さもゆ
2024-11-14 22:24:08
3986文字
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【A英】Are you ready?

英二とアッシュがキスしないと世界が滅ぶ短い話。ブロマンスの崩壊。

2019.1.3 たまごのお粥pixiv投稿作品

「俺とお前がキスしないと、世界が滅ぶんだよ」

 そんなことで滅ぶ世界ならとっくの昔、キリストが生誕する前にこの世界は粉々になっているだろうし、そもそもビッグバンなどという複雑怪奇な科学現象で宇宙が出来上がることもないように思えた。
 そういう壮大な喩えでも考えないと、これを言われた英二は思わず「頭がおかしくなったのかい」とか「なるほど。それはいいね」とか外国映画の会話の流れでよくある皮肉のようなものを言ってしまいそうだったのだ。でも開いた口を閉じ、代わりに目を瞬かせ、英二はただただ待った。まさかそんな突飛な言葉だけを残して彼の発言が終わるとは思っていなかった。

 英二が続きを待っていると察したアッシュは、じっと目と目を合わせていた視線を落とし、それからまた英二の目を見た。そして言う。

「お前とキスしなかったら、世界が滅ぶ。そうなんだよ」

 続きを待とうが待たないが同じことのようだった。つまり、簡潔に言えば、英二はとても混乱していたし、寝起きでも不機嫌でもないアッシュが、コーヒー片手に突然そんなことを言い出してきたものだから、どうすればいいか分からなかったのだ。彼がふざけておらず、ひどく真面目に真剣に言っているのは出来損ないのコメディのようなものに感じた。けれど彼に揶揄いはない。
 自分と彼がキスをしないと、世界が滅ぶ。そういうことらしい。そうなのか?
「ど、どうやって?」
 とりあえず口をついて出た疑問に、英二は何かがおかしいと言葉選びを間違えた気分になった。
「〝How?〟方法が問題なのか? 俺とお前がキスしなきゃ世界が滅ぶ仕組みが?」
「ええっと、待って、そうか、じゃあ」
 正しい質問の単語が浮かんだ。
「どうして?」
 こんなに心からの〝Why?〟を放ったのはもしかしたら初めてかもしれなかった。
 アッシュは緑色の瞳の中で何かしらをゆらゆら揺らめかせ、終末を告げる信徒のように言う。
「壊れるからだよ。壊しちまいそうなんだ。なあ、英二、お前には分かんねえだろうけど……
「分かるように説明してくれよ、アッシュ」
 英二は困り果てて持っていた新聞をテーブルに置き、隣に座る彼に向き直った。アッシュもコーヒーを置く。新聞の見出しには『End of the world』といった類の文字はなかった。アッシュは珍しく、と言っても英語がうまいとは言えない英二に普段から合わせて喋ってくれていたが、それよりゆっくりと、言い淀むように口を開く。
「そうだな、だから、つまり──俺は、現状に満足してるんだ。とてもね。お前といる時、これ以上ないくらい穏やかで、平和で、安心できる」
「僕もそうさ。きみと一緒にいるとそれだけで幸せだよ」
「ああ。それで、俺は……その世界だけで、充分だったはずなんだ」
「ええっと、僕と一緒にいる、今の時間?」
「そうだよ」
 予想外に嬉しいことを告げられ、英二は気恥ずかしくなってはにかみ、しかしそんな世界がどうしてキスしないと彼の中で終わってしまうのかを改めて疑問視した。なぜ? の正確な答え、なぜならば、をまだ貰っていない。

「充分なんだよ、本当に。それ以上を望むなんてさ、欲深すぎて恐ろしいと思わないか? 俺は思う。思ってるんだ。でも、俺は──」アッシュが言った。「俺は、お前に、それ以上を望んでいて、それはきっともうずっと前からで、我慢しきれそうにないんだ。こんなに満たされた幸せを、不充分に思ってるんだぜ、俺は」
 信じる神様に自らの裏切りを告白する悲惨さを含んでいた。
 英二は考える。彼は、自分と彼の平穏な世界以上のものを欲していて、どうやらそれに対してとてつもない罪の意識を感じていて、不安がっている。なんだそれ、何も不安がることはないだろう。
「アッシュ、どうして今を不充分だって思っちゃいけないんだ? 幸せになることに関しては、きみは欲がなさすぎるくらいだよ。大丈夫だよ」
「まさか」
「ほんとさ。きみは、幸せになる覚悟を決めた方がいいな、うん」

 英二は真摯に頷き、首を傾げた。
「それで、僕ときみがキスしなけりゃ、きみと僕のこの幸せな世界が、滅んじゃうの?」
 なら自分は彼とキスしようと思った。どうせファーストキスは彼なのだ。今更二度目をどうこう言うつもりはない。アッシュにならいいのだ。

 しかしアッシュは首を振った。

「キスしても滅ぶし、しなくても滅ぶ」

……どの道滅ぶんじゃないか」

「だって、そうだろ?」

 Because、と続く。

「俺がお前と、なんの裏も……メッセージの受け渡しや切迫した事情もないキスをしたら、滅ぶんだよ。なあ、同性で口に挨拶としてキスするイメージもあるかもしれないが、そんなアメリカ人は年寄りだけだ。普通はしない。それを、したいと言ってるんだぞ。しなくてもそのうち、我慢しきれなくなる」

「でも、世界が滅ぶって切迫した事情が、あるじゃないか」

「俺が滅ぼすか、自発的に滅ぶかの違いさ」

「ええ?」

「そしてお前が同意するかしないかの違いだ」

「ええーっと……

 英二は必死になって考える。世界が滅ぶと分かっていながらアッシュとキスして世界を滅ぼすか、世界が滅ぶと分かっていながらアッシュとキスしないで世界が滅びるのを待つか、ということらしい。
 違うだろうアッシュ、と思った。そこが問題なのか? と。どうやってでもなぜでもない。いや結果的にはそこも重要なのだが、もっと他の、きみは僕に言うべきことがあるんじゃないのか?
 つまり、彼は、英二に愛の告白をしているようなものだった。そしてそれを英二はちゃんと理解していた。たとえ彼に『愛の告白』という素晴らしい言葉を発しようとして発しているつもりはなくとも、これは紛れもない愛からくるものだった。
 キスをしないと滅ぶ世界というのは、英二とアッシュのお互いさえいれば何もいらないという究極の無欲な世界で、アッシュはそれを低俗な欲に満たしてしまうのを恐れているのだ。低俗な欲? 英二にとっては違くても、アッシュにとってはそうであるらしい。至極当然な、彼の今までを考えたら当たり前な思考だった。
 それでもだって、普通は、普通じゃなくとも、他に言うことがあるだろう。ああでも仕方ない。英二とて「好きだ」とか「愛してる」とか言うには、彼との関係が満たされすぎていて、不充分に感じる。
「分かった」英二は答えた。「キスしよう。同意のもと世界を滅ぼすよ」
 沈黙。アッシュは戸惑い、狼狽えた。
「英二お前、分かってんのか? それは──」
「分かってるよ。分かってないのはきみの方じゃないか。だってアッシュ、きみは」
 言っているうちに悔しいような悲しいような怒りたいような気になってきて、つい声が上擦る。
「きみは、僕が、そういう言い方をすれば僕がお情けできみに付き合うって、そう思ってるのか? ふざけんなよ、僕は馬鹿だけど、そこまで愚かじゃない! 聖母でもなんでもない、きみのために世界を滅ぼすんじゃないぞ、優しさや諦めでもないんだ!」
 きみを愛してるとか好きだよとか言うには、あまりに自分たちには難解すぎる。しかし、
「きみが滅ぼせる世界なんてなあ、僕だって滅ぼせるんだぞ! むしろ滅ぼしてやりたいね、いいじゃないか、これ以上の幸せに溺れ死んで欲しいよ!」
 キスをしたかった。キス一つで滅ぼせる世界なら、自分は喜んで滅ぼしてやる。それでも彼が我慢して耐えて堪え切れなくなったら自分はその溢れ出たものを「やっとか」なんて苦笑して貰い受けてやる。
 どっち道、英二も同じことだった。世界を滅ぼす気しかなかった。
……お前も、」
 アッシュがぽつりと言った。
「お前も、溺れ死ぬのか?」
「幸せで? もちろんさ。窒息するかも。でも平気だよ、きみがいるから息ができる」
「窒息するのに? 矛盾してる」
「アッシュは違うの?」 
 違わない、口の中だけで呟かれた。
 アッシュが俯きがちになっていた顔を上げ、英二を見た。瞳が深い色を湛えている。世界を滅ぼそうとしているわりには真剣で、強くて、これも矛盾していることに脆かった。英二は泣きそうになった。
「キス、しないの?」

 白く大きな手が躊躇って持ち上げられ、そうして英二の頬に触れた。指先が肌を撫でる。

「する。……してもいいか?」 

 鼻先にアッシュの顔が近づき、とまった。
 英二はぎゅっと目を瞑った。開けていようかと思ったが、泣いてしまいそうだったから。泣きたくなかった。涙を零すのは不似合いだった。
……早く、キスして」
 言い切って三秒ほど経ったあと、顔にぱさりと髪が落ちてきて、頬に当てられた手に少し力が加えられて、唇に柔らかな感触が乗せられた。
 永遠のように感じたそれは、きっと一瞬だった。
 柔らかな触れるだけの感触はすぐ離れ、英二はとめていた息を吸い込む。僅かにコーヒーの香りが口から入り込み、息を吐くのが勿体なく感じた。
 目を開ける。緑の瞳とかち合った。
……世界、滅んだ?」
 アッシュは途方に暮れたような顔つきになり、「いや……」腕を伸ばし英二を抱き寄せ、肩に顔を埋める。
「始まったって感じだ、世界が」
 英二はとうとう堪え切れなくなって、涙と笑みを零した。
「アッシュ、幸せになる覚悟は決めた? 準備はいいね?」
 そうして英二は、目の前にいる全世界の幸福の象徴である愛しい彼を、この上ない力で抱き締め返した。
 世界は滅んだが、また始まり、創造主である二人はこれからも幸せな世界で生きていくのだ。それは、複雑怪奇な科学現象で宇宙が出来上がり、キリストが生誕するよりも、確かなことである。