ギャビィ
2024-05-12 22:00:00
5138文字
Public その他
 

昔々、

モンテネグロとスロベニアとマケドニア

 そもそもの始まりは、モンテネグロの家出癖だった。
 みんなと住み始めるまではずっと山奥で一人暮らしをしていたというモンテネグロは、時々ふらっと誰にも告げずに居なくなってしまう困った癖があった。そうでなくとも常日頃からリビングや自分の部屋で寝ていることが多いモンテネグロだから、きっとまたいつものように自分の部屋にいるのだろう、とみんながそう思っているうちに、モンテネグロは何処かへと出掛けて行って、それから半日、長い時は数日間帰ってこなかった。けれどもそうして家を出るのと同じくらいの神出鬼没さでふらっと帰ってきた後は、モンテネグロはいつもの暢気が嘘のように溜まった仕事を一心不乱に片付けて、ある時は徹夜することさえあった。それはきっと、モンテネグロなりの意地のようなものなんだろう。
「彼奴らそういうところあるからなァ」
 ボスニアはいつだったかそう言って、苦笑いの中に盲愛に限りなく近い愛おしさを詰め込んで半分だけ口の端を吊り上げた奇妙な笑い方をした。ボスニアの話によるとヘルツェゴビナも似たようなところがあるらしい。ヘルツェゴビナは、ボスニアの一緒に住もうよ、というプロポーズみたいな言葉を何度となく断って、けしてモスタルを離れようとしなかった。モンテネグロやヘルツェゴビナだけじゃなくて、この家に住むみんなは、きっとそれぞれそういうところがある。イナットと呼ばれるそれは、時々、大それたことを実現したりする。例えばぼくらのような小さな国々が、ロシアさんのいる大きなお家から飛び出してきて新しい世界でやってるのも、もしかするとそのような意地っ張りのせいかもしれない。そうして今、スロベニアがモンテネグロを探しに行こうと言い張っているのも、そういうことなのかも。

「彼奴まだ帰ってこないぞ!」
 リビングでスロベニアが神経質な調子で嘆くのを、セルビアはきょとんと目を丸くして、それから少しばかり怒ったように言った。「だからどうしたのよ」スロベニアが苛立ったように唇を噛んだのがぼくには見えた。
「探しに行った方が良い」
「子どもじゃないんだから、そのうち帰ってくるわよ」
「もう3日だぞ。何かあったらどうするんだ」
「そう気にしなくても大丈夫さ、スロヴェン。ツルナゴーラはもし万が一何かあっても、ピンピンしてる筈だ」
「そうそう。誰かさんみたいに服も仕事道具もそっくりそのまま持って居なくなってるわけでもないしなあ」
「誰のことだよ、ボスナ」
「さあな」
 クロアチアとボスニアもそんなに気にしてないようで、椅子に座ったままのんびりとコーヒーを飲んでる。確かに普段のモンテネグロの飄々とした雰囲気からは、何か大変なことになって身動きとれないで困っている様子はあまり想像が出来ないし、いつかのクロアチアのように怒って荷物丸ごと纏めて自宅に帰って数ヶ月顔を出さない、なんてことでもなさそうだ。それでもスロベニアは納得できないのか、グッと拳を握って「お前ら、心配じゃないのか」と声を張り上げた。
「どうしちゃったのよ、スロベニア」
「もう良い。お前らが探しに行かないなら、俺一人で行く」
 ジャケットを羽織って外に出て行こうとするスロベニアに、「ぼくも一緒に行くよ!」と声をかけて慌てて自分のジャンパーを取った。リビングを出る間際、振り向きざまにチラリと視線を送ると、セルビアは拗ねたように口を曲げて態とらしく視線をずらした。ぼくは、もうドアを開けて外に出ようとしているスロベニアを急いで追いかけた。玄関でスニーカーの靴紐を結びながら、数ヶ月前のある日のことを思い出していた。


「ぼくも一緒に探すよ、スロベニア」
「マケドニアか。助かる」
 スロベニアが深刻そうな表情で頷いた。ぼくは無事に追いつけたことに少しほっとしながら、「でもツルナゴーラ、どこに居るんだろうね」と呟いた。
「それが問題だな。あまり遠くに行ってないと良いんだが」
「自分のお家に帰ってたりして……
「それは、」
 スロベニアが言葉を詰まらせて、それからすぐに「兎に角、手当たり次第に探してみるぞ」と顔を上げた。それから表通りを目をきょろきょろさせながら何度か往復してみたり、レストラン街のお店をひとつひとつ覗いてみたりしたけれど、モンテネグロはどうしても見つからない。もう日が沈みかけた広い広い要塞の公園の森の中で、スロベニアとぼくは途方に暮れて一休みしていた。
「ツルナゴーラ見つからないねえ」
「そうだな」
 スロベニアが重たい溜め息を吐いて、ぼくは慌てて励ますように付け加えた。
「で、でもさ、ツルナゴーラならきっと大丈夫だよ。フルバツカだって言ってたじゃない」
「大丈夫なのと、一人で良いかどうかはまた別だろ」
 スロベニアは、すぐにそう呟いた。ぼくはいつだったか仕事中にクロアチアが言っていたのを思い出した。「スロヴェンは、」クロアチアはまるで自分自身のことを自慢するみたいに嬉しそうに「昔から優秀でさ、よくオーストリアさんに褒められてたよ」と懐かしそうに呟いて、その後ろでスロベニアは眉間に皺を寄せて小さく溜め息を吐いた後、いつもの調子でぼくとクロアチアに注意をした。「雑談してないでさっさと仕事片付けろよ」って。スロベニアは、たぶんすごく真面目だと思う。クロアチアほど長い間一緒に過ごしていないぼくにも、そのことは分かっていた。それに厳しい。多分ぼくらに対するのと同じくらい、スロベニアは自分に対しても厳しいんだろう。
「そうだね。早く見つけてあげないとね」
 ぼくがそう言うと、スロベニアは少しだけ表情を緩めて頷いた。それから肩の力が抜けたのか、半分愚痴のようにつらつらと呟いた。
「それにしたって、セルビアの奴、いつもは人のことを薄情だとかなんだとか言う癖に、こういう時は自分が人一倍ドライなんだ」
「それは違うよ、スロベニア」
 ぼくはスロベニアのジャケットの裾を掴んだ。数ヶ月前にセルビアの服の端を掴んでいた時のように。そう、あの時もぼくらはこの公園にいたんだった。
「どうした? マケドニア」
 また不安そうな顔をしたスロベニアが、自分よりも少し背が低いぼくの顔をのぞき込むように視線を下へ向ける。ぼくは、あの日のことを思い出しながら、上手く伝えることができるか自信がないままにしゃべり始めた。
「あのね、ちょっと前にもツルナゴーラがしばらく帰ってこなかったことがあったでしょう。ほら、夏の終わり頃に」
「ああ。そういえばそうだったかもしれない」
「うん。その時にね、ぼくはセルビアと一緒にツルナゴーラを探しに行ったんだよ」
 スロベニアは黙ったままぼくを見ていた。あの日と同じように夕暮れ時の黄金色した光が差し込んで、公園のマロニエの大きな木とぼく達を照らしていた。
「その時にね、セルビアはツルナゴーラに言ったんだよ。『もうこれからは、アンタだけを特別扱いしたりなんてできない』って。ほら、ぼくらみんなそうでしょう。友愛と統一って、ぼく本当はまだよくわからないけど、特別扱いはしないよって事なんだって、セルビアはそう言ってたよ。だからこれからはツルナゴーラが勝手に居なくなったとしても絶対に迎えに行かないから、だからちゃんと自分で帰ってきなさいね、ってセルビアは言ったんだ」
「それで、ツルナゴーラは何て」
「ツルナゴーラは、わかんない。ずっと黙ってたから」
 しゃべりながら、ぼくはスロベニアが今日は一際気にしていたのは、セルビアがモンテネグロを迎えに行かなかったからなのかもしれないと思った。そういえば、今まではなんだかんだでいつのまにかセルビアがモンテネグロを連れて帰ってくることが多かったのかもしれない。ぼくらは余りにもそれが当たり前だったから、そうしてることすら気付かないことが多かったけれど。
「何だよ」
 ふとスロベニアが弱々しい声を漏らした。ぼくはギョッとして狼狽えた。あのスロベニアが、なんだか泣きそうになっていた。
「それなら、俺たちはとんだ大馬鹿じゃないか」
「えっ、それってどういう」
「だってそうだろう。ツルナゴーラは誰かに迎えに来て欲しいわけじゃなくて、セルビアに迎えに来てもらいたいんだ」
「それは、」
 ぼくは何と言うべきかわからなくなった。スロベニアを傷つけるつもりじゃ無かったんだ。ぼくは途方も無く、どうしたら良いか分からなくなって、泣きたくなった。きっとスロベニアも同じ気持ちなんだろう。その時、ふとマロニエの木の上の方から場違いな、小さな可愛らしい溜め息が聞こえた。
「お前らさあ、」
 それから続くように声が。
「誰が姉に迎えに来てもらわないと帰れない餓鬼だって?」
 吃驚して上を見上げるのと同時に、その人物は木の上から飛び降りてきて、事も無げにすんなりと着地した。
「ツルナゴーラ!」
 スロベニアがずっと探していた人物の名前を呼んだ。モンテネグロはツンと顔を上げたまま目を瞑るように大きく瞬きをして、腰に腕をあててシャンと背筋を伸ばした。
「ツルナゴーラ〜!」
 もう何だかわからない気持ちで半泣きのまま近寄ると、モンテネグロはぴしりと軽くぼくの額を指で弾いた。痛い。意味が分からないことだらけだ。ぼくがスンスンと泣きじゃくり始める横で、モンテネグロは照れ隠しのように頬を赤くして怒ったふりをしていて、スロベニアはいつもの調子を取り戻したのか説教じみた調子で話し始めた。
「ったく、そもそもお前が勝手にいなくなるのがいけないんだ。どれだけ探したのか分かってるのか。俺とマケドニアに礼くらい言ってもらいたいもんだ」
 モンテネグロは偉そうに家までの帰り道を先陣切って歩き出しながら、小さな声で「ありがと」と素っ気なく言った。ぼくは涙を拭ってこれ以上泣かないように目に力を込めて、睨むようになりながらスロベニアを見上げた。スロベニアは珍しくぼくの頭を雑に撫でて目を合わせなかったけれど、なんだか涙ぐんでるように見えた。

「お腹空いたねえ」
「誰かさんのお陰でな」
「悪かったよ。……あ、まずい」
 三人で並んで帰る途中、もうすぐで家に着くというところでモンテネグロが急に声を上げて立ち止まった。
「どうした?」
 スロベニアが聞き返す。モンテネグロは困ったように言った。
「今日の夕飯当番、私だ」
 誰からともなくキュウッとお腹が鳴る音がした。モンテネグロが溜め息を吐いて項垂れる。
「き、きっと大丈夫だよ。とにかくお家に帰ろうよ」
 途端に足取りの重たくなったモンテネグロの手を無理矢理ひっぱって帰り着いて、家のドアを開けると、途端に食欲をそそる良い匂いが家の中から溢れ出した。また三人分のお腹の音が響くのを遮って、家の奥からやけに明るい声が聞こえてくる。
「遅かったのねえ。もう夕飯出来てるわよ」
 エプロン姿で出てきたセルビアは、素っ気なくそれだけぼくたちに告げた。
「お、お姉ちゃん」
 モンテネグロが少し頼りなさげな声で呼びかけると、セルビアはくるりと振り返って声を掛けた。
「何やってんのよツルナゴーラ、さっさと中に入ってきなさいよ」
 ぼくはスニーカーを靴箱に片付けながら、モンテネグロを見上げてふふっと笑った。横では同じようにスロベニアも悪戯っぽい顔で笑っていた。リビングに入るとクロアチアが「何だ、お姉ちゃんが迎えに行かないと帰ってこれないのかと思ったぜ」と態とらしく意地悪なことを言ってモンテネグロと軽く言い合いになっているうちに、セルビアとボスニアがテーブルの上にこれでもかと言うほど沢山の料理の皿を並べていた。ぼくはその中に、モンテネグロの好きな料理が幾つもあるのに気付いていた。


 その夜ぼくは、自分の部屋の机の鍵付きの引き出しの中から電話機を取り出して、ベッドに座って膝の上においた。受話器を上げてそっと耳に当てると、何度か機械的な音が鳴った後にガチャリと誰かが電話に出た音がする。ぼくは無言で、電話の向こうの人物が話し始めるのを待った。たっぷり一分ほど間を空けた後に、電話の向こうのその人は少し自信なさげに問いかけた。
――お前なのか」
 ぼくは口を開いた。
「いい加減、人の名前くらい呼べるようになった方が良いんじゃないの、ブルガリアさん」
「マケ、」
 ガチャリ。
 ぼくは受話器を置いて電話を切った。それから元にあったのを同じように机の引き出しの中に電話機を入れてしっかりと鍵を閉めて、それから毛布を引っ掴んでベッドの中に潜り込んだ。
 きっと今夜は、昔々の夢を見るだろう。