行方不明になった心の上空

ろぶか風味。 ※pixiv再掲
45話後、思い出を頭の中で処理し損ねてるシュバルツとかMousou。

 いつも通りの事務処理のひとつだった。
 幾つかの書類や資料と照らし合わせて確認をし、判を押す。気は重くなるが、昨今増えた単純な手順だ。それに対して、作業と言葉にして仕舞う気にはなれない様なものだが、ひとつひとつに心を寄せるとそれだけ精神が摩耗する。
 だからただ粛々と、一定の敬意を以てシュバルツはそれを処理していた。
 一枚、二枚、三枚。或いは、一人、二人、三人。見つめる書面に抱く感想をわざわざ名付けたいとは思わないが、重く受け止める。尊重をする。
 だからひとつひとつには意味がある。それがただの自己満足か慰めでしかないと理解していても、そう言う気持ちにどうしてもなる。
 ふと、シュバルツの手が止まった。書面に印刷された活字の事務的な文字の並びをじっと見つめて、手袋をしていない指をそこに添えて、二度、読み直す。
 「………
 コードナンバーの並び。部隊や所属に因って割り振られた英数字から、ナンバーの持ち主の軍人としての人生が少しは伺える。
 それからシュバルツは同じ書類にステープラーで留められた写真を見た。
 そこに写っているのは焼け焦げて少し歪んだ認識票だった。煤で酷く汚れてはいたが、それを回収した後、撮影の前にはそこに刻まれたコードナンバーや氏名を出来る限り判読出来る様にと整える手順がある。
 だから、そこに刻まれたコードナンバーは視認する事が出来る。それを書き写した書面をもう一度、シュバルツは見る。写真と、印刷された文字列とを、じっと見比べる。
 誤りはない。文字列は一文字とて違わず正確に書き写されていた。
 「……
 更に、シュバルツは書面にじっと目を落とした侭、事務的に書かれた項目を見て行き、最後に遺体の有無を確認した。
 当該項目には、手書きで丸がしてあった。有る、方に。
 「……………
 奇妙な脱力感があった。やはり、と思う納得と、まさか、と思う感情と、そうか、と言う諦め。
 とん、と指先でコードナンバーの文字列を叩いて、シュバルツは書面から顔を起こした。執務室の窓の外は穏やかな陽気で雲ひとつ見えない。風は吹いているが、静かだった。
 ぎ、と音を立てて椅子の背に体重を預ける。天井を辿る視線が何らか追憶の様なものに手を触れかけて、然し何も掴めない侭に雲散霧消していく。
 何も悲しい事ではないのだが、何故か立ち止まって仕舞いたいとシュバルツはそう思った。思って、そっとそれを振り切る。
 「──」
 言葉が要る訳ではない。それでも口が一度、上下した。
 
 *
 
 翌日、その日の仕事を前倒しで片付け、半休を取ったシュバルツは陸軍のレドラーに乗って帝都からドラゴンヘッド要塞へと向かった。
 軍務での来訪ではないと道中通信で伝えておいたから、特に何か面倒なお出迎えや特殊な手続きが要る訳でもない。
 格納庫にレドラーを休ませると、シュバルツは事後処理で要塞を訪れている共和国の軍人たちの居場所を訊ね、そちらへと即座に向かった。
 「シュバルツ?久しぶりだな、よりによってここで会うとは」
 格納庫に程近い休憩室に、果たしてその男たちの姿はあった。座って珈琲を飲んでいたロブ・ハーマン共和国軍少佐はゆっくりと、傍らのオコーネル共和国軍大尉は慌てた様に立ち上がり、敬礼でシュバルツを迎える。
 シュバルツは敬礼を返すのと共に、挨拶もそこそこに「話がある」と切り出した。
 「話?」
 ハーマンは鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をして、オコーネルをちらりと振り向く。オコーネルは困った様に眉を寄せて「何でしょう?」と背筋を正した侭シュバルツの方へと向き直った。
 副官が上官の秘書の役割を以て物事を取り次ぐ事は別段珍しくもなんともない。ハーマンの場合は特に、事務仕事に余り縁の無さそうな性分故だろう、様々な事柄をオコーネルに任せっきりらしい。
 シュバルツは小さく息を吐いた。呆れた訳ではないのだが、うちの上司がすみません、みたいな気配を醸し出して恐縮するオコーネルの肩を労う様にぽんと叩いて言う。
 「ハーマン少佐に直接訊ねたい。すまないがオコーネル大尉──」
 席を外してくれないか、とシュバルツが目配せをすると、オコーネルは背筋を反らして敬礼し、「それでは先に戻っています」と言ってそそくさと背を向けた。
 その足音が遠ざかってから、ハーマンがやけに大きな溜息をついた。
 「珍しいな。いつものお前ならそんなに余裕もなく、怖い面はしていないと思うが?」
 言いながら、シュバルツの前を横切るとコーヒーメーカーを操作してハーマンは珈琲を淹れた。湯気を立てる紙コップをシュバルツの手に無理やり押し付ける様に渡してくる。
 「……どんな顔をしている?」
 揺れる珈琲の茶色い、泥の様な水面に視線を落としてシュバルツが問えば、返るのは笑い声がひとつ。
 「オコーネルが驚いて逃げるぐらいの顔だな。お前みたいになまじ整った面だと、能面の様に表情が無いって言うのはなかなか迫力があるもんだ」
 ず、と珈琲を含みながらハーマンに言われて、シュバルツは意識して己の表情筋を動かそうとしたが、それが余り上手く行っていない確信はあった。
 そうか、と頷くとシュバルツは珈琲を一口飲んだ。そうすると初めて、胃の腑のずしりとした重さに気付かされ、鈍痛にも似たその感覚に顔を顰める。休みを取る皺寄せになる分の仕事を、昨晩殆ど眠らず片付けた所為で疲労でもあるのだろう。
 味のない、苦くて胃を重くするだけのそれにもう口を付けられそうな気はしなかった。已む無くシュバルツはまだ殆ど中身を減らしていないそれをゴミ箱へと放り込んだ。
 「…………ここでは話し難い。移動しよう。出来れば、空の見える所がいい」
 そう言って歩き出すシュバルツを、ハーマンは肩を竦めたものの大人しく追って歩いて来る。一度は配属された事もあるから歩きは慣れた要塞だ。シュバルツはハーマンを伴ってエレベーターに乗り、無言で最上階のボタンを押した。
 
 *
 
 要塞の屋上は飛行ゾイドも駐機出来る臨時滑走路になる様に出来ており、広々とした周囲には殆ど障害物の類はない。強い風に吹かれながらゆっくりと歩いて、共和国のレッドリバー基地のある方面、渓谷を一望出来る所で立ち止まる。
 遠くには再建されたファイヤーブリッジが渡され、唯一の通行路としての存在感を見せつけている。帝国と共和国との和平が実現している今では、戦略的な要衝としての価値は大幅に低下したが、渓谷を渡る安全なルートの一つである事に代わりはない。
 見晴らしの良いそこから、渓谷の風景をぐるりと見回してみるが、そこには特に見て解る様な『何か』の痕跡は残されていなかった。少なくともシュバルツが期待する様なものは、何も。
 「……で、どうしたんだ」
 珈琲を啜る音と共に背後のハーマンに痺れを切らした様に言われて、シュバルツは視線を空へと投げた。どうせ何も見つけられないのであれば、少しでも空が広く見える方が良い。
 「事後処理に訪れていると聞いた」
 「ああ。ま、レッドリバーからは目と鼻の先だからな。大した手間じゃない」
 まさかわざわざ会いに来てくれた訳じゃないんだろう?と笑いながら言うハーマンにはまだ背を向けた侭。どんな面をして冗談を抜かしているのかは確認しない侭。シュバルツは静かに切り出した。
 「共和国から技術提供された機体が強奪されたそうだな」
 それ自体は別に極秘の話でもなんでもない。シュバルツも件の詳細については報告書を受け取っているし、逆に言えばそれだから今、ここに来ているとも言えた。
 「3Sの件か。……なんだ、やけに今日は回りくどいな、シュバルツ」
 「そうかな」
 端的な問いばかりでいつまでも本質に入らない問答にうんざりしてきたのか、ハーマンは歩いてシュバルツの横へと並んだ。頭ひとつ近く上の高さから、顔を覗き込む様に視線を寄越して来る。
 暫くその侭伺う様に佇んでいたが、肯定とも相槌とも取れぬ言葉を投げたきりシュバルツがそれ以上を続ける気がないのを見て取ったのだろう、ハーマンはやれやれと大袈裟な仕草で肩を落とした。
 「強奪事件に関しては帝国側の警備の過失と敢えて言わせては貰うが、目の前でむざむざ持っていかれたのは間違いない。無傷で取り戻せれば良かったんだが、機体性能の良さに加えて犯人が結構に腕の良いパイロットでな。プテラスで待ち伏せを試みたんだが、残念ながら撃墜されて仕舞った。だが、バンの奇策が功を奏して、最終的には駆けつけてくれたアーラ・バローネのロッソが墜としたんだ」
 「………
 シュバルツに続ける気がないのなら、全部語ればその中に答えはあるだろうとばかりに、ハーマンは特に躊躇うでもなく包み隠さぬ経緯を語った。それもまた、シュバルツが報告書の書面で触れた内容と大差はない。
 もう一度、シュバルツは空から落とした視線で辺りを見回してみた。そこに何の痕跡も無い事を再確認すると、それから隣に立ったハーマンを見上げた。
 心の悲惨を感じるのは、我がそこに根強く生きているからだ。シュバルツは吹き抜ける風に髪を揺らされながら、ポケットを探るとチェーンを指に引っ掛けてそれを取り出した。
 ちゃり、と音を立てて指から下がったそれは、煤に汚れ熱と衝撃とに歪んだ、帝国兵の認識票だ。それを見てハーマンが怪訝な顔をするのに、シュバルツは漸く口を開いた。
 「……撃墜された3Sの中から、パイロットの遺体と共に回収されたものだ」
 死亡報告書に添付された写真と同じ、歪んで、焦げた板状の認識票。違う文字列の書かれた同じものを帝国軍人であるシュバルツも身に着けている。今も、当然の如くに。
 焦げても歪んでも、はっきりと読み取れた文字列。帝国軍人ひとりひとりに割り振られたコードナンバーの他には、名前が。
 ──ラルフ。
 「…………友人だった。あいつはどうだか知らないが、少なくとも俺は、そう思っていた」
 「……!」
 風に揺れる認識票を手のひらで捕まえて、シュバルツは倦怠に満ちた息をゆっくりと吐き出した。
 流石にハーマンの顔にも驚いた様な気配が過ぎったが、気付かない素振りでシュバルツは続ける。
 「プロイツェンの叛乱の時にも奴は部下と共に撃墜されている。だがその時は遺体は出なかったからな、幾つかの証言以外には叛乱に明確に加担していた証拠もない為にMIAと言う扱いにはされたが、公ではないものの軍では指名手配のリストに名を記されていたんだ」
 生き汚いやつだからてっきりどこぞへと逃げ果せたのだと思っていたんだが。そう付け足した所で、シュバルツは認識票をポケットへと仕舞いなおした。
 「因果なものだと思うが、その時も奴の乗ったブラックレドラーを撃墜したのは、ロッソだった」
 そこに来て漸く僅かに微笑んだシュバルツの表情から、滔々と紡ぐそれが何らか恨み言の類ではないとは判断したらしいハーマンが、唸る様に言う。
 「つまりそいつは、プロイツェンについた側だったんだろう?」
 ハーマンは、『敵』だったのだろう、と一呼吸置いてから強調する様に言ってシュバルツの横顔へと視線をやった。怪訝な表情をしている男を意識の端に見て──やはり空の広さが欲しくなって、シュバルツは何もない空へと視線を逃した。
 「ああ。俺は実際に目の前で、時代の勝ち馬に乗るべきと主張するあいつが、当時のルドルフ殿下を殺害すると宣うのを見たよ。酷い裏切りとは責められなかったが、」
 ──それでも、友だったんだ。
 殆ど声として出ない掠れた囁きめいた音に、ハーマンは何と返したものか考えあぐねる様に腕を組んだ。珈琲を飲もうとして、紙コップの中身がもうカラであった事に気づいて舌を打ち、カップを握りつぶすとポケットに乱暴にそれを突っ込む。
 多くの死と多くの沈黙と多くの経過の上をシュバルツは軍人として歩いて来たが、その言葉を明確にそうと口にして仕舞うのは、何故か酷く陳腐な事を己がしている気になりそうで嫌だった。
 感情移入はもう沢山だ。黒い鴉の吐き出した、全身を砕かれ燃やされた人間の死に様など。空虚と憐憫と無理解への嘆きに塗り潰された屍骸など。
 「……シュバルツ。お前が自らそうやって口にすると言う事は、既にお前なりの結論や解答や、何か心の収まり所を見つけて、そして割り切りを得ていると言う事なんだろう?」
 空を見上げた侭のシュバルツの耳へと、どこか諭しでもする様な調子で紡ぐハーマンの言葉が入って来た。優しさでも気遣いでもない、ただ彼の知る事実を示しただけの──大体は正解と言えるだろう己の評価に、シュバルツは一定の満足に似たものを憶える。
 「少なくとも俺の知っているお前は、カール・リヒテン・シュバルツと言う男は、中途半端で無意味な悩みや迷いの断片を他人に任せられる程、物分りが良い奴じゃない」
 きっぱりとした言い種だった。ロブ・ハーマンなりの、きっとそれがシュバルツに対する理解と評価の一端であった事は疑いようがない。
 心地の良い感謝と、埋められはしなかった失意との狭間に佇み、シュバルツはただ静かに微笑んだ。
 「お前は本当に私と言う人間をよく知悉している。だが、今日に限っては駄目だな」
 不意に強い風が吹き抜けた。押さえる間もなくシュバルツの軍帽が宙を遠く舞い、金色の髪を乱していく。白い雲の筋を幾つも描く蒼穹の下で、喉を裂いて出ていかなかったものは叫喚だった。
 「俺は、どうやら落ち込んでいるらしいんだ。ロブ・ハーマン」
 下げた侭の両手を拡げて、困った様に、持て余す様に、シュバルツは笑った。
 衝撃こそあれど悲しさは憶えなかったし、詮無き事と理解もしている。わざわざ口にする恨み言でさえも最早無い。
 それだと言うのに、まるで頭の螺子でも外れた様に、シュバルツの体は勝手に徹夜で仕事をして勝手に半休を言い出して勝手にこんな所まで来て仕舞った。
 3S強奪事件の事後調査でレッドリバー基地からドラゴンヘッド要塞まで、共和国軍の知己が来ていると知って、それでこんな事をしたのだとすれば、自分も大概おかしくなっているのではないかと、そんな事を思いたくもなる。
 「泣く程に繊細な神経は持ち合わせていないし、プロイツェンやらヒルツに従ったあいつの自業自得だとも思っている。それでも、この悲惨についてを考えるのならば、俺は何をしたら良いんだろうな?」
 こんな時ばかり、雨の気配すら呉れない空の下だった。ハーマンはその顔に憂いに似たものを乗せると、ゆっくりとシュバルツの後頭部を引き寄せ己の胸に押し付けた。
 「……泣かせてはやれないが、泣くふりぐらいは出来るだろう?訳のわからん事に遭遇したら、思い切り叫んでみた方が楽になれる事はあるぞ」
 妙に重々しくそんな事を言うハーマンに、シュバルツは息を漏らす様にして笑い声を上げた。
 悲しい事ではない。言葉が要る訳でもない。
 ただ、埋葬し損ねた心が悲惨を抱きしめて立ち尽くしているだけだ。
 「それに、もしもその為に此処まで来て呉れたって言うのなら、強ち的外れな事でもない。胸ぐらいならいつでも貸してやれる」
 軍帽の無くなった後頭部を子供にでもする様に撫で下ろされる。どことなく心地の良い感覚だと思いはするが、それが涙や悲嘆を後押ししてくれる様な気はしなかった。
 「……………………死は。誰の為のものか、解らないな」
 戦争が終わっても、長い事シュバルツは死亡報告書をめくっては死亡確認の判を押して来た。あとは手続きに従って遺体が埋葬され家族の元に遺品と定型文書とが届けられる。何も無ければそれで終わりだ。
 一枚と、一人と、一体。事務的な作業には無用な共感はなく、処理する対象がどんな兵であれ全て等しく同じだ。重苦しい正義の宣誓、断罪も何も無い。
 ただ、国に尽くした者に敬意を払い、誰かの止まった時の歯車を残酷に動かす。それもまた、多くの部下や民の命を預かる者として当然の如くに負う責務だ。
 悲しい事ではない。言葉が要る訳でもない。
 ──それ以上を、負うものでもない。
 シュバルツはそっと目を閉じた。無骨な友人の呉れる思いの中にこの鈍い心を浸す事が出来たのならば、きっと郷愁は蘇生されて、それから静かに忘却へと沈んで呉れるだろう。
 ちゃんと、死んで呉れるだろう。



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……アレです、ごきげんようハーマン少佐、が悪い。