↺2章
初めての殺人が起こってから、数日が経った。
少しずつ日常に翳りが見えてくる。疑心暗鬼とそれから妙な結束感が蔓延し始めていた。
いつか背中を刺されるのではないかと怯えつつも、モノデビルくんとモノゼルくんという共通の敵に立ち向かう立場を共有しているからこそこの状況は瓦解せず済んでいる。
あまりにも危うく、ふとしたきっかけで崩れてしまってもおかしくはない。
けれど、事が起こらないのならそれはそれで困ったことにはなるのだ。ペナルティが待ち受けているのだから。
とりあえず、今のところは平和なものである。
落ち込んだり、後悔したり、嫌厭したり。先の事件の影響はあれど、穏やかに日常は過ぎているはずだった。
そのはずなのに。
食堂から怒鳴り声が聞こえてきている。
―――
江戸川イヴは、戸惑っていた。
同じ人間のはずなのに、どうしてこんなに話が通じないのだろうか。あまりにも理解し難かったからだ。
以前から、鋭い視線を感じてはいた。
しかしながらこんな状況下で、大事には至らないだろうと考えていたのだ。
自分を殺しにかかってくるとしても、こんな昼間に行われることはないだろうと思っていたのに。
「
……ゆるせない。せっかく分からせてあげたのに、他の女と仲良くするだなんて」
七瀬紫音は、ブツブツと何事かを呟いている。
その憎悪は江戸川イヴだけでなく、その前にいる森木林木木木木木木にも向けられていた。
森木林が目の前の女のこのような態度を見るのは、これで二度目であった。
一度目は自分が死んだ時。よもや再び同じ状況に陥るとは考えていなかったのに。
……いや、心のどこかでは予想していたのかもしれない。
しかし体が動かない。無意識にも江戸川イヴを庇い立てるように前へと出ていたが、二度も刺されるだなんてごめんである。
明らかに、力は自分のほうが優っているはずなのに。
懐に潜り込んでくる彼女を抑えることが出来なかった。
腹が焼けるように熱い。
ずるりと刃物を引き抜き、倒れる森木林を見て、七瀬紫音ははらわたが煮えくり返るようだった。
森木林は自分のものである。生活を支えているのは自分なのだから、それは間違いようがない。
だというのに、ここのところ彼の関心は江戸川イヴに向いている。
彼女に振り回されるのを愉しんでいる様は、とても不愉快だった。
木木木木木木さん、と震える声が耳に入る。
探偵のくせにバカな女だ、せっかく森木林が庇い立てたのに逃げることを選ばなかっただなんて。害してくれといっているようなものである。
ならば、お望み通り。その可愛らしい顔を切り裂いて、腹の中を暴いてやろう。
そうして彼女の価値をなくしてしまえば、何もかもがうまく行くはずなのだ。
「
……何を、しているんだっ!」
――――
森木林くんが倒れ伏していて、江戸川くんが血に染まっている。
犯人は明らかだった。1人立ち尽くし、刃物を握る七瀬くんだ。
カッと頭に血が昇る。私の方を一瞥し、それでも気にせず凶行を続けようとする彼女をなんとか抑え、止めようとした。
「離してよっ!なんで邪魔するの、外野のくせにっ
……!」
「そりゃあ止めるでしょう!誰だって見逃せない、こんなっ、コロシアイをしている最中であっても!」
「はあ!?だったら尚更邪魔しないでよ!いいから離せって
……」
意外にも力が強い。女性であっても全力で暴れる人間というのは抑え難いものである。
ましてや私は肉体派というほどでもないし、情けないことにこのままではもたないかもしれない。
「えっ、ちょ、ちょっと!何やってるの
……!?」
これは助かった、と思った。
食堂の扉から現れた筒泉くんは、焦りを浮かべてこちらにやって来ている。共に行動していたらしい雨笠くんへ、危ないからここにいてと言った上で。
手を貸してほしい、と私が言う前に、倒れ伏す2人を見て状況を何となく察知したらしい。
ここで勘違いでもされていたら危ないところだった、と少々肝は冷えたが。
「本当に何やってるの!?」
「いいから、触んないで!」
「こうしておかなかったら君、刺しにいっちゃうでしょ
…………!?」
なんてことだ、七瀬くんがタフすぎる。
未だに刃物を離そうともせず、その目は憎悪の炎で燃え盛っている。火事場の馬鹿力とでも言えば良いのだろうか、彼女は全く落ち着く気配がない。
江戸川くんと森木林くん、2人の手当も早くしなくてはいけないのに。
このまま彼女の体力切れを待つには少々血が流れすぎているように思う。
「
……2人ともっ、大丈夫!?」
全く大丈夫ではなかった。ただ、雨笠くんをこちらに巻き込むわけには行かない。
それは目の前の筒泉くんも同じ気持ちであるようで、彼の腕に力が入るのをしかと見た。
「助けてくれる人、連れてきたよ!」
カラン、と七瀬くんの手から刃物が叩き落とされる。
やってきたのは、白い弾丸だった。
―――――
「大事にならなくてよかったね?このまま命を落としていたらつまらない裁判になっていただろうし」
王くんは、先程の“事件”のことなどさほど気にしていないようだ。
それどころか、ただでさえ皆気分が沈んでいるのだから、こんな事件が起こった日には気が気でないだろうね、なんて笑っている。
「本当に助かりました。白くんに来ていただけなかったら、事態の収束もこんなにすんなり行かなかったでしょうから」
「呼ばれて、それに応じろと言われたから。俺の判断じゃない、ボスに感謝してくれ」
なんと謙虚なのだろうか。
……というより、こうやって感謝されることにあまり価値を感じていないように思える。
白くんに言われた通りに王くんにぺこりと頭を下げると、彼は変わらずの笑顔でもってそれを返した。
「それで、暴れた子は今どうしてるのかな?狗急跳墙
……追い詰められた動物って、信じられない力を発揮するっていうけど」
「倉庫かどこかに一旦居てもらおうと思ったのだが、その途中でモノゼルに会ってな」
王くんに答えた百鬼くんは、目を細めた。なんでも、今現在七瀬くんの身柄はモノゼルくん預かりになっているらしい。
その時になんでコイツを止めたんだ、と言われたそうで、百鬼くんは頭を抱えそうになったのだとも。
「“これ如きで裁判なんかやらない。つまらないからな”
……とか言われたんだ!」
モノゼルくんの真似だろうか、霧矢くんは声を低くし身振り手振りを交じえながらこちらに訴えかけてきている。
彼はちょうど七瀬くんの身柄が引き渡される場面に遭遇したらしく、百鬼くんと一緒にモノゼルくんへと抗議したのだと言っていた。
「
……人のこと怪我させたり、殺したり、積極的にしろだなんて。おれ、やっぱりおかしいと思うよ」
確かに、この状況は異様である。それだけは間違いない。
明確な出口もなく、逃げ場が絶たれてしまっているから従わざるを得ないだけで。
日常において、命のやり取りが勘定に入る人間など早々いない。
多くの人間にとっては、死とは最も縁近く、最も縁遠いものなのである。
「あたしもそー思う。こんなんマジで間違ってる、って。でも、勝てば大事な人生き返らせれるんなら
……他の人なんてどーでもいい!って人がいてもおかしくないじゃん」
しょーじき、なんでもやるって人もいるでしょ、と通天閣くんは寂しげに笑っている。
先の事件は殆ど事故のようなものだった。けれどこの先全てを投げ打つ人が出てきてもおかしくはないのだ、ということはこの場にいる誰もがわかっていたことだった。あの“特典”は劇薬なのだから。
先のことを考えると気が重い。何せ頼りになる探偵が伏せっているのだ。
――――――
江戸川くんと森木林くんは、順調に回復していた。
以前ペナルティで傷を負った2人が重篤に陥らなかったように、彼らも日に日に動けるようになっていっている。
一方の七瀬くんはというと、少々反省してはいるようだった。
ただし、反省の矛先は“殺せなかったこと”にあるようで、悪いことをしたとは考えていないと言っている。当然皆からは警戒されており、思うように動けないことに苛ついているのが見て取れた。
ここ数日は何事もなく、日常で起こりうる範囲内の事件しか起こっていない。
誰かが皿を割ったり、卓球場のピンポン球を踏んづけて転んだり。実に平和である。
今は昼下がり、食堂で昼食をとる者も多く、活気に溢れている。
なんとはなしに選んだ席の斜め前に人がいるくらいには混んでいるのだ。
「
…………」
斜め前に座る霞澤くんと目が合う。彼は緊張しているようだった。
何を食べているんですか、と聞くと目を泳がせに泳がせた後、こう答えてくれた。
「ラーメン、です。
……えっと、醤油味で、その」
「いいですね、ラーメンお好きなんですか?」
「カップ麺は、よく食べてたかな
……締切が近い時とかだと、片手間に作れるから重宝して
……」
そこまで話すと、霞澤くんは動きを止める。みるみるうちに顔を青ざめていき、たらりと一筋の汗が頬を伝った。
「原稿、締切近いのがあったはず
…………ど、どうしよう。ここから出れたとしても、お、怒られる
…………」
ああ、確かに。私は大いに頷いた。
直面している問題が大きすぎるから気づかなかったが、このまま生還できたとて災難が待ち受けているかもしれないのだ。
絶望の表情を浮かべる霞澤くんに、私はさほど気休めにならないかもしれないが慰めの言葉をかけた。
立ち直ったのか諦めたのか、霞澤くんは食事を再開している。見たところおそらくは後者であるが、帰れた時のことはその時考えれば良いのだ。
……多分。
さて、私も食事に取り掛かろうと持ってきたプレートとご対面する。
食事だけに集中できれば良いのだが、そうもできないのが人間である。隣のテーブルの会話が意識していなくとも聞こえてしまうのは、仕方のないことなのだ。
「司の時もそうだったけど、回復する早さがすごいよな!?もしかして、風呂のお湯にとんでもない効能があったりするのか
……」
「そうかもしれないな。この場所ならではの要因がないと考えられないくらいの快調だ。俺ももう走り回っても平気
……」
「は、走り回ってるのか!?駄目だぞ、まだ安静にしてないと!」
実に平和である。本当に、間違いなく。
安藤くんの忠告を素直に受け入れることにしたらしい百鬼くんは、力強く頷いていた。
この平穏が少しでも長続きするように、今すぐでもここを脱する手掛かりが得られれば良いのに。
未だに、目指すべき出口は見つけられていない。
―――――――
「ねえ、ポート見なかった?」
そう言ってひょこりと現れたのは右舷くんだ。
珍しく別行動をしていたのだなと思いつつ、彼女に申し訳ないが知らないと返した。
右舷くんは、さっきこっちで見たとか言われたような気がしたのに、と首を傾げている。
「外には出てないと思うんだよね、多分」
「それは、双子ならではの勘、というものですか?」
「そう!そんな感じ!」
なんだか満足そうに笑う右舷くんに、私は早く左舷くんが見つかると良いですね、と返した。
彼女に別れを告げ、とりあえず部屋へ戻ろうかと階段を上っていく。
一休みしてから、この場所の秘密でも探りに行こう。そんなことを考えつつドアノブを捻ると、後ろの方からドアが開け放たれる音がした。
思わず振り向くと、そこには暗い面持ちをした人物が立っている。
いつもであれば、抱えているスケッチブックを見せ、会話をしてくれただろう。
しかしその時間も惜しいというように、彼は私の手を引いた。
「左舷くん、一体どうしたんですか
……?」
私の問いには答えず、左舷くんはある一室の戸を開き進むと、一方を指差した。
それを辿ると、見慣れない、しかし目にする機会の多くなった色が飛び散っている。
『遊んでもらおうと思って来たんだ。そうしたら返事がなくて、鍵もかかってなくて』
ジリジリと放送器具が音を立て始める。
目の前の左舷くんは、ほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべていた。
≪死体が発見されました、至急宿舎3階までお集まりください。繰り返します
―――――≫
昼前であったこともあり、アナウンスが鳴り響いてから皆が集まるまでにさほど時間はかからなかった。
再びの惨状を目の当たりにして、呆然とするものが大半だ。
「もう三度目の捜査ね、説明は不要かしら?時間が経ったら裁判を始めるから、それまで頑張ってちょうだい」
モノデビルくんの簡易な説明が終わるとともに、皆は思い思い捜査へと向かった。
……百鬼くんの死体を見、立ち尽くす安藤くんを覗いて。
「安藤さん、どうかされましたか?何か気づかれたことでも?」
「
……あ、いや、そういうわけじゃないんだが
……」
江戸川くんに声をかけられるも、安藤くんは歯切れの悪い様子で返していた。
呆然としているが、焦燥も目に見てとれる。百鬼くんが殺害されたことにショックを受けているのは間違いなさそうだった。いつもの彼らしくないことは明白だ。
「
……悪い、今は
……1人で考える時間がほしいんだ。裁判までには立て直す、迷惑はかけないから
……」
安藤くんはそう言って現場から離れていった。
本当に大丈夫だろうか。心配ではあるが、私が介入するべき場面ではない。
江戸川くんの方へと視線を戻すと、彼女は死体をじっと見つめていた。顎に手を当て、正しく探偵の様相である。少々感激してしまいそうになり、ぐっと堪えた。
「ふむ、刺殺かと思いましたが
……それにしては血の出が悪い気がしますね。首元を刺されたのであれば、もう少し出血量が多くても良い気がするのですが」
どう思います?と江戸川くんはこちらを振り向いた。私の後ろに誰かいるのかと思ったが、誰もおらず。私に聞いているのかと理解するまでに少々時間を要した。
「確かにそうですね。例え直接の死因がショック死等であったとしても、流血量はもう少し多い方が辻褄が合うと思います」
「だとしたら、死因は別のものだと考えた方が自然でしょうか。毒や出血を伴わないような」
ああ、探偵は健在である。
まだ跡が残る顔の傷と、時折腹の刺された箇所ら辺を庇うようにしているが。その頭脳は以前と変わらず良く回っている。
そういえば、先の裁判では江戸川くんの発言はさして多くなかったが。
良い機会だからと聞いてみたところ、彼女はそういえばそうだったと頷いた。
「裁判という体を取る以上、議論をある程度は交わしてほしいと言われたんです。初めから犯人を明言するな、と」
「それは、モノデビルさんとモノゼルさんにですか?」
「はい。犯人を見つけ出す、という目的を定めたのはあちらなのに、どうして制限されなくてはいけないのかはわかりませんが」
何か他に意図があるのかもしれない、と江戸川くんは首を傾げた。
それは後々考えることにして、今は目の前の事件に集中するのだとも。
彼女は死体を調べることに専念することにしたらしい。そうなると私に出来ることはなさそうだ。
そもそも探偵の手助けに私がなれるのかと考えたが、結論は一つだった。他のところを見に行こう。
「ていうか綺麗な部屋だね?♪もうちょっときたな
……生活感溢れててもいいとおもうけどなあ♪」
「確かに綺麗すぎるかもね!お兄さんならきっと抵抗したはずだし、もう少し散らかっててもおかしくないと思うんだけどな」
「えーっと
……注目するところ、そこなんだね♪頭良い女の子って、俺好きだなあ」
森木林くんは、しゃがみ込み部屋を調べる右舷くんへと声を掛けている。
どことなく嚙み合わない会話に戸惑ってはいるようだが、おおむね平常運転だ。
「えーっと右舷くん?なんか見つけたかな?♪」
「
…………」
「あ、聞こえてない?」
『配信者さん、スターボードのことは諦めて』
左舷くんはスケッチブックを掲げている。森木林くんを咎めるというよりも、単に右舷くんの捜査の邪魔をしてほしくないだけなのだろう。
それにしても、死体を発見した時はいつもと様子が違うように見えたのだが気のせいだっただろうか。
才能柄死体を目にする機会は多いだろうが、それでも知己が亡くなれば驚きはするだろう。それ故の結果であったのだと結論付けた。
さて、どこへ向かおうかと考えつつ歩いていたところで、モノデビルくんと話している通天閣くんと目が合った。
丁度話し終わったところだったのだろうか、モノデビルくんはさっとどこかへ行ってしまったのだが。
通天閣くんは私に向かってひらりと手を振った。なんでも前回の事件のように罠が関係しているのか、倉庫の刃物以外にも凶器と成り得るものがないかを聞いていたらしい。
「今回は別にトラップとか、仕掛けとかカンケーないって。てか誤作動起こしてゼルっちに矢刺さったから、今撤去してるらしーよ」
「そ、それはまた
……災難ですね。先ほど見た時はどこも怪我をしているように思えませんでしたが
……」
「マジでそれ。デビたそにそれ言ったら死なないから平気~ってめっちゃ笑われたし」
トラップが関係ないのならば、百鬼くんのあの傷は故意につけられたもので間違いないだろう。
以前の
……唯一くんと渦歹くんの事件とは違い、明確な悪意を持って傷つけられている。
通天閣くんが罠の有無を聞いたのは、その懸念以外にも
……まだまだ先の事件を忘れられないからかもしれない。
さほどの関わりを持たなかった私でさえ思い返すとやりきれなさが湧いてくるのだから、彼女の後悔は計り知れないだろう。
しかし、倉庫以外に武器があるかを聞いたのは何故だろうか。
「あー、カンチガイかもしれないんだけど
……倉庫に置いてある刃物、使われたあとがないんだよね~」
そこ以外なら厨房の包丁とか、あとは個人で身に着けてるものくらいじゃね?て教えてもらった!と通天閣くんは顎に手を当てつつ話している。
倉庫内の武器に成り得そうなものには、どれもうっすらとホコリが積もっていた。何らかの特殊な訓練を積んでいる人間であれば話は違うだろうが、使用して戻したのであれば形跡は残るはずだ。
通天閣くんは、もう一度そのあたりを確認してみると言って階段を上っていった。
その背中を見送り、包丁の使用の有無を調べるべく、私は厨房へと向かおうと足を進めた。
食堂から厨房へと入ると、まず聞こえてきたのは誰かの話す声だった。
音の主は、霧矢くんと霞澤くんだ。二人並んで何かを話し合っていた様子である。
私に気が付いた二人はそれを止め、こちらを向いた。軽く挨拶をかわしつつ、なんだか申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「なんか証拠見つかったりした?」
「いえ、特段有力なものは
……お二人は何か見つけましたか?」
「僕たちも、あんまり見つけられてないですね
……ただ、これ
……」
そう言って霞澤くんが指差したのは、厨房のシンクだった。そこには洗い物がこれまでかと積みあがっている。
「すっげー食べて片付けてないやつがいるらしくてさ、食器とかほとんどこの中に突っ込まれてるんだよ!」
「調理器具も、結構
……昨日の昼までは、こんな風になってなかったと思うんだけど」
いったい誰が
……と考えるも、答えは浮かんできそうにない。シンクを見てみると、案の定包丁類も全て使われ、山の一部となっているようだった。
昨日からこの様子であるとするなら、包丁が凶器に使われたとは考えにくいだろう。
【証拠】倉庫/厨房の刃物が使われた様子はない
この洗い物は裁判が終わったら片付けに来よう。
ともかく、誰でも手に取れる位置にある刃物が使われていないというのは大きな証拠である。
誰か、凶器と成り得そうなものを携帯している人物はいただろうか。
そうして思考を巡らせていると、アナウンスが鳴り響いた。
≪時間になりましたので、裁判場までお集まりください。繰り返します
―――――≫
ー裁判開始ー
「今回のシロは、百鬼司ね。いつも通り、頑張ってクロを見つけ出してちょうだい」
モノデビルくんはいつも通り、人を不安にさせるような含みのある笑顔を浮かべていた。
百鬼くんは、彼の自室で倒れていた。一見すると刺傷による失血死のように思えるが、実際は違う。
本当の死因は恐らくは絞殺である、と江戸川くんが述べていた。
また、最後に百鬼くんが目撃されたのは夕飯時である。それ以降は行動を共にしていた、と名乗り上げる人物はいなかった。
推測するに、死亡時刻は深夜だろう。だとすると、やはり凶器は
……。
”使われた刃物は、恐らく個人の持ち物である”ということを皆に共有すると、一斉にある人物へと視線が向いた。
「え、なに?もしかして私のこと疑ってるの
……!?」
「まあ、そうなるよね。君がそこの二人を刺したのはつい先日のことだし、刃物と聞いて真っ先に君が連想されるのは仕方のないことなんじゃない?」
「私があの人のこと殺す理由なんてないじゃん!ていうか、自前のナイフとか持ってないし。そこまでイタくないし
……」
七瀬くんと王くんはそんな押し問答を繰り広げている。
ヒートアップしていく七瀬くんと、変わらず飄々としている王くん。カッとなった彼女が掴みかかろうとしたところで、割って入ったのは白くんだった。
あわや大惨事となるところであったことにひやりとしつつ、事態が収まったことにほっとする。
白くんはことが落ち着いたことを確認すると、七瀬だけに注力してもしょうがないと言った。
「俺も武器は持っているし、他にも隠し持っているやつがいるかもしれない」
「そうだね。ひとまずこの議題は後回しにした方が良さそうかな」
「
……そう思います」
『じゃあ、聞きたいことがあるんだけど』
次の話題を、と思ったところで、手を上げたのは左舷くんだった。その手には何かが握られている。
『警察官さんの部屋にこれが落ちてたんだ。何か知ってる人いない?』
「これね!花瓶の下に散らばってたの。でも飾られてる花とは色が違うし、なんか変だなあって」
もしかして、前飾ってたのを落としてそのままにしてるとか?と右舷くんは続けた。
【証拠】花瓶の周りに百鬼司が飾っている花ではない花弁が落ちていた
「いや、つい先日司の部屋に訪れたことがあるが
……その時は綺麗に掃除されていたと思うぞ!」
彼女の問いに答えたのは安藤くんだ。先ほどは酷く落ち込んでいたが、多少は持ち直したらしい。
表情に陰りは見えるものの、陰鬱な雰囲気は消え去っていた。
では、左舷くんたちが見つけた花びらというのはなんなのか。花と言えば、と今度は筒泉くんの方へと視線が向く。
「何かご存じありませんか?」
江戸川くんがそう投げかけると、筒泉くんは少し迷ってから口を開いた。
「実は
……昨日の夜、百鬼さんに相談に乗ってもらってたんだ」
だから、生前最後に会ったのは僕かもしれない、疑われると思って言えなくて、と筒泉くんは続けた。
もしかしたらその時に落としたのかもしれない、と彼は視線を下にした。
「何を相談してたんだ?」
「えっと、それは
……ちょっと、言いづらいかな」
訝し気な安藤くんの問いに、筒泉くんはちらりと雨笠くんの方を見た。恋愛相談か何かをしたのだろうか。
「あの、華雅弥くん
……その手の怪我、どうしたの?」
「え、えっと、これ?この前お姉さんに渡すお花整えてた時に
……」
雨笠くんの言葉に筒泉くんの手に注目すると、確かに怪我をしているようだった。
しかし、花束を作る際にあんな風に痣が出来るものなのだろうか。専門的なことは言えないが、あれはまるで人に噛まれた跡のような気もするが。
見つめられた気恥ずかしさからか、それとも焦りからか、筒泉くんはしきりにある一点を気にしている様子だった。
ズボンのポケット。そこから覗くのは鋏の柄の部分だ。雨笠くんもそれには気が付いたようで、恐る恐るといった様子で口を開いていた。
「華雅弥くん、それ見せてくれないかな?」
「っ
……あ、えっと
……」
「お願い」
筒泉くんは叱られた子供のように肩を震わせ、しかし固まることなく雨笠くんの要求に従った。
鋏も”人を傷つけられる刃物”だ。怪我だけであれば不十分であるが、そこに血なんて着いてしまっていれば。
「
……決まりですね。まさか、付着しているのは自分の血だ、なんて言いませんよね」
【証拠】筒泉華雅弥の所持している鋏に血液が付着している
探偵は真実を述べた。天使と悪魔は笑い、投票をしようと告げている。
↺百鬼司を殺したクロは?
→筒泉華雅弥
「ち、違う
……っ、僕じゃない
……!」
彼の訴えは、誰にも聞き入れられなかった。
筒泉くんは私たちの方を見て、雨笠くんの方を見た。華雅弥くん、と彼女は呆然としながら呟いた。
その呼びかけに答えるように、筒泉くんは雨笠くんの方へ歩いていく。
もう反論する気はないらしかった。
「ごめんなさい
……こうするしか、思いつかなくて。お姉さんとこれからも
……」
そこまで言うと、彼は言葉に詰まったのか俯いた。固まる雨笠くんへ”お姉さんが悪いわけじゃない”と告げて。それから。
「
……これで最後
………になっちゃうけど
……僕の花、受け取ってくれる?」
震える声と、じわりと滲む涙。差し出された黒いチューリップを雨笠くんは受け取った。
今際の際の筒泉くんの願いは、何だったのだろうか。
忘れてしまいたくなるほど惨憺たるオシオキが終わって行く。
ー裁判終了ー
一人二人と、次々に。ここで共に過ごした彼らが消えていく。
雨笠くんは、筒泉くんが連れていかれた方をじっと見つめ、固まっていた。
今起こったことすべてが受け入れられないというように。
そんな彼女からいち早く目を背けたのは安藤くんだった。
此度の事件で大切な人を失ったのは、彼だって同じなのだ。
大事に思う人との再会を願う。それがこんなにも報われない結果を招くだなんて、神がいるとしたらなんと残酷なのだろうか。
――――――――
ずっと焦がれて、二度と言葉を交わすことが出来なかった人が目の前にいる。
夢だと思った。けれど、そうではなかった。ここに来てからの彼女の言動は、頭に焼き付いている。
お姉さんは、いつかの記憶のままだった。変わらず優しくて、温かかった。
また会えただけで十分だというのに、いつから自分はこんなに欲張りになってしまったのだろうか。
筒泉華雅弥は、雨笠志優を生き返らせたかった。
人の命を奪っちゃいけない?そんなこと、分かっている。今まさに、自分が手にかけようとしている百鬼司がいなくなって悲しむ人物がいることだって、痛いほどに。
筒泉華雅弥は置いていかれる辛さをその身をもって知っていた。だからこそ、それを二度と味わいたくなくて。
首に手を伸ばす。祈るように、縋るように。
お姉さんと最後まで一緒にいたい。どうかそのための助けとなって欲しい。
その身に秘めた我儘は、百鬼司に伝わるはずはなかった。
……。
「っ、いたっ
……」
「おい、早まるな
……っ、何で、こんなこと
……」
絞められた首が痛い。酸素が足りなくて、苦しくて、無我夢中で筒泉華雅弥に嚙みついた。
百鬼司は何故目の前の彼がこんな凶行に及んだのかと考え、辞めた。答えなんか一つしかなかったからだ。
生き返らせたい人がいるのだろう。安藤救が己に対してそう望んでくれているように。
自分が死んだ事に対して、さして未練はない。むしろその身を挺して守りたい人を守れたのだから、良かったとさえ思っている。
しかし、遺された側というのはどうもそうはいかないらしい。このコロシアイで起こったことが、目の前の彼が、それを如実に表している。
筒泉華雅弥はぎゅっと唇を噛みしめていた。震えを何とか抑え、こちらの問いに答えようとしてくれていることが見て取れる。
彼の善性を感じさせるには十分だった。コロシアイという舞台が、生き返りという特典が、存在しなければどれほど良かったことだろうか。
「あなたが、助けてくれないからじゃないですかっ
……こんなにみんなが、僕が困ってるのに、なんとかしてくれないから
……」
その通りだと思った。
先の事件も、見せしめのように行われた処刑も、自分が奮闘していればもしかしたら止められたかもしれない。
ここに来て、今まで。己が人を助けられたことは、果たして本当にあっただろうか。
「だったら
……ぼくとお姉さんだけでもここから出ていったって、いいじゃないですか」
首に手が伸ばされる。彼の助けになりたくて、もう何もしないことを選んだ。
……。
こと切れた百鬼司に鋏を突き立てて、自分がいかに酷いやつなのかを再認識した。
助けてくれないからと人を殺すことが正当化されて良いはずがない。
なぜ百鬼司が二度目は抵抗しなかったのか、筒泉華雅弥はわからなかった。
誰だって生きたいはずで、誰だって殺されるのは嫌なはずだ。そう思っていたのに、一度は抗おうとしたのに、百鬼司はそれをすることをやめた。
もっと暴れてくれれば、口汚く罵ってくれればどれだけ良かっただろうか。
残されたのは、酷い虚脱感と罪悪感。貫き通したい我儘だけを携えて、なんとか体を動かした。
「
…………」
人生の大半を彼女に焦がれることに費やした。
それが少しくらい報われたっていいじゃないか、と思う。
こんなことを考えてしまう、己は紛れもなく悪人であった。
↺2章 完