灰色の菫草

※pixiv再掲
61話後から62話までの間ぐらい。
若干弟→兄。

 帝国領内に到着したウルトラザウルスは重力砲の取り付けの作業に入った。一旦はデススティンガーの追撃を振り切ったとは言え、ぴりぴりとした危機意識は未だ残っていたが、現状本部が動けないのだから乗組員たちにも出来る事は限られている。
 因って、ここまでずっと前線で働き詰め、戦い詰めだった者たちも暫しの休息を取る事となり、借り受けた港湾部の帝国軍の基地の休憩室は久々の穏やかで浮かれた空気に包まれていた。
 酒も供されたが全員で潰れる訳には行かないからと、自然と立場や役割の近い者の間で相談やら譲歩の遣り取りが交わされ、飲酒の権利者は半数以下にとどまった。それでも皆それなりに肩の力を抜いて騒いでいる。
 幾つも首筋に迫る死を潜り抜けて漸く訪れた休息に、どこか享楽的な空気に身を浸して仕舞いたくなる心理に理解は及ぶ。羽目を外し過ぎる様子がない限りは少しぐらい放っておこうと、目立たぬ様窓に向かった席に浅く腰を下ろしたシュバルツは、グラスに注がれた果汁をちびりと舐めた。
 「お酒みたいな飲み方しないで下さいよ、兄さん」
 そこに同じ様にグラスを持ったトーマがやって来て、断りを入れてから隣に腰を下ろす。先程まで中央の賑わいの中でバンやアーバインにあれこれ突かれてフィーネに微笑まれあたふたしていたのだが、抜けて来た様だ。
 「お前はアルコール組だったか」
 トーマの置いたグラスに鼻先を近づけて言うと、「飲んだら駄目ですよっ」と慌てた様にグラスを遠ざけられた。酒を呑む様な仕草でグラスを傾けていた所為で、飲みたそうにでも見えたのだろうか。
 「飲まんよ」
 「痛っ」
 生意気な気遣いを寄越して来たトーマの額をぴんと指で弾き、シュバルツは自らのグラスをまたちびりと舐めた。
 確か、前線パイロット組でアルコール争奪戦をしていた筈だ。バンは飲めないから不戦敗だが、トーマとアーバインとは激しいじゃんけんでの争いを繰り広げていた。顛末は見届けなかったのだが、どうやらトーマが飲酒の権利を勝ち取ったらしい。
 敗北したアーバインは、こちらはウルトラザウルスの操縦をすると言う事で有無を言わさずアルコール禁止を言いつけられたムンベイと共にカードゲームの胴元に転じていた。アルコールを逃した分別の憂さ晴らしを選んだ様だ。まあこれも違法なものにならない限りは構わないだろう。賭けているのはつまみに用意された食品や菓子や煙草程度の様だ。
 シュバルツ自身は元々アルコールに頼る様な性分ではない。愉しむ程度には嗜むが、逃げるのに使おうとは思わない。とは言え、世の中にはそうする事で奮い立つ者も居るのは解っているから、その事自体を非難するつもりはないが。
 だからシュバルツの飲酒権はトーマと異なり円満に、同じ階級のハーマンに譲渡された。あちらは酒を浮かれ調子で楽しめるタイプの様で──しかもかなり強い──、バンたち若者を交えて共和国、帝国それぞれの軍人たちと楽しげに談笑していた。
 大分回っているらしく遠目にも顔がほの赤いのが伺える。ハーマンはそちらに向いていたシュバルツの視線に気付くなり小さく手を振って寄越して来たので、軽く肩を聳やかしてそれに応えると直ぐに背を向けた。
 軍帽を脱いでリラックスモードに入っているとは言え、お硬いイメージの強いシュバルツの姿が易々目に入れば、兵士たちにいらない緊張を与えかねない。共和国大佐の様な人好きの良さはシュバルツのイメージには生憎と備わっていないのだ。
 「ハーマン大佐、結構飲んでいる様ですね
 「ああ。まぁ明日に引き擦らなければ構わないだろう。お前も節度は保つ様に」
 シュバルツの視線を追ったトーマが傾けるグラスを見てそう言えば、漸く酒の飲み方が解って来たばかりの弟は困った様に眉尻を下げた。
 「実はそれもあって逃げて来たんです。騒いでいる連中の中に居るとどうもペースを失って仕舞って」
 「成程?一人隅でジュースを傾ける、誰も好んで近寄らないシュバルツ大佐の隣にわざわざ来たのはそう言う事だったか」
 「ちっ、違いますよ!僕はただ兄さんと話がしたくて、」
 「そうかそうか。気を遣わせてすまなかったなぁトーマ」
 「兄さぁん!」
 態とからかい調子に自虐めいた物言いをすれば、兄のそんな言い種に慣れている筈のトーマはおろおろと狼狽えて、最後は抗議めいた調子で叫んだ。情けない調子で響いたその声にバンたちが、またやってるよ、とばかりの笑みを向けて来るのに、シュバルツもそっと笑んで返す。
 「冗談だ」
 「解っています!」
 解っていても心臓に良くないんです、とぼやくトーマに、つまみ代わりに貰って来たチョコレートを一包み渡してやると、子供扱いされていると思ったのか頬が少し膨らんだ。それでも手のひらに置かれたその包みを大事そうに開いて行く仕草を見ながら、シュバルツは穏やかな心地でジュースの甘味を味わった。
 死線とは潜り抜けている最中には必死で、強烈な生存本能で脳内物質も出て恐怖や不安を忘れる。ちょっとしたハイの様な状態だ。前線で戦う戦闘員にこそその傾向は強く、一時的に冷静さや思考能力が削がれる程に闘争本能が強くなる。
 そしてその状態が終了すると一気にダウナーに近い状況に陥る。安堵から抜けた気は、然し完全に熱が覚めて仕舞うと、今度は潜った死線の恐怖を実感しそれに負けそうになる。
 恐怖と緊張に飲まれる事を怖れ、そこを見ない様に殊更に享楽的なものや刹那的な快楽を求める様になるのだ。
 背後でどっと起こる哄笑。漂うアルコールの香り。緊張感から解き放たれたひとときの、破滅に向かう世界に向けた祝福。
 一際大きな声で笑う、己と同じ立場にありながら己よりも重圧を背負って歩く事になる共和国大佐の、己の決断を信じ固く口を引き結んだ横顔を思い出す。
 あの時はつい、フォローする様な物言いで話しかけたが、そんな気休めがなくとも彼は正しく己を信じ抜いたに違いない。それだからこそ今ああして楽しげに笑って、享楽的な休息に身を浸しているのだろうから。
 「いい気なものだ。まぁ、ああだからこそ人望があるのかも知れないが」
 ふとシュバルツのこぼした遠回しな褒め言葉に、口の中でチョコレートを転がしていたトーマは賛同を示して頷いた。兄とは大凡真逆なタイプの人物だとハーマンを評する弟だが、その指揮官としての適正は認めているのは知っている。
 「あれは私とは違うタイプだからな。多少脳筋な所はあるが、その言動や振る舞いは見る者従う者に不思議な胆力を与える。この、人類最後の砦の中では彼に勝り適する指揮官は他には居るまい」
 「ハーマン大佐だけじゃなく、兄さんだって慕われていますよ!」
 そこで突然何故か怒った様に言われ、シュバルツは傾けたグラスに口を付けかけた所で眉を寄せた。
 「一時は、シュバルツ少佐の部隊に配属されると軍功や出世は見込めない、などと言われていたぐらいだが?」
 「それは!プロイツェンの強行な体制が問題だっただけです!徒に戦火を拡げないと言う兄さんのやり方は何も間違っていません!」
 握りこぶしを作って唾を飛ばす弟の姿に、兄は何と返したものかと考える様に眉間を揉んだ。その横でまだ言い足りないのか、トーマは猶も続ける。
 「今だって、シュバルツ大佐を慕う者、尊敬する者は軍にもガーディアンフォースにも、このウルトラザウルス艦内にも沢山居ますから!僕だって──、」
 そもそも何がスイッチになってこんな話になっているのだったか。参ったな、とシュバルツは取り敢えず隣のトーマの背を宥める様に叩いた。
 「解った、解った、トーマ。お前、結構酔っているだろ」
 「酔ってません!」
 返す口調はまだ強かったが、背をとんとんと一定のリズムで叩かれている事で幾分落ち着きを取り戻して来たのか、猶ももごもごと言い募っていた口は噤まれた。だがその分頬をまた膨らませている。
 そこでシュバルツは何となくだがトーマが頬を膨らます意味が解った気がして、苦笑した。
 「自虐でも卑下でもない、正しい評価だ。私は私の認めた人物を正当に評価しているんだ」
 「……解っています!解っていても、面白くないんです」
 兄さんがハーマン大佐に劣っていると言っている様で、と今度はそんな事をぼやくトーマの背を撫でてやりながら、シュバルツは未だ中身の残っている己のグラスを差し出した。
 「少し薄めると良い。落ち着くから」
 「………すみません」
 自分でも感情の大幅なぶれがアルコール由来のものと解っていたのか、トーマはシュバルツの差し出したグラスを受け取ると、甘味のある果汁をぐいと呷った。
 「アルコールはもう終わりにしよう」
 言って、シュバルツはトーマのグラスを取り上げると、大分氷を溶かして水割り以下になったアルコールをちろりとだけ舐めた。薄まり過ぎていて、割った果汁の甘い香りよりもアルコールのそれが変に鼻について仕舞っていて、お世辞にも飲めたものではなくなっている。
 「また、お酒みたいな飲み方して
 「………
 思わず手の中のグラスを見る。トーマの持って来た果汁で割った酒。それがここにあるのだから当然トーマの手の中に今ある方がシュバルツが渡したただのノンアルコールのジュースだ。
 シュバルツは、どうやらすっかりアルコールに脳をやられて認識力の危うくなっているらしい弟を見遣ると、そっと立ち上がった。とっととこの原因となったグラスを片付けて、それから、本格的に泥酔される前に部屋に帰らせた方が良さそうだ。