さもゆ
2024-11-15 22:20:19
7841文字
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【A英】IKASUMI

究極平和な生存ifA英のイカスミが可哀相な短い話。

2019.9.20 たまごのお粥pixiv投稿作品

 ──ごふっ。
 僕の口から盛大にスパゲティが飛び散った。既に喉奥へと追いやられていた麺の残骸が、咳とともに吐き出されかける。それが汚くテーブルに着地する前に、ティッシュを引ったくって口を押さえつけた。げほごほかはっ、咳き込み続ける。かひゅっ、縮れた麺の欠片が変なところに入りかけている。拳でどんどん胸を叩いた。じわじわっと涙が滲む。ごくごく、水を無理やり喉に流し込む。口端から零れたり上手く食道を伝い落ちたり、それはまるで目の前で繰り広げられるキスシーンのようだった。翻弄する男優に必死についていく女優の演技。テレビドラマのラブシーン。僕は居心地の悪さにサッと視線を逸らして、さらにはテレビの電源をぶちぎった。ひゅー、ひゅー、虫の息を漏らす。涙の滲む目の裏側ではひたすら男女がキスしている。参った。困った。とんでもない。ぐっと唇を噛み締める。どうしよう。
 僕は立ち上がり、そうして、口元を手の甲で拭いながら、あまりの居た堪れなさに地団駄を踏み続けた。



 仕事に一区切りをつけ、さあ英二が作ってくれた夕飯を食べて寝室に潜り込みに行こうとラウンドチェアを引いた瞬間、ひゅっ、と喉が変に軋んだ。どっと早鐘を打ち始めた心臓を押さえ、宥めようと座り直す。
「お前、脅かすなよ」
 部屋のドアを半分開け、英二がそこに佇んでいた。
 俺にはいつからそこにそうやってゴーストのように突っ立っていたのか全く思いつかなかった。何せ、だって、二人で暮らす家で必要以上に気配を探り続けることはしないだろう。びっくりした。
 きい、ドアをもう少し開け、暗い廊下から窺うように髪で隠れた顔を突き出してくる。
「仕事、終わった?」
 それがなんだか改まった言い方だったので、立ち上がって傍に寄りたくなったが、そうしてしまえば黒髪黒目が廊下の暗闇に引っ込んでしまいそうな予感もしたものだから、慎重に居住まいを正して頷くだけに留めた。
「終わったよ」
 緩んでいた気が、ぴんと張り詰める。英二は静かに部屋に入って来た。後ろ手でドアを閉め、そのまま背中をもたれさせる。俯いていた顔が照明に照らされ、目と目が合った。
 その顔を見て、俺は、つい、張り詰めた気を無視して「どうした?」上擦った声で訊いていた。「石炭でも食い散らかしたのか?」
 英二は何を言われたのか理解するまでの数秒を要し、そのあと「ああ」瞬きして口を腕で拭う。緩慢な仕草だ。
「イカスミ。パスタだよ。今日の夕飯……
 腕をどかした口には黒色がこびりつき、顎や襟元にも派手に飛び散っている。まるで食事の下手なゾンビを彷彿とさせる。ぼんやり立っている様はまさしくだった。
 棚上のティッシュに手を伸ばす。
「いるか?」
 首を横に振られたので、伸ばしかけた手を無意味に開け閉め、おもむろに肘掛けに置いた。妙な沈黙が続く。向こうは確実に何か言いたげで、とても普通じゃない様子なのに、きっかけが掴めないのか何も言ってこない。もしかしたら、英二自身、何をどう言えばいいのか分かっていないのかもしれない。イカスミを散らしたままなのがヒントのように思えた。噎せでもしないとあんな汚れ方にはならないだろう。慌てていたのに、俺が気づくまでただ待っていたのか、あるいは、その間に考えをまとめていたのか? それとも、本当に、途方に暮れていただけなのかもしれない。胸にどうしようもない不安が募ってくる。そもそもイカスミパスタをぶちまけた理由とは?
「あのさ」
 黒く汚れた唇がようやく動いた。
「べつに、きみを非難しようってわけじゃないんだ。そこだけは、勘違いしないでほしくて。僕も、ちょっと、悪いし……
 前置きに、これから何を言われるか全く予想がつかなかったが、とりあえず頷いてやる。何事かがあまり良くないということだけは察した。肘置きを撫でる。英二がイカスミを舐める。
「あの、きみは、僕によく、するよね」
…………何を?」
「キスだよ。キスを……
「キス? ああ、するな。だって、そりゃ、お前、……えっ何?」椅子から身を乗り出した。
 扉に張りついていた背中が浮き上がる。「キスだよ。キス」俺が反応できないのを言語不理解だと捉えたのか、言い直してくる。「マウスツーマウス」ばか。それは人工呼吸法……いや最中のお前を思えばあながち間違いじゃないのか。違うそうじゃない。
 とりあえず、なんとなく、そこはかとなく、真面目が皮を被っているだけで実際はぶどうみたいに馬鹿げた内容なのかなと悟り、そんなのは今まで何度もあって、そして一番の解決策が真剣に取り合うことだと分かっていたため、俺は務めて冷静に手を組んだ。ぶどうの種だ。そこまで辿り着かなけりゃいけない。
「キスな。するよ、そりゃ」
「うん……
 英二は体の横の手で裾を弄る。目は床を見ている。ちらりとこちらを窺ってから、幾分か早い口調で言い始めた。
「僕は嬉しいよ、とっても嬉しいんだぜほんと。きみがちゅっちゅしてくるたび幸せだなあと思うわけだし、その、深いのも好きだ。健全な男子らしく、そりゃもう」
 スミのついた口端から頬にかけてを擦る。肌は少し赤らんでいた。
「せ、セックスする時のキスも好きだし……ちょっと苦しいけど……、それでさ、あの、恥をしのんで言うんだけれど、その。……テレビや人の話でキスシーンやちょっと際どいの見聞きするとそれだけでそのむっ、むらむらするようになってしまったというか」
Wait,wait,wait, 」
「きみとのキス! お、思い出すと、連鎖的にここが」服の下腹部分を握った。「ほっ、欲しくなる、んだぜ。あの。ごめんさっききみに非難するわけじゃないって言ったけどこれは確実にきみのせいだ責任を取るべきだと思う」
「Wait a minute, wait a minute. ちょっと……待て」
「まっ、待たない。さっきだって、ドラマのキスシーン見て、きみとのキスに置き換えちゃうし、おかげでパスタ吐き出しちゃうし、こんなんで一体これから僕はどうやって生活すればいいんだ? だってこれってきみにしか解決できない問題だよな?」
「待ってくれよオニイサマ、俺のために一旦その過激なお口を閉じてくれ」
「待たない!」
 英二はピシャリと叫び、腰を浮かしかけた俺を手で強く制した。
「そこから動くなよ。僕は何も天然や小悪魔的にこんな発言してるんじゃないんだ、これがちゃんと恋人を燃え上がらせる危険な発言だってよくよく理解して言っている! 僕だってこんなこと言われたらキスをぶちかましてやりたいって思うものたぶんあとから思い返したら窓から飛び降りたくなるだろうから明日からしばらく僕の行動に目をとめていて。誤って死んじまったらきみと離ればなれになっちゃう!」
「OK、分かった、その通り。今すぐその口俺ので黙らせたいけど我慢しよう。見ろ、両手はちゃんと肘掛けに置いとく。尻も椅子に落ち着けとく。大丈夫か? ちょっと早口すぎたんじゃないか? 呼吸を整えろよ英二、今すぐ死にそうな勢いだぜ、いいか落ち着けよ」
 落ち着くのは俺の方でもあった。
 二人分の深呼吸が部屋の空気を巡らせ、俺が黙々と仕事をしていた時より温度を高めている。英二が両頬を挟み込みながら再びドアに背を預けた。黒目が怯えていた。
「どうすればいいと思う?」
 小さな声で囁くのは、そうすれば部屋や自分の温度を幾分か下げられるとでも思っているふうだった。俺も同じように囁き返してやる。
「どうするって?」
「こんなの……困る。今はまだマシかもしれない。けどこの先、まともに恋愛映画を観られなくなったら? 職場の同僚から赤裸々な恋愛相談を受けた時は? きみがいない寂しい一人寝の時にこうなったら、どうしたらいい。欲しくて欲しくて堪らなくなった時に、きみがいなかったら」
 ごくん。
 俺は飲み込んだ。何をかは明確には分からない。ぶどうの種だったかも。核の部分。英二の言い分を飲み込み、一番の悩みを理解し、それがきちんと胃の腑に到達してから、ふううと息を吐いた。頬杖をつき、金髪をがしがし掻き混ぜる。『恋人との情事を思い出した時の欲に塗れない対処法』彼が知りたいのはどうやらそれだった。そしてその恋人がいなかった場合の不安。日常生活の支障。エトセトラ。
「なあ……
 唸り声を漏らす。
「なんだい」
「なんでもいいから俺を褒めてよ」
 お前も分かっているみたいだけど、この状況でお前に襲いかからないのを手放しで褒めてくれ。
 英二はぐっと拳を握った。
「凄い! 偉い! 頭いい!」
「ありがとう」
 頬杖ついた腕に体重を傾ける。
「今ここで俺に抱かれたら、そんな悩みどうでも良くならない?」
 英二は顔をしかめた。
「一時だけの解決法じゃないか。確かに凄く、魅力的だけど。ドラマ以上のキスされたいって思ってるよ、今この時も」
……『煽るようなこと言ってごめん』」
「煽るようなこと言ってごめん。確かに。ごめんなさい。こんなこと言ってたら、抱き潰したいよな。分かるよ、つらいな」
「お前が同情するな」
「そうだ。僕に同情して。きみが原因だぜ? 僕はこれ以上狼狽えて食べ物を吐きたくない。困るよ」
「俺だって困るよ。俺がいない時に不埒なこと思い出して動揺するお前を、誰とも知らねえ野郎が介抱するなんて。ゾッとする」
 撃ち殺したくなる、心のうちでつけ加える。
 乾いたイカスミが気になるのか、唇を舐めて湿らせた英二は、太めの眉を下げきらせた。
「お互いの悩みだね。どうする?」
 どうするも何も。
 俺は方眉を上げて腕を組み、特に意味はないが意味を持たせるみたいに床を蹴り、椅子のキャスターを回転させた。くるうり、一周回って英二に向き直る。きっとそれは、いいと言われた可哀相な俺の脳みその動きと同じだった。
「簡単だ。俺を呼べばいい」俺は言った。
 しかし英二は予想のうちとばかりに首を振る。
「でもきみは、くしゃみしたら飛び出てくる魔人じゃないし、不可能だよ」
「アナログ時代じゃねえんだぞ、電話でもなんでも呼び出せるだろ」
「『むらむらしたから助けに来て』って? とんだSOSだね」
「アメリカじゃよくある」
「騙されないぞ。……いや、あるかもしれないけど、でも僕たちには合ってない。たとえば職場だったら、そんな電話かけられないし、きみだって仕事ほっぽって来られないだろ」
「俺は英二が助けを呼ぶならいつでもどこでも駆けつける」
「そうだった」
 でもそうじゃない、と目が語る。分かってるさ、俺は肩を竦める。それは解決にはならない。
「俺がいない時にムラっときたら? ……もうそれは仕方ないことだ。俺だってお前がいない時にお前が欲しくて堪らない時がある。けど我慢してる」
「僕だって我慢くらいできる。できてるよ。じゃなかったら仕事中のきみを無視してケダモノみたいに飛びかかってた」
 それはちょっと見てみたい気もする、と思った。余程テンションがおかしくない限り、英二はいつも控えめなので。
 加えて、俺のくそったれな性的トラウマが、彼には少しも発動しない。触るのも、触られるのも、そりゃ最初は無垢なものを汚すようで恐ろしかったけれど。汚す汚さないではなく、愛があるかないか問題にすげ替え、訥々と時間をかけて俺の臆病心を絆して丸め込みやがった(こんな表現をするのをどうか許してほしい。俺は今でも、この先ずっと、俺の体は汚れ切っていると思って生きていくし、事実なのだが、それでも英二とともに生き、触れ合うのを望んで叶えられるまでになったのは、丸め込まれたとしか言いようがない)ので、俺は愛し合う人間同士の行為を幸せに起こせていた。
 そんなハグや、キスや、セックスを……お国柄か、性格か、経験差か、おそらく全てだろうが、英二はいつまで経っても、恥ずかしそうにはにかんだり、くすぐったそうにして受け入れ、返してくれる。控えめで、しかし時折(今のように!)暴走することもある。それが俺は楽しくて仕方なかった。さっきまでデスクワークでくたびれていたのに。おかしな具合だ。
「あー、」
 一連の発言を充分に鑑みて、これでなぜ俺はこいつをベッドに引きずり込まないんだろうこいつも抱かれたいって言ってんのにむしろ面白すぎるだろ、とゴホンッ、咳払いする。こういうことについて討論できること自体、幸福なことだと思っているのかもしれない。けど、答えは出さないと。
……あのな、英二。いくつか質問いいか」
「うん」英二がドアから背を離す。
「まずひとつ。これはお前も考えただろうけど、抱かれないという選択肢はないのか? これが一番、まあ、そういうことを想像してやらしい気持ちになることもなくなるだろ。俺とずっとキスやセックスせず、しない状態に慣れりゃいい」
「それは……確かに……
 思いつかなかった、と呟いた。思いつかなかったのか。むず痒くなって耳を塞ぎたくなる心地がした。というか塞ぎたい。俺はこれから何を言われるか大体察している。察せている自分がどうしようもない。こうさせたのはこいつのせいだ。
「でもそんなの無理だよ」
 英二が言った。
「だって、そんなの……きみとずっと触れ合えないなんて……一度抱かれちゃったら……、とにかく無理だ。そんなの、寂しいよ」
「ちょっとタイム」
 心臓のあたりを二、三度叩く。予想内だった。こめかみも揉んだ。どくどく、脈拍が指令を出している──彼を抱きしめるため立ち上がれよ!──うるせえ黙ってろ。まだお呼びじゃないんだ。
「よし。分かった。次の質問」
「ああ。大丈夫?」
「大丈夫」
 大丈夫じゃない。「大丈夫」
「なら、いいけど。次の質問て?」
……お前、さっき、我慢できるって言っただろ。そりゃそうだ。お前はとても理性的なやつだ。気づいてるか? それが解決策だよ。俺で満たしてほしい時に俺がいなかったら、我慢するしかない。直近で俺がいない時にキスしたくなったことは?」
「昨日。仕事で。撮影後の気の抜けた時に」
「どう対処した?」
「ひたすら風景写真見て煩悩を打ち消した」
「だろ。我慢できてる。解決してる。けど悩んでるんだよな。責任を取ってほしいと思ってる」
……そうだよ」
「俺がいなくなった場合が怖いんだ」
……そうだよ。そうだ、うん。そうだね」
「結論だ」
 俺はとうとう立ち上がった。
「ムラっとした時の対処法。俺がいたら俺に構えばいい。俺がいなけりゃ我慢する。責任の有無。確かに俺に責任がある。英二がいなけりゃ俺がこうはならなかったように、お前も俺がいなけりゃそうはならなかっただろうから。責任なんて喜んで取るよ。ではその取り方。俺はずっと英二のそばにいる。四六時中とはいかないけど、離れたって、その分くっっつく。俺がそうしたい。その責任の取り方しか知らない。いいだろ? よって……お前の悩みは円満解決だよ。だって俺はお前としかキスしたくないし、セックスしたくないし、離れられねえもん。恐れている事態にはならない」
「アッシュ……
 英二は名前を呼び、口の動きがそのまま止まった。黒目で静かに俺を捉えつつも、思考が必死に言われたことを取り込んでいる。俺は無事に終了するまで待った。
 彼にとってそれはほとんど無自覚で、俺もあとになってゆっくりと気づいていったのだが、ふとした時にどうにも恐ろしくなるようなのだ。もし、俺が、英二の前から消えてしまったら? 本人曰く、『臆病になってしまった』。原因はもちろん俺である。何度か失いかけたことで、英二は俺が本当にそばにいるか確認するようになった。無意識的。そして、それに気づいた時、バツの悪い顔をする。
 今のように。
「ごめん」
 黒く汚れた頬が朱に染まる。
「いや、」
「僕、また、面倒なことを」
「いや。その、……」なんと言えばいいのか。「嬉しいよ」心底。本当に。ただこれを全てぶちまけると俺が恥ずかしいし、自分に引く。
 あの誰にでも優しく穏やかで、明るいことを信じて疑わない英二が、俺に関することとなると脆くなるということを。徐々に分かっていくうち、愉悦が広がったのを、お前はあんまり知らなくていい。お前にもあるだろう、そういうの。相手に対して、堪んなくなる時が。お互い様だと分かっているけれど、これを深く知られるにはあまりに重すぎるし恥ずかしい。
 もう一度、ありったけの意味を込めて嬉しいと返すと、英二は小難しい様子を完全に取っぱらってドアに思い切り背中をぶつけた。「い゛ッ」腰にドアノブを打ちつけたのか身悶えている。
「おい、大丈夫か」
「だ、だいじょうぶ、大丈夫……。しょ、正気に、戻った」
 赤い顔をぺたぺた触り、ついにはわっと覆い隠してしまう。
「僕何を言った? 待って、言わなくていい。いやぜんぶ本心だけど、えっ? 待って、僕の言ったことって、要約すると『今夜は熱烈に抱いてね』ってことになる?」
「たった今決めた対処法や解決策に則るとそうなる」
「そうなるよなあ」
「ならない?」
「なる」
 くぐもった声が断言し、俺はようやく脳の指令通りに体を動かした。両腕を広げ、英二に少しずつ歩み寄っていく。
「抱きしめても?」
「いや、いや、待って……そうすると……ベッド・インにならない……?」
「なる」
「待って、待って。僕がぺらぺら馬鹿なこと喋ってる間ずっと待っててくれたのは分かってるけど、ちょっと今とてつもなく羞恥が」
「お前が言ったんだぜ。あとから恥ずかしくなって窓から飛び降りたくなるかもしれないから、抱きしめて捕まえておいてって」
「僕そんなこと言ったっ?」
 ちょっと拡大解釈した。
 身を縮こまらせる英二の前に辿り着き、ドアノブを掴んでいた手を握り込む。顔を覆う片手の指越しに、黒目が見上げてくる。
「あの、」
「うん」
「ええと、そう、イカスミ。イカスミが」
「うん。ついてるな」
「き、キスしたら、生臭いかも。黒いの、移っちゃうかも」
「いつも生臭いの口にしてるだろ。白く汚れるのも構わず。大した差じゃない」
「きみそれはイカスミが可哀想すぎるよ」
 力強く言ったくせに、次には目を覗かせていた指を弱々しく閉じた。
「そ、それに、僕、準備してない……
 男同士に必要不可欠! いいよ、と顔を隠している手の甲を撫でる。セックスの準備時間が好きになったのも、お前のおかげだもの。
「それくらい、待ってる。俺も腹減ってるし、熱烈に抱きたいから、きっと伸びきってるイカスミパスタで腹ごしらえしてからめちゃくちゃに動きたい」
「あ、あ、うぐ……
 呻くと、俺の撫でていた手に指を絡ませ、それを顎下までぎこちなく持っていった。黒色がこびりついた唇が、「あの、」と言う。
「あ、味見、とか、どうだろう。ほんの少しだけ……きみがいる時は我慢しなくていいって……だから、ええと、口についたイカスミを」
「味見しなくても分かる。絶対美味い」
 言い切ってから目の前の唇に食らいついた。天然や、小悪魔的なふりじゃない、英二お前、酷だよ。
 これを味見で済まさなきゃならないなんて、全くだ。