さもゆ
2024-11-14 21:28:47
2200文字
Public MHA
 

【轟百】どういうことだろう

涙と轟と八百万の短い話。

(轟さんはどういうつもりでああ言ったんでしょうか)
(どういうわけか、嫌だったんだよな)
(あの二人はどういうことか分かってない。やばい)
2018.9.13 たまごのお粥pixiv投稿作品

 ほたほた。

 音にするならそんな感じの透明な涙が、隣に座る八百万の両目から溢れていて、轟は席につこうとしたまま固まった。

 引きかけた椅子をそのままに、凛と佇みながら泣いている八百万に向かって、自分でも少し笑ってしまうくらい動揺した声をかける。

……ツボでも押すか?」

 いや、言いたいことはもっと他にあるはずなのだ。

 なんで泣いてんだ。
 体調が悪いのか?
 それとも、誰かに泣かされたんなら、凍らしたり燃やしたりするぞ、俺が。
 
 たぶん困惑しすぎて、それらの言葉は全然違うものとなって出ていってしまった。体調でも悪いなら、効くツボを教えてやる、そう言ったのならまだ良かったかもしれない。でもだって、困惑、戸惑ったのだ。轟は以前と違い、周りに目を向けるということを覚えた。だから、隣の席の八百万に朝の挨拶をするのは、とても自然なことだったのだ。寮生活が始まり、寮で言おうが学校で言おうがそうだった。彼女は律儀に、目を見て挨拶を交わしてくれる。前は――入学したての頃から体育祭前までは、クラスメイトに挨拶されても自分から目を合わせるなんてことはしなかったが、今は別だ。相手が自分を見ていたら見るし、殊八百万に関しては、轟から目を見て挨拶をすることも多くなっていた。

 彼女の目は綺麗だ、と密かに、素直に轟は思っていた。

 その瞳から、ほたほた涙が零れている。おはようございます、と、轟から言ったおはように返してくれて、そして目が合った瞬間の涙だった。

 ……目が合った瞬間の?

……悪い。泣かしたの、俺か」

 こういうことに鈍感な轟にしては、珍しく率直な考えだった。

 それまで泣いていなかった人間が、目を合わした途端泣き出したなど、原因は決まっている。泣かせるような何かをした覚えはなかったが、それでも八百万に詰め寄られれば自分は誠心誠意謝るし、自分を凍らしたり燃やしたりもする所存だった。

 八百万は目を丸くして、慌てて視線をあらぬ方向に逸らした。

「違いますわ、轟さん、これは個性ですの」

「個性?」

「はい。私、今朝は早めに登校したのですが、その際に普通科の方が特訓している場面に遭遇しまして」

 その方の個性は、涙を操るものでした。自分のも、他人のも。涙を自在に出させたり止まらせたりというものなのらしいですが、色んな条件下で涙を流せるよう、練習しているんですって。それで、私に誤ってかかってしまったのが、『他人と目が合うと涙が出る』という、非常に興味深いものだったわけです。

 八百万の聞き取りやすくどこか楽し気な声の説明が終わり、明後日の方を見ている彼女の瞳を見つめながら、「なるほどな」轟はようやく席についた。

「まだまだ面白い個性の奴っているんだな」

 昔なら、なんの役に立つんだそれ、と心ない感想を言っていたかもしれない。

 八百万は楽しそうに何度も頷いた。

「はい! 涙を自在に操る、使いようによってはとても役に立つと思います、たとえば――

 ああ、心ない感想を言ったとしても、八百万は同じように轟が思いつかないことを真面目に語るのだろう。それがなんだか、こそばゆいような、不思議な感覚だった。

 アイデアを嬉々として話す八百万の視線がこちらに向かないことを、どこか物足りなく感じた時、近くでクラスメイトの――彼女の方ばかり見て耳を傾けていたので、誰か把握できなかった――「おはよう」が届いて、八百万はそちらに顔を向けようと首を動かした。

 駄目だ、と思った。

 彼女にとっても挨拶は自然なもので、相手の目を見て言うのが当たり前で、そうすると目を合わせた者は彼女の黒曜の瞳から流れ落ちる透明な雫を見ることになって――

 轟は咄嗟に手を伸ばし、その柔肌の頬を挟み込んで、自分の方を向かせた。

「ふぇ」

 八百万が、先ほどよりもまん丸く両目を見開かせ、そうして見る見るうちに水の膜が張り、留まりきらずにほたほた涙が落ちていく。

「と、とろろきひゃん?」

 もしかして、俺の苗字を呼んだのか、それ。発音があやふやな理由を数秒考え、すぐに思い至る。正真正銘、八百万の頬を片手で挟んで目を合わさせている、自分のせいだった。

 眉間に僅かに皺を寄せ、彼女の涙の理由を考えた自分のように困惑しきった眼差しを向けてきている。絶えず、涙は流れ続けていた。手を離さなければ、という指令よりも、この行動を起こさせた理由を口にするのを、脳みそは選んだらしかった。

「なんか、……お前が俺じゃない奴を見て泣くのが、嫌だと思った。たぶん」

 言ってしまえば自分でも納得できた理由だったが、たぶんとついたのは、本当にそれだけのことだったのか怪しかったからだ。もっと何か、相応しい言葉があったかもしれない。だが今は思いつかず、やむなく轟は八百万から手を離す。思えば、戦闘訓練でもないのに女子の頬を鷲掴みにしてしまった。これは駄目だろう。

「悪い。いくらでも詰ってくれ」

 轟だけがそうして完結していったのをもちろん自分では気づかず、頬に手を当て疑問符を飛ばし首を傾げる八百万が不思議で、轟も首を同じ角度で傾けるしかなかった。  

 クラス中から、声にならないツッコミと、静かなるため息が溢れたのは、そのすぐ後だった。