零ミリ
2024-11-16 20:44:30
3864文字
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二枚だけの栞

モブ男子高校生→高校生実

「先週出した課題、次の授業までだからな。忘れずに持ってくるんだぞ」
 数学の教師が授業の最後にそう言って俺たちの教室を出ていった。教師が出ていって放課後になってゆるんだ教室の空気の中、後ろの席の友人が俺の背中をつついてきた。
「なあ、お前あの課題やった? むずくね?」
「まだだよ。あれ難しいよなー」
「だよな。今日部活ないからさ、一緒にやらね?」
「おっ、いいな」
「なになに、勉強会? 俺も混ぜてくれよー」
 俺たちの会話を聞きつけ、隣の席のクラスメイトも混ざってくる。そうすると、他の友人やクラスメイトも男子限定だが俺も俺も、と集まってくる。クラスメイトの半数くらいが集まったところで、まだ輪に加わってないクラスメイトにも声をかけ始める調子の良いやつが出てきた。
「原田、お前もどう?」
 教室から出ようとしていた原田にも声がかかる。原田は勉強も運動も目立たない成績で部活にも入っていないが、高めの身長と人目を引く整った顔と分け隔てなく接する性格で男女問わずに好かれている人気者だ。
「ごめん、今日バイトあるから」
「えっ、原田バイト始めたの?」
「そう、古本屋のバイト。勉強会はまた別の時に誘ってくれな」
 原田はにっ、と笑って手を振って教室を出ていく。
 そうか、原田って古本屋でバイトしているんだ、何故かその事実が頭から離れず、勉強会から帰宅すると電話帳を開いていた。バイトをするならおそらく、市内だろう。電話帳では書店とだけ書かれておりどれが古本屋なのか分からない。家族の不審な目を背中に受けつつ、電話帳の市内の本屋に電話をかけていく。五店目で、知ったよく通る少し低めの声が聞こえた。
「はい、◯◯書店です」
「あのっ! まだやってますか?」
「はい、まだ開いていますが」
「今日これから行くので住所を教えてもらえますか?」
 原田の声で告げられる住所を復唱しながらメモを取っていく。そしてもう一度「これから行きます」と告げた後、受話器を置く。今度は地図帳を開き先ほどメモした住所を探す。市内ではあるが、学校を挟んで反対側だ。原田の家もこの辺りなのだろうか?
 地図帳と懐中電灯を鞄にしまうと「ちょっと出かけてくる」と母親に告げて、家を出る。自転車に乗ると大通りに出て市内を横切っていく。後から思うと、何が俺を突き動かしていたのか分からない。人気者の割には特定の誰かと深く仲良くなることのない原田に近付きたいと考えていたのだろうか。それは好意なのか優越感なのか、後になっても判断がつかない。ただ、何かの情熱がペダルを踏み込ませていた。
 古本屋があるはずの付近まで来ると、自転車を閉店したタバコ屋の前に止め、地図帳を取り出し懐中電灯で照らす。大通りを背中にすると、見ている方角が一致するように、地図帳を回し歩き出す。十分ほど歩き商店よりも住宅が多くなってきて道を間違えたか、と思うと街頭に照らされる本屋の看板が見えてきた。地図帳と懐中電灯を鞄にしまうと、早足で古本屋の入り口に向かう。
 高い棚に上から下まで本が収められている威圧感のある店内の様子に気圧されながら店内に踏み入れる。店内の奥に進むと、原田がカウンターの向こうに座ったいた。カウンターで何かノートに書いていた(傍には数学の教科書があったように見えたので、例の課題だろうか?)原田が顔を上げた。
「あっ、やっぱさっき電話したのお前だよな! いきなりどうしたんだ?」
「あっ、えっと、その、なんか本でも読もうかなっていきなり思って……
「ふーん?」
 原田がカウンターから出てきて隣に立つ。シャツの上に分厚い生地のエプロンをつけている。エプロンは母親が料理する時につけているが、原田のそれは作業着という感じがして少し大人びて見える。
「どういうの探しているんだ? 折角なら一緒に探すよ」
「いいのか?」
「いいよいいよ。もうすぐ閉店でお客さんもう来ないだろうしさ」
「えっ、じゃあ本あんま読まないやつでも読めるやつ……
「ならあの辺かなー」
 原田はそう言うと、文庫本が並べられている棚へ移動する。俺はその後ろに着いていき原田が何冊か取り出すのを見る。
「読みやすいやつなら、この辺がおすすめ。俺的にはこれが一番好き。短編集で数もあんま入ってないけど、一本一本が優しい話」
 原田が差し出したのは薄い柔らかいタッチのイラストが書かれた文庫本だ。本のことについては全然分からないが、難しそうな雰囲気はしない。
「じゃあこれで」
「OK。これ一冊でいい?」
「ああ、一冊で」
「じゃあお買い上げで」
 原田は取り出した本を持ってカウンターに戻る。俺は鞄から財布を取り出し原田の言う値段きっちりの小銭を払う。商品を渡す前に原田は隅にある箱から栞を取り出し文庫本に挟み込んだ。
「これ、千円以上買ってる人にあげてるんだけど、サービス」
 柔らかく笑う原田の表情とその言葉に俺は息を呑んだ。決して女らしさはないのに、どこかかわいらしい笑顔。俺は声が裏返ってしまった。
「そんな、悪い……!」
「数を数えてる訳でもないし店長も結構サービスしてるから気にしなくていいよ」
「えーっとじゃあ、ありがとう」
「うん、その本楽しんでくれよな」
 原田から文庫本を受け取ると店を出る。本を自分の金で買ったのなんて参考書以外だと初めてだ。ちゃんと読めるだろうか? という不安以上に先ほどの原田の笑顔の印象が強すぎて動悸が中々収まらなかった。
 それから三週間、部活から帰った後に少しずつ買った文庫本を読んでいった。おそらく原田のような人間であれば一日二日あれば読めてしまう文量なのだろう。しかし、読書に慣れず部活で疲れた俺にはこれが精一杯だった。
 ようやく読み終えた後の次の週、前に古本屋に行った日と同じ曜日にまた自転車を走らせて古本屋へ向かった。その日も原田は古本屋にいた。
「いらっしゃいませ。もしかして読み終えた?」
「あ、ああ」
「どうだった?」
 原田はその赤い綺麗な瞳を光らせ聞いてくる。俺はぽつぽつと下手くそな言葉で感想を述べる。原田はぐちゃぐちゃな俺の言葉にもうんうんと頷く。俺が言葉を切ると原田は覗き込むように問いかけた。
「本、楽しかった?」
「多分……他にも読みたい、と思った」
「それは良かった!」
「また本選んでくれないか?」
「もちろん」
 原田はカウンターから立ち上がるとまた文庫本の棚の前で立ち止まる。
「あれが良かったなら、次はこっちかな。うーん、これも良さそうだなあ」
 ぶつぶつと言いながら原田は一冊の文庫本を取り出した。その本は前の本の二倍の厚さはある。
「これ、最近人気の作家の処女作。話はちょっと重いけど、文体は軽めだから読みやすいと思う」
 表紙は黒の背景にまだらに模様が入っている絵で表紙からは内容が分からない。少しハードルが高いように感じたが原田のおすすめなら大丈夫だろう。
「じゃあ、これで」
「毎度あり」
 カウンターで小銭のやり取りを済ませると原田はまた栞をつけてくれた。
「ちょうど絵柄変わったばっかりだからまたサービスしとくぜ」
 そう言って原田が俺に文庫本を手渡す。またあの笑顔をしながら。そして自転車で帰宅する間中も、寝る前もその笑顔が頭から離れなかった。
 しかし、今度の本は中々読めなかった。原田は軽い文体と言ったが難しい言葉がたくさん出てくる。内容も登場人物が多く、紙に書き出しても理解が中々できない。そうして、一ヶ月で三分の一まで読み進めた後、そのまま二ヶ月が経ってしまった。このままではまずい、と思った俺は裏技を使うことにした。
「兄貴、『××××』って本知ってる?」
 兄貴は俺と違って本を良く読む。というか、俺が本を読まないのは兄と比べられそうというのが原因の一つでもある。
「ああ知ってる。お前が本の話をするなんて珍しいな」
「いいだろ。でさ、読んでどう思った?」
「そうだな」
 兄貴がすらすらと話す感想を俺はなるべく脳に叩き込む。これで、本を読んだことにはなるはずだ。
 そしてまた例の曜日に古本屋に向かう。原田は棚の整理中で俺が店内に入るとすぐに気付いた。
「いらっしゃい。来るの久しぶりだな。あの本読めた?」
「あ、ああ」
「どうだった?」
 俺は兄貴の言葉を思い出しながらなるべくすらすらと言えるように喋る。原田は表情は明るいままだったが何故か前のように頷いてはくれなかった。
「でさ、また本選んでよ」
「分かった」
 原田は文庫本の棚に向かい俺に背を向ける。そして表情は俺に見せないまま、小さく言った。
「別に無理して本読まなくていいんだぜ?」
……!」
 俺が何か言い訳をしようと考えているうちに原田は一冊の本を取り出した。
「これがおすすめかな。短編集で俺が好きなやつ」
 原田の表情はいつも通りで、先ほどの言葉などなかったようだ。いつも通りカウンターで会計を済ますが、栞はついてこなかった。
 帰宅すると俺は鞄から買った文庫本を取り出す。文庫本を机に置いて、座ってその本をじっと見つめる。もしかしたらこの本は二冊目の本より読みやすいのかもしれないが、もう本を読める気がしなかった。そして、俺は二度と原田のあの笑顔を見れないんだろう、と思った。そもそも、あの笑顔だって接客用で誰にでも見せているのかもしれない。そう納得させようと思っても、原田の笑顔が忘れられなかった。