他律的忘却論

※pixiv再掲
54話以降辺り。
会議準備中のオコーネルとシュバルツ。

 まだ誰もいない会議室で、オコーネルは準備に追われていた。
 すっかり定例になった共和国と帝国、ガーディアンフォースも交えた会議である。今日の議題はそこまで重要性の高いものでは無く、共和国と帝国との情報共有と整頓、互いの行動確認と言った所だが、万一にでも不手際や抜かりがあってはならない。それで上司や国の面子を潰すのなんて御免だ。
 資料を粗方まとめ終えた所で一息ついていると、会議室の扉が開かれる音がした。振り向くと、ここ数年ですっかりと見慣れて仕舞った気のする、帝国の軍服に身を包んだ男が一人入って来た所に出会う。
 「シュバルツ大佐」
 お久しぶりです、と背筋を正して敬礼の姿勢を取る。どうにもお堅い印象の強いこの若い軍人を前にすると反射的に妙な緊張感が走っていけない。
 「ああ、畏まらないで良い、オコーネル大尉。この会議の場では国や階級の差は重視しない取り決めなのだからな」
 畏まるオコーネルと対照的にこちらは上級将校らしい軽い敬礼を返すと、被っていた軍帽をそっと取り、決められた自分の席へと向かった。その行方を追って視線を巡らせるオコーネルに向けて、
 「少々早く到着し過ぎて仕舞っただけだから、構わないで良い」
 と、いっそ素っ気ない様な調子で言いながら、椅子を引いて腰を下ろす。その動作一つにも落ち着きや優雅さがありありと伺えて、常に人目を意識した振る舞いを心がけているのが解る。
 カール・リヒテン・シュバルツと言う名のこの帝国軍将校は、実に生まれついての軍人貴族と言ったイメージを漂わせた男である。整った容貌は、共和国では余り見ない色素の薄さと相俟って酷く冷淡な印象を見る者に与えるし、毛程の乱れもない佇まいは如何にもお硬い人柄を想起させる。
 オコーネルも当初は多くの例に漏れず、とっつきにくそうな人だ、とシュバルツの外見に受ける印象からそう思っていたのだが、オコーネルの上司であるロブ・ハーマン曰く「あれは単にお行儀の良い振りが得意なだけだ」だそうで、成程確かに実際相対してみればなかなかどうして、硬くも無ければ冷淡でもなく、外見から受ける諸々の印象と合致している要素はシュバルツ自身の性質としてはほぼ無い事に気付かされた。
 舌鋒鋭く、油断していると棘が飛んで来るのが玉に瑕だが、こうして二国間会議で顔を合わせる程度には問題もない。ハーマンは今まで何度もその言動に撃ち抜かれている様だが、オコーネルは幸いにも未だ一度も鋭い一刺しを貰うには至っていない。
 シュバルツは小脇に抱えていたファイルを開くと、机の上に置いてあった今日の議題についての資料と重ねて真剣な眼差しをそこに落とした。ただ文字を追っているだけの顔が、仕草が、矢張り妙に絵になる。
 うちの上司も見てくれだけならそこそこ優れているのだから、こう言った所作を意識するとこうなるのだろうか、とぼんやりと視界の端のシュバルツを見てオコーネルはそんな事を考え、似合わない事この上ないな、と苦笑し益体もないそんな想像を打ち消した。
 世の中やはり適材適所と言うか、出来る出来ない以前に相応しいかそうでないか、と言うものがあるのだ。
 その適所に収まったシュバルツの姿はと言えば、会議の資料に目を通していると言うよりは、恰も読書しながらティータイムでも楽しんでいる様な風情だ。そんな感想を浮かべた所でオコーネルは、そうだ、と思いついて、会議室の隅に設置された休憩スペースへと向かった。
 会議が中断された時にいちいち休憩室まで行くのは億劫だからと、ハーマンの提案で用意されたものだ。長机の上にはポットやコーヒーメーカーと共に菓子や軽食の類が用意されており、自由に頂く事が出来る様になっている。
 オコーネルは蓋を開かれた菓子箱から焼き菓子を幾つか小皿に取ると、真剣そのものの表情で資料を捲っているシュバルツの席の邪魔にならない位置にそっと置き、何も言わず足音も忍ばせてまた、残された雑事に戻った。
 シュバルツがそれに気付いたのはそれから暫く後の事だった。菓子の置かれた皿に目を留めると彼はそっと手を伸ばし──相変わらずこれも無駄に優美な所作だった──、焼き菓子を一つ摘んで口に放り込む。
 すると、気難しげにしていたその表情が緩んだ。いつも被っている軍帽の翳りがないだけで、随分と良く解る変化であった。
 「うん。この菓子は良いな。選んだのは貴官か?オコーネル大尉」
 ふっと資料から顔を起こしたシュバルツの穏やかな表情に出会った所でオコーネルは、暇もあってつい不躾に観察していた己に気付いて慌てて背筋を正した。幸いにもシュバルツがそれを咎める事は無かったが、失礼な事に変わりない。
 「ええ、僭越ながら。地元で作っているものでして。気に入って頂けたのなら何よりですよ」
 「気を遣わせて仕舞って済まないな」
 目元を緩めてそう言うと、シュバルツは焼き菓子の事をよく褒めた。率直な物言いからもそれが世辞ではなく本心である事が伺え、オコーネルは恐縮気味にその賛辞を受ける。
 「折角ですし珈琲も淹れましょうか」
 「こちらは別に構わないでくれ。貴官の仕事を優先して貰いたい」
 「準備はもう終わりましたので丁度休憩しようと思っていた所です。何ならついでと思って、どうぞ」
 シュバルツの事務的な言い種にも怖じける事なく言うと、オコーネルはコーヒーメーカーの方へと向かった。ハーマンのこだわりで、ポーションタイプではなくきちんと粉からドリップするタイプのものだ。
 菓子のお代わりを皿に乗せつつ、オコーネルは慣れた手つきで珈琲を二人分淹れると、資料を片手に焼き菓子を摘み、先頃までと異なって随分とリラックスした雰囲気でいるシュバルツの席へと戻った。
 「どうぞ」
 湯気を立てるカップを差し出すと、シュバルツは柔い笑みを浮かべて手を伸ばした。
 「ああ。ありがとう、トーマ──、」
 言葉の響きが消えるかどうかと言う所で、ぴし、と音を立てて笑んだシュバルツの表情筋が引き攣った。オコーネルは瞬時に凍りついた空気に晒された背に冷や汗をだらりと伝わせる。生命危機を感じてか心臓が全力稼働していた。
 「え」と言う呆然とした呟きを口中で飲み込めた己に全力で感謝した。なんて?などと発しようものなら凍りついたこの空気はオコーネルの精神ごと忽ちに粉砕されていただろう。聞かなかった事にするか、聞こえなかった事にするか、何事もなく流すか。己の判断のどれを信じればいいのか判らず、硬直を続ける。
 これがそこらの普通の相手であれば、兄弟仲が良いんですねとでも笑って終わりだったのだろうが、何しろ事の当事者は一見して完璧にしか見えない様な人で、おまけにいつもならば失言の一つぐらいさらりと躱す器用さのある人なのだ。
 それが自ら墓穴を掘って狼狽えているのだから、それはもう居た堪れない。
 「……いや、、その……………失礼した」
 先に硬直から脱したシュバルツはカップを受け取るなりついと顔を背けるが、色素の薄い肌は項まで見事なぐらい真っ赤になっている。
 余程に不覚だったのか、今にも頭を抱えて喚きたそうにも見える。いっそこの侭退室してそうさせてやった方が良いのかも知れない。それはそれで何だか居た堪れない気はするが。
 「べ、つの味も持って来たので、宜しければどうぞあっそうだ資料を取って来なければ」
 ひりひりしそうな空気を棒読みで押しのけて何とかぎくしゃくと動くと、オコーネルは一礼して会議室を逃げる様に足早に飛び出した。閉まった扉の外で全身で溜息をつき、緊張感にフル回転していた心臓を宥めながらその場にしゃがみ込む。扉の向こうで何やら音がしているが、聞こえない事にする。
 「あ珈琲持って来ちゃったよ
 自分の分のカップを手にした侭だった事に気付き、仕方なくしゃがみこんだ侭オコーネルはからからに乾いた喉を潤すべく珈琲を啜った。苦くて熱い。
 さて、暫くの間は、清掃中とかそう言う貼り紙をしておいた方が良いだろうか。万一ここにハーマンが到着したりしたら面倒な事になる事請け合いだ。
 だが、シュバルツの再起動にどの程度時間がかかるのかは見当もつかないが、どうせ会議の時には何事も無かった様に元の、軍人然とした硬い見てくれに細やかな仕草で振る舞う、そんな有り様に戻っているのだろう確信はあった。