ナガレ
2024-11-16 19:33:17
2191文字
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ぶぜまつワンライ「早朝・爪紅・不意打ち」

2024/11/16第20回ぶぜまつワンドロライ「早朝・爪紅・不意打ち」で書いたもの。お題を全て使ってみた欲張りセット。私は爪紅ネタが大好きです。

一番鶏が鳴くよりもわずかに早く目が覚めた。外はまだ薄暗い。寝直そうとしたけれど、思いの外すっきりと目覚めてしまって二度寝できる気がしなかった。
……仕方ねぇ。起きるか)
掛け布団を除けて、上半身をむくりと起こす。ふぁとあくびを一つすると、体を天に向けて思いっきり伸ばした。さて、これから何をしようか。厨に顔を出して朝食作りの手伝いをするか、それとも道場で朝の鍛錬をするか。ひとりで外周を走るのも悪くない。よいしょと起き上がろうとした豊前江だったが、拳一つ分空けた隣の布団ですやすやと眠る松井江の姿が目に入った。冬場以外は寝相の良い松井。今朝も寝方のお手本よろしく真上を向いて眠っていた。
そんな松井の布団からはみ出た左の手。いつもは緑青に彩られている指先だが、今は素の色のだ。豊前は夕べ松井が寝る前に、明日爪紅を塗り直すと言っていた事を思い出した。
……
松井が爪に色を乗せるところは何度も見ているし、何ならやらせてもらった事もある。身動ぎ一つしないで静かに眠る松井はまだ起きそうにない。良質な血は健康な肉体に宿る。眠れるという事は良いことである。いつまでたっても眠る事に慣れず目の下にひどく黒ずんだ隈を作ったまま松井の腕を掴み、今日から俺の部屋で一緒に寝るぞと有無を言わさず連れ込んだ日が懐かしい。松井は眠る事に慣れ、俺の部屋はふたりの部屋になった。
……と、今はそんな事を思い出している場合ではなくて。豊前はゆっくりと布団から這い出た。その表情は企み事を思いついた顔と言うのが相応しかったが、今ここにそれを指摘できる者は誰もいなかった。
松井を起こさないよう静かにゆっくりと膝で歩き、壁際に置かれた低い棚の上に置かれた小間物入れに手を伸ばす。――あった。豊前は小間物入れの中から松井愛用の爪紅の小瓶を探り当てた。
しかし豊前はそれを取る事をやめた。松井用の小間物入れがあるように、豊前も自分用の小間物入れを持っており、同じ棚の下段に収めている。二振りとも見られて困るような物は入れていない。見られたら困る物は鍵付きの箱に入れて、押し入れの天袋に並べてある。鍵の在り処は秘密だ。
松井の小間物入れを何事も無かったかのように戻すと、豊前は色違いの飾りが填め込まれた箱(江の者達みなで木工細工に挑戦した時にお揃いで作ったものだ)を引っ張り出して、音を立てずにその蓋を開けた。
愛車の鍵、貰い物の小物、よく分からない何かの部品。豊前が手に取ったのは松井愛用の爪紅の小瓶と同じ形の小瓶だった。しかし中身の色が違う。豊前が取り出した小瓶の中の爪紅は赤い色をしていた。
小間物入れを元の場所戻すと、豊前は何も知らずに眠る松井の横に座った。まだ起きてくれるな、もう少し寝ていてくれ。そう念じた豊前は小瓶の蓋を開けると、松井の布団からはみ出した左手を持ち上げた。
まずは小指。これは平筆を縦に二度滑らせるだけで塗り終わった。そのまま次は薬指に移る。まずは真ん中に一塗り、続いて左右を一塗りずつ。いつでも塗り直せるように普段は乾きの早いものを使っていると言っていたから、これも五分あれば乾いてくれるはずだ。品番を覚えて万屋街に行き、化粧道具屋の店員に色違いをくれと直接出してもらった物だから間違いない。色はこれに限りなく近い色といって、己の虹彩を指差した。どんな色を探しているのか口で説明するよりも、この方がずっと早かった。
とか何とか思い起こしていたら、持ち上げていた松井の左手がもぞりと動いた。松井が目を覚ましたのだ。
……んん……ぶぜん?」
「どした?まだ朝飯には早いぞ」
……うん……
「もうちょい寝とけ」
松井がほんの少しだけ開いたまぶたはすぐに閉ざされ、小さな寝息が聞こえてきた。手を取られても気づかないのは戦う者として如何なものかと思わなくもないが、松井が心を許している証拠でもある。――そうだよ。ここはお前にとって安らげる場所なんだ。松井が気を張ってばかりいたあの頃を思うと、豊前には感慨深いものがあった。
……よし。ちっと走りにでも行くか」
五分経ったか微妙なところだが、爪紅もあらかた乾いただろう。そう判断した豊前は、松井の左手を布団の上にゆっくりと下ろした。白い手指の先に映える色。その仕上がりに豊前は満足気に頷いた。そのままそっと松井から離れて部屋の隅で寝間着から内番着に着替え、忍び足で部屋を出る。走るには絶好の朝。澄んだ空気が気持ち良かった。

それから四半刻ほど経って、松井は今度こそ目を覚ました。しばし天井をぼんやり見上げてから体を起こし、寝ぼけ眼を擦る。素のままの指先が半開きの目に入ってきた。……そうだ。今日は爪紅を塗り直そうと思っていたんだ。朝食を食べたら塗り直そう。あぁ、その前に顔を洗いに行かなくては。夜中に鼻血が出てしまったのか、小指と薬指の先が赤かった。――違う。この赤は血じゃない。爪紅だ。何かを、誰かを彷彿とさせるような赤い色。松井の意識は一気に覚醒した。
「松井、おはよ」
「おはよう……
そこにタイミングよく早朝ランニングから帰ってきた、してやったり顔の下手人・豊前。豊前め、よくもやってくれたな。照れやら恥じらいやらがませこぜの、歓喜にも似た形容しがたい感情に耳の先が熱くなる。松井は朝の挨拶を返すだけで精一杯だった。


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