その日は朝から少し風邪を引いていたため、ユガミは心音に電話をかけ、おつかいを頼んだ。心音は快諾した後、安静にしててくださいね、と言って電話を切った。やはり持つべきものは(本人に伝えたことはないが)頼りにできる人間である。今度お礼に蕎麦でも奢るべきか。
少し時間が経ってピンポーン、とインターホンが鳴った。心音が来たのだと思ってドアを開けると、
「なんだ、案外元気そうじゃない」
心配して損した、と言いながら家に入ってきたのは心音ではなく、姉のかぐやだった。
「なんで姉貴がここに」
「はぁ?風邪引いたっていうからこっちは来てあげたのに」
これにユガミは驚きを隠せなかった。なぜかぐやが教えてもない自分の不調を知っているのか。
「誰から聞いたんだ」
「アイツよ。あのお姫サマ」
これもユガミには不可解だった。
「最近アンタが落ち込んでるみたいだから、相談に乗ってあげて欲しいって言われたの。自分には話してくれないだろうからって」
「別に落ち込んでる訳じゃ、」
「嘘。アイツがそう言ってんならホントなんでしょ。まったく、いい大人のくせに気ぃ遣わせてんじゃないわよ。なんで言わないワケ?」
「……」
「ま、ジンがそうなのは別に今に始まったことじゃないけど。とりあえず、お粥作ってあげるから、代わりに洗いざらい私に白状なさい、良い?」
ユガミは頷くやいなや、かぐやは非常に手際よくおかゆを作り上げ、ユガミの前においた。
「姉の手料理を食べられるなんてそうそうないわよ。感謝することね」
「分かった分かった。ありがとよ、姉貴」
ユガミはお粥を平らげ、ごちそうさま、と手を合わせた。
「キモチがこもってないわね。まぁ病人だし今回は特別に見逃してあげる。じゃあ今度はジンの番よ」
「……分かった」
ことの始まりはほんの数日前。きっかけは些細なものだった。
ユガミと心音はしばしば蕎麦屋で昼食を共にすることがある。そこでお互いの近況等を雑談がてら話すことも多かったが、ユガミは今回、自分の部下兼相棒の番轟三の結婚を話題にあげた。
「えーっ!バン刑事結婚するんですか!?おめでたいですね!」
「静かにしなココネ。他の客に迷惑だろうが」
あっ、と心音は口を抑える。とは言え、番から直接聞かされた時は自分も酷く驚いたものだから、無理もないことだと思った。心音はやや声を小さくして
「お相手は誰なんですか?」と聞いた。
「数年間付き合ってたカノジョだと。遠距離かつ仕事が忙しかったもんだから、亡霊が成り代わってたことも知らなかったらしい」
番は亡霊によって成り代わられていた間、ずっと監禁されていた。程なくして番は救出され、リハビリを経て数ヶ月後に刑事として無事に復帰。その間、番は事情知って駆けつけた恋人との再会を喜び合い、お互いの愛情を確かめたあと、婚約という運びになったという。恋人については全てユガミが番から(勝手に)聞かされた情報ではあるが。
「バン刑事が帰ってきて、彼女さんも嬉しかっただろうなあ」
「そうだろうな」
と相槌を打ちながら、ユガミは番が結婚を報告した時の表情を思い出していた。「式にもぜひ来てくれたまえ!」と行った時の番の、あの眩いばかりの笑顔は、まさに人生の幸せの絶頂にあることを体現していた。そんな番を相棒としてユガミは喜ばしく感じたのは嘘ではない。嘘ではないが――
「ごちそうさまでしたー!」
心音はガラガラと蕎麦屋の戸を開け、ユガミと一緒に店を出る。その後
「あの、夕神さん」
「なんだァ?」
ユガミが何気なく返事をすると、心音はやや思い詰めたような様子で
「バン刑事が結婚するの、嫌なんですか?」
とユガミに聞いた。
「…………は?」
一瞬、ユガミは何を言われたのか理解出来なかった。
「夕神さん、バン刑事の結婚の話すると声から嬉しさだけじゃなくて、悲しい気持ちも聞こえてくるんです。それもちょっとじゃなくて、ものすごく」
「……んなこたァねェさ。オッサンの結婚は俺も嬉しい。今までのことを思えば、オッサンが幸せになる時が来たことに、何を悲しくなる必要があるのかねェ?」
勿論この反論が全くの無駄だとユガミは理解している。しかし、それでもユガミは何故だか、心音の指摘を認めたくはなかった。心音もそれを察したのか、
「……そうですね。すみません」
これ以上詮索はせず、申し訳なさそうに微笑むだけだった。
「……謝るこたァねェさ」
とユガミは穏やかに返したが、それでも何となく二人の間に気まずい空気が流れ、2人が別れるまでそれが続いた。
それ以降のユガミは傍から見れば元気を無くしていた。仕事をしても頭痛で集中出来なかったり、ぼーっとしてしまったり、同僚からも休んだ方が良いとまで言われた。だからと言って、ユガミは休息をとりたくなかった。仕事をしていなければ、どうしても考えてしまうから。自分がなぜ、相棒の結婚を喜べずにいるのか。正直に言えば、ユガミはその答えを見つけるのが少し恐かったのである。しかしついに限界が訪れ、朝から風邪をひく次第となったのだった。そして冒頭へと戻る。
ひと通りこれまでの経緯を聞いたかぐやはなるほどね、と頷き
「つまりさ、その刑事さんが知らない誰かに取られちゃうのが、アンタは嫌なんでしょ」
とさらりと言ってのけた。
「なんだって?」
かぐやの一言は、客観的に見ればひどく正鵠を射たものだった。ただ、かぐやがあまりにも簡単に、かつ予想外の答えを出したものだから、ユガミは気の抜けた返答しか返せなかったのである。
「だから、アンタは刑事のことが大好きだってことよ」
「なんでそうなるんだよ!」
「良い?普通はね、職場で仲良くしてる人の結婚は嬉しいものでしょ?」
ユガミは何も言い返せなかった。
「そりゃ、寂しい思いもするかもしれないわ。でもアンタって、その刑事に仕事で頻繁に会うじゃない。下手すればその彼女さんよりも会ってるはずのに、それでも嫌なんでしょ。てことはさ、アンタは誰にも取られたくないくらい、その刑事に入れ込んでるのよ」
かぐやの説明に、不服なところがないわけではないが、それでも筋は通ってるように思われたし、反論する材料もない。
「じゃあ何かい、俺はオッサンと結婚でもしたかったって言うのかァ?姉貴は」
「有り体に言えばそうなるんじゃない?」
ユガミは頭を抱えた。最悪だ。自分の本音に気づいた時にはもはや手遅れだったとは。いや、手遅れになったからこそ気づいたのだ。自身について無頓着だった代償が、このタイミングでやってきたのだった。
「……よォく分かったぜ。そうだな、姉貴の言う通りなんだろうよ。要は俺は失恋したってェ訳だ」
「あら、素直になったようで何より」
「だが、なんで分かったんだァ?」
「話聞いてりゃ分かるわよ。経験の差ってやつ?」
経験、人生経験のことか、とも考えたが、その時ユガミはある人物に思い当たった。かぐやにとって、勿論ユガミにとっても大切な、もうこの世にいない人物。ここに来てようやく、ユガミはかぐやがああも言い切った理由を推察することが出来た。とどのつまり、かぐやも同じ経験をしたのだった。
かぐやは昔から、希月真理のことが好きだった。ユガミが小学生の時からかぐやと真理は一緒にいた。幼いユガミの目からみても、2人は強い信頼関係で結ばれていたように見えたと思う。しかし、真理は別の男性と結婚し、最終的に心音を授かった。まさに今のユガミの立場と似ている。さて、ユガミの記憶が正しければ、かぐやは真理の結婚式にも出席していたはずである。
「姉貴、聞きてェことがある」
「何よ」
「師匠の結婚式はどうだったんだ?」
「…スピーチとか頼まれてたから仕方なく行ったけど、全然楽しくなかったわ。引き出物も帰り道に捨ててきたし」
「オイオイいいのかよ、そんなことして」
「食いもんだったから大丈夫よ」
ユガミは姉が昔から破天荒なところがあったのを、改めて思い出した。
「でも、結婚式には行きなさい。自分が隣にいなくても、好きな人の晴れ舞台は見ておかなきゃ後悔するわよ」
「……」
ユガミは自分ではない恋人の隣にいる番の姿を思い浮かべた。忘れてしまいがちだが、番は実際顔立ちは整っている。ましてや着飾った番はさぞかしキマっているのだろう。
「そうする。ありがとよ、姉貴」
「どういたしまして。お悩みゴトは解決した?」
「おかげさンでなァ」
「いつものジンになってきたわね。精々早く治して、刑事さんに元気な姿見せに行くのよ」
じゃあ私は帰るから、とかぐやは立ち上がった。
ユガミも見送るために立ち上がろうとすると、ここでいいわよ、とかぐやは制した。そして
「買ってきたものは冷蔵庫に入れといたし、お粥の残りもあるから。後お姫サマにもお礼、言っとくのよ」
と言って去った。
ユガミはテーブルの上を片付けた後、再び床に就いた。今回の件で心音には色々気を遣わせてしまった。下手すれば蕎麦どころか寿司を奢らなければならないだろう。高過ぎるのは勘弁願いたいが、多少は奮発してやってもいいかもしれない、とも考えながらユガミは眠りについた。
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