さもゆ
2024-11-16 21:30:17
12720文字
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【A英】To アッシュ 件名「粘土みたいなピザ」 本文【添付画像】

口が悪いピザ配達員のA(17歳)と、ずぼらな大人の英(27歳)が、お友だちになる話。グリフィン兄さんと、名前のあるモブが一瞬出てくる。

2020.1.29 たまごのお粥pixiv投稿作品 

「あんた、職場で噂になってるよ。確認もせずに外出てくるって」
 少し嘘をついた。正しくは、“確認もせずに外に出てくるそのうち襲われそうなボケ日本人”だ。
 アッシュが初めて定型句以外の(いつも社名と値段と商品名しか言わない。愛想のない配達員がいる、とクレームが来たことがあるがそれでピザの味が変わるわけではないだろう。当然無視をした)言葉を発し、それが忠告にもとれるものだったせいか、ボケ日本人はピザを受け取ったままボケッとアッシュを見てきた。それにより、この家に何度か配達をしに来たことがあるが、初めて彼と視線がかち合う。何せ彼も「ありがとう」は口に出すが決して愛想のいいタイプじゃないらしく、こちらは帽子を目深に被っているというのに、いつも目線を足元に向けているのだ。
 かち合った黒目が案外大きく、そして、ひとつに束ねられた黒髪が割かし無造作だということも初めて知った。
 掛けられた眼鏡は、その下の若い顔に馴染もうとただ乗っけられているイメージを受ける。レンズを掃除するみたいに黒いまつ毛が瞬いている。
「え、と」
 発音しそこなった単語と、咳払いを二度。それから、誤魔化すように彼が言った。
「それって、まずいかな。やっぱり。確認はした方が」
「ああ」
 アッシュは自分から話しかけたくせに返されたのが意外で、適当に相槌を打ったものの往来の不躾さがあとに続いた。「警戒心なさすぎ。ピザ屋だってピザばっかり食うわけじゃない」彼にしてはまだお上品な下品さだった。
 日本人の彼が、今まで儀礼的無関心を貫いてきた相手との会話に、戸惑って頷いている。
「そうだね。日本人て、たぶん、健康な食生活送ってるイメージ持たれてるから」
 眉をひそめて曖昧に同意する。「確かに」これは、どっちの意味で取られた? アッシュが少し帽子のつばを上げている寸の間に、恥じ入るようにぼやいた。「うちは、全然、そんなことないんだけど。じゃなきゃ頻繁にピザ頼まないから……」そっちか。
 自分より年上(五つは上、だと思う)の男がそこまで純粋で無警戒でいられることがアッシュはなんだか気の毒になり、数日後にたとえば彼がバッドニュースの被害者にならないよう、そしてアッシュ自身はそろそろこのバイトを辞めるかクビになってもいい願望を持っていたので、愛想がない以外のクレームが入れば上々だと口を開いた。
……誰が、あんたの家の冷蔵庫盗みになんて入るかよ。あんた自身が食われちまうぞって話してるんだよ」
…………えっ」
「インターカム使って出て来いよ。ピザ店員でなくっても、レイプ魔に襲われるぜ、そんなだと」
「レイプ魔」
「そ。ケツを掘られるか、女の玩具にされるかさ」
 言われたことをよく理解していないのかポカンとしている。その様はピザを両手で抱える置き物のようだった。
 反応の遅さに苛立ちそうになっていると、やがて彼がゆるりと首を振った。
「肝に銘じとく。けど、さすがに、僕なんかが……
 職場でこの日本人に対する噂というか印象がもうひとつあるのを思い出した。
“頼めばヤレそう”
「なあ」
 アッシュは、彼がストッパーになっている半開きの扉の奥を、不意に覗き込んだ。
「あんた、猫飼ってる? なんか見えたけど」
「えっ、猫? そんなの飼ってな──」家の中を振り返った彼の肩を押し、扉の閉じる力を利用して中に滑り込んだ。簡単すぎる侵入だった。背後で扉が閉まる。アッシュは軽く衝撃を受け、よくそれで今まで無事だったなといっそ感心した。
 彼も驚いている。この期に及んで驚き以外の感情はないのかと顔をしかめた。
「え……、なに、なんで?」
 しかし多少の警戒は持ったのか固くなった声音に、満足して掌を差し出した。
「お金。早く払ってよ」
「あ、う、うん」
 ピザを脇の棚に置き、あわててポケットを探る様に、満足していた心が再び呆れ返る。なぜもっと疑問を持たない?
 仕方がないことかもしれない。疑心に鈍い人間は疑い方を覚えられないのだ。そして、よほど都合の良い解釈の仕方だけを覚えていく。男だからまだいいのかもしれない、と思ったけれど、犯罪に巻き込まれるのに男も女もないだろう。アッシュはため息を吐いた。アメリカではあまりないインターカムを設置している高級アパートに住みながら、どうしてこの人間はここまで無警戒でいられるのだろう。
「俺がたとえば気狂いピザバイトで、欲求不満で、その長いぼさぼさの黒髪が好みだったら、あんた三回はヤられてたよ。あと金銭強奪されてた」
 気持ちの悪いことを言っているし、気持ち悪がられるために言っている。お節介ではなく、それくらい、他人同士なので。
 彼がちらりとアッシュを窺う。ポケットから出した手を、こちらの掌に掲げた。コインを落とす。釣りはない。いつもぴったりの支払いをする。いつもなら、ここで、またのご利用を、と告げて終わる。
 しかしもう既にいつもから逸脱してしまっているため、そこで終わりは用意されておらず、日本人の彼が太めの黒眉を下げて言った。
「でもきみ、そんなこと、しないだろ」
…………
「すごい顔だな。顔自体、初めて、見たけど」へらり、と笑う。「まるで分からず屋でも見てるみたいな顔してる」
「まるで、じゃない」帽子のつばを上げて見せつけてやる。「この顔よく覚えとけよ。完全にあんたを馬鹿にしてる顔だから」
「分かった」
「分かってない。大人だよな? 分かってる?」
「分かってるよ」
 彼はアッシュ越しに扉を開け、外へと促した。
「つまり、次からは、ちゃんと相手が誰か確認してからドア開けろって話だろ。直すべき癖だった。ごめんね」
 その言い方はまさしく、心に思っていないことを相手に言い聞かせるための大人のやり口だった。そしててらいもなく訊いてくる。「クレーム、入れた方がいい?」見抜かれている。アッシュは驚き、ぶっきらぼうに言った。
「これで入れなかったら、おかしいよ。オクムラサン」
「そうだね。名前も住所も割れてるもんね。配達、ご苦労さま。ありがとう」
 またね、とこれまた関心のない挨拶を最後に、ドアが閉じられた。そこを睨みつける。
 アッシュはピザ屋のバイトをクビになってもいいと思っている。
 物事に対して無頓着そうな配達先の男が、何かしらの事件の方から頓着されても関係ないと思っている。
 ピザを届けて、届けられるだけの、赤の他人同士だ。
 けれどそれすらなくなってしまったら、一体何があるというのだろう? 答えは、何もない、だ。
 もとから何もないなずなのだが、アッシュはなんだかまずいような気がして、だからといって何をするでもなく、ただ、そう。
 ピザ配達員以外の人間にもインターカムを使って出てくるようにと、言っといた方が良かったのかもしれない。アッシュは自分のクビになりたい自棄が実は優しさのように思えてきて、もしかしたらあの日本人にもそう映ったのかもしれないと気がつくと、盛大に舌打ちを漏らした。







「警戒心を持っていないやつに警戒心を持たせるにはどうしたらいいのかな」
 ダンッ、思い切りにんじんのヘタを切り落としながら苛立たしげに言われた言葉に、隣でたまねぎの皮を剥いていた兄は、脈絡がなかったにも関わらず「ああ」どこか楽しそうに得心した。「配達先の、日本人の彼?」
 兄の口から自然とその名称が出てくるくらいには、自分は奴について何度か話をしている。ということに気づいて更に苛々したのがちょうど一週間前だったはずだ。ではこの一週間、ずっとあいつのことを考えていたのか? アッシュはにんじんに包丁を突き入れた。
「大体、おかしいんだよ、あいつ。俺のことクビにしてくれるんじゃなかったのかよ」
「それは彼がおかしいんじゃなくて、お前のバイト先がおかしいんだろ」
「正論やめて」
「彼がおかしい」
「そうなんだよ」
「ひどいなあ」
 ひどいのはあいつだ、ダンッ──「アスラン、もうちょっとひとくちサイズに」──転げ落ちていきそうだったにんじんを捕まえ、切り直す。生意気盛りのティーンエイジャーだってこうして料理をするのだ、あいつはピザ以外に何を食っているのだろう。考えに、アッシュはチッと舌打ちする。「アスラン」「ごめんよ兄さん、あんたに反抗してるわけじゃないんだ」「脳内の日本人に?」「脳内に日本人なんていないよ」「難儀な子だな」呆れた言い方に、別に自分が難儀なわけではなくて相手が難儀にさせてるんだと言い訳する。ああ、くそ。難儀だ。



 アッシュがピザ配達員のバイトをして、ある配達先のひとりに無礼を働いたのは、まだ記憶に新しい。インターカムがつけられた高級アパートの一室に暮らしているくせに、どの配達員に対してもインターカムを使って出てこない。ぼさついた長い黒髪は無頓着そうで、男にしては大きな黒目が幼い印象を持たせる、生活が破綻していそうなボケた日本人。彼はアッシュのバイト先にクレームを入れると言っていた。
 実際、クレームは入った。れっきとした、性格が伺える、真面目な、クレームだ。
 けれど人員が足りておらずその上アッシュの好評(主にマダムや若い女たちの)の方が多かったため、厳重注意だけされてクビにはならなかった。その三日後、アッシュは例の日本人の家に再び配達に行った。謝罪をするようにと上から言われたが、そんなもん知ったこっちゃなかった。
 かくして彼はいつも通り部屋のドアを開けて出てきた。確認もせず、足元を見ながら、前にも来た配達員とは微塵も考えていない仕草で、ピザを受け取った。
「やっぱあんた何も分かってねえじゃねーか」
 社名と商品名と値段、定型句を言った直後の不躾すぎる発言に、そこでようやく彼は顔を上げた。「は……」呆気にとられている。「え……な、なんで?」目が合った瞬間の、その驚き具合は、ちょっと面白かった。
「きみ、クビになったんじゃないの? 結構真面目にクレーム入れたはず、なんだけど」
「俺だってクビになると思ったよ。でも駄目だったんだ、引き止められた」
「こんな不良な配達員を?」
「ここらのピザ業界は狂ってるんだ」
「そ、そう」
で? アッシュは開いた扉を行儀悪く顎でしゃくる。
「あんたン家のインターカムってひょっとして壊れてる?」
「あー、」ぎこちなく首を縦にする。「そう。そうなんだよね」嘘くさすぎる嘘だった。
 アッシュは隙間に足を捩じ込み、彼を押しのける素振りをする。「直してやろうか? そういうの得意なんだ」「いやいやいや、いいよ、いらない。きみが来るって分かってたら絶対確認してた」「俺以外でも確認しやがれよアホなのか? 脳みそ溶けたチーズでできてる?」「と、とけた……、口悪いなきみ」「全然」こんなのは、悪いのうちに入らない。
 彼は苦笑しながら、足癖の悪いアッシュを制し、片手をポケットに突っ込んで、素早くコインを渡してきた。前回からこちらが相当自分にとって面倒なタイプな配達員だと学んでいる様子に、その学習面をもっと防衛に活かせと罵りたくなる。けれど、もういい。バイトを辞めさせて貰えないのなら、配達区域を変えて貰えばいいのだ。そしたら、こんなボケ日本人がどうなろうが気にしなくて済むだろう。
 掌に落とされたコインを見る。
……足りないんだけど」
 珍しい。
「えっ、うそ、ちょっと待って……」ごそごそポケットを探っている。眉を下げた。「あー、ちょっと、こっち」そしてアッシュの腕を掴みドアの内側に立たせた。
「待ってて。取ってくる」
「は?」
 部屋の廊下に消えていく彼に、唖然として立ち竦む。自分は部屋の内側にいる。ドアは開いたままだ。──もしかしなくともストッパーにされた──アッシュは絶句した。ストッパーにされた? さっき部屋に入れたがらなかったくせに、ストッパーはいいのか? 俺が一歩足を中に踏み入れたら完全にドアが閉まる。鍵だって閉めれる。アッシュはいっそ恐ろしくなった。とんでもない馬鹿か、それとも、そうか、これって罠か?
「ごめんごめん、あったよ──」
「あんたもしかして俺とお近づきになりたくてこんな七面倒なことしてんの?」
「えっ何? 早口だな。待って、えーっと、理解した。……お近づき?」
「もしそうならクラスで人気のマドンナだって舌を巻く手際だ。人畜無害そうでずぼらなのは演技なわけ?」
「人畜無害かは知らないけど、ずぼらなのは、まあ性格……どういう話?」
「俺の顔見てるだろ」
 明かない埒にアッシュは帽子を脱いだ。戻ってきた彼は少し距離を置いて立ち止まったまま、眼鏡の下で睫毛を瞬かせる。
「その顔、見てるよ。僕を馬鹿にしてる時の顔だろ。覚えてる」
「残念、今は分からず屋を前にした時の顔だ」
「その顔が」
「そうじゃない」
「違うのか」
「そうじゃなくてっ、だから、この顔目当てでわざわざ俺の気を引こうとしてるんじゃないかと、思って……」言っていて段々自分に虫唾が走ってきて唇を曲げた。「ないな。気持ち悪いこと言った。ごめん」珍しい謝罪だった。
 理解が遅れてついてきたらしい彼が、ああ、間抜けに一音漏らす。
「なるほど、分かった。きみも苦労してるんだね」
「分かったの?」
「うん。でも生憎、僕はきみのクラスにいる、きみを口説きたくてわざとドジをやらかすような女の子じゃないよ」「男だっている」「クラスの男の子でもない」
「じゃあ、何、無警戒なのはほんとの性格?」
 戻ってきた話題に、彼は隠しもせず顔をしかめた。
「きみが警戒心重視なのはそういう……、あー、うん、性格っていうか、癖というか、関心があまり……なくて。この顔だし。平気かと」
「馬鹿だ」アッシュは噎せるように言った。「ば……馬鹿だ」クラスどころか学校一秀才のくせして、ほかに言葉が出てこなかった。
 シンプルに馬鹿にされた彼はいなすように肩を竦めると、距離を簡単に詰め、足りなかった分の代金を握らせてくる。それから扉を開け、アッシュを外に促した。完全にデジャヴだった。
「次からは、気をつけるよ。配達ご苦労さま、ありがとう」
 またね、とは言われなかった。きっと彼は予想したのだ。
 担当区域を変えて貰う。アッシュが強く考えていたことを。



 その考えが一週間経っても実行されていないことが全くもって意味不明だった。
「結局はさ、アッシュ。お前は彼が心配なんだろ」
「頼むからグリフ、もっと思春期の弟に接するみたいに言って」
「お前は彼のこと別に心配してないけど、職場から常連客を襲う奴が出てこないかを案じてるんだよな」
「そうなんだよ」
「な、難儀なやつだなあ」
 俺もそう思う。
 話しながら切っていたにんじんは最早みじん切りの域に達していた。とっくに皮を剥き終わった玉ねぎを切っていた兄が、滲み出る涙に瞼をしぱしぱさせながら付け加える。「でも、いい友人になれるかもね。お前と、そのオクムラくん」
…………
「はははっ、アスラン、その顔! 面白いな」
……認めたくないけど兄さんと似てるのかも」
「彼が? まさか。俺はお客はちゃんと確認してから出るし、ピザばっかり頼まないよ」
「なんか、なんだろう、俺の扱い方というか、なんか、そういうとこ」
「へえ。お兄ちゃん気質なのかな」
「いや……どうだろう。あんな無頓着が。それに俺とそこまで歳離れてないとは思う」
「十代?」
「二十前半かな。大学生……にも見える」
「なら益々、友だちになれるよ」
 上機嫌な言葉に、アッシュはうへえと舌を出す。たとえ親愛なる兄の言葉でも、それだけは無理なように感じた。そもそも、ピザ配達員と配達先の男が友人になるって、それどんな地獄だ。
 けれども、まあ、次は、次が最後にするとして、次こそあの日本人がインターカムを使って出てくるとして、その時は。
 年齢くらい訊いてみてもいいかもしれない、アッシュは思い切り眉根を寄せて考えてしまっていた。







「腕がさ、案外、細かったんだよ」
「勘弁しろよジョニー、お前もそっち側の人間か」
「言いがかりはよしてくれ、ぼかあ一生女の子が好きだよ」
「そう言ってられんのも今のうちさ、どうせそのうち先輩らみたいに『あの長い黒髪を乱してみたい』とか言い出すんだ」
「言ってろアッシュ。賭けるか?」
「よし来た」



 無警戒で無頓着、おまけに他人に対してわりかし粗雑な長髪眼鏡の日本人。ミスタ・オクムラはピザ屋の配達員に賭けの対象にされるほど“男受け”が良かった。
 どの配達員が行っても足元に向いている視線。アメリカの男よりはうんと低い身長のせいで、大概のやつは眼鏡の奥の伏せられた瞳の睫毛が見える。ところどころ跳ねたりほつれたりしている束ねられた黒髪。丁寧で、しっかりした受け答え。必ず丁度の料金を渡してくる骨張った長い指。まあなんというか、儚い印象を受けるわけだ。儚く、弱そうで、よれたシャツの襟元から覗く首筋に、黒い髪が一筋かかっているのがどことなくセクシー。
 職場仲間内で評されるそれらに、ハッとアッシュは反吐を出しそうになる。どこがだ、と思う。好みの問題だろうか。いや、自分の好みは大体世間一般と一緒だったはずだけれど、この場合の世間はピザ配達員たちという狭い範囲のことを指すので、やはり世間側の好みがおかしいのかもしれない。たとえゲイじゃなくとも、いいな、と思えるらしかった。あの日本人に対して。
 どこがだよ。アッシュはうへえと舌を出す。意味が分からない。
 幼い顔立ちに乗っている眼鏡はなんだか似合わないし、レンズを拭き取るように瞬く睫毛はばしばし、髪もぼさぼさ、服なんてこの間は裏表逆に着ていたという(誰かにとってはそれは「お茶目」な範囲に分けられるらしい。そんな馬鹿な。ただの間抜けだ)。儚さなんて、彼のずぼらさを考えればいい迷惑だ。セクシー? 日本人のくせにピザばかり頼んでヘルシーさの欠片もないのに、何がセクシーだ。想像上でもネス湖のネッシーの方がまだ可愛げがあるわ。
……きみ、何か失礼なこと考えてるだろ」
「別に。ネッシーの可愛さについて考えてた」  
 ……ネッシー? 全く予想していなかっただろう返しに、例の如くいきなりドアを開けた日本人の彼はきょとんとしている。ドアを開けた格好のまま呆けている彼にアッシュはピザ箱を押しつけた。「毎度どうも」ぶすっと言ってやる。
 会う度にこちらの表情筋が固く深くなっている気がする。もちろん悪い意味で。現に眉根を寄せ過ぎて視野が狭まっている。眉間の皺はさぞ深かろう。
 足元を見ずにこちらの顔を見上げていた彼は、気まずそうに視線を逸らすと箱を受け取る。「ありがとう。いつも、悪いね」いささか本当に反省していそうな素振りに、しかし皮肉に聞こえて、出かかった溜め息と舌打ちとスラングをなんとか嚥下した。けれど飲み込んだものが不味すぎて胸を悪くしそうだったので、少しばかり零してしまう。「ネッシーって」「うん?」
「ネッシーって、あんな巨大でもまだ捕まってないんだよ」
「え、うん」急に始まったオカルトな話に気味悪がっているふうだった。
「なんでだろうな」
「な、なんでだろう」
「自分が捕獲対象であることをよく知っているがために、ひどく警戒してるからだと思うんだよな、俺は」
「あ、あー……」遠回りな正解に辿り着き、口の端をひくりと引くつかせる。「あの、……僕は、捕獲対象じゃないぜ」
 アッシュは今度こそ長い長い溜め息を吐いてチッと舌打ちしスラングを胸のうちから口に戻した。耳にした日本人が「不良配達員」とぼそりと呟くも、事実なので構わず捲し立てる。
「あのなあ、この間の会話はなんだったんだ? 気をつけるって言ってなかったか? それとも応答してないだけでちゃんとインカム確かめてんの?」
「いや、ううん」
「その素直さまるで可愛くないな! 意味が分かんねえ。ああ確かにドアスコープがある、ピザ頼んでんだ家に来る相手も予想できるだろうさ、けどなあ、あんた……捕獲対象どころか…………仲間内での会話聞かせてやりてえ……今度録ってこようか?」言っているうちに抱えていた頭を上げ、真顔で提案する。
……なんかよく分かんないけど、ピザ以外のものはいらないかなあ」困惑しているものの、のんびり言った。
 それで満足できるわけがない。アッシュはそろそろ自分の気持ちを認めてきていた。別に、この世で一番親愛している実の兄に言われたからではない。それは自覚を持たせる促進剤にはなったが、遅かれ早かれ、同じ結論に達していただろう。
 ただのピザ配達員で、ただの配達先のお客だ。
 けれども、しかし、だって、この男。
 放っておけない。
 つまりはそういうことだった。アッシュは自分の口の悪さもそれを隠す顔の良さも人当たりの好いふうに振る舞う社交性も己の知恵も、全部取っ払って心落ち着ける相手が兄でありそのため天邪鬼を発揮してしまうガキ臭さも、何もかも自覚のうちだった。自分のことは自分がよく分かっている。こういう自分は、こういう相手を気にかけてしまう、というテンプレートだって、よく。
 ……髪はぼさぼさ、警戒の窺えない存外大きな瞳に、ピザばかり頼んでいる破綻していそうな生活、白人とは違った生白い骨張った指、頓着しない物言いのくせしてよく閊えるテンポの遅い会話、何度警告しても直さない融通の利かなさ、何もかもが。放っておけないし、放っておけないということは心配しているということで、心配しているということは気にかけているということで、だから、つまり。
 アッシュはこの男と赤の他人同士のままでは困るのだろう、ということを自覚し、客観的に結論づけてきていた。主観的に考えるとふざけんな誰がこんなでくのぼうをと胸を掻きむしりたくなるので、あくまで冷静に一人称寄りの三人称視点を抱え込んでいる。自分のことは自分が一番よく分かっている。かなり苛立っている、と感じた。
 チッと再度舌を打つ。
「あんたな、マジで気をつけてくれ。俺だって仲のいい同僚がいるんだよ。あいつのノーマルな性癖を歪められちゃ堪ったもんじゃない」
「相変わらず話が全然…………てっきり、きみ、配達ルート変えるんじゃないかって思ってたんだけどな」 
「俺が来なくなったらインカム使って出てくんの?」
「いやあ。意気揚々とドア開けるね」
「くそったれ」
 困ったふうに眉を下げる様に、兄の柔らかく窘めてくる幻聴が合わさり、歪めた片頬が痙攣する。認めよう、認めよう。ちっとも似てやしないが、どこか重ねてしまう部分があるのは確かだ。分かっている。続けて、唸るように確認する。「……もしかして、そういう拘りなの。確かめずにドア開けることが」アッシュには到底理解できない、恐るべき拘りだったが、しかし理由があるならそれでもいいと思った。理由があるなら、やむを得ないと引くことができる。
 日本人はあっけらかんと言い放った。
「ううん、面倒なだけ。あと習慣にない」
 くそだ! アッシュは叫んだ。さすがにぎょっとしたのか慌てて口元に人差し指を立てている。シーと宥められる前に早口にならないよう配慮して低く言った。
「親切を押し売りするわけじゃないけど、オクムラさん、あんたね、年下の言うことは受け流さずに聞いとくもんだぜ。ものぐさで開けた先が犯罪者だったらどうするんだ? そういうことが自分の身に降りかからないと思ったら大間違いだ。あんた職場で賭けの対象になってるんだぜ。しかもこの間、毛躓いたところをジョニーに助けられただろう! 腕が細かったってあいつ──」ピザを持っている腕を引っ張るように掴み寄せ、手首に回した指が余ったことにぎゃあっと手を放す。ほんとに細かった! 「正真正銘の非力野郎じゃねえか! あんたそのピザほんとに食ってんのかッ」小柄なのは見ての通り分かっていたが、思ったより骨が細いと驚愕したのは、おそらく着ている服がオーバーサイズだからだ。お洒落でサイズの合っていない服を着るような性格ではないだろう、一体どこまで無頓着なんだ!? アッシュは苛立ち露わに地団駄を踏んだ。「あんた大人だろっ? まだ大学生か? 親に教えられなかった? 『ちゃんと確認してからドア開けましょう』って」アッシュにそれを教え込んだのは兄であったが。それともこの日本人は今までそんなことも話題に挙がらない、平和過ぎて危ない人生でも送ってきたのだというのだろうか。睨みを利かせると、それまで棒立ちになって抗議を聞いていた男が、ぱちぱちと瞬きをした。「きみ……、あの、僕……」言われたことを理解するまでに、いくつかの考えを言い淀むのは癖らしい。それから、ぱちっとまた瞬きひとつ。打って変わり憮然な表情を浮かべた。
「僕、これでも二十七だよ」
「ハッ、……は、何、…………、」勢いが削がれる。「……なんの詐欺だ?」
「何も詐欺ってない。なんだよ、そんな顔しなくたっていいだろ」
「どんな顔してる?」
……『とてもじゃないが信じられない、ピザを年輪って偽った方がマシ』」
「概ね正解」
 アッシュはまじまじ眼鏡の乗る顔を凝視した。
 太めの黒眉に、長くて取っ散らかった睫毛が縁取る大きな黒目、つんとついた高くはない鼻、端が切れた痕のある乾いた唇に、産毛が目立たなければ髭もないまろい頬と輪郭。首筋にかかる束ね損ねた数本の長い髪。細い首の隠れるシャツの襟元まで視線を辿りそうになり、いやいやと黒目に合わせる。「冗談だろ?」「確かに、これを冗談として十八番にしようとした時もあった」彼は心底辟易している様子で肩を竦めた。
 ……にじゅう、なな歳。
……俺より、俺の兄貴からの方が歳が近いってことかよ」
 計算の仕方を忘れたように呆然と呟くアッシュは、彼の気遣わし気な視線を受けて驚愕から立ち直った。二十二、三歳かと思っていたのだ。つい数年前までハイスクールかカレッジに通っていた青年なら、まだその危機管理のなさも無理やりに頷けた。が、二十七! れっきとした大人だ。少なくとも十七のアッシュより子どもであってはならない。苛立ちがぶり返してくる。「だったら、尚更だろ。ちゃんと防犯しろよ」吐き捨てると、大人は子どもを見るような顔つきをした。
「きみって、世話焼きだなあ」
「っ、誰がそうさせてると思ってるんだ!」
「僕だろ? でも、僕ときみはピザの繋がりはあっても、ただの他人同士だぜ。まさか配達先全員に防犯講義してるわけじゃ……してるの?」
「するわけあるか。しねえよ。あんただけだよ」なんとなく語弊があるので言い直す。「ここまでの無警戒バカはあんただけ」
「そうは言ってもなあ。……ところで、」彼は目線を手元に落とした。「まだお喋りしてく?」
「あ?」
「ピザの温もりがどんどん死にかけてきてる。ここのピザ、冷めると粘土みたいな食感になるんだもん」
……大体のピザがそうだろ」しゅるしゅると苛立ちが治まっていくのを感じ、ピザ配達員らしく、大人しく、掌を差し出す。
 そこにぴったりの支払いを渡され、握り込む。「またのご利用を」「うん」彼は跳ねた髪を掻いたのち、柔い表情を浮かべた。
……あんまり、他人に世話焼かない方がいいよ。僕が思ったよりおっさんだって分かっただろ? きみまだ若いし、そっちの方が心配──」
「ちょっと待て」
 ただのピザ配達員に戻ろうとしていた頭が、以前兄とした会話を思い起こさせた。何せ赤の他人同士は困るのだ。
「他人じゃなきゃ好き勝手言っていいんだな?」
「え、何?」
 一瞬で困惑した隙に付け込むよう笑みを形作る。女子には人気だが男子には腹黒、兄には胡散臭いと評された作った笑みは、目の前の日本人にも適用されたのか半歩後退させた。それを一歩詰める。近くで見下ろすと、アホ毛が目立った。やっぱり、と思う。職場連中の言うことがちっとも理解できない。この長い黒髪を乱してみたい? 直してやりたいの間違いだろ。
「ミスター・オクムラ。初めまして。俺はアスラン・ジェイド・カーレンリース。アッシュって呼んでくれ」
「は、はあ」
「あなたは?」
 彼は更に後退った。体で止めていたドアが閉じかけるのを、アッシュが腕で停止させる。彼は閉じられないドアと、アッシュの顔と、手元のピザに何往復か視線をやり、観念したように唇をもぞつかせる。
「エイジ・オクムラ…………はじめまして……
 幼児だってもっとマシな自己紹介をするだろう。しかし、教科書に載るような挨拶の仕方は、紛れもなく人間関係を始める上での定型句だった。アッシュはにんまり笑う。「よろしく、ミスタ・エイジ。俺と友人になってくれる?」ピザ配達員と配達先の男が友人になる、そんな地獄を作り出そうとしている。ぐうう、彼は喉の奥で唸った。ピザを守るように抱え込み、睨むように見上げてくる。
「要するに、友人になったら、世話焼きの大義名分を得られるから、ってこと?」
「その言い方だと、俺が世話焼きたいがために友人になるやばい奴みたいだ」
「じ、実際その通りじゃ……
「俺だって他人にあれこれ世話焼くタイプじゃない。逆を言えば、親しい奴にしか焼かないさ」
「じゃ、じゃあ、きみの中では僕ときみはもう友人ってことじゃ」
「よろしく、エイジ」
「な……っ、なん………………よ、…………よろしく……」多大なる葛藤のあとの、絞り出すような言い方だった。
 アッシュはとうとうこののらくらした無精な大人を明確に打ち負かした手ごたえを得、にやっと片側の口角を上げた。その変化を目の当たりにした彼が悔しそうに眉根を寄せる。アッシュは一歩退き、ポケットからペンを取り出すと彼の抱えるピザ箱の模様のない箇所に、でかでかと数字を書いた。「俺のメアド。悪用しないでね、幼気な未成年の番号だから」「言い方がさあ……大人は子どもに逆らえないんだぞ……っていうかきみいくつ、」「十七」「十も違うのか!」彼の反応から、もう少し上に見られていたことが窺えた。よくあることだ。アッシュは実年齢より上に見られやすい。
 ペンを仕舞い満足していると、彼が書かれたアドレスを見下ろして呆然と漏らした。「十七の少年と友だちってやばくないか……?」「アメリカで年齢差を気にするなんてナンセンスだよ」「日本じゃ犯罪的だよ……」「そうなの? やばいね、日本」まあ、アメリカでも何かしらの疑いをかけられる場合もあるが。アッシュは愛想よくにこりと笑った。「じゃ、そういうことで」
「ああ、うん、もう……ご苦労さま」
 脱力して丸まった肩を叩き、「連絡してね、エイジ」念を押すと諦めたようにこっくり頷いた。「分かったよ、友だちだからね。ああもう、またね」やけくそな言にけらりと笑い、アッシュは初めて苛立ちを持ち帰らずに配達を終えた。



「おうジョニー、あの賭けは無しだ」
「えっどうした?」
「お前配達ルート変えろ。俺は友人が大事だからな。お前がアブノーマルになんのが我慢ならねえ」
「えっおっおう、そりゃどうも……?」
「よし」