量の語る質の経験

ろぶか友人風味。 ※pixiv再掲
62話辺り。

 「生者の証言は一面的だが、死者の証言は多面的であると言う」
 
 突然投げられたそんな言葉に、ロブ・ハーマンは傾けかけていたコーヒーカップを一瞬停止させるが、それが余り意味のない行為である事に気付くと動作を続けた。ごく、と苦味と酸味が温かさと共に染み渡るのに、安堵の様な息をつく。
 ウルトラザウルス内部に整備された、将官の待機室だ。コックピットの発令所とは異なって、好きにコーヒーも淹れられるし、何より気を張っている必要も無い。
 つまりは休憩時間中である。そして同室に居合わせる相手は一人しかおらず、その言葉は独り言と言うよりはハーマンに何ら向けられたものの様に思えはするのだが。
 「……で?」
 結構な間を空けた挙げ句の一音だけの返しに、然し唐突な発言の主は元より返事など期待していなかったのか。膝上に斜めに立てたファイルの中の資料に目を落としながら、空いた逆の手の甲に顎を乗せ「ん、」と小さく頷くばかりでいる。
 その整った横顔に浮かぶ、憂いた様な面相も、首を小さく傾ける仕草も、無駄に細やかで美しく動いて成されるのだと、ハーマンは概ね常日頃感じるものと同じ感想を矢張り抱いた。ついでにその感想に付け足して、単に気難しい事を考え気も漫ろになっているだけなのだとも。
 謎掛けですらない、断定調子の言葉を投げたきり、シュバルツは手元の資料に綴られた世界へと再び没入して仕舞ったらしい。確か内容は先日の海上での戦闘の記録で、今更目新しい発見が何かあるものとも思えないのだが。
 (と言うか自分も参戦してただろうに。手が足りないから出るとか言いながら妙に楽しそうに)
 絵に描いた様な『生涯現場』を地で行くタイプだな、と、複数のゾイドが動くには広いとも言えないウルトラザウルスの背で器用に立ち回っていたアイアンコングMk2の姿を思い出しつつ、ハーマンはゆっくりとコーヒーを味わった。どうせ、先の一言がシュバルツにとって何か意味のあるものなのだとしたら、放っておけばまた戻って来るのだろうから。
 「人為的に多くの命が奪われる場──この場合だと戦場だが。生き延びた僅かの生者たちはその殆どが口を揃えて、敵方の悪辣さと非人道さを語り、自らの行いを正当なものと評価する。
 だが、実際に戦場跡を調査すると、彼らの言う『悪辣な』死者たちの亡骸は大体が目を覆いたくなる有り様を晒している。死者は最早言葉こそ紡げないが、生者たちの悪辣さをこそ、自らに下された悪辣な評価以上に証言すると言う」
 果たして、その帰還まではそれ程遠くはなかったらしい。ハーマンがコーヒーカップを三度程傾けた頃に、続きらしい言葉が紡がれる。
 「生者を擁した国は、大概の場合はそれを利して士気を上げる。語らぬ死者の量よりも語る生者の質の方が誰にでも明白に伝わり易いものだからな」
 これもまた矢張り、余り返答など求めていない類に思えたが、ハーマンは飲み干したコーヒーカップを置くと、相も変わらずファイルの中身に目を落とした侭のシュバルツの向かいの椅子に腰を下ろした。
 「その心は?」
 訊いてやるか、と言わんばかりの調子で紡がれたハーマンの問いに、資料から漸く視線だけを離したシュバルツの、形の良い唇が柔く弧を描いた。
 「……眼に見えないもの、耳に聞こえないものは『存在しない』と言う事だ」
 皮肉調子の得意な男らしい、随分と直球に皮肉な言い種であった。ハーマンは同意も否定もしかねる様に曖昧に頷くが、それも矢張り構わなかったらしい。シュバルツは膝の上のファイルから手を離すと、ぱたりと倒れたその上に肘を乗せて頬杖をついた。
 「これを成果と、卿は思うか?」
 「いいや」
 これ、と示す肘の下に無造作に倒された薄っぺらいファイルと、そこに刻まれた無意味な言葉の羅列を思い出して、ハーマンはそっとかぶりを振った。
 「降りかかる火の粉を払っただけ、と断じざるを得ないがな。指揮官としては」
 「その通りだ」
 淡い感傷を揺らして微笑む眦。諦念を受け入れた上級将校は、己がその先陣に立ち続ける事を已める気はないらしい。
 世界を護ると言うこの戦いの行く末が、その後が、どうなるかなど誰にも解らない事だ。決まるのは現在であっても、決めるのは現在では無いのだから。
 「いやに感傷的じゃないか?らしくないぞ、シュバルツ」
 手を伸ばし、シュバルツが肘の下敷きにしているファイルを抜き取ってそこらの空いた席に適当に放ると、肘を浮かせた彼は高々と足を組んだ。今はいつもの制帽を被っていないから、蜂蜜色の頭髪がさらりと揺れて、その首が緩く傾げられたのをはっきりと気付かせてくれた。
 「そう見えると?」
 「暇潰しの思索にしては、気が重そうに聞こえたからな」
 片眉をぴんと上げて妙に怪訝そうな調子で言われて、ハーマンは苦笑いを噛み殺した。暇を潰そうと、埒もない様な思索に無自覚に或いは無意味に耽るなど、やはりこの友人殿は風変わりな所がある。
 「答えの明確ではない事に想像を巡らせてみるのは、無意味かも知れないが有意義ではあると、私はそう思っているが」
 「ま、大体の人間ならそれを『無駄』と言うだろうな」
 「心外だな。まあ否定はしないが」
 微笑とも苦笑ともつかぬ形を刻んだ口許がほんの僅かだけ撓む様に歪んだ。何かを言いかけた様なその様子にハーマンが視線でだけ問いかけると、シュバルツはその口許を覆う様に両指を組んだ。
 「そうだな。緊張をしているのかも知れないな。それこそ『らしくもなく』か?」
 何が楽しいのか、こちらを見上げる眼を細めてそんな事を言われて、ハーマンはまた曖昧に笑った。これのどこが緊張していると言うのだろうと思うが、本人が敢えてそう口にしたと言う事は、まるきりの嘘と言う訳でも無いのかも知れないが
 重力砲の砲手と言う、世界の命運を懸けた戦いで重要に過ぎる役割を任せたのは誰あろうハーマンだ。否、クルーガー大佐が健在であったとしても、残存兵の中から同じ様にその技能を見出しただろうと確信出来る。
 だからハーマンは己の判断を全く疑っていないし、シュバルツもそれに否は唱えなかった。つまりは信頼を受けただけ応えてくれる自信もあると言う事だろう。そもそもにしてこの大佐殿が自信無く落ち込んだり緊張したりしている姿など想像もつかない事だが。
 (それで、いつもの様にどうでも良い様な話をしたかった、とか?)
 ふと浮かんだ思いつきは果たして正解かどうか。シュバルツに問う様に視線を投げてはみるが、彼は「うん?」と、空惚けてまるでこちらが何と答えるのかを待つ様な風情でいる。
 「…………意趣返し、と言う訳ではないよな?」
 口にしておいて何だが、これは違うだろうなとハーマンは内心即断していた。砲手に任命した事に対して思うところがあるならば、シュバルツの事だ、その場ではっきりと何かしら言い返しているだろう。
 案の定か。はぁ、と肩を上下させて歎息をつくと、シュバルツは平坦な声で言う。
 「……なぁ、ロブ・ハーマン?私はそんなに難題を投げているか?」
 「いや、お前の欲しい言葉が正直思いつかんだけだ」
 「甲斐性のない」
 正直に言えば益々呆れた様な声で両断され、ハーマンは少しばかり落ち込んだ。大男ががくりと肩を落とすのに向かって、シュバルツは左右の足を組み替えた。翠色の瞳が憂いでもする様に僅かだけ伏せられる。
 「最初に感傷的だの何だの言ったのはお前だろうに。一度気遣う素振りを見せるなら、最後まで責任を取って俺の鼓舞でも機嫌取りでも何でも良いからしろ」
 「……はぁ?」
 余りに居丈高な要求をきれいな笑みと共に放つと、ほら、とハーマンが次にどんな答えを提出するのかを待つ様に、椅子にゆったりと背を預けて仕舞う。そんなシュバルツの態度から、暇つぶしがどうやら無意味だが本人曰く有意義な思索からこちらに移った様だと確信しながらも、ハーマンは「あー」と呻いて考えを巡らせた。
 果たしてこの大佐殿は、己より僅かに年下の司令官の紡ぐ、どんな解答をお気に召すだろうか。
 「取り敢えず、コーヒーでも飲むか?」
 「ん」
 頼む、と仕草で促されて、立ち上がったハーマンはインスタントのコーヒーを準備する。一応は正解のひとつを踏む事が出来たらしい。
 まだ時間はある。曰くの鼓舞か機嫌取りか、はたまた暇つぶしかは知れないが、彼の気が済むまで付き合ってやろうと決めて、コーヒーカップになみなみと、シュバルツの分とついでに自分の二杯目の分も淹れる事にした。