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酢瓶
2023-11-04 03:04:09
5661文字
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ある日の教会にて
CoCシナリオ『Aconite:re』通過後の、HO3の話。
※シナリオの重大なネタバレを多分に含みます※
◇ ◇ ◇
ニューヨークの街に雪がちらつく日が増えた、冬の昼下がり。
高く澄んだ空にはところどころに厚い雪雲が固まっていて、夜にはまた雪が降りそうな気配をにじませている。
そんなやんわりとしたうす曇りの街の、住宅街の片隅に密やかに建つ、小さな教会。
その礼拝堂に、フィル・ノヴェンバーはひとり腰を落ち着けていた。
木製の古めかしい長椅子が部屋の左右に整然と並んだ広いその空間には、ほかに人影はない。そのせいか、あるいは教会という場所柄か、張り詰めたような静謐がただただ空間を満たしている。礼拝堂の奥、ちょうど、マリア像が佇立する壁面の上部に取り付けられた大きなステンドグラスから差し込む陽光が様々な色に反射して深い緋色の絨毯を彩るが、なお真っ白なマリア像の存在感が勝ってみえる。
この、街中の喧騒とは程遠い静けさは、フィルにとってはすっかり肌に染み付いた空気だった。
というのも、ここは彼にとって心を穏やかに保てる数少ない秘密の場所なのである。
まあそれも、元が敬虔なカトリック信者ということもあるのだろう。
フィルは懐かしいものを見るような面持ちで目前に佇むマリア像を眺めやると、静かに深く呼吸をして、目を伏せた。
そのまま胸の前で十字を切り、静かに祈る。
密造酒『Aconite』をめぐる一件は、主犯であったマランツァーノファミリーの解体をもって一応の幕引きとなった。
件の酒を飲んでしまった街の住人たちはユアンとニコラスによって原材料を解明された治療薬の助けで事なきを得、密造元の工場も取り壊しとなり、それからはすっかり平和を取り戻したものだ。
時を同じくして密かに騒乱となった内輪での裏切りの件も、彼らの逃走という形で片付き、今や数ヶ月が経とうとしている。
たった数日。それだけの中で、数え切れない出来事があった。
祈りを捧げながら、フィルは静謐の中で物思いに耽る。
こつ、と、出入り口の方で控えめな靴音がしたのは、そんな折だった。
「ーーよう。やっぱりここにいるんだな」
軽薄な男の声。数ヶ月前まではよく聞いていたそれが、静かな礼拝堂に響く。
振り返って確認しなくてもわかる。それは、かつて友と呼び交わしていた、スティーヴンの声だ。
十年来慣れ親しんだ声はしかし、あの騒動から聞かなくなって久しくなっていた。それでも、忘れるはずはない。
フィルはしかし声には反応せずマイペースに祈り続けると、ふ、と伏せた目を開け、まっすぐにマリア像を見上げる。
「何しに来たんだい、探偵さん」
誰にともなく答える。
フィルの応えに、離れた背後から、は、と呆れたような笑いが飛んできた。
次いで、こつ、こつ、とゆっくりと近づいてくる足音が耳朶を叩くが、それでもなおフィルは肩越しにすら視線を向けない。
自分がこの場においては荒事を好まないことを、彼は知っているはずだった。
それは彼もまた同じであると、フィルもまた知っている。それゆえ、いきなり銃を抜かれるとは、思わなかった。
「今さら、私に用はないはずだろう?」
そうしてマリア像を見つめたまま、ひたすら普段通りの穏やかさで言葉を継ぐ。その時には、足音はフィルのほど近くまで迫っていた。
ぎ、と、古い椅子が軋む音がする。フィルの後方、いくらか離れたところにスティーヴンが腰を下ろしたのだろう。会話をするだけなら、それでも十分声は届く。
「
…
おいおい、つれねえなあ」
友人だろうに、と茶化してくるのを、ふ、と息だけで笑い飛ばした。
「どうだかね。それは片想いだとばかり」
「どっちのだよ」
「自分の胸に聞いてみてはいかがかな」
「
…………
」
フィルとしては小粋なジョークのつもりだったが、どうやらスティーヴンには通じなかったらしい。
二人の間に、しばし重い沈黙が流れる。
それを最初に破ったのは、やはりスティーヴンの方だった。
「
…………
なんで、マフィアなんかになった」
いやに声音が固い。そういえば、いつだったかにも、同じようなことを聞かれた覚えがある。
あの時は確か、適当にはぐらかしたのだ。
「マフィアなんか、か。まあ、きみからすればそうも言いたくなるだろうが」
特に毒を含むでもなく、フィルはごく軽い調子で肩をすくめる。
マフィア、というものが良い印象を持たれないことはもはや常識だ。フィルとてそれがわからないわけではないから、特別腹を立てる理由もない。実に真っ当な言葉だろう。こと、スティーヴンとなれば、尚のこと。
なにせ彼は。
「
…
では聞くが、きみこそ、何故警官になったんだい」
意趣返しにと問い返せば、途端スティーブンが息を呑む気配がする。
おや禁句だったろうか。などと、のんきなことを考えるフィルだ。当然、確信犯だが。
「っ、お前、それ」
「知らないとでも? 事のあらましはニコラスから聞いたよ。
…
ああいや、言わせてしまった、かな。だから彼を責めるのはお門違いだよ」
「
……
、そうかよ」
吐き捨てるように、スティーヴンはそうつぶやいた。答えのつもりか、独り言か。
構わず、フィルはまたおどけるように肩をすくめてみせる。
「と、まあ、聞いてはみたが実際毛ほども興味はないな。答えなくて結構」
「
…………
」
背後から、物言いたげな気配を感じる。が、それすらきれいさっぱり黙殺した。
彼も彼でフィルの態度に慣れてきたのか、はあ、とやや苛ついたような嘆息一つでそれ以上は相手にしないことにしたようだ。
「で、お前の答えは」
改めて問われ、フィルは少し考えるように視線を下げる。
どうしてマフィアになった、か。そういえば、真面目に考えたことなどなかったような気がする。
気づけば、リチャードのシマに入れてくれと頼んでいた。当たり前のように、彼も受け入れてくれた。そうして、いまの自分がある。
そこに理由などなかった。
「ふむ、
……
、親友-とも-がそうだったから、かな」
少し考えてもまともな答えが出そうになく、フィルは嘯くようにそれだけをこぼした。
もっともらしい理由なんて、彼にとってはそんなものだったのだ。
「そんな理由で
…
」
後ろで、いかにも渋面を作っていそうなスティーヴンの声がする。
まあ、彼ならそう言うだろう。
「なら他に、どう答えれば納得したんだい? なんと言ったところで、きみは理解しないだろうに」
わかる気もないことを聞くのは不毛だ。そう、フィルは思うが、敢えて口にはしなかった。
その実、この問いにさほど意味はないのだろうと思ったのだ。ただ、話題が欲しかっただけかもしれない。
あるいは、続く言葉のきっかけか。
フィルの答えに、スティーヴンは何か思うところでもあったのか、しばし返答が途絶えた。
少々性格の悪い返答だった自覚はフィルにもあったが、思ったままを答えたのも事実なので悪びれはしない。
「
……
あの日」
程なく、いくらか落ち着いた、けれども普段よりは幾分か低い声音で、スティーヴンが再び口を開く。
「あの日のこと、お前は知ってたのか」
「
…………
」
あの日。
それが何を指すのか、言われずともフィルには痛いほどよくわかった。
スティーヴンが警察を辞め自分に接触してきたのも、ファミリーの新入りとして潜り込んだ娄
――
否、ルーカスが復讐を胸に秘めたのも、全てはその日から始まったことだから。
直接関わっていないフィルですら、忘れがたい出来事だった。
当時のことを少しばかり思い返し、フィルはわずか、目を伏せる。
ああ、ほら、あれほど言ったのに。
ディック、と、胸中で呼びかける言葉に、応える相手はもういない。
そうしてフィルはすう、と少しだけ慎重にひとつ息を吐き、ふむ、といかにも演技じみて相槌を打つ。
「おや。それこそ、なんと答えて欲しいのかな」
「いいから答えろ」
にべもない。ジョークにすら付き合ってくれないようだ。
諦め、フィルも今度こそ観念したように短く嘆息する。
教会-ここ-では偽らず、真実を語る。そう、誓っているのだ。
「知っていたよ」
フィルの目は絨毯に溶け込むステンドグラスの光を見つめているようで、どこか遠くを眺めているようでもあった。
「知っていて、加担も、
……
止めることも、出来なかった」
「
…
止める気はあったのか」
「先手必勝、とはよく言ったものでね。まあ間違いでもないのだから、その実先に動いた方が何事も有利にはなる」
そう、同じようにリチャードも考え、実行に移したのだ。
ただ。
「ただ、
……
悲しみは、連鎖するものなんだよ」
ふ、と、何かを思い返すようにして、フィルは目を細める。
脳裏をよぎるのは、自身の妻子が報復のため無惨に殺された数十年前の光景だ。
あれは、たいそう辛かった。
「それを、彼が知らないはずはなかった。私もね。だがそんな私情を捨てて、ファミリーのことを最優先とした結果、あの計画に行き着いたのだろう」
本当は止めたかった。
彼がもたらした死は必ず誰かの悲しみを招く。そうなれば、復讐は当然の帰結となったろうから。
けれど、止められなかった。
残されるであろう家族の悲しみを痛烈に理解出来るリチャードが、それでもなお計画を進めようと決意するだけの責任感と覚悟を抱いているのだと、十分すぎるほど理解していたから。
リチャードはフィルにとっての親友であり、忠誠を誓う長でもあった。ならば、彼の信念を揺るがすようなことは、到底フィルの口からは言えなかったのだ。
それが、彼との誓いでもあったから。
ドンとして歩む道を妨げない。その歩みを止めさせない。
たとえ。
たとえ、その道がどれほどの悪路であろうとも。
「ーーだから、ね。分かりきっていたよ、いつか報復の日が来るだろうとは」
「
…………
、フィル
…
」
「
…
分かっていた、はずなんだが」
最後の言葉は、自分に向けたものだ。
わかっていたはず。
そのはずなのに、これが初めてでもないのに、実際に目の前にすればいくらか心は動じてしまうものらしい。
齢五十を手前にして、なんとも情けない話だ。
スティーブンから見えないところで、フィルは僅か自嘲気味にうす笑う。
それからまた少し、沈黙が返ってくる。
教会の外、遠くの方で、子どもたちの遊び回る声が聞こえた。
「
……
、そこまでわかってて、お前はまだそこにいるのか」
その穏やかな喧騒に、スティーヴンの苦味を含んだ声が重なる。
「愚問だね」
それだけ言って、フィルはやおら立ち上がった。
自分にとってのファミリーは、既に帰る場所となって久しい。
であるなら、今さらこの世界から足を洗うなど、考える余地があるわけない。
己の立つ足元がいかに血で汚れていようとも。
己の歩む道が、いかに悪路となろうとも。
出入口の扉へ向かってくるりと踵を返せば、斜め後方に座すスティーヴンの姿があった。
この場にいて、そこで初めて彼と目が合う。
構わず、フィルはこん、こん、と普段と変わらぬ歩調で歩き始めた。少しずつスティーヴンとの距離が縮んで、すれ違うところまでやって来て、しかし歩を止めることはない。
そうして一歩ぶんほどスティーヴンを通り越したところで、一度、フィルは歩みを止めた。
「ーー私たちは、出会うべきではなかったね」
それだけ言い置き、こん、とステッキを鳴らす。
礼拝堂を出ていこうと歩みを再開しようとした、その時だった。
「ーーっフィル、俺は
……
!」
がたん、と、音を立ててスティーヴンが立ち上がった気配がした。
自然、フィルの足が止まる。
「
……
俺は、お前とはいい友人だと、本当に
……
っ」
その時になってようやく、フィルはスティーヴンの顔を真正面から見た。
なんて情けない顔をするものだ。いつものニヒルな面差しはどうしたのか、いっそ心配になるほどに、泣きそうで。
フィルはしばし、口を閉じる。
まっすぐにスティーヴンを見返し、それからゆっくりと、唇を開いて。
「だが、選んだのはきみ自身だ」
笑いかけることも、茶化すこともせず、ただ淡々と。
自然、突き放すような言い方になってしまったせいか、対面のスティーヴンが途端に苦い顔つきになる。それでも、気にせずフィルは続ける。
「ああなに、私もそれを責めるつもりはないさ。きみのことだ、まあいたく思い詰めたんだろう。
……
だが、そうやって選んだからには、どちらも取ることはできない。そんなこと、はじめからわかりきっていたろう?」
「
…………
」
だから。
「だから、“僕ら”は出会うべきじゃあなかった」
そうでなければ、お互いに苦い思いをせずにすんだのに。
とは、さしものフィルにも口にできなかった。
そこまで言い切って、フィルはひとつ、ゆっくりと息を吐く。
「ーー残念だよ。本当に」
これで最後、と決めスティーヴンに向けた笑みには、殺しきれない苦味と寂寞が滲んでしまった。
そうして。
こん、と、ステッキが絨毯を叩く音が鈍く響く。
スティーヴンから返事がないのをいいことに、今度こそ振り返ることなく、フィルはそのまま教会を後にした。
◆ ◆ ◆
脳裏に、あの夜の言葉が蘇る。
――
うん、友人は失いたくないさ
励ましているはずなのに、妙に暗い面持ちで言われた言葉。
――
命を簡単に捨てるようなことはしないでほしい
――
元気になったら、そのときは倍で俺におごってくれ
そう話した時にはもう既に、心は決まっていたのだろうに。
ああ、まったく。
どうして、果たせないとわかりきっている約束を、取り付けてきたんだろう。
「
――
……
僕はいつ、きみに奢れと言うんだろうね」
約束は守るために結ぶものだというのに。
なんて、柔らかい毛糸で首を絞められたものだ。
通い慣れた馴染みのバーの、カウンターにひとり。
からん、とロックアイスが踊るグラスを回すフィルの隣で、同じ酒の入ったグラスが誰に飲まれることもなく置かれている。
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