夜も深い午前一時。いつもなら燐音しか起きていない時間だが、今日は違う。リビングのテーブルに酒と酒の空き缶や空き瓶が並んでいる。一人で飲んだとしたら、とんだ酒豪かうわばみかということになるが、残念ながらこの場にはかなり酒が飲める方の二人がいるだけだ。それでも結構な量だが。
背後のソファに体を預けて静かに缶チューハイを傾ける燐音の隣には、同じくソファにもたれかかる一彩。ふへへ、えへへ、と顔を赤くしてへべれけに可愛らしく笑っているが、手に持った800mlの日本酒の酒瓶をラッパ飲みするのは全然可愛くない。
「おいしいね」
「お前もう味分かってねぇだろ」
「わかるよ、日本酒だ」
「そりゃラベル見たら書いてんだよ……」
そういって一彩は瓶に残っていた最後の数口をごくごくと飲み切った。ぷは、と清涼飲料水のCMさながらに豪快な飲み方だが、瓶の中身は水ではない。れっきとしたアルコールだ。一瓶を一人だけで飲み切ってまだ次の酒を選ぼうとしている弟に、燐音はため息をついた。
事の発端は、数日前。
そのとき、一彩が成人してから日にちが経ち殆どの制限がなくなったというのに、燐音はまだ一度も一彩と飲んだことが無かった。いやまあ、付き合いもあるし、タイミングもあるし。弟くんにも色々あるだろうし? とか思ってグズグズしていたらALKALOIDの奴らに先を越され、仕事の付き合いで飲み会にも参加して、挙句にはニキとも飲みに行ったらしい。
実際のところは燐音と一彩のスケジュールが合うときが無かっただけなのだが、先日ニキから「弟さんめっちゃお酒強いんすけど、また飲み誘ってもいいすかね?」なんて言われてしまった。それを聞いたとき、気がついたらアイアンクローをかましていたが、それはそれとして。
これ以上うだうだしていたら本当に機会が無くなると踏んだ燐音は、兄弟水入らずの場を強行に誘った。
のはいいが、二人とも翌日が休みであることを優先した結果、燐音の仕事終わり後にと相成ってしまい、加えてタイミング悪く仕事が押してしまった。走って家に帰ったのはつい数十分前で、玄関に飛び込んだらおかえりぃ〜とだいぶ間延びした声。そのときにはもう一彩は出来上がった状態だった。
おいでよ、とふにゃふにゃ隣をたたく一彩から目を離すのも心配で、風呂にも入らず大人しくそこに座った。
それだけで嬉しそうに顔を輝かせて甘えるように近寄ってきて、兄さんも飲もう? とぽやぽや言われたら、せめて一杯くらいは付き合ってやりたいと思うのも仕方ないだろう。なので、燐音は今手に持っているこれが一杯目で、この場にある空き缶のほとんどは一彩が空けたものだ。
「ふふ、ずっと楽しみにしてたんだ」
「抜け駆けしたのに?」
「だって兄さん、ぜんぜん帰ってこないんだもん。仕事はたいへんだと思うから、これでもがまんしたんだよ」
ところどころ、舌が回っていない。
仕事が押すとわかった段階で連絡は入れていたし、それに対して随分とお利口さんな返事も返ってきていた。分かった、頑張ってね、待ってる、と。
だから急いで帰ってきたというのに、玄関扉を開けてみればすっかりへべれけになっていた一彩がいた気持ちを考えてみてほしい。待ってくれてねぇじゃん、である。でもそんなことを酔っ払いに言ったところでどうにもならないので、釈然としない気持ちは3%のアルコールに溶かして飲み込んだ。
「えへへ、にいさんもたくさん飲みなよ」
「いや、今日はいい」
「む、たくさん買ってきたのに。きょうは怒らないよ?」
「そうじゃねぇよ、お前が酔い過ぎだから酔えねぇんだって」
「う……ごめんなさい……でも兄さんが帰ってこなかったのが悪いもん」
「……あー、もう、俺のことはいいから」
「それじゃだめだよ、兄さんもたのしくないと……んん、ほら。これとか好きそう」
「分かった分かった」
若干アルハラが入ってきそうな弟を嗜めた。ぐでぐでの様子に、本当に飲み慣れているのか怪しみながらも、構ってもらえて満足そうな一彩を仕方ないと許してしまう。
——
そのまま、時計の長針が一回りしかけた頃。すっかり顔を赤くしてゆっくりと甘い缶チューハイを傾けていた一彩が、前触れもなしにいきなり燐音のピアスに触れた。
「っ、なに」
「ピアス」
それだけ言って、やわやわと耳たぶを触られる。いやまあ、お前が触っているのはピアスだが。それが聞きたいのではなく。
「いや、いきなり何」
「んー……今なら、ゆるしてくれるかなって」
する、と耳元のピアスが愛おしむように撫でられる。
「普段、いきなり触ったら、多分驚くよね」
「……」
「今ならいいかなって」
確かに、人のアクセサリーに許可なく触るなど、よほどの仲でなければしないだろう。酔っているからという言い訳がたつからできるのかもしれない。一彩にも最初はそんな打算があったのかもしれないが、今は本当に箍が緩んでいるのだろう。ピアスホールからキャッチまでくまなく触れられ、すぐ耳元で爪が金属に当たる軽い音が、背筋を震わせる。
「おそろいだ」
ふやんと溶けきった表情で笑って言われ、心底嬉しそうに細められた目は酔いに浮かされて少しうるんでいる。論理や筋道が飛び飛びになった発言は、危なっかしいが少しあどけなくて、放って置けなくなる。
「同じやつじゃねぇよ」
「それは知ってるよ……でも、えへへ、いつも左の耳だけ多いの、一緒だ」
衣装では普通にシンメトリーなピアスをつけることもあるが、普段一彩は左耳にしかピアスをつけていないし、燐音も左だけ二つ目の穴を通している。バランスという意味では、似通っていると言えるだろう。ピアス自体も似たようなシンプルなループピアスだ。お揃いじゃないかと言われても、そうかもしれないと考えられる。偶然ともしてしまえるような些細な一致だが。
「うれしい」
もう幸せいっぱいだとでもいうように、しっとりと酒濡れた声がささやかに零れる。恍惚とした酔いと幸福を湛えて、一彩はかりかりと耳元の、上のピアスをつまびく。撫で摩る感覚がぞくりとあらぬ欲を呼び覚まし、これ以上はまずいと、やんわりその手を取った。
「……くすぐってぇ」
「ふふ、ごめんなさい」
謝りながらも再びピアスに指を伸ばす一彩は、こちらの話など上の空で、背後のソファに体をもたれかけて耳元から目線を外さない。
「痛くしないから」
痛かったわけじゃないが、そう言ってまた触ろうとするから、もう諦めて好きなようにさせる。
触られたくないわけじゃない。ただタイミングが悪い。しばらく忙しくて、スケジュールも合わなかった。明日は休みで、目の前には最早据え膳になってしまった一彩がいる。手を出さない自信が無い。落ち着かなくなりざわめく心のうちを、缶チューハイを煽ってなだめた。
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