杏夏
2017-07-06 22:34:07
2486文字
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雨宿り

「七夕」をテーマに書いた鶴清です。


強く雨が地面を叩いている。絶え間なく続く音、広がっては重なり消えてまた生まれる波紋。
加州は地面を見つめ、軒下から鉛色の空を振り仰ぎ、そして溜め息を吐いた。
止む気配などどこにもない。
万屋に買い物に行った帰りだった。朝から曇天だったが、傘は持ってこなかった。隣をちらと見やって、はあ、と息を吐く。
「言いたいことがありそうだな?」
視線に気づいた鶴丸が何が楽しいのか笑いながら首を傾げる。それにもう一度溜め息を一つ。
「あんたの提案になんて乗らなきゃ良かった、ってね」
「なんだなんだ、きみらしくもない。付喪神の願掛けならきくかもしれないと言ってくれたじゃないか」
「まー、そーなんだけどね……
出掛けに傘を持とうとした加州を止めたのは鶴丸だった。今日は晴れることを望んでいるものが多くいる、ならその想いを俺たちの行動で少しばかり補強してみないか?と。
要は、雨が降らないことを祈って傘を置いてきたのだ。
「はあー……、やっぱり七夕は太陽暦じゃなく陰暦でやるべきだよ。いくら本丸の暦が太陽暦だからって、何もこんな雨の時期にやらなくて良くない?」
屋根に軽々と届くような笹を今剣と岩融が持ち帰ったのは七日ほど前のことだ。審神者が昨年に七夕のことを言い出したのも同じ時期だったから、審神者に合わせたのだろう。
しかし、そもそも七夕祭りは陰暦の行事で、時期的には太陽暦の一月程あとにあたる。その時期になれば空はすっかり夏のものとなっており、雲のない鮮やかな夜空で七夕が楽しめる。だが、今の時期だと梅雨もいいところだ。
現に今日も雨が降ってしまった。色とりどりの短冊に飾られた立派な笹が、広間に入れられて窮屈そうな様を想像して、げんなりした。本丸に来たばかりの巴形が、短刀たちと岩融に「一番良い場所を譲ってやる」と訳もわからないまま促され、一番天辺に露草色の短冊を括りつけていたのは一昨日のことだ。
それが、当日はこんな天気ときた。
まだ夕刻のはずだが、もう夜と見紛うばかりに暗い。ついさっきまで走り抜ける人々の姿もあったものの、今では見える範囲に人はいない。
鶴丸と二人、軒下の雨宿りというわけだった。
「いやいや、これはこれで案外都合が良いかもわからんぞ」
「はぁ?」
やっぱり楽しそうな鶴丸はつい、と空を指差した。
「雲は天の下にあるだろう」
「まあね」
「となれば、この雨は天の星々には何ら関係ないな?」
……そうね?」
「恋人との逢瀬をじろじろ見られたいやつがどこにいる? この雨を降らせているのは牽牛星か織女星か、はたまた両方の仕業かもしれないぞ」
鶴丸は意地悪げににやりと笑う。
「つまり、自分たちは仲良くやるけど、地上のお祭りは関係ないと」
「そうだな」
「まったく、もしもほんとにそうなら傍迷惑だなー……
雨が降ったら織姫は彦星に会いにいけないという話もあったかもしれないが、いやいやカササギが雨の川に橋を渡すのだという話もあった気がする。いや、雨が降ったらどちらにせよ駄目なのだったか。
しかしまあ、雨は地に降り注ぎ天には関係ないというのなら、それももっともだった。何より加州は今、何かに恨み言を言いたい気分だった。顔も知らぬ恋人たちに、少々その役を負ってもらう。
「はあー、そいつらに短刀たちの残念そうな顔を見せてやりたい」
いや本当は、残念そうな顔をするのは短刀にはまったく限らないのだが、大きな図体をしょんぼり縮こまらせているのより、子供の見た目の方が絵になると加州は思う。
止まない雨を見上げて、加州は雲の向こうを思った。
「星の神様ってのも勝手だね」
「おや、刀の神が勝手でないとでも?」
うっすらと湿った鶴丸の髪が、加州の頬を撫でていった。
金の目が、こんな暗い中でどこから光を集めているのか、きらきらと触れそうな距離で瞬いた。加州の唇には湿った熱が残り、そして消えていく。
「は」
「ふふ。雨で恋人が隠されたのをいいことに、好き勝手する輩は、何も天だけにいるわけじゃないさ」
すり、と頤から耳の裏を撫でられる。
鶴丸の声が、酷く響く。
「きみが忙しくしているのを眺めているのも楽しいが、こうして二人だけで何をすることなく閉じ込められるのも退屈しないんだ」
傘を持ってこなくて良かった、と耳元に囁きが落ちた。それは夏の夜のような声だった。涼やかな風が吹くものの、昼の暑さを残してどこか浮わついた陰暦七夕の夜。
一つ違うのは、その熱は残滓などではなくて、これから温度を上げるものであろうということだ。
「つ、つる……
「もう少しくらい、雨宿りと洒落こまないか?」
加州の頬に熱が上った。
急にずるい、と思った。さっきまでの子供のような笑みが、がらりと種類を変えている。
絶対に、わかってやっているのだ。加州は鶴丸の顔に弱い。この男はそれをわかっていてこんな不意打ちを仕掛けるのだ。
わななく唇に手をやりそうになって、加州はきゅっとそれを引き結んだ。
そして、鶴丸の羽織を奪い、頭から被って駆け出した。
「俺はカササギで雨避けして帰るから! 鶴丸は自力で帰って来てね!」
言い捨てて、荷物を抱えて走る。
こんなところで流されるわけにはいかなかった。自分と鶴丸が共に買い出しに出たことを皆知っている。
それでやけに帰りが遅いとなれば、あることないこと想像されるに決まっている。そして、それが大体真実“あること”になってしまっているだろうと考えると居たたまれなかった。
残された鶴丸は加州を呆然と見送って、そして吹き出した。
「俺の羽織がカササギか。ならカササギで天の川を渡ったら、また川を渡って俺のもとに帰って来なくちゃならないんだが、それは」
牽牛なんて要らない話になってしまうなぁ、と鶴丸は軒下を滑り出る。
傍迷惑な恋人を気取るには、加州の身持ちが固すぎる。
しかしそれすら愉快に思えてきて、これでは牽牛と織女が仕事を忘れるのも無理はなかった。恋とはなんて心を満たすものなのだろう。
鶴丸は笑みを堪えきれないまま走った。