ななき
2024-11-17 00:39:52
2669文字
Public 吸死
 

雨音と手の中の温度の話

(嘘・ドラロナ) 
雨宿りする嘘ドラロナ。
お互い承知の両片思いだったがリブートでそれどころじゃなくなったふたり。

 ロンドンまでの道の途中。どこまでも続くかのような林を歩くこと数日。降り出しそうな雨雲の下で、久々に人の生活の跡を見つけた。

 ◇
  
「廃倉庫、だな」
「助かったな。今日はここで休んだらどうだ」
 
 俺のつぶやきに、落ち着いたテノールが答える。
 影は一つ、声は二つ。誰かが見ていたなら奇妙だと思っただろうが、俺しかいないので気にする必要もない。
 中の気配をじっと探っていると、左腕を引かれる感触がした。

「何もいない。吸血鬼の気配もないよ」
 
 声――ドラルクが焦れたように、安全だと主張する。その現在の身体である塵が、俺の腕に巻きつくように集まって中に入ろうと促していた。

「今のペースならジョン達との合流場所まで二日。予定より早い。いいから休息をとれ。キミのナイトにボロボロの顔色を晒して泣かれたくなければな」
「メビヤツもジョンも待たせるわけにいかねえだろ。それに、この先で小さい町が孤立してるって話もあったし。困ってることがあれば手伝わねえと」
「こんのワーカホリックド善人は……。そうだ、雨! 雨が降るぞ! 雨の中を歩いたらストライキしてやるからな」

 実際やる気もないくせにそんなことを言う。心臓おまえがストライキしたら俺死ぬじゃん。
 ここまで三日、わずかな休憩で歩き通している。だからか、相棒は俺を休ませたくてしかたないらしかった。
 雷が遠く響く。随分と恐ろしい脅しの言葉を後押ししているかのように。

「しょうがねえな。すこし休むか」
 
 くるくると小さい渦巻きを作る塵に苦笑しながら、薄く砂の積もったドアノブに手を掛ける。ゆっくり押せば、不満そうな音をたてたものの引っかかりもせず開いた。
 
 そっと窺った中は、埃っぽいが乾いていた。ガランとしていて、なにより血や肉の腐った臭いはしない。休息には上等すぎるくらい十分だった。
 念のため壁に沿って歩き、いざというときの逃走経路を確認する。そうしてからようやく、隅に積まれた古い土嚢に背を預けた。荷物は、身につけたまま。
 つい深くなった呼吸に答えて、ザザと塵が寄せ集まる。その中から現れた一対の血色の悪い手が、ひらひらと陽気に揺れた。
 手だけの実体化。普段は声と塵の存在として漂う相棒が、最近覚えた技術だ。

 骨の目立つ指の長い手は、いつもしていた赤いマニキュアが無いこと以外は身体を失う前と変わらない。
 血色の悪いその手が、俺の前髪を撫でつけ、細長い指で頬に飛んだ泥を拭い、肩についた葉っぱを払いはじめる。俺は黙ってそれを受け入れた。
 元々世話焼きな性質タチの吸血鬼ではあったが、心臓を俺によこしてからはそれがひどくなったように思う。むずがゆいような気持ちがわいてくるが、深呼吸と咳払いをひとつ。ここは仮にも敵地なのだ。気を緩めすぎてはならない。

「少し寝なさいよ。見張りならいつも通り任されてやるから」
……降ってきたな」
 
 答えず、事実を口にした。
 ざぁ、と雨粒がトタンの天井を叩く。倉庫の中は反響でいっぱいになった。湿った土の香りが、壁の破れ目から入り込んでつま先を流れてゆく。漂う埃を洗い流してくれるようで存外、悪くない。
 
……寝ないの?」

 ぼんやり雨の音に聞き入っていれば、不安げにされて噴き出した。ストライキなどと言っていたくせに、過保護な心臓だ。

「落ち着く時間くらいよこせ。暇なら少しおしゃべりにでも付き合えよ」
「それは構わんが」
「吸血鬼は雨が嫌いだろ、そのせいか? 天気悪いと動かなくても動悸がするんだけど」
「仕方ないだろうが! 雨粒に叩き落とされるんだぞ、嬉しくない新感覚フリーフォール体験だ! それに落ちて流されたらどうしてくれる」

 塵ならそうなるか。もしかして、先の『ストライキ』の脅しは結構切実なものだったりしたのだろうか。それにしても。
 
「雨粒に負けるって雑魚だよなぁ……
「しみじみいうな! 心臓様になんたる言い草だ、貴様」

 指先が頬を突いてくるが、今のこいつの手に手袋はないので爪が刺さる。いて、いてぇってば。指を捕まえて止めようとしたが、するりと逃げられる。煽るように指先が俺の鼻先をはじいた。 
 その痛みすらない小さい衝撃に、懐かしさを覚える。
 コイツが俺の心臓になる直前、同居人で相棒で、もしかしたら恋人、だったかもしれない曖昧にふわふわした僅かな期間には、こういうじゃれ合いがよくあった。俺の、秘密の、くすぐったくて嬉しくて幸福な記憶。
 ……好きだなんて、もう言えはしないが。
 それほど昔でもないのに、事務所で暮らしていた日常は遠くて、遠いのにいくらでも思い出せる。

「なに笑っとるんだマゾルド」
「マゾじゃねぇわ」
「マゾだろう、……こんな、しなくてもいい戦いを進んでしてるのは」
 
 ふ、と珍しくも沈んだ声に、息が詰まる。心臓に、平静を装う努力は通じるだろうか。
 
「俺に出来ることをしてるだけだ」

 それに付き合って心臓まで渡したお前の方が、とは口にしなかった。

 無言の空間を、雨音が埋めていく。しばらく、ただそれに浸っていた。ドラルクも黙ったまま、また俺の髪を梳きはじめる。
 ジョンは以前も今も、この手に撫でてもらうのが何より好きだと言っていた。それはそうだろうと思う。ジョンを撫でるとき、この吸血鬼は本当に優しい顔をしていたのだ。その十分の一でも俺に向けてくれやしないか、と身勝手な恋心が羨んだくらいに。
 手を形にできるようになってから、俺のこともこうして撫でるようになったが……今どんな顔をしているのか。見ることがかなわないのが惜しい。

 指が髪をはなれ、閉じた俺の目蓋をそっとなぞった。両の手のひらが俺の頬を包む。冷え始めた空気の中、その控えめな温度はひどく優しくて、胸の奥、借り物の心臓よりも深いところが締め付けられた。
 頬の手に右手を重ねて、指を絡めて引き下ろす。青白い手は抵抗もなく膝の上に納まった。
 
「眠れそうかね」
「ん……

 倉庫に響く雨音は、もう弱まっている。それほど長くは降り続かないだろう。

「雨が止んだら起こせ」
「ん」
……それまで、このまま」
「お望み通りにしてやらんこともないな」
 
 声は柔らかい。絡んだままの指も、俺を安心させるようにほんのりと温かかった。
 眠りの淵に落ちる間際。唇のすぐ横に塵が触れたけれど、気がつかないふりをした。

「おやすみ」