ミスルンさんとの初めてともにした食事は、そういえば歩き茸だったな、と、俺は議事録を追いつつ、昼食に出された茸のスープを見て思った。あれは携行食を持たないままで迷宮に潜ったせいだったが、今頭をめぐらせても不味かった思い出しかない。ライオスさんによれば歩き茸は上手に調理すれば美味いらしいのだが、俺は魔物に興味がなかったので、というか魔物食に興味がなかったので、あんな結果になったのだと思う。ミスルンさんには食欲というものも、美味いものを食べたいという欲望もなかったから拒否はしなかったけれど。
でも、彼には美味いものを食べてほしいと思う。俺だって美食家じゃあないけれど、メリニにはうんと美味いものがたくさんある。だから俺は彼にいろんなものを捧げた。もちろん魔物食じゃなく、黄金城に捧げられる季節のくだものや、今では土地変動でなかなか手に入らなくなった新鮮な魚、丁寧に熟成された肉に、食欲をそそるふかふかの柔らかなパンなどなど。いまだ彼には人並みの食欲は戻っていないけれど、あの小さな口が食事をする様子を見ているのは楽しかった。そう、多分俺はそれが見たくて、さまざまな捧げ物をしたのだった。
「カブルー、今日のスープ美味しかったでしょう」
「えぇ、この城の料理はいつだって美味しいですよ」
仕事が終わったあと、珍しく宰相補佐に与えられる執務室にやってきたマルシルが、アンブロシアを片手にどこか誇らしげに言った。俺はそれを不思議に思い、彼女の顔を伺う。すると彼女は少し不服げに、「そうじゃないのよ」と俺に言った。一体何なんだろう? マルシルは素直な人だったが、たまに変わったところを見せることがあったから。
「今日のスープはね、センシの紹介で雇った料理人が作ったの。一流の料理人なのよ。でもライオスったら歩き茸の方が美味しいって言うの。魔物食だけじゃなく、普通の食事にも慣れてくれたらいいんだけど……」
俺はその愚痴とも惚気とも取れる言葉に目を丸くし、王は魔物食をとることももう許されないのかとちょっとばかし笑ってしまった。親しみを込めて悪食王と呼ばれる彼だが、最近は普通の食事しかとっていない。それは毒を盛られることを気にしてのことだったが、今も彼の側には毒味役がいる。ライオスさんはそれを拒んだけれど、王として生きることは誰かを犠牲にすることと同義だった。
「大丈夫ですよ、どんな食事だって、ともにとる人がいれば美味いものです。まぁ、歩き茸は俺には不味かったですけど」
「えぇ、そうなの? センシが作ってくれた水炊きとか炒め物とか美味しかったけどなぁ……」
「それはあの人の手腕が特別なんですよ」
「本当に美味しかったのよ」
俺は笑って答え、羊皮紙を丸めて封をする。するとマルシルは残念そうに、ライオスさんには魔物食以外も取れと言ったくせに首をかしげた。
「今日の食事、美味しかったと料理人に伝えてください。さすがセンシさんの紹介だけはあるって」
俺はそう言って執務室を出る。するとマルシルも続いて部屋を出、夕陽が差し込む螺旋階段を彼女は王の部屋がある上へと、俺は家路を急いで下へと歩んむ。城には夜勤めの侍女たちが歩きまわり、ランプを灯してまわっていた。
「あ、そうそう、カブルー。またミスルンさんに城へ来るように言って。あの人にも美味しい料理を食べてほしいの」
「分かりました。伝えておきますよ」
俺が今からあの人の邸宅に行くのを知ってか知らずか、マルシルは天井近くから声を下ろした。俺は手を振って声を張り上げ廊下を進む。早くミスルンさんに会いたかった。それを知っていたのだろう、マルシルはそれ以上何も言わず、王の部屋に消えていった。俺も、今すぐにあの人に会いたい。だって仕事が終わったんだ、そう思っても仕方ないだろう?
俺は浮き足だったまま、馬車に乗り込み城をあとにする。愛しいあの人に会うために、馭者に少しでも速く飛ばしてくれと願いながら。
「――ということがあったんですよ。今度、センシさんが味を保証する料理を食べに来ませんか? もちろん、あなたとこうやって食べる料理も美味しいですけどね」
俺が食卓についてそう言うと、ミスルンさんは貴族らしい優雅な手つきでスプーンを使い、スープを口に運んだ。小さな口に銀食器があたり、彼は音も立てずにじゃがいものそれをすする。俺もテーブルマナーはミルシリルに叩き込まれたし、ヤアドにも改めて指導を受けたが、ミスルンさんほどは板についていなかった。
「お前ととる料理ならなんだって美味い」
「へぇ、あなた食欲が戻ってきたんですか?」
「少しな」
ミスルンさんは次に運ばれてきた魚料理をナイフとフォークで切り分け、やはり優雅に口元に運ぶ。俺はそれを見て惚れ惚れして、この人を招いた晩餐が美しいものになる予感を抱いた。
「ならよかったです。俺だけ楽しむのも悪いから」
「お前とすることはいつだって楽しいさ。もちろん夜もな」
ミスルンさんはわざと猥雑なことを口にしたが、俺はもう慣れていたので特に反応はしなかった。彼が卑猥な冗談を口にするのは多分俺がそういう目でミスルンさんを見ていたからで、多分それを見通されたのだろうから。
「なら俺も嬉しいですよ。勝手によくなってるのが俺だけじゃあ楽しくないですからね」
でも、俺は言われるがままでいるのも悔しくて、そんな冗談を口にする。するとミスルンさんは珍しく笑って、こう答えた。
「本当に、お前といると楽しいんだ。失くした欲が戻るのが、こんなに嬉しいことだとは思わなかったな」
ミスルンさんは多くの欲を悪魔に食われた。日常生活を送るのが困難になるくらい、人間としての欲を奪われた。でも、この人は今も俺の隣にいて、ともに食事をとり、ともに寝てくれる。その時に覗かせる欲望を、俺は何よりも愛おしく思っている。
「偶然ですね、俺もです。同じことを考えてました」
俺たちは笑いあって食事をする。さっきマルシルに言った通り、ともに食事をとる人がいれば、それはご馳走なのだ。どんな粗末なパンだって、この人となら贅沢だと思えるくらいに。俺たちは食事をとる。俺が夜を待ちきれず、少しだけテーブルマナーを破ってしまったことは、彼と俺だけの秘密だ。
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