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杏夏
2017-07-20 23:02:16
2110文字
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わたしの満月
「熱帯夜」「酒」をテーマに書いた鶴清です。
あんまりなくらい暑かった。
日もとっくに落ちたというのに昼間の熱がそこかしこに留まったまま、湿気とともに肌にまとわりついてくる。無風といっていいくらいに風はなく、障子も襖も全開にしたところで何の意味もなかった。
大広間の方からは遠く喧騒が聞こえてくる。寝るのを諦めた酒呑み達が宴会を開いてしまったのだ。
他にも、鯰尾や和泉守は暑いよりましだと道場の板張りの床で寝に行ったし、安定はちょっと涼んでくるとちょうど行き合った長谷部と陸奥守を引っ張って川まで行ってしまった。
それらに混ざるのも億劫で、加州は井戸のそばに陣取っていた。腰掛けに座り、足元には水を張った大きなたらいがある。
ぱしゃりと水を掻き回す。
さっき換えたばかりだと思うのに、もうぬるくなり始めていた。
「去年はどうやり過ごしたんだっけ
……
」
胸元の合わせをぱたぱた動かしてみるものの、まったく涼しくない。襟巻きは部屋に置いてきているというのに。
なんだかもう、思考も身体も一緒くたにとけてしまいそうだ。
風があれば違うだろうと思うのに、いつまで経っても吹いてくれない。
見上げると大きく満月が出ていた。雲は僅かばかり空の端に引っ掛かっているだけで、まったく動く気配もない。上空ですら風がないとは恐れ入る。
しかし美しい満月だった。茹だる頭にほんの少しの慰めとなるくらいには。
このまま朝まで待つかというほどにぼんやり眺めていると、視界にひょいとさらに二つ満月が踊った。
「わっ」
満月の持ち主はにんまりと、驚かせる決まり文句を口にした。
満月は、雲と見間違えるはずもない美しい銀糸の奥にある。
「つるまるかぁ」
「なんだなんだ。随分気が抜けてるな」
「まあねぇ」
ぼんやりし過ぎていて感情の動きが緩やかだ。驚くことも出来なかった。
声を出してみて初めて、頭だけでなく口も回っていないのを自覚した。
ぱちぱちと瞬くことで目を覚まそうと試みる。
しかし、良いものが来たと思った。
こっちの満月の方が眺めて楽しいだろう。
けれど確か鶴丸は宴会の方へ行っていたのではなかったか。次郎が燭台切と大倶利伽羅を連行し、太鼓鐘と鶴丸が楽しそうにそれについて行っていたのを見た。
「ぬけてきたの?」
服に鼻を寄せれば、少し酒臭い気がした。鶴丸は立ったままだから、腹の下辺りだ。そこから見上げると頬がかすかに赤い。
「
……
きみなぁ」
鶴丸が何故か溜め息を吐きながら、どっかり隣に座った。
「そんなぼんやりしたまま近づくもんじゃないぜ」
「?」
「こっちは酒が入ってるんだ。取って食いたくなる」
はぁ、と吐く息が熱そうなのは気温のせいでも酒のせいでもないと言いたいのだろうか。
細い眉尻が参ったと言うように下がっているのが面白い。あはは、と笑い声を上げた。
「たべないの?」
髪を揺らして覗きこむ。鶴丸は一瞬猛禽類のように瞳孔を開きかけ、そしてやんわり加州の頭を押し返した。
「きみ、いよいよ暑さに頭がやられてるじゃないか」
「かもね」
「快楽で、ならまだしも、暑さで抱き潰すのは怖いからやらない」
「あはは! 腹上死(熱中症)? 確かにそれはごめん被りたいな」
押し返してきた手が手慰みのように頭を撫でてくるのを享受しながら、ばっしゃばっしゃと水を蹴り上げた。やっぱりぬるい。
隣から鶴丸も足をたらいに突っ込んできた。
「
……
ぬるいな」
「でしょ?」
鶴丸はやおら立ち上がり、たらいの中身を盛大にぶちまける。飛沫が膝まで飛ぶ。
「あはは! 鶴丸ってば雑ー!」
「
……
本当にきみは大丈夫なのか?」
足を避難させながらきゃらきゃらと加州が笑うと、いよいよ鶴丸が心配そうな顔をした。手早く空になったたらいに新しく水を張り直してくれた。
「わー、つめたい。鶴丸、ありがと」
鶴丸はそれだけでなく、自分の着物を片袖脱いでそれを水が入ったままらしい井戸桶に浸した。濡れた袖を軽く絞ると加州の隣に戻り、加州の顔を拭く。
袖と一緒に桶に突っ込み冷えた手が加州の前髪を掻き上げ、額を拭っていく。目頭から目尻をそっとなぞり、頬から耳の裏、首筋まで下りていく。
「ふふ」
されるがままに拭われるのは何だか楽しかった。真剣な表情の鶴丸がすぐそばにいる。金の目が真っ直ぐに肌をなぞっていく。鶴丸の匂いがする。
終わった頃合いを見計らって口付けた。触れるだけ。それでもとても熱かった。
苦言を呈される前に、こてんと肩に頭を預ける。触れたところからじんわりと熱が伝わる。
「
……
きみの方が酔ってるみたいだな」
「そりゃあこれだけ暑ければね」
「離れなくていいのかい」
言いながら鶴丸が加州の肩を抱いた。
「まだたらいの水は冷たいから。ぬるくなったらまた鶴丸張り直してね」
「はいはい」
不意に暗くなった。見上げると、夜空の満月が雲に隠れており、またすぐに顔を出した。やっと風が出てきたらしい。
これでどうにかやり過ごせそうだ。触れたところがとても熱いのに、離れがたくて困っていた。暑さで疲労していたのか、鶴丸に身を預けながらどんどん睡魔が意識を侵す。
とろけるように眠れそうだった。
終
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