桐子
2024-11-17 11:17:06
3711文字
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また君に恋してる


目を覚ますとまだ夜明け前だった。
暗い部屋の中、隣を見るとすうすうという寝息が聞こえてきた。
まだよく眠っているようだ。水木はほっとして、ゆっくり起き上がった。若い頃と違い、もう一度目を閉じたところで二度寝するのは無理だと知っている。
二つ並んだ布団を一つ片付け、足音をたてないようにそっと部屋を出る。朝食には魚を焼くか卵焼きにするか、いっそどちらも作ってしまおうか。余ればまた昼に食べればいい。そんなことを考えながら洗面所に向かう。
冷たい水で顔を洗い、タオルで拭く。灰色の髪を後ろに撫で付けて眼鏡をかけると、皺だらけの自分が鏡の中にうつっている。
ーーー俺も随分年を取った。
年々、体は不自由になっていくし体力もすっかり落ちてしまった。孫が遊びに来てくれても、その遊びに付き合いきれなくて、いつも途中でばてしまう。
だが、それもまた生きている証だ。
水木は鏡に向かってにっと笑ってみせた。
皺だらけの顔は、それでもどこか愉快そうだった。



味噌汁を温めていると、物音がした。振り返るとまだ浴衣を着たままのゲゲ郎が、ぼんやりとした表情で突っ立っている。
その顔を見て、ああ、今日はダメな日だとすぐに分かった。
……そこな御仁、すみませぬが、こちらは何処ですかのう?」
困惑した様子で尋ねるゲゲ郎にむかって、水木は笑顔で答えた。
「ここはお前のうちで、俺はお前の友人だ」
「わしの……?それにしては随分と狭いのう」
ゲゲ郎はぐるりと部屋を見回した。かつて暮らしていた屋敷の名残を見つけようとしているのだろう。
「お前は当主を鬼太郎に譲って、今は隠居してるんだ。ほら、朝飯にしよう」
「そうなのかのう……
まだ解せない表情だったが、ゲゲ郎は並べられた朝食を素直に食べはじめた。
「うまい」
「そうか」
「味噌汁の具が、わしが好きなものばかりじゃ」
「それは良かった」
ゲゲ郎は嬉しそうに味噌汁を啜っている。水木はそれを眺めながら、自分の分を食べ始めた。
白髪も言葉遣いも、若い頃は違和感があったが、今ではすっかり見た目に馴染んでいる。
他愛のない会話をしながら朝食を食べ終えると、ゲゲ郎の着替えを手伝い、散歩に行くことにした。
「こんにちは、水木さん、ゲゲ郎さん」
「こんにちは」
すれ違う近所の老婦人に挨拶をされ、水木も挨拶を返す。隣のゲゲ郎はまた解せないという顔をした。だが、それ以上は何も言わなかった。
風は冷たいが日差しは暖かい。港まで歩いてくると、潮風に乗ってカモメの鳴き声が聞こえてくる。
「海か」
ゲゲ郎は目を細めて、海を眺めている。
「心地よいのう」
長い前髪が風にたなびく。海を見つめる横顔は穏やかだった。水木はその横顔をじっと見ていた。年月を経ても、彼の横顔の美しさは少しも変わらない。
しばらく黙って海を見ていたゲゲ郎は、ふと、水木の方を見て困った口調で聞いてきた。
「すみませぬ。教えてほしいのじゃが、わしはどうして、ここにおるんじゃったか……
「あんたはここに住んでて、今は散歩の時間だ。俺は水木という、あんたの友達だよ」
「そうか」
ゲゲ郎はほっとしたように頷くと、また海を眺めていた。
「そろそろ帰ろう。手をつないでもいいか?」
「うむ」
子供のように素直に頷いたゲゲ郎の手を握ると、水木はゆっくり歩き出した。



夜になり、早い夕飯を食べ終えてのんびりしていると、電話がかかってきた。
『ととの調子はどう?』
「変わらないよ。俺のこと覚えてる時も、完全に忘れてる時もまちまちだ。岩子さんに間違えられたこともあったよ」
電話の相手は娘の花だ。結婚して遠い街に住んでいるが、心配して二日に一度は連絡をしてくる。
『お父さんは大丈夫なの? 老々介護なんて、私心配で』
「大丈夫、俺はまだまだ元気だよ。それに毎日わくわくするんだ。今日はどのゲゲ郎なんだろうってな」
『もう、強がって』
「来週は鬼太郎が来てくれるから、しばらくのんびりできる。お前は自分の子どものことを考えなさい」
電話を切ると、ちょうどゲゲ郎が風呂から上がったところだった。
「電話は終わったか」
「ああ。娘からだ」
「お主には娘がおるのか」
「そうだ。孫も二人いる。どっちも女の子でな。上の子はおとなしいが優しくて、下の子は妖怪の好きな個性的な子だ」
ゲゲ郎は目を細め、優しい表情で水木の娘と孫の話を聞いている。
「お主に似て美人なのじゃろうな」
しみじみとそう言われ、水木はあきれてしまった。
……こんなよぼよぼのジジイに似てるわけないだろ」
確かに娘は水木に似ているが、それも若かった頃の話だ。ゲゲ郎は、水木の年老いた顔や皺だらけの手や曲がった腰をしげしげと見て、首をかしげた。
「そうかのう? 」
「そういうことは、若くて綺麗な女性に言うもんだ。ほら、布団敷くぞ」
水木はさっさと話を切り上げて、寝支度を始めた。ゲゲ郎も素直に寝室にやってくる。
布団を二組敷いて、さっさと自分の寝床に横になる。夜起きていてもすることがないから、寝てしまうに限る。
「電気を消すぞ」
「いや、少し待っておくれ」
ゲゲ郎は水木の布団の横に正座した。
「なんだよ」
水木が訝しげに見上げると、ゲゲ郎は穏やかな顔でじっとこちらを見ていた。
「これほど献身的にわしの世話をしてくれるなど、ありがたいことじゃ。わしは、すっかりお主に惚れてしもうた」
「あ?」
水木は思わず体を起こした。だが、ゲゲ郎は気にすることなく話を続けた。
「それで、お主さえよければ、わしの連れ合いになってくれんか?」
ゲゲ郎の手が伸びて、水木の手を取った。お互いに皺だらけの手だ。
水木はしばらく黙ってその手を見つめていたが、やがて困ったように眉を下げて笑った。
「今日会ったばかりじゃないか」
「だがわしはお主に惚れておるのじゃ」
……まったく、仕方がないなあ」
水木は空いている手で頭をかいた。そしてふうっと息をはきだし、真っ直ぐにゲゲ郎を見た。
「お前は忘れてるかもしれないが、俺たちは本当は結婚してるんだ」
「なんと……!」
ゲゲ郎は目を丸くした。
「本当か?」
「本当だとも」
大真面目に頷くと、ゲゲ郎は嬉しそうに笑った。
「そうか、それは良かった。わしは幸せ者じゃのう」
そう言ってゲゲ郎は水木を抱き締めた。水木も笑ってその背中を撫でる。
ーーーこのやりとりも、もう何度目になるだろう。
ゲゲ郎は水木のことを忘れてしまっても、一日の終わりにはこうして水木に結婚を申し込んでくれる。
だから水木はゲゲ郎に忘れられても少しも寂しくない。惚れた男にまた恋してもらえるなんて、これ以上に幸せなことなんてないだろう。



乙米が研究させていた老化の薬によって、ゲゲ郎は水木とともにゆっくりと年を取っていった。
その薬のせいか、あるいは他に原因があるのかはわからないが、ゲゲ郎は次第に認知症を患うようになった。
鬼太郎たちは水木を心配し、施設に入れることをすすめたが、水木は頑として自宅での介護にこだわった。
ゲゲ郎はずっとそばにいると約束してくれた。そしてその約束を守ってくれたのだ。今度は水木が約束を守る番だと思った。体が元気なうちは、水木自身ができることをしてやりたかったのだ。

ゲゲ郎は水木のことも、鬼太郎たちのことも忘れてしまっていることが多い。
妻と結婚した思い出も、水木と出会ったことも、子どもが生まれた日の喜びも。
それでも、すべてが失われたわけではない。大事な思い出が消えたわけではないし、ゲゲ郎が忘れてしまっても、水木が覚えていればいいのだ。




「おはよう、ゲゲ郎」
さて、今日のゲゲ郎はどんな様子だろうか。目を覚ましたゲゲ郎に声をかけると、彼は水木の顔をぼんやり眺めて、「おはよう」と返した。
「お主は今日も美しいのう、水木」
そう言って嬉しそうに笑う。水木も穏やかに微笑み返した。








水木の方が年を取ってゲゲ郎がお世話する話は読んだことあるけど、逆はなかったなと思って書きました。
ゲゲ郎は長いこと生きていて脳に負担がかかったり、老化の薬が効きすぎたりで、水木よりも先に認知症が始まりそうだなと。
でも水木は毎日父に恋してもらえるから、そんなに不幸じゃありません。

鬼太郎は都会で斑類専門の探偵みたいなことしてて、花ちゃんは東京で貧乏暮らしをしながら2人の子どもを育てつつ、小説家の夫(しげるさん)を支えています。

本当の本当に人生の最後は、父が水木に看取られるという妄想です。
「お主のおかげで幸せな人生だった。先に岩子のことろへ行っておるから、お主はゆっくり来るのじゃぞ」
「夫婦水入らずを邪魔しちゃ悪い。そうするよ」
「岩子を紹介するのが楽しみじゃ。……ああ、でももう約束を守ってやれんのが心残りじゃな」
水木首を横にふる。
「ゲゲ郎、ずっとそばにいてくれてありがとう。もう寂しくも悲しくもないよ。お前が家族になってくれたから」
水木の目から涙が流れる。ゲゲ郎は最期の力でそれをぬぐうのだった。