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杏夏
2017-08-19 21:35:41
2967文字
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メニューにサラトガクーラーはない
「年齢操作」「初恋」をお題に書いた鶴清です。
鶴丸は商店街の外れにある、小さな喫茶店の扉を開けた。
「きよ!」
「あ、おかえりー」
カップを磨いていた清光がこちらを見て笑う。もともと客入りはそう多くないが、今は誰もいないようだった。いつもは控えめに流れる店内放送のピアノ曲がメロディをはっきりと主張していた。
「今日は何にする?」
「炭酸!」
「ん。ちょっと待ってね」
ランドセルを隣の席に置いてしまって、カウンター席の端に乗り上げた。いつもの席だ。
清光の手元を覗き見る。清光の骨ばっているが繊細な白い指が氷の詰まったグラスにライムを一絞り、ジンジャーエールを満たしてから、とろりとガムシロップを掻き混ぜた。サラトガクーラーだ。
「流石! 清はわかってるな」
「お褒めに預かり光栄です」
コースターを添えてグラスが目の前に置かれる。清光は気取った一礼をした。が、すぐににやりと笑って鶴丸を小突いた。
「お前、いつもそんな偉そうな口きいてんの? 怒られない?」
「こう見えて俺はTPOは弁えるぞ!」
「どうだかなー」
ひんやりしたグラスから炭酸を飲み込むと、爽やかな甘さが喉を駆け下りていった。一気に半分以上を飲み干して、一心地つく。外は暑かったし、甘さはちょうどいいし、気が抜ける。ふう、と吐いた息と一緒に言葉が出たのは完全に無意識だった。
「おいしい」
「ははっ、そういう物言いの方が可愛いよ。お前」
カウンターに肘をついた清光が頭を撫でてくる。あ、と思ったときには後の祭りだった。恥ずかしいから本人には死んでも言わないが、鶴丸は清光の前ではちょっと格好つけている。
はずだったのだが。
わしゃわしゃと微笑まし気に撫でられて、鶴丸は顔を背ける。だが、逃げる気にはなれなくて顔だけそっぽを向いている。
清光は、この喫茶店の雇われマスターだ。数年前から働いていて、その前にどこにいたのか、これからもいてくれるのかを鶴丸はちゃんと聞いたことがない。
鶴丸は店主の息子だ。2階と3階が居住スペースになっているのだが、両親はこんな家を持っていながら、自分の仕事が忙しくなかなか家にすら帰ってこない。
清光がいるから店を開けたようなものだった。清光がここに来るのが先だったのか、両親が喫茶店をちゃんと開店したいと思ったのが先だったのか、未だに鶴丸は知らない。
給金は弾んでいるようで、清光の仕事には鶴丸の世話も含まれているようだった。朝夕と鶴丸はここで清光の作ったご飯を食べている。
「
……
あー、いつまで撫でてるんだ! 仕方ないだろ、おいしいんだから!」
「うんうん、お前のそういう素直なところ、俺好きよ」
「うっ」
いとも容易く寄越される「好き」の言葉と親しげに笑う顔に、鶴丸は呻いた。
鶴丸は清光が好きだ。
男なのも年齢的に相手にされていないのも分かっているが、そんなのは関係なかった。ふとした折に可愛い、と思ってしまったことに理由なんてなかったのだ。
清光はすっきりした目元の、綺麗な男だった。身長はそう高くないが、細身で仕草がしなやかなのが人目を引くようだった。
そんな猫のような男をなぜ可愛いと思ったのかわからない。けれど、気づいたときには鶴丸は清光の笑顔を日に何度も思い出すようになっていて、女の子の告白を「好きな人がいるから」と断るようになっていたのだった。
「ほ、ほら清は働かなくていいのか、俺は宿題やらなきゃ」
あまりに清光がずっと撫でるものだから、流石に堪えきれなくなってきて、鶴丸は手を緩く振り払った。そのままランドセルを探る振りをして俯く。赤い顔を見られたくない。
「って言ってもなぁ。仕込みは大体済んでるし、暇なんだよね。あ、鶴丸夜何食べたい?」
「
……
からあげ」
「りょーかい。あとは夏野菜の揚げ浸しとかー、あ、昨日仕込んだコールスローでもいいな」
「なぁ、」
「ん、なに?」
自分は清光の一挙手一投足にこんなに振り回されているのに、清光がまったく意に介していないのが悔しい。どうしたら意識してもらえるのだろうか。
「清は、彼女とかいるのか?」
「え、いないけど。何? 藪から棒に」
「やっぱり
……
」
「おう、喧嘩売ってる?」
「だって清、朝から晩まで店にいて、仕事して、俺の世話もしてるだろ。いるわけないよなぁって」
「概ねその通りだけどなんか腹立つな」
「なら、さ
……
。彼氏はいるのか?」
清光はぱちりと瞬いたようだった。鶴丸は清光の顔を見られずカウンター脇の小さなサボテンを見ていたから、そういった気配を感じただけだけれど。
「お前、その発想出るのは凄いな。日本のセクシャリティ教育も何だかんだで進んでるのか」
「ふざけるなよ」
「いやいやふざけてないよ。純粋に凄いなって。見てきたものは少ないだろうに、ちゃんと世界が広いことをお前は知ってるんだな」
「そんな大層なものじゃない。清は可愛いから、男も女も好きになるだろうなって思っただけだ」
男で子供の自分だってそう思うのだ。きっと誰だってそう思う。
店に来る客だって、半分以上清光目当てだ。でも清光はどんな常連も贔屓しない。愛想が良くて丁寧だけれど、きっちり線引きをしている。浮わついた客は脈なしと見ていつの間にか来なくなるので、店には結局その距離感を好む少数しか残らない。
そんな清光が、唯一特別扱いをするのが鶴丸だった。雇い主の息子だから、世話を頼まれているから、鶴丸もちゃんとそれはわかっている。
けれど、いやだからこそ、それを覆して特別扱いされたい。
「清、俺はお前が好きなんだ」
「へえ?」
「
……
本気にしてないな」
「そんなことないよ。お前は案外真面目で真剣だものね。嬉しいよ」
「相手にされてる気がしない」
「そう?」
清光がくすくす笑う。やっぱり相手にされてない。
拗ねて顔を背けたくなるが、それはあまりに子供っぽすぎると思い、ぐっと堪える。
「まあ、お前だったら第一条件はクリアかなぁ」
「本当か!?」
「俺より若いからね」
「
……
?」
「俺さ、俺より先に死にそうなやつ嫌いなんだよね」
頬杖をついた清光が手を伸ばして、鶴丸の頬を撫でた。
冷房で少し冷えた指先がするりと辿る。
「俺が欲しいんだったらよく食べてよく寝て、お酒はほどほど、煙草はやらない、長生きしそうな健康的な大人になってね」
「
……
清?」
涼やかな目がゆるりと撓んだ。それがあまりに静かで、そしてあまりに複雑な色をしていたもので、戸惑う。
何も言えずに名前を呼んだ。
しかし、清光は瞬き一つでその色を消し去った。
「ってわけで、今日の夕飯はピーマン追加ね。好き嫌いせず残さず食べろよ」
「
…………
あ。あ゙ー! それはずるい、それはずるいぞ清!」
「ずるくありませんー。ピーマンは栄養満点なんですー。断じて、客の入りが少なくて買ったピーマン駄目にしそうとかじゃありませんー」
「しかも余り物処理!?」
にやりと笑う清光に一拍遅れて、鶴丸は清光の作るいつも通りの空気に乗った。
まだ踏み込めない。まだあの色を解き明かすことは許されていない。
けれど、見せてくれた。何も語らない清光が、この自分にその片鱗を。
すっと離れていった指先の温度を自分の手のひらで押さえながら、鶴丸は長期戦の覚悟をした。
終
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