さもゆ
2024-11-15 21:38:18
6570文字
Public 海外作品
 

Ghost House Families

クリフ・マクニッシュの『ゴーストハウス』、チャーリーがいかにしてオリバーの代わりに魂を吸われてもいい、オリバーはチャーリーの全てなのだ、になるのか何通りもの想像があって、そのひとつを堪え切れずに書いてしまった。オリバーがあの屋敷にやってきた時の捏造話です。ゴーストハウスはいいぞ。

2019.7.28 たまごのお粥pixiv投稿作品

 彼だけは、あの女の好きにさせてはならない、とチャーリーは思った。



 ああ、またあの人、新しい子を連れてきたんだわ──アンが悲しそうに呟く。開いた窓から吹き込んでくる風の流れに揺られて、女が家に戻ってきたとき、チャーリーも同じように悲しくなり、同時に次はどんな子が自分たちの仲間になるのだろうと期待した。本当は、期待するべきでないのは、よく分かっているけれど。しかし、チャーリーはアンほどではないとはいえ、もう随分長い間ここに閉じ込められている。不謹慎だけれど、友だちは少ないより多い方がいいなと思っていたのだ。
 いつもの通りアンの腰にべったりくっついていたグフィネスが、女の声を運ぶ空気の流れに身震いし、数を必死に数えて恐怖を紛らわせようとする。「五、六、七、八……」アンはその背中を宥めるように何度か叩いた。だいじょうぶよ、新しい子が来たということは、あの人、わたしたちへの興味がきっと薄いわ。ね、グフィネス。アンは囁き、そわそわと地下室の上を気にしているチャーリーを呼ぶ。チャーリーは今にも扉の隙間から出て行きたそうな素振りで振り返ると、パジャマのよれた襟元を握った。「なに、アン」
「チャーリー、落ち着いて。飛び出して、新しい子に色々教えたいのは、山々だけど……、わたしもよ。とても、早くここがどんなところか伝えに行きたい」
「うん」
「でも、もう少し待ちましょう。焦って行って、あの人の怒りを買うのはよくないわ」
「うん。分かってる」
「もう少しよ……。今、どんな様子? その子が一人になった時が、いいと思うんだけど」
 チャーリーはほんの少し、扉の隙間に耳を寄せた。
 その時、前の廊下を吹き込んでくる風に混じって、あの女の悲鳴が聞こえた。悲鳴? あいつお得意の嘆きのようなものではなく、怒りか悲しみか、かんだかい声だった。それから、ほかの喚き声。……男の子だ!
 チャーリーは隙間から流れてきた空気に頭を揺らしつつ、アンを振り返る。
「男の子だ。間違いない、男の子だよ!」
「男の子?」アンが顔を上げたグフィネスのこわばる頬を撫でてから、慎重に寄ってくる。「あの人、また、息子を選んだの?」
 そして、暗い地下室に、埃と一緒にむわっと重い空気が流れ込んできて、三人は端まで飛ばされた。幽霊になってからというもの、暑さ寒さは感じないが、代わりに空気や風への感じ方が敏感になった。チャーリーは夏が来たんだ、と思った。
 温度で季節を判断していた以前──つまりは生前──から、チャーリーはあまり夏という季節に思い入れがなかった。羨ましいという気持ちが、ずっと続いている。ぼくは病弱だったし、ベッドの住人で、夏は特にひどかった。パジャマを何度も着替えないといけないし、外は暑くて活発なのに、自分の眠る部屋だけ冷たく静かで……ほかの子たちと一緒に、遊びに行ってみたかった。
 地下室のよどんだ底からなんとか浮き上がる流れに乗り、チャーリーはのろのろと扉に向かった。死んでからも、ぼくのとろさは変わらないのだ。きっと、夏の外へ遊びに行ったって、ほかの子に追いつけやしなかっただろう。
 再度隙間を覗くと、赤い色がちらついた。そこから、白い腕が伸びている。赤い半袖のTシャツを着た、八歳のチャーリーより幾分も背の高い、男の子の後ろ姿だった。ゆらゆら、警戒するように揺れている。あの女に連れてこられた子だ。
「ねえ」
 チャーリーは地下室から出ようと隙間に入りかけたが、うかつに出て行くのも危ないと思い直して、声だけかけた。突如聞こえた声に、ブロンド髪の頭があっちこっち向く。
「こっちだよ」
 男の子が振り向いた。痩せて不健康なチャーリーと違って、健康的で明るい姿だった。病気で死んだんじゃないな。おおかた、事故にでもあったんだ、とチャーリーは思った。死んだのは悲しかっただろうけれど、すぐに安心したはずだ。だって、たくさんの〈いとしい者〉があたたかくてやさしいところへ連れて行ってくれるのが、分かっただろうから。……それで、〈いとしい者〉に迎え入れられる間際、女が深く爪を立ててきたんだ。ぼくの時のように!
「なんだ、お前」
 男の子が隙間を覗き込み、驚いた顔をした。
「まさか、お前もか? おれと同じ? なんだよ、良かった! いや、良くはないのか、お互い死んでるんだもんな。めでたくはないね」
 チャーリーは少し面食らって黙り込んだ。グフィネスが来た時は──ぼくもだったけれど──まるでこの世の終わりとばかりに顔を歪めて、無理やりここに閉じ込められたことに深く絶望した。自分たちを娘や息子のように接してきて、娘や息子のような振る舞いを強要してくる女に、恐ろしくなった。それから、〈いとしい者〉から剥がされた瞬間に察する、自分たちが行き着く場所、〈悪夢の道〉のこと──。
 目の前の、十二歳くらいの男の子は、ついさっきそれらを味わっただろうに、悲しんでいる様子がない。むしろ、怒っていて、挑戦的だった。
「チャーリー」
 後ろにやって来たアンが、目配せしてくる。泣いていたグフィネスは興味を持ったようで、しがみついていた腕から身を乗り出していた。アンが扉の向こうをジェスチャーで示す。教えてあげないとだめよ、とアンはまだ見ぬ男の子を考え、思った。最初の頃は、大人しくしていた方が、あなたのためなの……。いいえ、できるなら、この家にいる間中、じっとしていて。外を駆け回る男の子のように、あの人に立ち向かっていってはだめ、ダニエルの時のような思いは、もう二度としたくない。
「分かってるよ、アン」
 チャーリーはアンの思いを知っていた。アンは、かつて立派な母親らしかったあの女より、よほど保護者らしくチャーリーたちを守ってくれている。今回も、なるべく女から身を守る術を、あの子に教えるだろう。好きなようにさせてやるの、と。いい? そうしたら、あの人、気分が良くなって、怖いことはしてこないから……
 けれど、どうだろう、とチャーリーは思った。隙間を覗く。なんだか、この男の子は、言いなりになるタイプに見えない。
 男の子がぐっと顔を近づけてくる。落ちくぼんでもいない、勝気な瞳だ。
「なんだよ、お前、そこから出られないのか?」
「ええと」こほっと咳が飛び出た。男の子と話すなんて、何年ぶりだろう。「あの、えっと、きみは……
「オリバー。自己紹介は必要だな。ここから離れた海岸沿いの道走ってた車が事故って、おれは頭を強く打って死んだ。死んだんだ。まさかこんなボロ屋敷でほかの幽霊と喋ることになるとは思わなかった」
「ああ、うん、そうだよね、ええと……ぼくはチャーリー」
「チャーリー。声からしておれより年下か? 死んで何年目?」
「だいぶ」
「そうか。じゃあ教えて欲しい、ここがなんなのかと、おれを息子だなんてとち狂ったことを言ってくる、あの『メソメソ女』のことを! なんなんだ、あいつ。相当キてる! 頭に」
 チャーリーは呆気にとられた。そして、強く感じた。オリバーは従順な息子を演じられない!
「お、オリバー、聞いて。ぼくのほかに、こどもの幽霊が二人いる。みんな、」
「みんな、あの女に?」
「そう。連れてこられた。きみも、もう、体験したと思うけど……あれをされたら、ぼくたちはもう、この家から離れられない。それから、すごく、恐ろしく思ってるんだ。あの人のことを」
「ああ恐ろしいね。おぞましかった。ワニとキスした方がマシだったろうぜ」
「え? あはは、それは、そうかも……
「チャーリー」アンが急かしてくるので、チャーリーは慌てて言った。
「オリバー、我慢してほしいんだ。あいつが望むことを、その、本当の息子らしく振る舞えば、向こうも大人しくなる。ずっとじゃなくて、最初だけでいいんだよ、そしたら……
「そしたらひとまずは魂を吸われずに済むって?」
 オリバーは声を上げた。正気か? されるがままにしていろと? オリバーは『メソメソ女』が顔を押しつけ、魂の一部を奪った瞬間を思い起こした。怒りでどうにかなってしまいそうだ。あんなことをされておいて、わたしは今日からあなたの母親よ、母さんて呼んでちょうだいね。うん、母さん! と子犬のように振る舞えだって? どうかしてる!
 オリバーはイライラと空を蹴った。足もとを流れる微かな風に、体がゆらゆら揺れて浮き上がる。なるほどな。分かってきたぞ。オリバーは既に空気の扱い方を理解していた。あの女、びっくりしていたっけ。幽霊になったばかりの子どもが、自分より速く屋敷の中を逃げ回れることを。
 オリバーがニヤリと笑ったのに、チャーリーは気づかなかった。それどころか、チャーリーはぎくりと身をこわばらせて、耳を澄ました。あの女が近づいてくる気配がしたからだ。だから、オリバーに意識を向けているべきだったということに気づいた時には、あんまりにも遅すぎた。
「オリバー!」
 男の子の名前を呼ぶ。オリバーは既に吹き上がる流れを利用して廊下へと飛び出して行っていた。チャーリーは咄嗟に隙間へ頭を突っ込み、そのまま地下室を出るとオリバーの背中を追う。
「チャーリー!?」
 後ろでアンが驚いた悲鳴をあげている。そりゃそうだ、とチャーリーは思った。チャーリーはこの幽霊独特の移動の仕方が、得意じゃない。もとから、動きが遅いのだ。だからアンがいつもあの女の気を引いて、チャーリーはグフィネスの面倒を見ながら過ごしていて──うんざりしていたのかもしれなかった。いい加減、怯えて過ごすのも、何もできないのも。

 二階に続く階段の前で、オリバーは立ち塞がっていた──実際には、もちろん、足は浮いている──チャーリーがそこに行き着く前に、階段から女が降りてくる。新しいこどもを連れてきたくせに、ちっとも嬉しそうじゃなかった。女も、抵抗の強いオリバーに戸惑っているらしい。
「ねえ、オリバー。さっきはごめんなさい。そうよね、いきなりだったもの。時間が必要よね」
 女のご機嫌伺いの言い分にチャーリーはうへえと舌を出した。本当に、時間さえあれば、自分が無理やり攫ってきたこどもたちが、愛情を向けてくれると思っているのだろうか。もしそうだったら、四十年以上ともにいるアンはどうなるんだ。
「お願いよ。その反抗的な態度をやめてちょうだい」女の声が高くなる。「どうすればいいの? 確かに、あなたをあなたのお母様から引き剥がしたのは、わたしよ。でももう過ぎたことじゃない。わたしが代わりになるって言ってるでしょう、どうして大人しくしてくれないの。わたししかいないのよ?」
 チャーリーが電話台の裏にとどまったところで、オリバーの横顔が苦々しく言った。
「でも、あんたはおれの母親じゃない」 
「なれるわよ。あなたが……わたしのことを、母さんと呼んでくれれば。ねえ? 今じゃなくてもいいの、段々と……ゆっくりでいいわ」
「実証してるけど、死んだって無理だぜ」
「生意気な子だね!」女は叫び、けれど久しぶりに連れてきた新しい子どもにどうしても好かれたいのか、なんとか落ち着こうとしている様子だった。「死んでも、無理? そう、そうなのね? 〈悪夢の道〉が、お前を呼んでも?」チャーリーは背筋が凍る思いがした。女の絶望や、魂を強く欲する気持ちに反応した〈悪夢の道〉に見られた気がしたからだ。
 女がぶるりと身震いし、その体が空気に攫われ、また戻る。……一気に奪い取りやしないわよ、と女は思った。あんな失敗、二度とするもんですか。ダニエルの時は、本当に、勝手が分からず一気に魂を吸い取りすぎてしまった。そこに関しては、本気で反省しているのだ。ああ、そういえば、この子。オリバーったらダニエルに似ているわね。わたしの言うことをちっとも聞きやしない。でも、男の子は、きっとそれくらいがいいのよね。だいじょうぶ、まだ会ったばかりだもの……。早々に〈悪夢の道〉なんぞに送りやしないわよ。
 女はできる限りの微笑みを浮かべ、オリバーににじり寄った。
「ねえ、オリバー。この家には、ほかにも三人の子どもがいるわ。みんなわたしの子よ。あなたと同じ。きょうだいになるでしょうね。仲良くしたいでしょう?」
「へえ。そりゃ、もちろん」
 オリバーがちらりとチャーリーを見た。
「だったら、わたしの言うことをよく聞いてちょうだい」
「それって脅しか?」
「あら、そう聞こえた? まさか。でも、母親とその子どもたちは、仲良くするものでしょう」
 女の手がオリバーの頬へと伸びる。それに身を寄せる素振りをし、女を僅かに安心させた。やっと、言うことを聞いてくれる気になったのね?
 オリバーは、それからニヤリと笑った。
「男兄弟は反抗が激しいんだよ、知ってた?」
 廊下を流れゆく上昇する風があった。微かに、だ。それを感じ取っていたオリバーは、一歩引くと、女の手を躱して風の流れに乗った。天上まで浮き上がり、慌てて逃がすまいと追ってくる女を避け、今度は下へと流れる速い風を使って廊下に戻る。女が後ろで、オリバーを追う空気の流れを必死に探している。ざまあみろ、油断してるからだ! 誰があんたなんかの息子になるか! オリバーはそのまま電話台のところまで滑るように駆け寄ると、チャーリーの青いペイズリー柄のパジャマを引っ掴んで、ともに地下室前まで向かった。
 逃げている途中、チャーリーが自分より四つは年下なのに気づいて、女の言っていたことじゃないが、きょうだいみたいに仲良くできるかもしれないと思った。おれは生憎ひとりっこだったから、正直、きょうだいがいる奴が羨ましかったりすることもあったんだ。
「見てたかチャーリー、チャーリー坊や!」オリバーは鳴らない指を鳴らした。「おれは絶対あいつの息子になんかならない、たとえ演技でもだ!」
「み、見てた、見てたよ」
 チャーリーは引っ張られる力の強さと、自分じゃ出せないスピードに目を白黒させながら何度も頷く。まるで、外で遊ぶ、子どものようだ、とチャーリーは思った。夏のもと、全力で鬼から逃げようと駆けまわっていた子どもたち。ぼくを連れて飛んでいるオリバーは、この家の中で何より活発に見えた。そして、オリバーはなんて無鉄砲で、勇敢なんだろう。見てたよ、きちんと! あんなに悔しそうなあの人は、初めて見たんだ!
「いいか、チャーリー」
「なんだい、オリバー」
「言いなりになるな。あの『メソメソ女』はお前の母親じゃないんだろ?」
 地下室前で、心配そうに周囲を見回しているアンと、泣きそうになっているグフィネスがいた。二人はオリバーとチャーリーを認めると、血相を変えて素っ飛んでくる。
「当たり前だ。ぼくのママじゃない」
「あいつらも?」
「そうだよ。みんな、怖いんだ。あのにせものの母親が」
「そうか」
 オリバーが言った。
「守ってやる。なるべく。おれはたぶん、にせの母親に愛想よくするなんて無理だ」
「うん」
「だから、なんでも言ってくれ。よろしくな、きょうだい」
 チャーリーは、きょうだいはにせものでもいいの? とは聞かなかった。
 ただ、こう思った。

 彼だけは、この男の子だけは、オリバーだけは、あの女の好きにさせてはならない。

 チャーリーは幽霊独特の移動の仕方が、得意じゃない。オリバーのように素早く動くことは、オリバーが女に愛想を撒くくらい無理なことだろう。
 でも、それでも、オリバーについて行こうと思った。そう決意させるほど、オリバーはチャーリーにとって眩しかった。真夏の、外のように!
 ついて行こう。
 決して、〈悪夢の道〉に引きずり込ませてはならない。あそこは光など一切ない、氷の暗がりだ。覗いたことはないが、覗かれているから分かるのだ。
 そして、もし、いつか、万が一にも、女によってオリバーが〈悪夢の道〉に引きずり込まれるようなことがあれば。その時は。

 その時は、ぼくが身代わりになったって構わない。

「よろしく、オリバー」 

 チャーリーは真夏に笑いかけた。