さもゆ
2024-11-18 10:52:00
20998文字
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【ザプレオ】私に触って

ザップさんの腕が奪われた。
原作10巻以降の、矛盾だらけで整合性のないなんちゃって事件もの。
流血・欠損描写注意。モブ愛人さん、モブ敵注意。そしてやっぱりザプレオというかコンビ愛というか…です。

2020.6.2 たまごのお粥pixiv投稿作品

 身体マニアの彼は悩んでいた。
 それはすごく簡単なことではなかったし、とはいえ難しすぎるものなら彼はここまで体を保てていなかったし、だからまあつまりこうして悩んでいるのは儀礼的なものだった。一応、悩んでいる。どうするべきかと考えている。
 どうするべきか?
 そんなのは決まっている。答えは一択! しかしそれをするにはどう行えばいいだろう?
 彼は最近奪ったばかりの首を傾げて悩むふりをして見せた。人間らしい動きができているんじゃないかと自分でも満足してしまう。
 人間。
 彼が欲しているあの男は、一応人間の部類だった。そして無類の女好きとしてそれなりに街に悪名高い男だった。それなら、身体マニアの彼がすることは自ずと限られてくる。
 女になってしまえばいい。
 彼は手頃な女を探しに、ひとまず苦労して集めた今の体を置いて街に出ることにした。

 身体マニアの彼は体の一部を蒐集して自分の体にするのが趣味である。
 今最も欲しているのは、褐色の肌で傷だらけの右腕であった。



私に触って



 
 ザップさんの右腕が奪われた。
 斬られた、でも落とされた、でもなく奪われた、らしい。
 なぜ“らしい”かは、僕たちは朝の定例会で聞かされた報告でしか知らないため、実際どのようにしてその右腕を失くしたのか本人にしか分からないからだ。
 これが普通の組織──たとえば外の警察や警備会社──なら当時本人がいた場所に赴き監視カメラや目撃情報や痕跡なんかを調べるのだろうが、ここは科学も魔術も入り乱れた境界都市ヘルサレムズ・ロットで、その上彼が所属しているのはその境界を守る超人秘密結社ライブラで、更に同じく所属している僕は生きた高性能でばがめカメラであったので、定例会後にすぐさま当時を検分することが可能だった。
 僕は泣いて嫌がった。

「むりです、むり、むり、ほんとイヤっす。ご勘弁願いたい。助けてツェッドさん」

 比較的自分の味方になってくれそうな後輩の背後に回り込み、水かきのある尖った手を掴んで肩越しに大人たちへ威嚇する。「だってザップさんがその腕取られたの、愛人さんのとこにいるときだったんでしょう。絶対イヤです、ねえほんと、そう思う僕はおかしーんでしょうか?」見やった大人たちのうちのひとりであるスティーブンさんは、いくらか同情的な笑みを浮かべてくれていたが、その笑みで冷淡な任務を告げることを知っている僕は次にクラウスさんを見た。あ、すげー困ってる。汗がぴよぴよ出ている。そんなボスに助けを求めるのはさすがに良心がきりきり痛んで、やむを得ず最後、当事者であるザップさんに視線をやった。良心というのはやはり胸のうちにあるのかもしれない、と思う。胸がじくじくと痛くなる。
 
 ザップさんの右袖は、袖の中が肩のつけ根付近からがらんどうになっている。
 白いジャケットのへたった袖が体の横で無機物的に垂れており、いかり肩気味で腕のある左と比べるとやはり何か、腕だけでなく活力もないように見える。

 その状態で普段通り出勤してきたザップさんを最初目にしたとき、僕は一度見たら網膜に焼きつく目で三度見くらいしてから悲鳴を上げた。三度見をする間に無意識にも視界の解像度を上げて、本当に彼の右腕がないことを視認した。そう、マネキンの関節のようにスッパリ綺麗な腕の断面を見てしまったのである。マネキンと違うのは、断面から白っぽい骨が覗き、赤い血と筋肉が躍動していたという点だ。彼の腕は恐ろしく鋭利な刃物で切り取られたようになっていて、不思議なことに流血はしていないのだが、それが奪った犯人によるものなのか、それとも彼の血法によるものなのかは判断できない。できたのは、悲鳴を上げて、それで腕がないことに痛みの有無を訊いたことくらいだ。あとは僕の悲鳴を聞いた上司二人に任せた。

「ほんとーに無理です。僕は先輩の爛れた事情を見て平気でいられるほど成熟してません」

 任せた最終的な結果がこれである。

 昨夜、某女性とことに至ろうとしたら右腕をスッパリ奪われた。痛みはない。血法は問題なく使える。使えるが、犯人を追おうとしたらたちまち消えてしまったので、別段腕がなくとも支障がないことに一晩経って気づいたが犯人はむかつくのでぶん殴りたい。というわけで、お前の目に頼りたい。これがザップさんの(簡略化した)言い分だった。
 そして上司たちの言い分が、最近事件になっている『体の一部を奪われる』症状に瓜二つで、ちょうど事件解決をHLPD(体の一部を奪われた者たちはとりあえず警察に届け出を出すらしい。こんな街でなければそれってどんなコメディ? と笑ってしまいそうだ)から依頼されており、事件を解決できるかもしれないしあと普通に本人が腕がなくとも平気と宣おうがこちらはいざというときが不安なので早々に取り戻したい。きみの目が必要だ。ということである。

 ひんやり瑞々しいツェッドさんの手を唯一の希望とばかりに掴み縋っている僕に、やはりというかなんというか、同情的な笑みを引っ込め真面目な顔したスティーブンさんが口を開いた。
「分かるぞ少年。僕だってきみの立場なら断固拒否の姿勢をとる」
「スティーブンさん」僕は僅かばかり眉間の強張りを解いた。
 優形の上司が言う。
「そして分かってほしい。きみに拒否る姿勢はとれても、拒否する権利はないってことを」
「スティーブンさん」僕は思い切り眉間どころか全身を強張らせ慄いた。ツェッドさんがレオくんと呼んで慰めるように手を握り返してくれる。涙がちょちょ切れそうになる。
「す、スティーブン」
 隣のボスが名を呼び、それで副官は冗談だと肩を竦めた。僕はそれが冗談じゃないことを察して更に泣いた。だって、クラウスさんが申し訳ないと思いながらもその手段を望んでいるなら僕に拒否権はあってもなくても是と頷いてやり遂げて見せたいと思ってしまう。ただ目のいいだけの一般人、せめて彼の胃を痛める要因にはなりたくない。
 ザップさんはソファに腰かけて左腕を背もたれに回している。安心しろって陰毛頭、と言う。
「ことに至る前だったからよ、有料シーンは一切ない」
「だれが職場先輩の濡れ場シーンに金払うっつーんすか!」僕は叫んだ。「アンタの無料は安心できない! ね、ツェッドさんもそー思いますよね!?」
「一々魚類に助け求めんなよ~かわいそーに板挟みにされてンだろがい」
「その優しさを俺にもちょっと向けてくんねーかなあ!」
「れ、レオくん落ち着いて……」僕に揺さぶられるがままのツェッドさんは僕の味方だったが彼らの味方でもある。クラウスさんと同じ、そして僕も同じだ。結局僕は口では嫌だと全力で言いつつも、ぴたりとそれをやめて岩場から出る亀のようにツェッドさんの後ろから前に進み出た。「ツェッドさん、僕は行ってこようと思います……」「ご、ご武運を」

 上司二人を見上げるとそれぞれの仕草で頷かれ、僕はぐっと溜め息を飲み込んでザップさんの前に立つ。背もたれから背を浮かせたザップさんは膝に片腕を置き、まるでいつも通りのチンピラな姿だ。ない右腕を見下ろすとまた胸が痛くなった。僕はたぶん、本人よりも、その腕を天才と評す上司たちや口にはしないが敬っている後輩よりも、きっとザップさんの腕がないことに動揺している。痛みがないらしい取れた腕の痛覚が見えない矢印になって僕の胸に突き刺さっているみたいだ。こういうときに、一番、自分はこの街の外から来た一般人だなと感じる。
……じゃ、僕の目を見てください」
「おー。とくとご覧あれ」
 お上品なふざけた言葉に眉をひそめ、額を突き合わせて瞼を押し上げる。サーチライトが成り損なったような青い方陣が浮かび、ザップさんの白いまつ毛と小麦色の瞳を不躾に染めた。

 さてここからは昨夜の光景だ。

 裸体の女性がベッドに寝そべっている。
 この時点でぎゃあっと悲鳴を上げて頭突きを食らわしかけたが理性の強い僕は頬の内側を噛むことでそれを耐えた。ちょっと血の味がした。これは最早労災だと思う。労災を下ろしてほしい。
「これのどこが無料ってんですか」
「マジかよ童貞には裸ですら有料か」
「黙れ」
 ザップさんの過去の視界を見ながらも、僕にはザップさんには見えていなかったオーラも並行して見えていた。それが頭突きを食らわせなかった理由でもある。裸の──おそらく人類──の女性には、なぜかふたつのオーラが体を包んでいた。ひとつはその人自身の、肌に馴染んでいるオーラ。もうひとつはまるで外部から押しつけられたようにはみ出している種類の違うオーラだ。なんだ? 僕は目を凝らし、もっと深くまで見ようと集中した。
 褐色の傷だらけの手のひらが女性に伸び、頬を撫で上げた。僕は今度は反対側の頬の裏を噛んだ。なぜこの女性は撫でられているのに僕は血の味を滲ませてるんだ? これが終わったらソニックに撫でてもらおう。僕の頬は心優しき勇敢な友だち、音速猿のソニックにつついてもらうためにある。そう思わないとやってられない。(もしこの場が劇場で周囲に観客がいたら、主観も客観も両目に備えている僕がなぜ“その視点”でものを考えているのかとツッコミを入れてくれただろう。つまり、“ザップさんに撫でられる側の視点”だ。自分は今撫でている側の視点なのに! これについての詳細は後々に判明するからどうかいもしない観客は大人しく見守っていてくれたらと思う)
 存外壊れ物を扱う丁寧さで頬を撫でていた親指は薄紅のついた唇に触れ、僕は心の中で心の中にいる裁判官に罪状を問いかけようとした。これってある種の職場内セクハラではありませんか? いたいけな十九歳男子を弄んでる! しかしここはヘルサレムズ・ロット。僕の裁判官は僕の味方だったが助けようとはしてくれなかった。なんでだよ。
 ルージュをなぞった親指は、だが、そこで動きをとめる。
「お前ゴア系得意だっけ?」
「えっ何? ゴマ?」唐突な質問に一拍遅れた返答をし、そうして意味を思い知らされた。
 それまでうっとりしていた女性の顔は突如白目を剥いて大口を開けた。そこから口紅なんてすぐ目立たなくなる真っ赤な血飛沫が噴き出し飛び散る。開いた口から血とともに出てきたのは、刃物のように鋭く平たい何本もの触手だった。
 それが女性の体を切り開いて出てくる。
「ヴッ」
 瞬間的に込み上げてきた嘔吐感を押さえつけてきたのはザップさんの左手だった。嘔吐きかけた口を塞いで頬を鷲掴み、光景から逃れようとした僕を無理やり引き寄せてくる。「吐くなよ」僕はそのからかいに似た口調にどうしようもない怒りが混じっているのを感じ取り、胃液を音を鳴らして飲み込んだ。もしかして、彼にとって右腕はどうでもいいものではなく、それ以上に愛人を目の前で殺されたことが重要なのかもしれない。僕たちは瞬きを忘れていた。見なければならない。
 女性の体から出てきたそれは刃物と肉塊と髪の毛を捏ね回してできたような醜い生き物で、女性に混ざっていたふたつめのオーラの持ち主だった。ザップさんは即座に右手から血の刃を出した。
 視界の端だったが、それでもちゃんと捉えていた。
 血刃はその手から伸びているくせに、その腕を切り落とした。

 ザップさんは自分で自分の右腕を切り取ったのだ。

「は……?」

 唖然とする僕の心情は、どうやらそのときの彼の心情そのものだったらしい、視界が困惑してぶれ、落ちた右腕を拾い上げて逃げ去る生き物を彼が追うまでに時間を要した。それはほんの数秒だったが、敵を見失うには充分のようだった。右腕は奪われたのである。

 瞬きをする。
 顔から手が離れ、痛む頬を引きつらせて義眼を閉じる。
「ザップさん、アンタ……」僕はもう一度胃液を飲んで言う。「やっぱ、バリバリに有料じゃん……
 
「ジャンルは何にする?」ザップさんはにやりと笑った。「ま、エログロかサスペンスが妥当だわな」  
 
 とうとう我慢しきれなくなって、僕はレストルームに駆けこんだ。
 






 身体マニアの彼は蒐集した右腕にご満悦だった。

 無事に身につけた褐色肌の腕は骨が頑丈で皮膚も硬く、指先についたたくさんの傷痕がとても美しい。まさに理想の右腕だった。
 しかし不満な点がひとつあって、この腕の持ち主は腕に流れる血液を素晴らしく操っていたのに、自分にはそれができない。
 彼は瞼を片方ずつ、不器用に瞬きして不満を表した。まだこの瞼については人間らしい動きをマスターできていないのである。
 うーん、と言葉を発さなくとも意思疎通可能な異界人から奪った喉で唸ってみせる。
 てっきり、血液ごと自分の身になると思っていた。
 けれど、この血液はどうやら自分の支配下にはならないものらしい。
 そういうのは、執着せず、諦めて別のものを探すのが吉だ。

 身体マニアの彼は次は血液を蒐集しようと計画を立てた。







「スティーブンさんの鼻って確実に蒐集されると思うんすよね」
「それ誉め言葉か?」
「もちろんっす」頷いた僕は真向かいに座るボスを見た。「クラウスさんは牙を蒐集されそうだし」次いで自分の隣に座る後輩を見る。「ツェッドさんは触覚を蒐集されそう」言っていて恐ろしくなって身震いする。「アンタ方みんな蒐集の対象にされそうですよ。大丈夫なんですか?」聞きようによっては失礼にとられるかもしれなかったが、本気で心配だった。彼らは特殊なものを持ちすぎている。

「おめーが言うんかそれ」ザップさんが呆れて自分の下瞼を引っ張って見せた。「誰より蒐集されそうなモン持っとるくせに」

 ぐうの音も出ない。というか一度既にかの義眼保有者に蒐集されかけている。
 押し黙ってソファに深く座り直し、資料の続きに目を通す。
 
 過去視で事態を把握し荒ぶる胃液を治めたあとは、HLPDから渡されていた身体一部欠損(略奪、という表現の方が合っていることが分かってきた)事件の詳細が書かれた資料を読み込み、ザップさんの右腕のときと照らし合わせて確認していっている。
 結果、ザップさんもその被害者のひとりであると明白になった。

 体の一部を奪われた者はみんな死んでいないし、奪われたところが綺麗になくなっている。
 しかしその奪い方がえげつない。なんらかの要素で(魔術や催眠、神的操作。ザップさんによると『気づいたら斬っていた』らしい)自分から斬り落とさせるか、気がついたらなくなっているか、とにかく油断させてからの流血沙汰が多かった。この流血というのは奪われた本人ではなく、そのとき傍らにいた者の血であり、体の一部を奪われた者よりその周囲の方が多く死んでいる。皆体内からあの生き物に食い破られている。

「なんなんすかね、身体蒐集家って」

 犯人の目処は立っていた。ノーイメージの“身体マニア”。

「きみもさっき言ってたじゃないか。蒐集するのが趣味なんだろ」スティーブンさんが資料をもう一度見ながら(僕よりよほど読み進めるのが速いため、もしかしたら手持ち無沙汰にめくっているだけかもしれない)隣に座るクラウスさんに意見を訊く。「どう思う、クラウス」その黒髪と同じ色の眉は跳ね上がって不快そうでも楽しそうでもあった。
「いい趣味とは思えないな」クラウスさんが眼鏡の奥のペリドットを細めて言った。「ひとに迷惑をかけるべきではない。首無し公の件を思い出すが……
「うん。あっちは首だけ、こっちは特に拘りはないと見た。腕でも足でも内臓でも瞼でもなんでもござれだもんな」
「ああ」
「集めて一体どうするんだか……展覧してるっていう情報もないしなあ」
「蒐集することだけに重きを置いているのかもしれない」
「手に入れたら用済みか」昼間の光の下では少々青っぽい黒目が億劫そうにこちらを見る。「お前の右腕、捨てられてないといいんだけどね」
 僕の左隣に座るザップさんはおざなりに見ていた資料をぽんとテーブルに放り左手でジッポを弄っていたのだが、その言葉にむっと機嫌を悪くして見せた。
「そう思うならはよ現場行かせてくださいよ」
 僕を通り越して隣に座るツェッドさんを指差す。「こいつの鰓ンときみたいに、オーラ追わせりゃ一発でしょう」ツェッドさんが礼儀正しく、ひとを指差さないでくださいと言い、ザップさんが指はさすためと突き上げるためにあると返して中指を立てる。間に挟まれた僕はなぜか自分のごわごわの癖毛頭に手をやっていた。ハッとする。いつもなら、ザップさんは僕を押さえ込んで弟弟子に喧嘩を売りにいっている。腕が一本じゃそうならないようだ。
……お前が怒り ・・に身を任せて失敗するとは思ってないが」冷静な副官があぐねるように腕を示した。「戦えるのか、それ」
「スターフェイズさんは片足じゃ戦えないんすか?」
「お前と一緒にするなよ。僕はそーなったら引退するね」
 ザップさんはその言葉にまるで信用してない様子で鼻を鳴らして答えた。「戦えますよ。血法は問題なく使えるって言ったでしょ」そしてない右腕から血を生やした。
 がらんどうな袖に中身が詰まり、人の手の形をした血液が僕の頭に圧し掛かってくる。僕はウワッと声上げてその手を掴んだ。硬く、温かく、そして脈打っている。手のひらに伝わるともすれば不気味な感覚に反射的に掴んだ手を引っ込めたのを、ザップさんは意外そうに見てきた。血の義手で触れても平気だと思っていたような顔つきだ。彼は僕を憐れな陰毛頭だと思っているくせに、こうして時たまに僕がただの一般人であることを忘れたかの如く思い出す。僕はその度に、アンタたちの不思議わざを奇妙に思ったり驚いたり恐れたりはするけれど、決して拒絶しているわけじゃないと、詰問されているわけでもないのにそう言い募りたくなってくる。僕は引っ込めた手で乱された髪を直した。「……問題なく使えるったって、限度があるでしょ。だってそれ、腕一本分の血液も、丸ごとないってことですよね」癖毛を直しざま、今度は血の手を丁寧に剥ぎ取って彼の膝に追いやる。「……そんなんで大丈夫なんすか、ザップさん。色々と」
「なんの心配をしてんだ、オメーは」ザップさんは追いやられた右手でジッポを回した。くるくる、くる。「俺の腕が何本になったって陰毛が自己責任で守られるっつーことに変わりはねえだろ。いつだって大丈夫じゃねえのはお前の方だ」お分かり? 僕の心配を分かっていないんだかどっちなんだか、ザップさんはジッポを二本の指で挟んで人差し指を向けてきた。爪の窪みまで再現されている。
 僕はスティーブンさんに顔を向けた。“今そんな話してました?” 目だけで問いかけると目だけで頷かれる。“そいつ馬鹿だから話通じないことが多いぞ” よく分かってます。
 別に、ザップさんが腕一本で敵と戦いながらお荷物である僕も守れるのかと、そういう心配をしたわけじゃなかったのに。
 ただ普通に彼の身や心を案じてるだけなのに、どうして簡単なことほど察してくれないんだろう。この人にとってはそんなに僕がなんとか無事に守られているかどうかが大事なんだろうか。自分のない右腕を心配するより? 血法を信じているのはいいけど、ちょっとは一般人寄りの感覚に気づいてほしい。

……ま。ザップがこう言ってるんだ、少年と現場に行ってもらうのが得策かな」
「うむ。まずは情報収集を。資料だけでは分からないことが多い」
「万一、俺らが犯人を見つけた場合は? 一応依頼主はケーサツなんでしょう」
「捕らえるのが望ましい」ボスが答えた。「ほかの被害者たちの奪われた体の一部がもとに戻るのか、それを知らずに、……焼くのは悪手だろう」
「っつーことは、旦那」ザップさんは立ち上がり、見上げてくるクラウスさんに訊いた。「最後は焼いていいんすね」琥珀色の瞳に炎が揺らめいている。
「それで少しでも、きみの大切な女性の弔いになるのなら」
「そんなんじゃねーですが。分かりました」
 スティーブンさんが疲れた顔で額に手をやり唸りを漏らした。「……これだから、直情型は……

 それから指示が飛ばされた。僕とザップさんは現場へ。ツェッドさんはほかの被害者たちのところに聞き込みへ。スティーブンさんは人狼局と連携して調査へ──(人狼のチェインさんに電話をする際こんな会話があった。『人狼こそ蒐集対象にされそうじゃないですか』と僕。『あながち間違ってないな。彼女らは高値で取引されることがあるみたいだよ』と副官。『……高値って』『闇オク。人狼は、それこそその能力故に伝説級だからな。足枷を嵌めときたい輩がいるんだろう』『……反吐が出ますか』僕が訊くと、涼し気な顔をしていた副官はあっさり口端を歪めて上げた。『かなりね』)──そして渋るクラウスさんを宥めすかして事務所待機とさせた。何せこの街で起こる事件はひとつやふたつどころの騒ぎじゃない。いざというとき、現場に直行して解決できるひとがいてくれないと大変なことになる。傍にはもちろんギルベルトさんが控え、K・Kさんを招集する事態にならなきゃいいんだけど、と副官は締めくくった。

 ひょっとするとそれはフラグというやつだったのかもしれない。
 少しすると、ライブラの主力メンバーが全員駆り出される事態に陥ることになる。

 ほんの少し先の話だ。






 体内から食い破られた女性はメリアンナというらしい。
 もともとは紐育の小さな飲食店で働いていたが、三年前、紐育が崩落し再構築されたせいで生活は全壊。その大崩落を生き延びたものの街は一晩で人間の体制が崩れ、戸惑い、恐怖して、とにかく引き続き生き延びることが優先だった。彼女は娼館に身を落とした。
 けれど悲惨で卑屈なばかりの生活だけではなかったようで、彼女は順応してそれなりに楽しく生きることができていたのだ。こんないつ死んで次には別の生命体に融合されるか分からない街で。ようやく。
 愛人と恋の多いチンピラ、ザップ・レンフロと仲良く笑い合えるくらいには、彼女は図太く、素敵で、いい ひとだった。
 ところが彼女は死んでしまった。
 普通の人間がまずそうはならない、惨い殺され方で。

 僕の網膜には彼女の死が焼きついている。そういう目だから、だけではない。僕はやっぱり、いつまで経ってもああいう光景に慣れない。慣れたくもない。

 そして、僕より遥かに飛び散る臓物や断裂した腱なんかを見て見慣れて見過ごすことができるザップさんの脳裏にも、彼女の血が噴出した光景がこびりついている。

 だからといって、悲しみに暮れるようなひとではないんだろう。
 もしかしたら、自分の領域を荒らされたことによる野生じみた感情なのかもしれない。
 なんでも良かった。僕は口ではあれこれ文句を言いつつも、助けになりたかった。つまるところ、僕は。
 ザップさんが誰かのために本気で怒ることが、好きなのだ。

 誰かのために本気で怒るザップさんが好き、と断言できないあたりが、ちょっと僕たちらしくていいと思う。たぶん。丸ごと好きだと宣うにはこのひとはクズすぎる。

 クズなザップさんの腕には、もう何度も助けてもらっている。
 ほとんどが無傷ではないけれど、むしろ助けられた回数とともに入院数も更新しているけれど、それでも僕は死んでいない。殺されていない。ひとえにこの忌まわしい目のおかげと言うには、僕はザップさんのそばにいすぎているから。
 
 だから早く犯人を見つけ出して、どうか何事もなく腕を取り戻してくっついてくれと心の底から望んでいる。
 のだが。

「マジで腕が一本なくても普段通りなんすね……
「俺のクソ師匠見てなかったんかよ。こんくらいならヨユーだわ」
「アンタあのバケモノ師匠と一緒にすんなってよく言うくせに」
 師匠と弟子って似るんだなやっぱ、風が横切る音で自分でも聞こえないその呟きに、なんか言ったか? と伸ばした血糸でヘルメットを叩いてきた。聞こえていたんじゃないかと思う。座面から振り落とされそうな力加減だった。
 わわっと叫んで取っ手を掴み直す。なんも言ってません! 前見て前! 喚いてどうにか運転に向き直ってもらう。ザップさんは普段通り、左腕と血の右腕と指先から伸ばした血糸で手が何本もあるように見える恰好で僕を後ろに乗せたランブレッタを走らせていた。一応、僕が運転しましょうかと声をかけたのだが、そして普段なら横柄に先輩風吹かしてそうさせるのだが、彼はなぜか不快そうな顔つきをして背中を叩いてきただけだった。たぶん、心配されたくないんだろう。彼にとっては本当に右腕がないことが重要ではないのだ。自分が平気だと完結させた物事に周り──特に僕みたいな、片腕が吹っ飛んだらそれだけでショック死しそうな弱者──から重要視されるのにうんざりしている。僕はそこまで分かっておきながら心配や不安を払拭することができなかった。でもだって、そりゃそうだろ? この職場に僕のこの感覚を丸きり分かってくれるひとがいないから声を上げられないけど、普通は、だって、昨日まで小突き合ってた腕が突然なくなったけどそれよりまず仕事に専念しましょう、なんて。コンピュータじゃないんだぞ!

 そして唐突に僕と彼らにある隔たりに目が向くんだ。
 ザップさんは非真面目で素行不良、でも上司に「仕事はできる」と評価されている。それはつまり、「仕事と名のつく大概のことはできる」ということだ。たとえば、僕ができない誰かを傷つける行為とか、誰かを騙して裏切ったりすることとか、想像の及ばない範囲のことまで。僕たちの間には、そこに大きく深い溝が横たわっている。超人ばかりの秘密結社とついこの間まで一般家庭に育った人間とじゃ当たり前の感覚相違だ。むしろそれがなかったらおかしい。

 でも僕にとっては、その隔たりを越えて頭を掻き撫ぜてきたりしてくる褐色の腕が、本当に重要だった。
 
……取り戻すことができたとして、無事くっつくんですかね。ザップさんの腕」
「ボソボソ喋んな! 聞こえねえ」
「くっつきますかね、アンタの腕!」
「オメーの指はくっついただろ!」

 だからアンタの腕もくっつくとは限らないじゃないか。
 
 ひとつ不安なことがあると、芋づる式で不安が増えていく。
 HL産の医療を受けるとHLから出られなくなるが、その実それだけを受けることは滅多にない。どれだけ怪我をしても、人界の医療はもとから特殊なひとが使っていた魔術や科学と融合し発展を遂げ、この街じゃギリギリ人界医療として処置される。僕の指も異界技術は使われずに治ったから、よっぽどだ。
 けどこれを忘れてはいけない。上司の言うことがよく分かってきた。“世界はなんでも起こる” ザップさんの腕が戻らないことも、戻ってもくっつかないことも、くっついたとしても悲惨になることも、何通りものことが起こり得ることになるということで、大体悪いことになる選択肢は良いことになる選択肢の数より多くて、僕の義眼は先を見通す力もあるらしいのにそれをしないということはやっぱり悪いことに想像が働きやすいからだ。僕はすごく不安になっている。見ることが、怖い。

 メリアンナさんの瞳に映り込んだザップさんは、見たことのない顔をしていた。
 僕が知らない、優しい手つきだった。
 
 それを奪ったことも、許せない。

 不安はあとにしなければならない。今はただ、この怒りに似た感情に突き動かされているフリをした方が、きっといいだろう。
 湿った霧の空気を肺いっぱいに吸い込んで、そして胸のうちを制御するように吐き出した。







 しかしながら身体マニアの彼は少々手こずっていた。
 もともとこの腕の血液が自分の身になると思い込んでいたので、蒐集したいリストの中に血液はひとつも入っていなかったのである。蒐集したい血液。きれいで、うつくしく、おぞましくて、あたたかな血。
 血液といえばやはり人類だろう。
 異界にも血液の役割を持つ体液をその身に巡らす種族はたくさんいるが、人間の血は何より色がきれいだ。
 時が経ったら黒ずむことさえとても美しいと思う。
 でもそれだけじゃ駄目だ。彼の好みではない。
 もっと、何か、特別なものでないと。
 奪った右腕は傷だらけで、その傷から伸びやかに跳ねる血液がとても好ましかったのに。

 彼は古い友人を訪ねることにした。
 血液に関するスペシャリストだ。

 友人は昔から何かと彼の世話を焼いてくれたし、おそらく似た時間の流れを生きているのでお互い置いてけぼりを食らうこともなかった。 
 案の定、久しぶりに会った友人はいくらかその生に飽き飽きしている節があったが、こちらの趣味につき合ってくれるようだった。
 
 友人は彼に笑いかけたし、彼も友人に笑いかけた。相も変わらずだね、と言葉少なに話し合った。

 そのため彼は分かってしまった。

 長く生きていると、あらゆる感覚が鈍りがちだが、間違いはないだろう。彼は自分の体を持たない代わりにそういう予感は一等だったので。

 身体マニアの彼は、特別な血液に詳しい友人に、いいのかい? と訊いた。友人はいいよ、と笑った。
 
 なら、僕も、いいかなあ。……彼も笑った。







 娼館の、メリアンナさんの部屋に辿り着くまでに一悶着あった。
 まずランブレッタで入り込める路地でなかったので途中から徒歩だったのだが、ザップさんは悪名高いチンピラだ。その辺を歩けば僕より仲が良かったり悪かったりな破落戸どもと遭遇する。相手が友好を築いているタイプの破落戸なら良かったのだが、まあそのタイプは稀だ。見事に絡まれた。そして僕が彼のない右腕に飛びつこうと身構えた瞬間勝敗は決していた。もちろんザップさんの圧勝だ。左腕一本でいなしていた。
 僕が腰を低くして行き場のない手を彷徨わせているのを見た彼は、その途端、盛大に眉をひそめた。僕も眉を下げて手を背中に隠した。……自分でもザップさんに飛びかかろうとした理由があんまり信じられなかったのだ。まさか自分は、彼を守ろうとしたのではないか? そうかもしれない。彼が乱雑な仕草で動くたび揺れるへたった袖を見るのがつらい。なぜ身体マニアの犯人はザップさんの腕を蒐集しようと思ったのだろう? ザップさんの手は傷だらけで、女の人のさらさらな髪でなければ引っ掛かって痛みが走る最悪な手だ。……だから女の人にはあんな優しい手つきで触るのか。なるほど。

 傲慢なことを言うと。

 その最悪な手の良さを知っているのは、ライブラのひとたちや、僕だけかと思っていた。
 蒐集したいと思った輩は、本当に良さを分かった上で奪っていったのか? それとも何か別の目的が? 分からない。
 分からないけれど、でも、意味がない、と思う。
 ザップさんの腕は、ザップさんについていないと、意味がない。
 僕は困り眉で、なんでもないっす、早く行きましょうと先を促した。ザップさんは何か言いたげに束の間そうして僕を睨みつけていたが、やがて舌打ちをしてわーったよと返した。その「わーったよ」には僕のどうしようもないところにとやかく言うのを諦める様が含まれていて、それが有り難くて気づかれないようホッと息を吐いた。
 目的地に辿り着くまで、僕は彼の斜め後ろを歩いて行った。
 路地が狭いせいにして、ほんとは、少しだけ、いつもみたいに隣に立つのが、怖かったんだと思う。
 僕はどうやらザップさんを守りたい。
 その一番の方法が、離れていることだ。
 片腕の彼がいつも通りなのは分かったけれど、戦闘時、僕はどう足掻いたってあまり役には立たないし完全なるお荷物、そんなのは今回ばかりはもっと彼にとって負荷になるに決まっている。僕がザップさんにひっついて戦闘に巻き込まれに行けるのは、彼が片腕で守って片腕で攻撃してくれるからである。そのときの僕のベストポジションはどこか。斜め後ろ。敵と戦う場合、彼の前にいるのは論外だし真横は邪魔だ、真後ろは視界が届かず守り切れない、斜め後ろがお互いにとって一番いい。そこが、最低限、僕がザップさんを守れる立ち位置だった。
 片腕のない彼の隣を歩くのが怖い。
 戦闘という前置きなしに何かが起こって、そのとき両腕じゃない彼が、いつも通り、僕を吹っ飛ばして避難させて攻撃を仕掛ける動作に、何か不備があったら? 気が気じゃない。神経質だと思われてもいい。だってこの街はそれが起こり得る! 僕は彼の隣を歩けない。
 斜め後ろにいるくらいしか、守る術を持っていない。
 ……なんておこがましい考えなんだろう。
 そうして白い背中に着いて行っていると、こういうとき不意に僕の指が僅かに痙攣し、ああそうか、そうだよなと自分を納得させてくれる。一度は切り離され縫合痕もないほど綺麗にくっついた指の震えは、僕には僕の守り方があるという証明だった。あの病院の個室で、クラウスさんに言われたことを忘れてはいけない。誇りを持てレオナルド・ウォッチ、お前はただ蹲って甲羅を割られるだけのノロマな亀じゃないぞ、耐えて耐えて耐え抜いて、それで大切なひとを守り切れるようになった、愚鈍で挫けない手足を持った亀だ。大丈夫。このひとたちとは戦い方が違うだけで、少しは役に立てるはずだ……

 
 
 なのにこの役の立ち方を今だけは望んじゃいなかった。
 娼館に着き、さあオーラを見ようとゴーグルを引き上げた途端の着信音は、嫌な予感を引き連れて鳴り響く。

 BB出現だ。






 避難誘導をしてくれている警官たちのそばを通り抜ける際、見知った警部補と目が合ってとりあえず挨拶か何か叫ぼうと口を開いた。しかしランブレッタはすぐ彼らを追い越し、逃げ惑ってくる異界人たちに逆らって噴煙上がる中心地へ向かう。僕が首だけ振り向くと警部補は首元で手のひらを振って見せた。“最悪だ” 彼は既に煤や血で汚れていて、でも目つきの悪い片目だけは何も諦めていない。ジョークじみたその仕草に僕も何か応えようとしたが、地面の亀裂で跳ねたタイヤのせいで舌を噛んで悶えるしかなかった。ザップさんが振り落とされんなよと忠告してきたのでもうしがみつくほかない。ランブレッタは悪路を進んだ。

 オフィス街はひどい有様だった。柔じゃないはずの窓硝子はどこもかしこも穴だらけ、火の粉が散っている建物もある。エルダー級との連絡はなかったが、それに準じた強さの血界の眷属かもしれない。僕は胃の腑が引っ繰り返るような生死のにおいと霧とともに絡みついてくる恐怖を御さなければならなかった。手足が震えて、いつ後部座席から落ちてもおかしくない状態になり、そうならないのは自分には役目があるからだと言い聞かせる。僕がやらなければならない。僕にしかできない。そうしないと、誰かが死んでしまう。
 霧が風で押し流され、冷気が混じり始めると前線はすぐそこだった。瞼を開かなくたって鮮烈な赤い翼がビル群の隙間に広がって見える。きれいだ、と思う。それは、ほかのひとがこのおぞましい両目をうつくしいと思うのと、同じことなのだろう。
「レオ、こっから諱名見えるか!?」ザップさんが叫び、爆風に飲まれまいとハンドルを切る。
「無理です! もう少し近づかないと、」僕はゴーグルをつける間もなく彼の肩越しに義眼を発動させ、そして事態を把握した。最悪だ。なぜか知らない、でも言わなければならない、敵は血界の眷属だけじゃない! 無数に散らばるあのオーラには見覚えがある。醜悪で、いくつもの部位を切り取ってできたみたいな禍々しいオーラ。自分たちが探していた、あのメリアンナさんの体内から出てきた──「ザップさん、右ッ!」──叫び終えるより早く、ザップさんは僕を抱えてランブレッタから飛び降りた。
 車体にあのオーラをまとった生き物がぶつかり、火花を散らして道路を滑っていく。僕は地面に引き倒され強かに肩を打ち数瞬息ができなくなる。頭を庇ってくれていた血の腕が離れ、すぐ立ち上がらせた。「大丈夫か、頭は平気だな? まー大丈夫ってことにしとけ。なンだ、今の」周囲に視線を走らせ、彼もあの一匹だけじゃないことを察したらしい、蜘蛛の成り損ないのような生き物に、食屍鬼よりはマシそうじゃね、と感想を漏らした。「ざ、ざ、ザップさん」僕は咳き込みながら彼の腕を掴んで言う。「あれ、アンタの腕を奪ったやつと一緒です。一緒のオーラをしてる。探せば、きっと……
「レオ。お前が見たもんは血界の眷属と同じか?」
「いえ、いえ違います、別物です、でも、」
 彼は最後まで言わせなかった。
「知らねーのか愚かな後輩よ。物事には優先順位っつーもんがある」燃える血色が透けて眼光鋭い黄金の瞳が僕を射抜いてくる。「俺はお前より女を優先するが、」ザップさんが言った。「その女よりクソめーわくをかけてくるバカ可愛い吸血鬼を優先する」
「っ、おれだって、」青い光を瞼から迸らせ、反射的に口にした。「俺だって、それが最優先です。俺にしか名前が見えないんだから、あれは俺のです。……誰にも渡さない」いささか自分にしちゃ乱暴な言葉が飛び出したと思った。
 ザップさんはひどく楽しげにニヤリと笑い、そんじゃ行くぞと小蜘蛛を切り捨て駆けて行く。僕はようやくゴーグルを引き上げ、一拍置いて追いかけた。

 食屍鬼がひとりもいない代わりに、あのなんだかよく分からない生き物が無尽蔵に暗がりから這い出てくる。
 
 それはスティーブンさんの凍結の隙間を潜り抜け、K・Kさんの遠方雷撃を食らっても数が尽きなかった。ツェッドさんが風を巻き起こしそいつらを遠ざける最中に僕たちは飛び込み、戦況を簡潔に把握し合った。血界の眷属はひとり、誰の血も吸っておらず、ただ街中を破壊して回っている。クラウスさんが応戦しているがこの手下のような生き物のせいでほかが近づけない……
「──ザップ!」
 戦場において二番目によく通る副官の声が響き渡る。僕はそちらへ首を向けて戦う彼の横顔が次の言葉を発そうと開口したのを見たが、それより速く僕の首元が締まって持ち上がった。ぎゃっと羊のような悲鳴が飛び出たと同時、体が浮き上がって宙に飛ばされる。「乱暴な……!」そう抗議したツェッドさんが暴風を巻き上げ僕を更に上へ飛ばした。みんながどんどん遠退き、反比例して拡大を繰り返す義眼はしかと光景を見届けた。スティーブンさんが立てた親指を下向きに指し、短く言う。「燃やせ」
 下で爆炎が起こった。
 僕を飛ばしながら地面に張り巡らしたザップさんの血糸に火が走り、動かない生体車を舐って爆発を誘ったそれは、一瞬で視界を火の海にして汗を噴き出させた。制御された熱風に煽られ空中で不安定になった体に伸びた血紐が巻きつき、最前線に近いビルの屋上まで弾き飛ばす。ああ、本当にすごい。ザップさんもツェッドさんも連携がとれすぎているし、スティーブンさんの一言で一言以上のことを理解して即行動に移せるのもエグイ。血紐が火の海に戻っていく。僕は屋上の縁に這いつくばって下を覗き込んだ。
 高熱で炙られた地面は黒々と煤け、ビル群の壁は溶け窓硝子を半ば液状にしている。
 みんな無事だ。僕のようにホッと息を吐くこともなく次の行動に移っている。晴れた視界を雷撃が突き抜け、戦うクラウスさんを援護する。僕もそちらへ視線を伸ばし、赤いオーラに混じる古代の文字を見つけ、集中しようと義眼を発動させた。瞼が痙攣する。地上の暗がりへ目が向き、そこからまたあの厄介な生き物たちが湧き出てくるのを視認した。空間転移だろうか、幾何学模様の術式が成されている。血界の眷属と身体蒐集家の関連性は? 燃やしてもキリがない……
 なら僕が何より優先し迅速にやり遂げなければならないのは、諱名をあのひとに届けることだろう。ひとつのことに絞らなければ、ふたつめのことは絶対に埒が明かなくなってくる。ザップさんに啖呵切ったんだ、早く……
 ポケットに手を突っ込み、ライブラ支給の端末に指をぶつけながら取り出し諱名入力アプリを開いたときだった。

 隣にひとがいた。

 見えすぎる義眼をもってしても僕はしばらくそれに気づかなかったし、既に一文字入力してから気配に気づいて顔を上げていた。
 下を覗き込んでいた僕の隣で、同じように下を覗き込んでいるフードの何かがいる。人類ではない。人類は、こんないくつものオーラをごちゃ混ぜにして煮立てたような禍々しさを放たない。
 そしてそれは、もう見たことがあるオーラだった。

 ザップさんの腕を奪ったやつだ。

 視線が、不随意に、フードつきローブの肩辺りに下りる。右肩から腕。その白く燃える色はやっぱり──「その腕を返せ」僕はまた無意識に言っていた──「それはお前のじゃない」腕、どころか。
 全身借り物だ ・・・・・・
 オーラがごちゃまぜに見えるのは、つまりはそういうことだった。身体マニアの犯人は奪った体の部位を自分として形成している。下に群がる小蜘蛛もどきはそれの成り損ないのようなもので、全て“彼”の意識のもと動いているのだと無理やりに察せられた。そう、無理やりに、不思議と、そういうものだとこちらに諦めさせる。
 あのクソッタレ上位存在に似ている。
「返せ」今度は自分の意志で言った。「それはザップさんの腕だ!」
 奇妙な間のあと、下を向いていたフードがこちらを向いた。
 醜い。
 真っ先に抱いたのは嫌悪だった。フードの下の肌は火山岩のように穴が空き、鼻は潰れた果物のように顔の中央についている。フードの中から現れた髪は蛇のように蠢き、そして目は左右で異なるものだった。右目は爬虫類、左目は猛禽類に似ている。頭の中で今朝見た資料の被害状況が再生され、全て目の前のものと一致し始める。
 ぱち、ぱち、彼は左右ずつ瞬きをした。……瞼は人間の瞼だ。
 彼には手術痕のような口があったが、それは開かれることなく言語が鳴った。

……めずら、しいものを、もっていますね

 それは音というより、自分の中の英語を頭の奥から蘇らせアルファベットを順番に並び立てるような、拙く不気味な精神感応だった。

とても、いい、目だ

 左右で異なる目玉が、ひとつずつ弧を描く。

みにくく、うつくしい

 笑っている。僕はゾッとして立ち上がった。影が伸び上がるみたいにそいつもついてきて、高い背で覆い被さってくる。地を引きずるローブの裾から何本もの触手が這いずった。下で何も知らない轟音が立て続けにがなり立てている。僕は諱名を入力しかけていた端末を、これを離したらもう崩れてしまうと恐れて握り締めた。彼が僕の手元を覗き込む。緩慢に持ち上がった人間の瞼に、しまったと思って後退った。

……かれの、な、まえが、わかるん、ですね

 驚いたようだった。

ぼくも、しらない、のに。それど、ころか、かれじしん、も……

 頭の中で浮かんでは消えていく英語に羨望の感情が乗る。

いいなあ……

 どういう意味だ、僕が疑問になってまた半歩後退ると、褐色の右腕が伸びてきた。指の先にいくつもの傷痕があって、爪だけは綺麗に切り揃えられている、ザップ・レンフロの右腕。
 その手が僕の頬に触れた。
 血が通ってないみたいに、冷たい。
 親指が、丁寧に、左目の下瞼を引き下げた。

きみのめがほしい

 ふざけんな、僕はたぶんそんなようなことを叫んで彼の目を支配しようとした。許せなかった。とんでもない怒りが腹の底から湧き起こり、全身が震えて毛が逆立った。許せない。ザップさんの手はそんな温度じゃない、そんなふうに触らない、お前が動かしていいものじゃない……

 しかし支配が完遂されるよりも、彼の体が拘束される方が速かった。
 赤黒い巨大な手が、フードの彼をみしみしと握り締めている。

「ハマーさん!」
 僕は叫んでそいつの後ろに目をやった。「来てくれたんですか!」
 極悪犯罪者と好青年コンビの彼らはいつの間にか屋上に佇み、手の拘束を緩めずに(ハマーさんが)口許を緩めてくれた。「なんか大変なことになってるね。呼ばれたから来たけど、ナイスタイミングだった?」彼はいつでもマイペースだ。僕はそれに心底安堵して頷いた。「とても。ベストタイミングでした」汗で滑る端末を握り直し、とにかく残りのワードを打ち込もうと指が動く。なぜなら、目が合っている。
 見開いた爬虫類の目玉と猛禽類の目玉が、死んだようにこちらを見つめている。
 見ているのに、見ていない。
 彼の意識はもう僕から離れている。
 
「ハマーさん……

 もうずっと嫌な汗を掻いているが、こめかみから新しい汗が流れて落ちた。
 目を、支配、できない。
 視神経があるはずだが、あのふたつの目玉と繋がっていない。見た目だけそれらしく振る舞っているだけで、中身は肉の塊だ。僕はそいつをコントロールできない。

 引き攣れて傷痕のような口が嬉しげに歪んでいた。

 駄目だ逃げて、僕の悲鳴にデルドロ・ブローディの叫び声が重なった。

「ドグ・ハマー! こいつを俺に触らせるな!」
  
「分かった」
 すぐさま血殖装甲の指を解くが、のちにぴたりと動きをとめて困ったふうに笑った。「ごめん、遅かったみたい」……動かないや、きみも? こーいうとき一心同体って困るよね、ハマーさんが言った。血液の彼の方が焦ってンなこと言ってる場合かと喚いている。
 僕はその場に金縛りにあったみたいに動けないでいた。諦めが、足の先から手の先までを侵食しようとしている。よくない感覚だ。このままじゃ、本当にあの日みたいだ。そして僕は、きっと、自分の目を頼っていた。自分の目? 妹の視力の代わりに奪った神工品。けれど僕はそれによって誰かを助けることが可能だった。それができないんじゃ、ただ、黙って、見ていることしか、できない。

 拘束を解かれた身体マニアの彼は、僕に背を向けて彼らに歩み寄った。

かれが、いってたとおり、だ。ぼくごのみの、とくべ、つな、けつえきらしい……

 下手くそな、喉の使い方を知らない声が言った。

「ぼくのいちぶになって」
 
 ……だってさデルドロ、どうする? どーするもこーするもお断りだわ馬鹿。彼らは答えを返すが、やはり動けずに往生していた。僕は歯を食い縛った。もう覚えてしまった感覚で指を滑らせ、端末に最後の文字を打ち込んだ。送信ボタン。下から、戦場で最もよく通る声が誰にも呼ばれない名前を唱え始める。そして僕は駆け出した。
 褐色の腕が彼らに伸びる。嫌だ。その腕が好き勝手に、本人じゃないくせに何かを搾取するのを見ていられない。僕はフードにかじりつき、冷たいその腕を抱き込んだ。
「ザップさんの腕はなァ! 血塗れで戦って、女の人を抱いて、そんで俺の給料を巻き上げるためにあるんだよ! 勝手に高尚な使い方すんじゃねェ!」



……ち~な~み~に~」 



 場違いに可愛らしい、少女じみた声が降ってきた。



「そいつらはぁ~……、アタシのものよ~~?」



 そのとき霧の滞留する空に切れ目が走った。
 ジジ、とチャックを開けるみたいにお茶目な音を立てながら空間が歪み、その亀裂から女の子がひょっこり顔を出す。
「偏執王、アリギュラ……!」
 その場にいる誰もが、おそらく血界の眷属を封じているであろう地上のひとたちも目を丸くしてそこを見上げていた。開いた口が塞がらなかったし、尋常じゃない冷や汗が噴き出た。混沌を生み出し場を掻き混ぜ、自分の欲望を満たす奇人変人怪人、十三王のひとり、恋に盲目な幼気で末恐ろしい少女が、可愛らしく首を傾げて僕たちを見下ろしている。カールを描いたふわふわの髪が肩から垂れて揺れた。綺麗な長い爪の指が、揃って仮面の下の頬に当てられる。彼女は真っ直ぐ、というか彼女の創った最高の元ボーイフレンドしか額の目に映していない。

「別に~私は~アンタたちが下等な存在にどうされようと気にしないけど~」
 だってそれでどうにかされるんだったら、アタシの好きな強くてハンサムで残虐な男じゃないし~~そうなったらすーぐ見捨てるけど~~……アリギュラが言う。
「かろうじて神に成りかけてるような、下品で不躾で不細工な存在に好き勝手されるのは~アタシのプライドが許せな~い」
 そして少女は指を銃の形にしてローブに向けた。
「ブローディ&ハマーはアタシのものよ」
 ──バン。
 唇を尖らして、指鉄砲を撃った。

 ローブの中身が弾け飛んだ。
 
 小さな爆発は僕の体を吹き飛ばすのに充分な威力を持っていた。僕は右腕を抱えたまま吹っ飛び、屋上の縁から勢い余って転がり落ちる。

 見上げた先では、スクール時代に映像で見た超新星爆発の極彩色が煌めき、そして収束した。アリギュラが宝物の彼らに投げキッスを寄越して、きゃ~相変わらず好きよブローディ~ハマー~! と黄色い声を上げている。ひとしきり愛を落とすと満足したのかじゃ~ね~遠距離恋愛でもアタシのこと忘れちゃイヤだからね~と空間の裂け目に引っ込んで消える。

 それを見届けたあたりで僕は地面に激突した。
 正しくは、伸縮性のある血の網で受け止められバウンドし地面に体を打ちつけた。

 引っ繰り返ったまま、どくどくと血を流している気がする頭をもたげ、傍らに来た白い靴を見上げて名を呼ぶ。

……ザップさん」

「よう陰毛頭。無事か?」
 彼は何が面白いのか、笑って眉を上げて見せた。

「な、……なんとか」肺から吐き損なった空気を咳として吐き出す。「ざ、ザップさん、これ、」僕は抱えていた冷たい塊を慎重に持ち上げた。「腕……

 ザップさんは仕方ねえなと言わんばかりに顔をしかめ、行儀悪くしゃがみ込んで右腕を僕に伸ばした。だが、それが血の腕だったと気づき、褐色の左手で僕の頭を掻き撫ぜてくる。彼は左手も傷だらけだ。僕の櫛通りの悪い髪が皮膚のひび割れに刺さって引き攣れる。痛い。

「痛ェわやっぱ、お前の陰毛」

「陰毛じゃねーし……髪の毛だし……

「ま、そんでも」ザップさんは自分が捨てても構わないと思っていた右腕に手を伸ばした。「お前に触るときゃ、生身じゃねーと駄目だな」自得するように言う。 
 
 それは、僕も。
 僕もなんです。

 呟く代わりに、そっとザップさんの腕を撫でて頷いた。







 結果的に言うと、ザップさんの腕は見事くっついた。
 
 ルシアナ先生の縫合は伊達じゃない。僕の指のときと全く同じことを言って全く同じ手際で包帯巻きにしていったのである。ライブラ一同で感謝を示し、事件(血界の眷属は密封。身体強奪の犯人は超自然的に滅され、そのことでHLPDにお小言をもらったが嫌味にはほど遠い労いが分かりにくくこめられていた)解決を祝して打ち上げがなされた。

 ところでちゃんと両腕に戻ったザップさんは、それからというもの、ことあるごとにあの血の通った手で僕に触れてくる。

 女の人にするような、あんな優しい感じではないけれど。
 これもまた、僕でしか味わえないような触り方だと自覚している。

 困ったことに。

 僕はそれが、まんざらでもないようなのだ。