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botanin5
2024-11-14 00:09:21
19995文字
Public
トレ監♀(小説)
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兄妹ごっこはおしまいです。
兄妹ごっこをお願いした監督生が最終的に先輩に丸め込まれる話です。
※監に特に設定なし
「私のお兄ちゃんになってくれませんか」
ドキドキと心臓は大きな音を立てていて、握る手は汗が滲んで気持ち悪い。
妙なお願いをしている自覚はある。目の前にいるトレイ先輩は、豆鉄砲を食ったように目を丸くしている。
こんな可笑しなお願いは、やっぱりダメだろうか。どこかで読んだ女子高の漫画で、憧れる先輩と姉妹の契約をして「お姉さま」と慕う展開を見たことがある。でも、男子校で兄弟の契りを交わすなんて、不良漫画くらいかもしれない。喧嘩で拳を交わし合ったあとに「兄貴!」と忠犬のようについて回るアレだ。間違っても「お兄さま」と呼んでお花を飛ばすことなんてないだろう。同性じゃなくても「きょうだい」の契りは成立するだろうか。
数秒の間があって、やっと私の言葉を飲み込んだらしいトレイ先輩は、片眉を寄せて思案する表情になった。私がどういう意図でこんな妙なことを言い出したのか、思考を巡らせているのだろう。じりじりと煮詰められている気分になる。断られる覚悟はしてきたつもりだ。
実際のところ、本気で、大真面目に「兄になって欲しい」なんて思ってはいない。私は、トレイ先輩のことが好きなのだ。もちろん、恋愛的な意味で。
トレイ先輩は私のことを1人の後輩、さらに言えば妹程度にしか見ていないことは分かっている。
先日、オンボロ寮で着替えていたときに、なんでもない日のパーティーへ誘いに来てくれた先輩が不意に入室してきて、下着姿をバッチリ見られてしまった。とはいえ、先輩は決して悪気があった訳ではない。廊下で騒いでいたゴーストの声にノックがかき消されて聞こえなかったうえに、別のゴーストが面白半分に部屋のドアを開けてしまったのだ。先輩は後から「悪かったな」と眉を下げて謝ってくれたが、むしろこちらが謝りたくなるくらいだった。
そして、トレイ先輩への申し訳なさを感じつつも、平然としている先輩にショックを受けた。私はまだ1年生だし、子どもっぽいかもしれないが、胸だって平均くらいはある。少しくらい顔を赤らめるなり、視線を逸らすなりしてくれてもいいのに、先輩は私を視界に入れたとき「あっ着替えてたのか」と呟いてドアを閉めた。自宅で妹の部屋に入ってうっかり着替えに遭遇したような、そんなテンションだった。
トレイ先輩のことが好きでも、告白をする気はさらさらなかった。だって、私はいつか自分が元いた世界に帰らなくてはならないのだ。この世界で、恋なんかしても不毛だ。物理的なお別れがくる。まして、相手は私を全くそういう目で見ていない。つまりは、私が自分の恋心を封じてしまえば、何事も起こることなく終わるのだ。
そう頭で考えてはいても、先輩に近付きたいという思いはなかなか収まってくれなかった。エースやデュースと行動を共にしていることで、ハーツラビュル寮の先輩たちと関わる機会は多い。顔を見れば話したくなるし、もっと笑顔が見たいし、できればその手に触れたい。
妹だと思われているならば、いっそ妹になればいい。
足りない脳味噌でうんうん悩んで思いついたのが、トレイ先輩の「妹になる」ことだったのだ。
恋人のように身を寄せ合ったり、キスしたりは出来ないが、少しでも多く近くにいられる理由が欲しかった。いつか別れがくることは分かっている。その時に、『先輩ともっと仲良くなりたかった』なんて後悔したくない。別れが辛くなって『仲良くなるんじゃなかった』って思うかもしれない。でも、どっちにしろお別れは来るのだ。いい思い出を1つでも残しておきたいと思った。
ところで、先輩は随分と長考している。
中庭は人通りが多いが、ベンチに座る私たちの前でわざわざ足を止める人はいない。知り合いが通らないことを祈りながら先輩の反応を伺う。
それにしても長い。これはもしかして、OKが出るか!?と期待していると、トレイ先輩は改めて私の目をじっと見てきた。
「それは、了承することで今までと何が変わるんだ?」
YesかNoが返ってくると思っていたので、質問されて一瞬思考が止まってしまった。たしかに、何が変わるのだろうか。
今日まで、褒められる時は頭を撫でられ、お腹が空けば甘いものを与えられ、勉強で分からないところがあれば優しく教えてもらい
……
充分に甘やかされている。トレイ先輩に言わせれば、「今までも妹として扱ってきたんだが?」というわけだ。うん。間違いない。
しかし、私は少しでも特別が欲しいのだ。エースやデュースと同じ「後輩」という距離ではなく、もっと心の距離を近づけたい。あくまで健全に。
「えっと、もっと仲良くなりたくて。
……
遠慮のない関係に、なりたいといいますか
……
」
「
……
なぁ、監督生。兄妹っていうのは「なろう」としてなるものじゃないと思うんだが
……
たしかに俺には妹がいるけど、その妹と同じようにお前を扱うっていうのは難しいよ」
「あはは、ですよね
……
変なこと言ってすみません。
……
忘れてください」
「いや、駄目ってわけじゃないんだ」
「え?」
空耳かと思って先輩の顔を見るが、ドン引きするでも拒絶するでもない、いつも通りの穏やかな微笑みだ。今の会話の流れは、完全に断られると思ったのだが、トレイ先輩はこちらに身体を向けると、そっと私の手をすくって温めるかのように包んでくれた。まるで、幼い子を安心させようとしているみたいだ。
「こっちの世界に一人で来て、寂しい思いをしてたのか?」
「へっ?
……
あ、はい。そうです」
私の無茶苦茶なお願い事の理由を、先輩は良いように解釈してくれたらしい。先輩の優しい気持ちにつけ込むようで申し訳なかったが、寂しかったのも嘘ではない。グリムがいなかったら、ここでの生活を続けることなんて出来なかっただろうし、エースやデュース、先輩たちが仲良くしてくれたから毎日笑っていられる。寂しい夜も、みんながいたから平気だった。そんな言葉が浮かんで少し気恥ずかしくなる。でも事実だ。そうやって過ごす日々の中で、私の心の小さな隙間まですっかり埋めてくれたのが先輩なのだ。
「とりあえず、監督生がエースやデュースだけじゃなく、俺たちとももっと仲良くなりたいって思ってくれてるのは分かった。
……
こう、改まって言われると少し照れるな
……
」
「たち、ではなく、先輩と!です!
……
あっ、他の人と仲良くならなくてもいいって事じゃなくて、トレイ先輩と、もっと仲良くなりたいなって思っていて」
そこを間違えてもらっては困る。私は、誰彼構わずお兄ちゃんを求めているのではない。トレイ先輩だからもっと近付きたいのだ。
自分の意思を込めて先輩がすくってくれている手をこちらからぎゅっと握り返す。先輩は目を少し開いて驚いたような様子を見せる。私の勢いに気圧されただけかもしれない。
「
……
ありがとう。後輩にそこまで慕われてるのは素直に嬉しいよ。ただ、実の妹みたいに扱うのはやっぱり無理だ。
……
監督生には兄弟がいるか?兄弟だからって無条件に甘やかすわけじゃないし、些細なことで喧嘩だってする。これまで過ごしてきた時間も違うし、どうしたって全く同じようになんて出来ないな」
「あの、そこまでの忠実性を求めているわけでは
……
」
「ちなみに、何をどうしたくて『お兄ちゃんになって』なんて言ったんだ?」
「えっと、それは
……
先輩と、とにかく仲良くなりたくて。一緒にゲームをしたり、ご飯を食べたり、買い物に行ったり、そういう日常を、ちょっとでも共有したいというか
…
」
「
……
なるほどな」
言いながら、私ってただの迷惑な付きまといでは?と思い始めた。かなり気持ち悪い発言してないか?これが、先輩から提案されたことなら私は天にも登る気持ちでOKするだろう。なぜなら、先輩のことが好きだからだ。でも、先輩は私のことをなんとも思っていない。そんな相手から提案される内容としては、先輩にはあまりに旨味がなさすぎる。OKする理由がない。
「あの、先輩にはなんのメリットも無いことに、今気がつきました」
「メリット?」
「さっきの希望を受け入れてもらったら、必然的に私と過ごす時間が増えるわけじゃないですか。それってただの時間泥棒ですよね
……
」
「いや、俺は別にーー」
『構わないさ』
文脈的にそんな台詞が続くかと思って少し心が浮ついたが、「別にーー」で先輩の口は閉じてしまって、また考えるような顔つきになった。もうこれは、諦めた方がいいかもしれない。そもそもおかしいお願い事だったのだ。いくらよく会う後輩だからといって、急に「お兄ちゃんになって」は通らなかった。無念だ。自分が「好きです彼女にしてください」よりも、ハードルが高いことをお願いしている事実にようやく思い至った。いっそ、告白して振られた方がスッキリしたのかもしれない。いや、告白はしないけど。先輩との思い出は、これからも後輩として慎ましく心のアルバムに保存していこう。やっぱりいいですと伝えるために顔を上げると、先輩が先に口を開いた。
「なら、試食係になってくれないか?」
「え?何がですか?」
「だから、メリットの話だよ。週に何回もケーキやタルトを作るから、甘いものばかりだと寮生たちも飽きてくるんだ。代わりに試食してくれないか?」
「
……
それは、やっぱり私ばっかりが良い思いをしていませんか?」
「お互いのメリットになるなら、尚更問題ないだろ?」
やっぱり先輩は優しい。
つまりこれは、私を妹にしてくれるということでいいのだろうか。こんなお願い事を他の人に話したら、気味が悪いと思われるか頭がおかしいと笑われるかに決まっている。
「妹にしてくれるんですか
……
?」
「妹にというか、要はもっと気軽に会って遊びたいってことだろ?エースやデュースに用がなくたってハーツラビュルに来ていいし、俺の部屋にもいつだって遊びに来ていいぞ。歓迎する」
「嬉しいです
……
ありがとうございます
……
!」
「まぁ、監督生が『妹』っていう名目がほしいなら、そう思ってくれてもいいさ。『お兄ちゃん』って呼びたいなら、まぁそれもいいよ。今はな。ただ、他の人がいるところではやめてくれるか?妙な関係に思われたらお互い困るだろ」
「はい、先輩が困るようなことになったら、すぐ止めるので」
「ははは、そこまで硬くならなくてもいいぞ」
くしゃりと私の頭を撫でたトレイ先輩は、「そろそろ授業に行かないとな」と腰を上げた。合わせて私も立ち上がり、教室へ向かう廊下を並んで歩きながら「いつなら遊びに行ってもいいですか?」と確認する。いつでも来ていいと言ってくれたとはいえ、急に行って先輩が忙しいタイミングだったら申し訳ない。
「そうだな
……
今週の土曜日に街へ降りてケーキ巡りをしようと思ってるんだが、一緒に来るか?自分が作るときの参考にするために、たまにやってるんだ」
「いいんですか?行きたいです!」
「よし。それから、明後日
……
木曜日だな。監督生に用事がなければ、昼ご飯を一緒に食べないか?いつもエースやデュースと食堂で食べてるだろ。ケイトとリドルも誘って、みんなで一緒に中庭で食べよう。購買で適当に食べるものを買って
……
あと何か簡単に作ってくるよ」
「あの、嬉しいんですけど、流石にそれはトレイ先輩が大変じゃないですか?」
「そんなことないさ。元々料理は好きだし、楽しみが増えたと思えばいい」
「先輩やさしい
……
」
思わず涙が出そうだ。下心があって近づいているせいで良心がかなり痛む。でも、先輩と一緒にいられる時間が確約されていることが、こんなに喜ばしいなんて。お願いしてみて良かった。かなりの贅沢だ。こんなに優しくしてくれる先輩には、絶対にこれ以上の迷惑はかけないぞと強く心に刻む。
「その時は私も何か作ってきます!」
「監督生も料理をするのか。何が得意なんだ?」
「先輩方の料理スキルに比べたら天と地の差がありますが
……
甘い卵焼きは得意です」
「卵焼き?」
「あ、オムレツみたいな感じです」
「いいじゃないか。好きだよ、オムレツ」
「すっ
……
そうなんですか、じゃあ張り切って作ってきます!」
ぐっと握りこぶしを作ると同時に予鈴が鳴った。好きという単語に一瞬動揺してしまったが、次の授業へ急いで向かわなくては。エーデュースに預けてきたけれど、グリムがサボらず出席しているかも心配だ。後ろ髪を引かれる思いで先輩とお別れすると、私は軽い足取りで教室へと向かった。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
木曜日。
今日は先輩たちと一緒に中庭でお弁当を食べる日だ。早起きして作った甘い卵焼きは、我ながら美味しく完成した。元の世界にいた頃に自宅で使っていたフライパンとは勝手が違って、形は多少崩れてしまったが、味には自信がある。甘いものが苦手なケイト先輩用に、だし巻き卵も作っておいた。これでばっちりだ。購買で買っておいたお弁当箱に卵焼きを入れて、鞄にそっと忍ばせた。
「お前らなに買ったの?俺はターキーサンドイッチ!」
「オレ様は高級ツナ缶なんだゾ!」
「グリムお前、こんな時までツナ缶かよ」
「僕は唐揚げ弁当にした。卵のサンドイッチと迷ったけど、監督生が卵で何か作るって言ったからな」
「おぉ!嬉しい。期待してくれてたの?美味しく作ってきたよ!」
エーデュースと談笑しながら中庭へ行くと、トランプ柄の大きな可愛いレジャーシートに食べ物を広げた先輩たちが待ってくれていた
……
のだが、思わず足が止まる。
私と一緒に歩いていた2人も驚いて固まっていた。グリムだけは、大喜びで駆け出してレジャーシートに飛び乗った。
「パーティですか!?」
「いや、そんな大袈裟な用意じゃないぞ」
「え〜こんなに食いもんあるなら買ってくるんじゃなかった」
「僕も
……
食べきれるかどうか
……
」
「みんな育ち盛りなんだから大丈夫大丈夫〜!ほら、3人とも座って」
座るように促されて、「ほら、温かいうちにお飲みよ」とリドル先輩に渡された紅茶のカップを受け取る。
なんでもない日のパーティ
……
とまではいかないが、ちょっとしたピクニックかと思うくらいの食べ物が並んでいる。ランチボックスに収まったカラフルなスイーツサンドに野菜いっぱいのキューブサラダ。ティーボトルは2リットルが3本も用意されていて、中の紅茶は全部味が違うらしい。バスケットの中にはアップルパイが顔を覗かせていて、さらに大きくて深いお皿にはグラタンが陣取っている。挙げ句の果てに、ティースタンドには小さなケーキやマカロンだ。しかし、先輩たちの手元にはさらに購買で買ったらしい既製品のサンドイッチやお弁当があった。男子校生の食欲ってすごい。
「これ全部トレイ先輩が作ったんですか!?」
「まぁな。簡単なものしか用意出来なくて悪い」
「かんたん??充分すごいですよ!私、卵焼きしか作ってきてないです
……
」
「お、楽しみにしてたんだ。皿に移すか?」
トレイ先輩が魔法でポンと出してくれた白いお皿に、箸を使って卵焼きを乗せていく。こんな綺麗な食べ物の中に並べられると、歪な形をしていることが恥ずかしくなってきた。味には自信があるけれど、早く食べて隠してしまいたい。先輩の料理スキルが高すぎる。
「こっちはケイト先輩用で、甘くないやつです」
「え〜監督生ちゃん、わざわざオレのために別で作ってきてくれたの!?けーくん嬉しい!マジカメにあげちゃお〜」
「そんな歪なもの撮らないでくださいよ先輩!」
「ん。美味しい」
「えっもう食べたんですかトレイ先輩!」
私が作ったものを食べる瞬間を観察したかったのに!ケイト先輩に気を取られているうちに、卵焼きをペロリと食べてしまったらしいトレイ先輩を見て、エースやデュースが自分たちもと歪な卵焼きを口に運ぶ。
「うん、美味いじゃん監督生。お前にも得意料理とかあったんだな〜」
「美味いでしょうとも!自信作だもん。
……
形はちょっとアレだけど」
「たしかに料理は見映えも大切だけれど、一生懸命作ったんだから形なんて気にしなくていい。本当に美味しいよ」
「リドル先輩
……
!ありがとうございます
……
!」
「ほんと、味が大事だよな!寮長の塩っぱいタルトに比べたら断然美味いって」
「首をはねられたいようだねエース」
「冗談ですって!」と笑うエースは放っておいて、みんなが美味しそうに卵焼き食べてくれたことにほっとする。1人2個は食べられるように作ってきたので、自分も食べようとフォークを持つ手を伸ばしたら、横から同じように伸びてきたフォークが卵焼きを攫っていった。
残りは2個だから、私の卵焼きなのに!と犯人を見ると、意外なことにトレイ先輩で、卵焼きを持ってこちらを楽しそうに見ている。
「油断大敵だな?」
一瞬ぽかんとしたが、これは『お兄ちゃん』をしてくれている!と勘づいた。おかずの奪い合いは兄妹の定番だ。ぱっと自分の目が輝いてしまったのが分かる。トレイ先輩がこんなに気安い行動をしてくれたのが嬉しい。
「ちょっと先輩、それは私の卵やき
……
ああああ本当に食べちゃった!」
「ご馳走を放っておく方が悪いだろ?」
「あっ最後の一個まで取った!ちょっと返してくださいせーんーぱーい!」
先輩から取り返そう手を伸ばすと、トレイ先輩は卵焼きが刺さったフォークを持った手を上に逃して、後ろに身を引く。思わず前のめりに倒れそうになった私は、片手をついて先輩の膝にのしかかるようにして、空いている手を伸ばした。
「
……
なんで急にいちゃいちゃしてんの?」
思わずといったようにこぼされたエースの声にハッとする。周りを見回すと、他のみんなも驚いた表情をしている。しまった、兄妹ノリがあからさますぎただろうか。何か言い訳しなくてはと言葉を探していると、トレイ先輩はしれっと「そうか?元からこんな感じだっただろ」と言った。
元々は絶対こんなに距離が近くはなかったが、先輩がゴリ押しで通そうとするなら私もそれに倣うだけだ。トレイ先輩だけに距離が近いのは違和感を加速させてしまうと思って、「そうだよ、なに言ってるのエース」と言いながら座り直すと、反対隣のケイト先輩に狙いを定める。巻き込んで申し訳ないが、誤魔化すためだと心の中で言い訳して、ケイト先輩にすり寄った。
「ケイト先輩、トレイ先輩がいじわるして私の卵焼き取っちゃったんで、先輩の卵焼きひと口ください」
「えっ?仕方ないなぁ。可愛い後輩にお願いされちゃ、分けてあげるしかないよね!けーくんやさしい〜はい、あーん」
「やった〜ありがとうございます!あ〜〜うわっ!」
「こら、それはケイトの分だから取っちゃダメだろ?」
ケイト先輩が差し出してくれた卵焼きを食べようと口を大きく開けたら、お腹にグッと圧がかかって後ろに引っ張られた。見れば、トレイ先輩の腕が巻きついている。お腹に手を回されて引き寄せられたらしい。そのまま胡座で座っていた先輩の左腿に座らされてしまった。ぶわっと顔が熱くなる。兄妹って、こんなことするっけ。幼い妹ならするかも?先輩の家族ってこんなに距離近いの?まずい。こんなことされたら、顔に出てしまう。心臓が悲鳴をあげて、先輩のことが好きだと伝えてしまう。出来るだけ平静を装って「せ、先輩放して、卵焼き食べれないじゃないですか〜」と腕を解こうともがくが、力強い腕はぴくりとも動かない。
「
……
トレイ先輩と監督生って付き合ってんの?」
「えっ!?いやいやまさか!」
再び聞こえたエースの発言に焦る。我々の距離が近すぎて、変に思われてますよ!の意味を込めて腕をとんとん叩いてみたが変化はない。
「え〜でもそうにしか見えねぇ距離感なんだけど?」
「僕も少し驚いた」
「デュースまで!
……
そんなわけないよ。だって私はいつか自分が元いた世界に帰らなきゃいけないんだし、誰かと付き合うとか
……
ないって。ね、先輩」
「
……
そうだな。はいじゃあ口開けて」
「むぐ!」
トレイ先輩が持っていた卵焼きが口に押し込まれる。我ながら美味しい。もぐもぐと咀嚼しているうちにゆっくりと元の位置に座らされた。ずっと膝の上に座らされていては、いくらなんでも緊張でご飯が食べられなかったので助かった。私の言葉にある程度納得したらしいエースたちは「それもそうか」とご飯の続きを食べはじめた。
「
……
監督生がいつか帰ってしまうのかと思うと、少し寂しいな」
「デュース
……
!!さすが親友!!
……
え?少しだけ?もっと盛大に悲しんでよ」
「いや〜実感湧いてないだけだって。もしその時になったらデュースは号泣するね。賭けてもいいぜ」
「なんだとエース!お前こそボロ泣きするに決まってる!」
「はぁ!?するわけねーし!」
「ふふん!お前が帰る頃には、オレ様はもっと魔法が強くなってて
……
一人前になってるに決まってるんだゾ!」
「監督生なしでやってけるのかよグリム〜」
盛り上がり始めた2人と1匹がリドル先輩に叱られたのがおかしくって、涙が出るほど笑ってしまった。
この時間が、もっと長く続けばいい。
滲んでしまった涙は、いつか来る別れを思ってこぼれたものなんかじゃないって、自分に強く言い聞かせた。
ぱっと魔法で片付けを終えて、後輩たちと分かれたケイトはトレイと共に次の授業に向けて廊下を歩いていた。
「後輩ちゃんたち喜んでくれてよかったね〜。トレイくん、昨日の夜に張り切って作ってたもんね」
「別に張り切ってはなかっただろ」
「またまた〜。
……
ところで、なにが『なるほどな』だったの?」
「何のことだ?」
廊下の先を見つめたまま、歩調を緩めず返事をするトレイは、おそらく質問の意味を分かった上でとぼけているのだろう。
「さっき、監督生ちゃんが『元の世界に帰るんだから、誰とも付き合わない』って言った時、トレイくん小さい声で『なるほどな』って言ったでしょ」
「監督生には聞こえてなさそうだったけどな」
「オレの方が遠かったから聞こえてるはずないって?残念でした。って言っても、口を読んだだけだよ」
「情報収集の仕方が悪質になったんじゃないか?」
ははは、と笑うトレイは動揺する様子はない。
「あのさ、どうするつもり?」
「どうって?」
「トレイくん、監督生ちゃんのこと気に入ってるんでしょ?」
「別に
……
なるようになるさ。それより、次の錬金術の授業でーー」
この話はこれで終わりだと言わんばかりに、強引に話題を変えられてしまっては、もう追求できない。
世話焼きの延長なのか、それともーー
(まぁいいか。悪いようにはならないでしょ、トレイくんだし)
監督生ちゃんご愁傷様だな、厄介な男に気に入られてしまった。
そんなことを思いながら、予鈴が聞こえたケイトは少し歩くスピードを上げて次の教室を目指したのだった。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
『先輩、明日って私服でしょうか?私、持ってなくて
……
制服だと浮きますか?』
そんなメッセージをスマホで送ったのは金曜日の昼だった。
ついに明日はトレイ先輩とお出かけだ!とワクワクしていたのだが、シミュレーションしようとしたところで「そういえば何着よう」と出だしで躓いてしまった。この身ひとつでこの世界にやってきた私は、学校内で着る制服や実験着などしか持っていない。運動着や式典服で街を歩くのはおかしいだろうし、そうなると制服しかないのだが、先輩が私服の場合、制服姿の自分と並んで歩いたら変に目立ってしまうかもしれない。
あれ、っていうか、先輩の私服
……
?トレイ先輩の私服姿を見ることができるということか。どうしよう。絶対に緊張してしまう。エースやデュースに相談してみようかと思ったが、土曜日にトレイ先輩と出かけるなんて言ったら「やっぱり付き合ってんじゃん」と言われかねない。もちろん「『お兄ちゃん』と出かけるだけ」とは言える訳もない。
『今日の放課後、一緒に購買へ行こうか』
マナーモードにしていたスマホが震えたので確認すると、先輩から返事が来ていた。購買って、いつもの
……
サムさんがいる購買のことだよね
……
?女性モノの服も置いてあるのだろうか。何でもあるとは言っていたけれど、男子校で女性の服を買う人はなかなかいないと思う。しかし、そういえば自分の下着はサムさんに揃えてもらったんだったと思い出した。とても頼みにくかったけれど、サムさんが気さくな人で助かった。下着よりも服の方がハードルが低そうだし、購買にあるかもしれない。
「悪い、部活が長引いて
……
気に入った服はあったか?」
「いやぁ
……
その
……
」
サムさんが引っ張り出してくれた衣類が並ぶハンガーラックを前にして、もう30分近く悩んでいる。運良く他の生徒には遭遇していない。誰かに私服を買っているところを見られたら、揶揄われるに違いない。それにしても、本当に服が置いてあったことにも驚いたのだが、靴や帽子、バッグまで並ぶ品揃えには腰を抜かした。どうして色々置いてあるのか尋ねると、お洒落としてあえてレディースを身につける人も一定数いるらしい。なるほど。
ふわふわの可愛いらしいデザインのスカートから、クールなパンツルックまで種類は結構幅広い。久しぶりにスカートを履こうかと思ったが、まるきりデートを意識したような服はまずい。あくまで妹らしい雰囲気でいかないと、自制が効かなくなって調子に乗ってしまいそうだ。それに、街へ行くために使う鏡の部屋まで移動することを考えると、他の生徒に見られても平気なようにボーイッシュな服装がいい気がする。とはいえ、街中で先輩と並ぶにふさわしいものを選ばなくてはならない。どんなものがいいんだろう。服には詳しくないから迷ってしまう。
「これとかどうだ?似合うと思うぞ」
先輩が手に取ったのは、シンプルな襟があるワンピースだった。レモンを少しくすませたような色合いで、腰を紐で結ぶようになっている。あっさりしているが、落ち着きつつも女子感が溢れている。これは
……
デートでは
……
と思ったが、トレイ先輩が選んでくれたものを着たいという欲望が生まれる。明るいスニーカーを合わせれば、もっとカジュアルになるかもしれない。しかし、妹っぽさは無い気がする。
「こっちのジーパンとかも、いいかなって思ったんですけど
……
」
「たしかに明日は1日歩くけど、山登りに行くわけじゃないぞ?動きやすさだけ重視しなくてもいいさ」
「う
……
でも」
「いいじゃないか。こっちに来てからこういう服着てないだろう?俺も見てみたいし」
「じゃあコレにします」
「大好きな『お兄ちゃん』に見たいと言われて、拒む理由はないですから」と、サムさんに聞こえないようにそっとトレイ先輩に伝えると、ふっと笑った先輩は「試着させてもらうか?」と確認してくれた。ワンピースに合いそうな靴とバッグを値段と相談しながら選び、サムさんに許可をもらって、ポンっと現れた試着室に入りワンピースに袖を通す。久しぶりのスカートに自分の心が踊っているのが分かる。靴もバッグも、新しい物を身につけるというのはやっぱり楽しい。ふわっと鏡の前で回転してみると、外から「どうだ?」と声がかかった。
「こんな感じです」
「うん。やっぱり似合ってるよ」
「ふへ
……
ありがとうございます」
にやける口元を抑えることが出来なくて、急いで顔を引っ込めた。もう一度着替えて試着室を出ると、紙袋を手に持った先輩が待っていて、私が脱いで簡単に畳んだワンピースをそっと取ってその袋に入れてしまった。
「あれ、先輩それまだお金払ってないです」
「会計は済ませたから大丈夫だぞ」
「
……
えっ!?待ってください自分で払います!」
なるべく身の丈にあった値段のものを選んだとはいえ、先輩に払ってもらうのは申し訳なさすぎる。個人的な出費で使うためのお金は、モストロ•ラウンジで多少稼いでいる。今日の支払いをしても、明日1日遊べるくらいのお金は手元にあるのだ。紙袋を持った先輩は、バッグもさっと奪っていくと「靴は
……
履いたままでいいか」と言って試着のために脱いでいたローファーの方を拾い上げる。そのままサクサクと購買のドアを開けて外に出たので、急いでその背中を追った。先輩の後ろを歩きながら、荷物を取り返す前にとりあえずお金を取り出そうと財布を開く。
「えっと、合計でいくらでしたっけ、ちょっと一瞬止まってください先輩!」
「いいってこれくらい。実家で手伝いしてるから、懐には多少余裕があるつもりだぞ?」
「そういう問題じゃないですよ、先輩に私の私物の支払いをさせるわけには
……
!」
「『お兄ちゃん』なんだろ?『妹』が欲しいものくらい買ってやるさ」
くるっとこちらを振り向いて、そう言った先輩は笑った。そう言われてしまうと、こちらは黙るしかない。『お兄ちゃん』をお願いしたのは私なのだから。トレイ先輩は笑っているけど、なんだか少し
……
いつもより行動が強引だ。昨日のランチで私を膝に座らせた時もそうだったけど、どうしてだろう。
「あの、先輩なにか怒ってますか?」
「ん?いや、怒る理由がないだろ」
そのまま会話は止まってしまって、オンボロ寮まで送り届けられた。
「明日は10時に迎えに来るからな」と言って、トレイ先輩はハーツラビュル寮へ帰っていった。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
朝だ。
先輩とお出かけ出来る喜びと、何か怒らせているかもしれないという緊張で全然眠れなかった。
……
ということはなく、頭を使って疲れ切っていた私はお風呂の後でベッドに潜った瞬間寝落ちしたらしい。
時計を見ると8時半で、余裕を持って起きられたことに安心してベッドから出るため足を下ろす。グリムはまだむにゃむにゃと眠っている。街に行くと伝えたりしたら「オレ様も行くんだゾ!」と言い出しかねないので、今日出かけることは言っていない。『妹』として出かけるのだからグリムが一緒でも問題ないのだが、もう今後こんな機会もないかもしれないし、先輩と2人で出かけた思い出がほしい。
グリムは休日になるといつも私が起こさない限り昼頃まで眠っているし、出かけた旨を書いたメモでも残しておけば大丈夫だろう。それに、ゴーストもいる。お土産を買ってくるから許してくれ
……
と心の中で詫びてから、出かける準備を始めた。
予定の時間になって迎えに来てくれた先輩は、いつも通りの雰囲気で「おはよう。可愛いじゃないか」とオンボロ寮の前で笑った。怒ってなくてほっとすると同時に、褒められて嬉しい気持ちと恥ずかしい思いが交互に湧き上がってくる。昨日、試着室で見せた格好と同じなのに、改めて褒めてくれる先輩は私の扱いに慣れすぎている。トレイ先輩は暗い色のパンツに白のインナー、カジュアルめなジャケットを合わせてシンプルな服装だ。先輩くらいかっこいいと、服がシンプルな方がごちゃごちゃしなくて様になるんだな
……
なんて見惚れてしまった。
先輩がルートに気を使ってくれたおかげか、鏡の部屋に行くまでの間は人気のない状態だったが、そこはやはり学校、何人かすれ違ってしまった。そのたびに、珍しいものでも見るように向けられる視線が痛くてトレイ先輩の影に隠れていた。「変な噂が立ったらどうしましょう先輩」と小声で聞いてみたが、先輩は「まぁ大丈夫だろ」と終始落ち着いていた。
「よし、じゃあ最初の店に行こう。はぐれないように手を繋ごうか」
「えっ!?」
街に出ると、先輩はさっと私の手を取った。何か言おうかと思ったが、驚きと動揺で言葉が出てこない。先輩の手、大きいしあったかい。どうしよう。先輩と手を繋いでいる。はぐれないようにするためなら、仕方ないよね
……
?その理由だったら、妹とだって手を繋ぐはずだ。うん。
自分にそう言い聞かせて、これから行くお店について説明してくれているトレイ先輩の顔を見上げる。
あーあ、好きだなぁ。
ん?とこちらを見下ろした先輩に「なんでもないです。早くケーキ食べたいです!」と返すとおかしそうに笑ってくれた。
「は〜とっても美味しかったです。1日にこんなに甘いものばかり食べたの初めて
……
」
「一ヶ所で1個ずつしか食べてなかったけど、よかったのか?」
「先輩は食べ過ぎです
……
同じ店で何個も
……
途中から数えるのやめたんですけど、今日だけでいくつのケーキを食べたんですか
……
?」
「さぁ
……
写真には残してるから、数えれば分かるぞ。いつもはもっと食べるけどな」
「ひぇ」
先輩が連れて行ってくれたお店のケーキはどれも美味しかった。お昼ご飯を省いてぶっ続けで甘いものを食べたので、少し胃もたれしている。お肉とか食べたい。先輩は「自分が作るときの参考にするために」と言うだけあって、様々なケーキやタルトを頼んでは写真に収めて味を確かめていた。今日食べたケーキが生かされて、先輩が作るケーキはこれからもっともっと美味しくなるんだろう。今でも充分美味しいのに。すごく楽しみだ。最後のお店でまったりと紅茶を飲んでいると、もう外はすっかり夕暮れだった。
先輩に断りを入れてお手洗いに行くと、戻る時に店内でチョコレートが販売されていることに気がついた。グリムにお土産を買わないといけないし、連れてきてくれたトレイ先輩へのお礼も必要だ。先輩にバレないように急いでチョコレートを吟味する。可愛いイラストが描いてある箱をグリム用に、大人っぽいパッケージの箱をトレイ先輩用にしようと決めてレジでこっそり買った。あとで先輩に渡そう。喜んでくれるだろうか
……
先輩なら、喜んで受け取ってくれるに違いない。
席に戻ると、「そろそろ帰ろうか」と声がかかった。自分の分のケーキ代を先輩に渡すと「律儀だな」と笑いながら受け取ってくれた。もう先輩とのデートはおしまいだ。とても寂しい。今日は本当に楽しかった。今日一日ずっと繋いでいた名残で、帰り道も自然と手を繋ぐ。この手を放すのが惜しい。学校がもっと遠くにあったらいいのに。そんな願いも虚しく、楽しい時間はすぐ終わってしまった。
学校に着いたけれど、まだなんとなく離れがたくてどうにか先輩を引き止められないか言葉を探していると、トレイ先輩が先に口を開いた。
「今日は甘いものばっかりで胃が疲れただろ?軽いスープでも作るから、今からハーツラビュルに来ないか?」
「いいんですか?行きます!」
願ったり叶ったりの提案にすぐ飛びついた。
「作ってくるから部屋で待っててくれ」と言われて、先輩の部屋に入る。数回入ったことがあるけれど、1人で来たことはない。じろじろ見るのは悪いと思いつつ、好奇心に抗えなくてそっと部屋を見回す。整然としていてトレイ先輩らしい気がする。勝手にベッドに座るわけには行かないし、勉強机の椅子を借りるのも気が引けて立っていると、先輩が「座っててよかったのに」と笑いながら部屋に入ってきた。
促されてソファの代わりにベッドへ腰掛ける。隣に座った先輩がなにやら唱えると、高さがちょうどいいテーブルが出てきた。コンソメベースのスープはとても美味しい。少しの間談笑しているうちに、そういえばお土産を渡さなくてはと思い出した。
「先輩これどうぞ、今日連れて行ってくれたお礼です」
「えっ
……
いいのか?」
「もちろんです。服とかも買ってもらっちゃったし
……
少しは贈らせてください」
「ありがとう、うれしいよ。
……
チョコレートか」
甘いものを食べた日のお礼がチョコレートというのは、普通なら避ける選択肢だろうが、今日ケーキをどんどん食べる先輩を見て大丈夫だろうと確信した。その予想通り、先輩はすぐに風を開けて1つを手にとって食べた。
「ん、この味
……
ブランデーか?」
「えっ?もしかして、お酒入ってましたか!?」
「実家の試作で何度か食べたことがあるけど、多分そうだな
……
」
「わ、すみません!どうしよう
……
ぺってしますか!?」
「ははは、しないよ」
笑った先輩はもう一つチョコレートを口に運ぶ。お菓子とはいえ、アルコール入りは良くないだろう。「水取ってきます!」と言って急いで部屋を出た。ドア越しに先輩の「いや、別に」という声が聞こえたが、足は走り出していた。ワンピース姿なので他の寮生に見つからないようにこそこそキッチンに向かう。水が入ったガラスのピッチャーを手に取って部屋に戻りながら、(先輩の部屋に水くらいあったかもしれないな
……
)と良く考えずに部屋を出てしまったことを反省した。
「お水持ってきました
……
って、先輩赤い!酔っちゃいましたか?」
「ん
……
そうだな。あんまり強くなくて
……
」
「水飲めますか
……
うわっ」
ピッチャーを持って先輩に近づくと、腕を掴まれて引っ張られ足の間に座らされてしまった。水が少し床に溢れたことすら気にかけないで、先輩は後ろから私のお腹にゆっくり腕を回す。こんな、恋人同士みたいな座り方、心臓に悪すぎる!ピッチャーを目の前に置いて、うなじにすりすりと顔を寄せているらしいトレイ先輩に声をかける。先輩の身体も息も熱くて、恥ずかしくて早く抜け出したい。近すぎる。このままでは、私が爆発してしまう!
「先輩、先輩しっかりしてください。お水飲んで」
「ん
……
後でいい」
「良くないですって!グラスに注ぎますから、ちょっと手を離してください」
「いやだ」
「トレイ先輩!?」
酔っ払いの相手って難しすぎる。飲酒なんてしたことない私には、完全に酔ってしまっている先輩の扱い方が分からなかった。随分と強いお酒が入っていたらしい。
「監督生は、首が細いな
……
簡単に折れそうだ」
「怖いこと言わないでくださいよ」
「何色がいい?」
「いろ?」
「首輪の色」
「首輪!?」
先輩が何を言っているのか分からない。なんで私に首輪をつける話になっているのだろうか。これは、けっこう本格的に酔っているのか?
「首輪って、リドル先輩のやつですか?」
「リドルのところに行くのか?」
「ぐえ、急に力入れないでください!行かない!行かないですから!」
「
……
お前、すぐに誰かのところへ行くから、繋いでおかないと
……
」
「えぇ?」
そのまま私を抱えて先輩は黙ってしまった。どうしよう。顔が熱い。まるで、私にどこへも行って欲しくないみたいじゃないか。
なんだか急に喉が渇いてきて、水を飲もうと身体を少し浮かすと、私が離れると思ったのか、トレイ先輩は腕の力を強めてそのまま斜め後ろにぼすっと倒れ込んだ。私を連れて。
後ろから抱きつかれたまま、横向きにベッドへ転がる状態になり心臓がどっどっと大きな音を立てる。どうしよう。なんの心の準備も出来ていない。視界にクローバーのクッションが入る。先輩は腕を緩めるつもりはないようだ。今「オンボロ寮に戻ります」なんて言っても絶対に離してくれないだろう。トレイ先輩が正気に戻るまで、大人しくしているしかない。
じっと目を閉じて授業で習った人物名を順に唱えていると、後ろから規則正しい寝息が聞こえてきた。
うそ、トレイ先輩寝た!?
振り返って確認したかったが、強く抱きしめられていて身動きが取れない。これはもう、諦めて私も寝たほうがいい気がする。ワンピース、シワになっちゃうかもしれないな。ため息をつきながら、先輩の体温に身を任せる。お酒のせいか、さっき繋いでいた手よりずっと熱い。その温かさに私も眠くなってきて、諦めも肝心だからと意識を手放した。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
ふっと意識が浮上した。一体どれくらい眠っていたんだろう。部屋の明かりはついたままで、時計に目をやると5時間近く眠っていたらしい。もうすっかり深夜だ。グリムが心配しているだろうな
……
とぼんやり考えて、今朝私たちの様子を見て事情を知ってるゴーストが上手く誤魔化してくれてるかも、なんて期待する。トレイ先輩の部屋まで誰も私を探しにきていないあたりが、その証拠と言えるだろう。
後ろから回る腕の拘束が弱まっていたので、もそりと身体を起こす。流石に喉が渇いていて、今度こそグラスに水を移して飲み干す。もう一つのグラスにも水を注ぐと、トレイ先輩を起こそうと振り返った。先輩はピクリとも動かずに眠っているようだ。
「眼鏡
……
危ないな」なんてひとりごちて、そっと先輩の顔から眼鏡を奪う。綺麗な顔を眺めていると、私は本当にこの人とお出かけしたんだろうか
……
なんて不思議な気分になる。
トレイ先輩が好きだ。
困ったような眉も、仕方ないなっていう笑顔も、甘いものが好きなところも、大きな手も、びっくりした顔も、勉強を教えてくれる優しいところも、絶品なケーキを作れるところも、副寮長として頑張っているところも
……
挙げたらきりがないけれど、全部全部好きだ。
気持ちがいっぱいになって、ぽたっと涙がこぼれた。
どうして私はこの世界の人間じゃないんだろう。どうしていつか離れ離れにならないといけないんだろう。好きって言うことすら出来ない。
奪った眼鏡をかちゃりとテーブルに置いた。
ゆったりとトレイ先輩に顔を近づける。心臓はどくどくと全身に血を巡らせている。背中を冷たい汗が伝う。あぁ、私の身体が熱いのか。今だけは起きないでください、先輩。少しだけ。一瞬だから。
そっとトレイ先輩の額に唇を落とす。次は、クローバーのマークの上に。そして、最後に唇に触れようとして、勇気が出なくて少し外れた位置にキスをした。
急いで自分の身体を起こして(私は妹。トレイ先輩にとっては、ただの後輩)と言い聞かせる。
この部屋にいるのが辛い。どこを見ても、先輩ばかりだ。
再び涙がこぼれてきて、すん、と鼻をすすって立ち上がる。もう帰ろう。勝手に出て行ったことは、明るくなってから先輩に謝ればいい。トレイ先輩は「そうか」って笑ってくれるに決まってる。
最後に先輩の寝顔を目に焼き付けて、部屋を出ようと振り返った瞬間。
腕を掴まれて、後ろに引き倒された。
「わっ!?え?せんぱい?ちょっ」
混乱する私をよそに、先輩は強い力で身体をベッドに縫いつけてキスを落としてくる。
最初は額に。次に頬に。そして最後はーーーーー唇の端に。
「お前は『お兄ちゃん』にこういうことするのか?」
ひゅっと呼吸を失敗した音が鳴る。起きていた。先輩は起きていたんだ。
私の気持ちは知られてしまった。妹になるなんてずるい嘘をついたこともバレてしまった。ぽろぽろと涙が溢れてくる。
「ごめんなさい
……
ごめんなさい、せんぱい」
「俺が今聞きたい言葉じゃないな」
「う
……
じゃあ、なんて言ったらゆるしてくれますか
……
?」
「
……
本音」
ぐっと自分の喉が詰まるのが分かる。言えというのか。先輩が好きだと。そんなの酷すぎる。
「いやです」
「じゃあずっとこのままだな」
「
……
っ、どうしてですか!私もう寮に帰ります」
「本音を聞かせてくれたら検討する」
「『ただの後輩』としか思ってないくせに!聞いてどうしようっていうんですか!!」
私の剣幕に、トレイ先輩は目を見開く。
「先輩が私のことなんとも思ってないのは知ってる。それに、わたしは、私はいつかこの世界から居なくなるのに、好きなんて言えない。先輩に、後輩を振るなんて、させたくない」
「
…………
」
「だから、思い出だけでも欲しいって思ったんです。ごめんなさい。ごめんなさい先輩。お兄ちゃんになってほしいなんて、変なこと言って迷惑かけてごめっ
……
」
私の謝罪の言葉は、トレイ先輩の口の中に吸い込まれた。
ぐっと身体ごとベッドに深く押さえ込まれて、身動きが取れない。行き場のない手で先輩のシャツを掴むと、それが合図と言わんばかりにぬるりと熱い舌が入ってきた。思わず引いた私の頭をがしっと掴んで固定すると、先輩の熱くて長い舌が私の舌を追いかける。まともに息なんて出来るはずない。相変わらず涙がこぼれて視界ははっきりとしない。あつい。きもちいい。先輩の舌が歯の裏をなぞると、背中がぞわぞわと浮いた。逃げたくて身体をよじろうとすれば、トレイ先輩の身体に胸が擦れて腰が揺れる。
もうだめだ、ぼーっとしてきた。
くた、と私の力が抜けて掴んでいた手がぽすっとベッドに落ちると、ようやく先輩は口付けるのをやめて身体を起こした。長距離走の後みたいな、荒い呼吸が自分の喉を通っていく。全身が熱を持っていて、もう何も考えられない。
「どうして振られる前提なんだ?」
「
……
へ
……
?」
「俺は、お前のことを『ただの後輩としか思ってない』なんて言ったことはないと思うが」
「え
……
でも」
「お前が『お兄ちゃんになって』ってお願いしてきた時も『無理だ』って言っただろ。『妹』として見るなんて無理に決まってるだろう。俺は、お前のことが好きなんだから」
「
…………
えぇ!?」
びっくりして飛び起きた。先輩が、私を好き
……
?
「それは嘘です」
「
……
は?」
「だって、先輩は私の着替えを見ても平然としてたじゃないですか」
「
……
あぁ、この前の
……
」
「先輩なんとも思ってなさそうだったから、私
……
」
「あそこで反応しても、変な空気になるだけだろ?ちゃんとラッキーって思ってたさ」
「ラッキー!?」
あくまで余裕な様子の先輩に、頭がクラクラする。
しかし、大事なことを思い出した。私はいつか元の世界に帰るのだ。
「トレイ先輩、先輩と両想いって知れて嬉しいんですけど、私はいつかいなくなるから
……
」
「それなんだが
……
こっちを完全に捨てて帰らないとダメなのか?」
「へ?」
「帰る方法じゃなくて、この世界とお前の世界を行き来できる方法を探さないか?」
「
……
そんな方法、あるんですか」
「
……
今この場ではっきり『ある』とは言えない。分からないよ。でも、俺はお前を手放したくない。別れの覚悟をするよりも、一緒にいられる方法を探したいんだ」
「!」
いろんな感情が、一度に押し寄せてくる。
溢れそうになって、トレイ先輩の胸に飛び込んだ。先輩は、優しく受け止めてくれる。強く抱きしめたら、同じくらい強く抱き返してくれた。
「私も、先輩と一緒に居たい
……
!探します、ぜったい、絶対に見つけてみせます!」
「ははは、頼もしいな」
「一生一緒にいてください」
「プロポーズか?
……
いいよ」
学生同士の甘い約束。それでも、トレイ先輩の言葉は本物だって思えた。
少し身体を離して、トレイ先輩の目をじっと見る。くしゃくしゃに泣いてる自分の顔が先輩の瞳に映って、こんな顔を先輩に見せているのかと恥ずかしくなって、隠すために口付けた。先輩の喉がくっと小さい音を立てたが、優しいキスを返してくれる。心の中が温かくて、安心する。
ほっとしたら、だんだん眠気が襲ってきた。先輩から顔を離すと、そのまま頭をこてんと胸に預ける。トレイ先輩は、子どもをあやすように頭を撫でてくれた。
あぁ、よかった。先輩と離れなくていいんだ。先輩も私のことが好きなんだ。こんなに嬉しいことはない。
ゆったりした空気に身を任せて、緩やかな眠りへと落ちていくことにしたのだった。
「
……
うそだろ、寝たのか?」
さっきまですん、と鼻をすすっていたのが、すうすうと規則正しい音に変わったので確認すると、まるで子どもみたいなあどけない顔をしてすっかり寝入っているのが見えた。正直このままベッドに雪崩れ込んで、早めに事を済まそうと考えていたので少し残念だ。
誰かに奪られる前に。
しかし、思っていた以上に彼女が自分に入れ込んでくれていることが分かったので、まぁ次でもいいかと思い直す。
『お兄ちゃんになってほしい』と言われた時は、無神経さにどうしてやろうかと思ったが、どう見てもそれらしい好意を表しているのが気になって泳がせていた。はっきりして良かったと思うことにしよう。
それに、私服で学校内を歩いたことで自分と彼女の関係を周りに示せたし、マジカメで噂になっていたとケイトから連絡が来ていた。しばらく悪い虫がつく心配もないだろう。
すやすやと起きる様子がない彼女をベッドに寝かせると、隣に自分も横たわる。顔にかかった髪をよけてまぶたにそっと口付ける。
二つの世界を行き来する方法。
本当にそれが見つかるならば、何も問題はない。でも、もし『帰る方法』しか見つからなかったら。
いつか、何かを『選ぶ』必要が出てきた、その時にーーーーーー
「お前が俺を選ぶように、精一杯愛することにするよ」
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