愛する神の歌

※pixiv再掲
43話直後。
若干弟→兄。

 ノックとほぼ同時に病室の扉が開かれる。そこから何一言も言わず入って来た兄の姿に、寝台の上のトーマは驚いて背筋を正した。
 途端にずきりと、負傷した身の何処かが痛んで思わず顔を顰めるが、気付かなかったのかその振りをしたのか、兄は無言の侭にぐるりと部屋を横切ると勝手に見舞客用の椅子に腰を下ろした。
 「レイヴンにやられたと聞いた」
 何か挨拶を探すより先に開口一番にそう、えらく平淡な調子で言われてトーマは俯いた。制帽の鍔の陰になった兄の表情はよく見えなかったし、正直今は余り見たくはないと思った。
 「……面目ないです」
 挨拶も抜きなのだ、兄の辛辣な口振りが果たしてどう己を攻撃するのかと、トーマは身構えながら怖れる。
 兄は厳しい人だが無作法に当たりがきつい訳ではない。道理と筋は通す。だからこそその叱責はぐうの音も出なくなる程に効く。正しすぎて反論が出来ない様な叱責は、己に非があると思っている人間にこそ痛烈に突き刺さるのだから。
 「バンから聞いた話とディバイソンの戦闘ログから察するに、戦う気満々の勝つ気満々で挑んだ様だが」
 まるで書類でも読み上げている様な口振りだが、兄は俯くトーマの横顔をただじっと見ているだけだ。既に言いたい事は腹の裡に溜めて来たに違いない。
 「……否定はしないです」
 肩を落としてトーマは渋々答える。
 レイヴンが、眼の前に立ちはだかった己とディバイソンとをまるで意にも介さず、バンだけを目標と定めていた事が癪に障ったのだ──、とは自分でも解っていたが、それを説明するのも憚られた。バンの元にフィーネが居たからそれを気遣った、と言うのも勿論あるのだが、以前対峙した事もあると言うのに、己をレイヴンが全く脅威として見ていないと言う事実は思いの外にトーマの自尊心を叩いたのだ。
 子供じみた対抗心が動機として大きい、と言う事を反省点として理解し受け止めているだけに、兄にそれを改めて切開されるのは嫌で、トーマは益々俯いた。
 そうした所で手を緩めてくれる兄ではないと解ってはいたが。
 「何故そんな真似をした?」
 「……
 静かな歎息であった。兄は足をそっと組むと、俯くトーマにもそうと解る様に顎を擡げた。トーマが羞恥に顔を熱くしながらもちらりと窺い見た表情の、その平淡な静かさに胃が竦むのさえ解る。
 「知っているとは思うが、奴の行方は現在帝国の総力を上げ追っている。ジェノザウラーなどと言う、プロイツェンの遺物と言って良い兵器級のゾイドを奴はどうやって再び手にしたのか。各地で騒動を起こしているヒルツたちとも関係があるのか。
 ──奴から聞き出さなければならない事は沢山ある」
 そこで兄は言葉を一旦切った。針の落ちた様な沈黙に、空調の音でさえ遠慮している様に遠い。兄の言葉は特別鋭くはなかったが、だからこそトーマの裡に酷い不安をもたらす。
 「お前はガーディアンフォースだが帝国軍人でもある。軍人として最初にやるべきだったのは、最寄りの基地か帝国軍本部への通報だった。だが、通信ログにはお前が発信を試みた気配は一切見受けられなかった」
 そこまでは淡々と事実のみを言い並べているだけだった、兄の言葉の調子がそこで変わった。鋭い歎息。組んだ腕の下で指が神経質そうに動いて自らの腕を叩いている。
 「職務を怠った挙げ句の勇み足での負傷。同情の余地はない。軍務中であったのならば職務怠慢で処分が課せられる所だ」
 「………申し訳ありません」
 己に瑕疵が一切無ければ、負傷しているのに厳しく言われている、とでも思えたかも知れないが、生憎とトーマにあるのは兄の言い並べた通りの過失だ。やはりぐうの音も出ない。
 シーツを握り締めた指が強張っている。何の慰めにも気休めにもならない痛みの顕れが余計に己を惨めにする気がして、トーマは奥歯に力を込めた。
 正論と、不甲斐なさと。己を責める要素は山ほどあったし、それはここ数日の入院期間で幾度となく己で詰って来た事ばかりだ。
 抑圧されて来た感情がぐるぐると腹の底で凝っている。叱責に抗う気力など端から無い。必要なのはそれを思い知らされる事を受け止めるだけの──殴りつけられる前に歯を食い縛る様な胆力だ。
 まるでトーマのそんな覚悟を待っていたかの様に、兄の瞳に細められた瞼のつくる翳りが落ちた。
 「相手の力量も測れず、ゾイドの力を過信した結果だ。言ってやろうか?──『未熟者』」
 「~……っ、」
 薄い唇の刻んだ、何よりも辛辣で冷たい言葉に、トーマは痛みさえ憶えて歯を食いしばった。恥と憤りと情の無さと惨めさ、そしてわざわざそれを切開する兄に対する僅かの恨みがましさ。
 だが、何を口にした所で言い訳にしかならないのも解っている。熱くなりそうな目頭にぐっと力を込めたトーマにまたひとつ歎息を寄越して、兄は足を組み替えた。
 「偶然通りすがったムンベイと、意識を失ったお前を必死で連れ帰ろうとしたディバイソン、ビークに感謝するんだな。あの儘では本当にお前は死んでいたのだから」
 「………はい」
 果てしない罪悪感であった。懺悔をしようにも聞く者は居ない。
 功を焦って敗北した、と言うよりは、つまらない意地の為に本来すべき事を疎かにした事こそが問題だった。
 傷ついたディバイソンとトーマを発見し、近くの基地まで運んでくれたのは偶然にもバンの旧知の仲間のムンベイと言う女性だった。ビークが彼女を識別し選んだ訳では無論無いので、ムンベイがトーマを救助してくれた事は単なる偶然に過ぎない。そしてその偶然は良い方向に作用して呉れた。
 トーマを発見したのがムンベイでなかったら。否、それ以前に、メガロマックスが押し負けるのがもう少し早ければ。きっと今トーマはここでこうして、己の不甲斐なさに項垂れる事すら出来なかっただろう。
 感謝と罪悪感とは混在するものなのだと思って、トーマは相変わらず洌い程の眼差しをした兄の顔を見上げる事も出来ずに居た。そんな弟を前にもう一度歎息すると兄はゆっくりとした動作で立ち上がる。その姿ですら追う事が出来ない。
 「これは上官命令と取れ。雪辱をなどとは考えず、奴の対処は我々に任せてここで大人しく養生していろ。良いな、シュバルツ中尉」
 「……はい。了解しました、シュバルツ大佐」
 言い渡されたのは事実上の謹慎の様なものだ。尤も、動きたくとも負傷が治らない限り、ディバイソンの修復が終わらない限り、何一つ過分な行動など取れる筈は無かったが。
 恐らくだが、弟の失態で兄も何らか上から言われる事があったのだろう。形ばかりの謹慎が、示しをつける為の『命令』なのは明らかだ。
 その事について兄はわざわざトーマに文句を言う事は無いだろうし、責めたり当たり散らす様な事も無いだろうが。
 俯いた侭のトーマを気にもしない様に、こつこつと靴音が遠ざかり──ぴたりと停止した。
 「……──お前が、」
 一呼吸の間の後にぽつりと放たれた言葉に、岩の様に固まっていたトーマの頭が反射的に持ち上がった。その声には温度の無さこそあれど、冷たく突き放す様な調子が無かったからだ。
 シュバルツ大佐ではなく、聞き慣れた兄の声で、言葉だと思った。
 トーマの視線が背中に向けられているのは感じているのだろう。扉の前で立ち止まった兄は、躊躇う様な間を置いてから続けた。
 「……お前が、生きていてくれて良かった。もう馬鹿な真似はしないでくれ」
 「──、」
 にいさん、と思わず口が上下した。湧き起こった感情の洪水の方が大きくて言葉にはならなかった。そんなトーマの前で兄の手が扉にかかる。
 散々に醜態を晒して叱責までされたのに、現金なものだと思う。だが、上官ではない兄の言葉が、個人としての気遣いがちゃんと寄越された事に、トーマは酷い安堵を憶えて泣きそうになった。
 「それも、上官命令、ですか」
 然しトーマのそれが兄にとって同種の感情であるとは限らない。だから思わず慎重に、ひねた様に竦んで出たのはそんな言葉だった。
 すると背を向けた侭の兄がふっと笑う気配がした。
 「命令されないと出来ないとでも?」
 「……いえ、」
 トーマがかぶりを振ると、兄はほんの少しだけ首を振り向かせてこちらを見た。口端の描いた僅かの弧は、きっと安堵を由来としたものだったのだと思う。
 「そうか。出来ないと言うのなら、もう一度未熟者と言ってやらなければばらない所だった」
 「兄さん、」
 トーマに対する兄の心配も、上官としての憤りも理解の内で、正しい事だ。どちらも吐き出すには思い悩んだのだろう様子など微塵も感じられなかったが。
 ありがとうございます、とも、すみませんでした、とも言えず、引き結んだ唇の向こうに種々の感情を飲み込ませたトーマに再び背を向けた兄は、それじゃあな、といつもの調子で言うと病室を出ていった。
 残されたトーマは、上官に酷く叱られたばかりだと言うのに、悔しさではなく嬉しさに泣きそうになっている自分に、情けない、と思いながらも堪えきれずに、抱えた枕に顔を埋めるのだった。