く」と先輩に急かされる。ええいままよ。「失礼します………」と、後ろを向いて先輩の足の間に座った。先輩を背もたれにするなんてできなくて、膝に手を乗せて前屈みになる。そんな小さな抵抗が役立つわけもなく、にゅっと後ろから伸びてきたトレイ先輩の両手によってぎゅっと抱きしめられた。先輩の顔が、肩越しに頭へと擦り寄ってくる。


「あの、あの、一旦休憩挟んでください!」
「今腕を回したばっかりなんだが」
「限界です!とけちゃう!」
「大丈夫だから、もう少し我慢してくれ」


 さらに強く抱きしめられて、背中が完全に先輩にもたれる形になる。全身が熱い。いい匂いがする。甘い匂い。私が発熱しているのか、先輩の体温が高いのか。緊張がピークに達して、完全に沈黙していた。ハグとキス、どっちの方がハードルが高かったんだろう。長い。キスは一瞬だと考えると、ハグの方が難易度が高いのではないかと思えてきた。私を抱きしめるトレイ先輩の手が、服の上から脇腹をそっと撫でる。びくっと震えた私に、先輩が笑ったのが分かった。


「う、動かないでください」
「動いてない」
「嘘つき、手が、動いてます!」
「はは、嬉しくて」


「やっとゆっくり触れられる……」先輩は後ろから私を持ち上げると、くるっと横を向かせて今度は自分の左腿に座らせた。ようやく見えたトレイ先輩の顔に、再び身体がこわばる。力を抜けと言われたが、とてもじゃないが無理だ。だって、先輩に抱きしめられている。大好きな、トレイ先輩に。この人が私の事を好きだなんて、本当に夢なんじゃないかと思う。でも、触れている先から滲む体温が現実だと知らしめてくる。
 二人きりになるのは初めてだった。いつもグリムが一緒にいたから。1週間前の私は、自分がこんなことになるなんて思いもしなかった。こてんと、先輩の肩に頭を預ける。目を閉じて、うっすら聞こえてくる先輩の鼓動に耳を傾ける。だんだん緊張が解けてきて、眠気が襲ってきた。包み込まれる安心感に抗えない。
 そのまま、私はいつの間にか眠ってしまっていた。




 ガンっ!と大きな音がして目が覚めた。驚いて飛び起きると、トレイ先輩が窓の外を確認しているところだった。なんだか、眠る前より甘い香りが強くなっている気がする。まだ半分眠った頭で「どうしたんですか……?」と尋ねれば、困ったように笑った先輩が「庭でマジフトの練習をしていた1年生が、ディスクを当てたらしい」と言って窓に魔法をかけた。ガラスに少しヒビが入っていたが、すぐに修復されていく。視線を時計に移すと、もう2時間経っていた。そろそろグリムが夕ご飯にしろと騒いでいる頃だ。
 うっかり寝てたんだな……と周りを確認すると、私はベッドの奥にいた。しかも、制服のジャケットを着ていない。ネクタイもベルトも外れている。シャツとスラックス状態の自分に驚いて「えっ!?」と声を上げると、先輩がああ、と説明してくれた。


「寝心地が悪そうだったから脱がせたんだ。驚かせたな」
「それは……すみません。温かくてつい、うとうとしちゃって……
「はは、別にいいよ。眠れるくらい安心してもらえてるなら嬉しい」


 たしかに、先輩との距離に慣れた結果なのかもしれない。先輩もジャケットを脱いでベストの状態になっているから、一眠りしたのだろうか。シャツの裾を仕舞いながら、ちょっと待てよと考え直す。ジャケットを脱がせるのは分かる。ネクタイも、苦しそうだったら外すだろう。でも、ベルトまで外すものだろうか?先輩が私のベルトを外しているところを想像して、顔に熱が集まった。いくらなんでもやりすぎじゃないだろうか。


「先輩、私が寝てる間になにかしました?」
……いや?」
「変な間があった!何したんですか!?」
「ちょっと抱きしめ直しただけだよ。口へのキスはまだしてないぞ。今日したらフライングだしな」
「そっか、そうですよね……


 なんだか身体が熱い気がしてもぞもぞする。寝起きだからだろうか。先輩、体温高かったしな。「納得するんだな」と笑う先輩に、「やっぱり何かしたんですか!?」と詰め寄るが、流されてしまった。ひょっとして、首にキスマークぐらい残されているかもしれない。急いで制服を元通りに着直し、「お手洗いお借りします!」と部屋を飛び出した。駆け込んだ手洗い場の鏡で首元を確認するが、特になんの跡もない。なんだ、揶揄われただけか……

 時間が遅くなったこともあり、ハーツラビュル寮でみんなと一緒にご飯を食べることになった。今日の当番はそんなに料理が得意ではなかったらしく、なんとも言えない味のカレーだった。エースがこっそり「トレイ先輩、ドゥードゥルしてくださいよ」と頼んでいたが、先輩は「今日はもう何回か使ってるからやめておくよ、ごめんな」と断っていた。私も頼もうかと思っていたから、ちょっと残念だ。いつ使っていたんだろう。授業で使うことがあったのだろうか。
 その後、あまりスプーンが進んでいない私を見た先輩が「今度、ハンバーグを作ってやるからな」とひそひそ伝えてくれたのがなんだか可笑しかった。





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 ついにやってきた。金曜日である。
 朝はこれまで通り手を繋いで登校した。今日、トレイ先輩とキスする。放課後、昨日と同じようにハーツラビュル寮へ来てほしいとすでに誘われていた。ハグを乗り越えた私は、もうなんでも出来るんじゃないかという気持ちになっていた。だって、ちゅっとするだけだ。一瞬。目を閉じていれば終わる。ハグの方がよっぽど長かったし、緊張した。これから先お付き合いをしていく中で、キスもハグも何度もしていくだろう。今日が、その最初というだけだ。


 魔法薬学の授業の時間になり、グリムが意気揚々と採取した植物が入っている箱を用意する。これらを煮たり焼いたり切ったりして、魔法薬にしていく。魔法を使う作業はトレイ先輩とグリムに任せて、私は自分ができることを真面目にこなしていった。エースは「トレイ先輩がペアとか、ずりぃ〜」と口を尖らせていたが、なんだかんだ上手くやったらしい。デュースのペアはヴィル先輩だったようで、材料は完璧だったが完成形へのこだわりが凄まじく、何度もやり直しさせられていた。それぞれの苦労はあったが、授業が終わる頃にはみんな揃ってクルーウェル先生から合格をもらうことができた。


「各々が作った魔法薬は持ち帰って構わん。J班とK班は置いていけ。お前たちの失敗作は効果が危険すぎるからな」
「はーい」


 今日完成した魔法薬は身体の疲れを取るためのもので、魔法医術士たちが仕事前に飲むように自作したりするらしい。トレイ先輩が3つの小瓶にきっちり分けて、私とグリムにも渡してくれた。失敗したものは疲労回復効果が強く出すぎて、内臓に異常をきたしてしまうということで没収されていた。他にも、材料を間違えた班は逆に疲れが出てしまう薬になっていたり、体が変色してしまったりと面白いことになっていた。


「それじゃ、寮へ行こう」
「はい!」


 ここまで同じ流れなこともあって、やはり私には少し余裕が出てきていた。昨日はグリムをケイト先輩に預けたけれど、今日はどうするんだろうと思っていたら、なんとリドル先輩による勉強合宿が設定されていた。テストの結果がよろしくなかった生徒が対象で、デュースも参加させられるらしい。そこに、グリムも混ざることがいつのまにか決まっていた。キスが終わったら、私も合宿に参加すればいいのだろう。リドル先輩がスケジュールを決めたそうで、睡眠時間と勉強時間、ご飯の時間と休憩時間が書かれた紙が談話室に掲示されていた。手作りの勉強用ノートもあるらしい。明日まで勉強合宿か。ちょっと楽しそう。

 放課後はトレイ先輩と一緒にマフィン作りをした。でも、それから晩御飯の時間を過ぎても一向に部屋に誘われなくて困惑していた。いつキスするのだろうか?お風呂も済ませて、身長が近いからとリドル先輩から借りた部屋着を着る。歯磨きまで終わってしまった。
 ここにきてようやく、トレイ先輩から声がかかった。グリムはとっくに合宿メニューに参加している。手を取られ「部屋に行こうか」と優しく言われて、元気よく「はい!」と返事をする。照れなくなった私に、トレイ先輩は意外そうな顔をした。


「なんだ、思ったより平気そうだな。もっと緊張してるかと思った」
「昨日のハグに比べたら、キスは一瞬ですし大丈夫な気がして」
……一瞬?」
「だって、ちゅってするだけじゃないですか。ハグの方がずっと先輩とくっついてて、照れくさかったです」
「うーん……まぁ……そうだな」


 苦笑いする先輩に首を傾げる。そこでハッと気がついた。私は一回だけな気がしていたけれど、もしかして今日、何度もするのだろうか。それはちょっと予想していなかった。でもまぁ、何度だってしてみせる。これからもきっと、たくさんするんだし。先輩とキス、してみたかったんだから。


 昨日と同じように部屋に入る。今日は、先輩がベッドに座るのに合わせて自分も座った。流石に、緊張してきた。ドキドキと高鳴る胸を抑える。顔を上げると、先輩がこちらを見つめている。メガネ越しのマスタードが、とろとろに溶けている気がする。先輩の手が伸びてきて、そっと後頭部に回った。大きな手が、簡単に頭を包む。目を閉じた。
 ふに、と柔らかい唇が触れた。お風呂上がりだからなのか、少し湿っている。眼鏡も少し当たった。ちゅ、と小さい音を立てながら何度も吸いつかれて、ぎゅっと自分の着ている服を握りしめる。やっぱり何回もするんだ。先に気がついていて良かった。びっくりするところだった。
 鼻で息をしていたが少し苦しくなって、ぷは、と口を開けて息を吐いた。その瞬間、想像もしていなかった感触がぬるりと口に侵入してきて、思わず目を見開く。トレイ先輩と目が合った。歯の裏をなでていく舌に驚いて噛みそうになったが、なんとか止めることができた。目を回していると、先輩の目が歪む。あ、笑った。

 隙間からなんとか空気を集めるが、息は苦しい。でも、それだけじゃない痺れが背中を伝っていく気がした。いつのまにか私は倒れて先輩によってベッドに押さえ込まれていて、ぎゅうと抱き締められている。身動きが取れない。先輩のTシャツを掴んで引っ張るが、全くびくともしない。これが、先輩が言ってたキスですか!?想像を軽々と超えられて、頭がくらくらする。「ふ、はぁっ」と自分から出てるとは思えない声が耳に入ってきて、恥ずかしくて消えてしまいたくなる。軽いキスと深いキスが繰り返された。最初は動く舌にぞわぞわとしていたのに、だんだん気持ちよくなってきて、目に涙が溜まった。最後にじゅっと舌を強く吸われて、ようやく先輩が顔を少し離してくれた。走ったわけでもないのに、息切れがすごい。トレイ先輩は平気そうだけれど。


「あの……はぁっ……えっと」
「大丈夫……ではなさそうだな。勘違いしているなとは思ったんだが……つい」


 眉を下げて困ったように笑った先輩に、抗議する気力もない。この人、絶対困ってない。
ベッドに寝転がったまま息を整えていると、一瞬視界から消えた先輩が戻ってきた。私を軽々と抱き上げて、枕に頭がくるようにぽすっと寝かせる。なるほど、先輩の部屋に泊まるのか。たしかに、こんな状態では勉強合宿には戻れない。はぁ〜と深呼吸する。ようやく落ち着いてきた。トレイ先輩は、横になったままの私を見下ろしている。


「先輩、寝ないんですか……?」
「えっ?……まさか、寝れると思ってたのか?」
…………へ?」


 ぱさっと枕元に落とされたものを目で追う。いくつも繋がった、四角くて、丸く輪が浮いていて、薄い……。これが吊り下げ菓子じゃないことは、流石の私でも分かる。間違いなく、ラムネなんかじゃない。驚いて先輩をみると、にこにこと笑っている。急いで身体を起こそうとしたが、肩に手を置かれてぽすっと戻される。


「先輩、キスだけって言った!」
「いや?俺は『金曜日にキスする』としか言ってないぞ。『キスしかしない』とは言ってない」
「そんなのずるいじゃないですか!心の準備できてないです!」
「お前に全部合わせてたら、あと何ヶ月待つことになるか分からないからなぁ……。付き合ってからもう3ヶ月、キスするだけでそこからさらに1週間。流石にもう待てない」
「私にとっては付き合ってまだ1週間です!……しかも、いくつ用意してるんですかコレ……こんなに体力ないですよ……
「大丈夫だって、今日の魔法薬学で何作ったかもう忘れたのか?」
「疲労回復……あれは、こういう時のために使うものじゃないです!」
「いや、使うべきだろ」


 にやっと笑って私の上に乗っかった先輩が、Tシャツの中に手を滑らせてくる。裾を引っ張って妨害しようとするが、そんなもの意に介さないとするする進んでくる。顔が熱い。先輩とするのは嫌じゃないし、そりゃいつかはと思ったりしたけれど、いくらなんでも急すぎる!「待って、待ってください」とお願いしても「大丈夫だって。優しくするから」と流される。


「5分だけ!5分だけ時間ください!」
……分かったよ。まぁ、急だったしな」


 先輩は進めていた手をようやく止めてくれたが、Tシャツからは抜いてくれない。肋骨を掴むように手を添えられている。親指の爪が、カリッと下着を引っ掻いた。びくっと震えた私を見て仕方ないなぁと笑った先輩は、横に並ぶように寝転んだ。添い寝されるような形になって、これはこれで緊張する。今度はお腹をふにふにと撫で始めて、いつ落ち着けばいいのか分からない。もう、覚悟を決めよう。先輩だったら嫌じゃないし、私だって触ってみたい気持ちはある。
 目を瞑って心を沈めようと頑張っていると、お腹を触っていたはずの手が今度はズボンのゴムに爪を引っ掛けた、そのまま滑り混んで、下着の上から骨盤辺りをぐっと押し込んでくる。ぶるっと身体が震えて「先輩!」と半泣きで咎めると、「ごめんごめん」なんて言ってはいるが悪びれる様子はない。


「そろそろいいか?」
「えっもう5分経ちました?」
「悪い、特に計ってない」
……っ、もぉー!!」


「先輩はどうだか知りませんけど、こっちは初めてだから怖いんですよ!」と噛み付くように言えば、先輩は嬉しそうにこめかみあたりに顔を埋めてちゅっと小さくキスをする。いや、そんなんじゃ誤魔化されませんからね。怖いものは怖いんです。さっきから太もも辺りに当たっているモノも、こわい。
どうしたらいいのかも分からないのに……と泣き言を呟いていれば、先輩は「大丈夫だって」と頭を撫でてくれた。


「なんでそんなに自信たっぷりなんですか」
「昨日、直前までは練習したからな」
「練習……?」
「お前で」


 どういう意味ですか。
 その真意を聞く前に、トレイ先輩に全部飲み込まれてしまった。