ギャビィ
2024-05-12 21:38:25
3074文字
Public クロセル
 

吸血鬼談義

クロセル

 夕飯の後、さあて散歩にでも行くかあとグッと背伸びをしたら誰かにツンツンと裾を引っ張られた。「ボスナ外に行くの」視線を少し下にずらすと、マケドニアがジッと見ていた。
「ああ、カレメグダン辺りまで行こうかなって」
 背後でセルビアがチャオ〜と言う軽い声が聞こえた。続けてバタンと玄関のドアが閉まった音が聞こえる。彼奴も散歩かあ……
「ぼくも一緒に行っていい」
 裾を握ったままのマケドニアが声を掛ける。訊ねているふうだけど、実際はもうプルオーバーを羽織っているあたり、ついてくることはもう決定事項らしい。此奴もなかなかこれで強情だ。特に断る理由もなかった俺は、すぐに了承して自分のジャケットを手に取った。
「お、お前も出かけんのか」
「まあな」
 俺よりも先に自分のブルゾンをクロックフックから取っていったクロアチアに声を掛けると、素っ気なく返された。何となく出かける先に感づきながら、「ふーん」とだけ返しておいた。最近仲良いな此奴ら。俺の視線をスッと(態とらしく)受け流したクロアチアが、隣に立っていたマケドニアの顔を見て、一瞬だけ慌てたような気配を見せた。何だ。
「気を付けてね、フルバツカ」
「ああ。お前もあまり遅くならないように」
「大丈夫だよ、ボスナと一緒だから」
「そうか」
 そんな二人の会話を聞きながら、俺は小さな違和感に首を捻っていた。

 このところすっかり寒くなった街は暗い冬を照らすようにきらきらと灯りを振りまいている。俺はマケドニアに露店でホットワインを買ってやって、自分はシナモンのいい香りのするクルトシュを食べていた。
「ねえ、ボスナ」
 ふうふうとホットワインの湯気を吹いて揺れるのを楽しんでいたマケドニアが、一口飲んだ後に話し始めた。
「吸血鬼っていると思う?」
「さあ、どうだろうなあ。昔は結構色んなところで噂聞いてたけど、最近はあんまり聞かないな」
「ふうん」
 俺の答えはどうやらマケドニア的にはイマイチだったようだ。両手で持ったホットワインを一口飲んで、ハッと暖かそうな吐息を出したマケドニアの頭を、俺はぐしゃぐしゃと掴んで撫でてやった。
「急にどうしたんだよ、マケドニア」
「ううん、ちょっと気になってるんだぼくは」
「何が」
 川沿いのベンチに座ると目の前に1組の男女が連れ立って通り過ぎた。彼奴らも今頃こうやって歩いてるんだろうかと考えて、俺はクルトシュの最後の一口を食べ終わった。マケドニアは話し始める。
「昨日の夜ね、ぼく夜中に目が醒めちゃって、ちょっと水でも飲もうかなってキッチンに行ったんだ」
「ふうん」
「そうしたらフルバツカがいて、」
……へえ」
「ぼくは何やってるの?って聞いたんだ」
……
「そうしたらフルバツカ、何もやってない、って言ってさ、」
「怪しいな」
「怪しいよね」
 俺はマケドニアの不思議そうな表情になるべく真面目そうな顔をして頷いた。怪しいな、それは。うん。お前がそう思うのも仕方ない。
「そうしたらセルビアが」
「セルビアもいたのか?!」
「うん? そうだよ、セルビアもいたんだ。ぼくがキッチンに入ろうとした時にパタッと音がしてね、ドアを開けたら二人が冷蔵庫の前で何か怖いものでも見たような顔をしていたのさ。――どうしたの、ボスナ」
「いや、何でもない。続けてくれ」
 セルビアとクロアチアが夜のキッチンで焦った顔をしている様子が容易に想像できてしまって、俺は手のひらで目を覆った。「怪しいよね」「ああ、怪しいな」怪しいというか、それはもう、殆ど”黒”に近いな、マケドニア。なんて言うわけにはいかず、俺はマケドニアの話を、もとい彼奴らの弁解を聞き続ける。
「そうしたらセルビアが突然、吸血鬼!って言ったんだ。フルバツカも、そうだよ吸血鬼が出たんだ、って」
 最近この辺り吸血鬼が出るからね、二人で退治してたんだって。でもぼくがドアを開けた隙にそいつは風のように隙間から外へ逃げてしまったって。もう少しだったのよ、――そうセルビアは言ってたよ。それからぼくにお呪いを唱えて、今夜はもう寝るように、そうして朝になるまで部屋の扉をけして開けないように、って言ったのさ。
「ボスナ、どう思う」
「そうだなあ……
「ボスナも吸血鬼は居るって思う?」
「ううん、それは俺にはわかんないけど」
「ぼくはさ、多分フルバツカは今夜、セルビアと外で会ってると思うんだ。きっと二人だけで吸血鬼を探しに行こうとしてるんだ。だからね、ぼくとボスナも一緒に行った方が良いんじゃないかと思うんだけど……
 殆ど正解に近いだろうマケドニアの推理に、俺は引きつった笑みを浮かべながら「とりあえず一度帰ろうぜ。もしかしたら二人は戻ってるかもしれないし」とだけ返すのがやっとだった。

「吸血鬼」
 リビングのソファで寝転がっていたら、玄関のドアが閉まる音がした。足音を抑えるようにゆっくりと俺のソファの方へ近づいてきたその人物に、瞼を閉じたまま声を掛ける。
「ボスナ」
 呼びかけられて目を開けると、予想通りに、クロアチアがバツの悪そうな顔で立っていた。
「マケドニアから聞いたのか」
 ハアーッと深い溜息を吐いてソファに座ろうとする彼奴のために、起き上がって半分スペースを開けてやる。
「まあな」
「で、吸血鬼退治はどうだった」
「勘弁してくれ」
 俯いて頭を抱えるクロアチアに、俺も小さく溜息を吐いた。
「セルビアといつヨリ戻したんだ、お前」
 確か前回盛大な口喧嘩をした後に、もうあんな女知らねえよ、と捲し立てる此奴と飲みに行ったのは二ケ月ほど前のことだった気がする。
「先週……
「へえ。お前よく謝ったな」
「違う!彼奴がそういう態度を見せてきたから俺は、」
「絆された?」
「違う!ただ、何ていうか、ちょっと、」
「で、吸血鬼」
 ああ……。クロアチアが溜息とも唸り声ともつかない力のない声を出した。
「ちょっと誤魔化し方が雑すぎじゃあないですか、お二人さん」
「ボスナお前、楽しんでないか」
「ちょっとだけ。良いだろ別に、それくらい」
……おう。いつも悪いな」
「別に俺は構わないんだけど」
「マケドニアは何て」
「彼奴わりと信じてるぞ」
「マジか……
「どうすんだ」
 あー、だとか、うう、だとか暫く唸った後、クロアチアは困り果てたような声で「どうにかするよ」と呟いた。


 翌日、起き抜けの煙草を吸いながら、俺はコンロに鍋をかけてお湯を沸かしていた。リビングの方からはセルビアがマケドニアと話してる声が聞こえる。
「そういうわけで、吸血鬼は昨日退治してやったのよ」
「ふうん。案外すぐ捕まえられたんだね。ぼくは吸血鬼はもっと恐ろしい奴だと」
「そりゃあ恐ろしいわよ。不死身だし、力も強いし、すぐに風のように消えてしまうし」
「セルビアそんな奴どうやって退治したのさ」
「私くらいのレベルになると吸血鬼もちょっとビビっちゃうっていうか」
「そうなの?」
「そうよ!だから彼奴が怯んだ隙にこう、スルプスキ右ストレートを」
 俺はソファに座ってコーヒーを飲みながら、二人の話を聞いていた。セルビアが吸血鬼に対して如何に自分が英雄的に戦い勝利したのか、ということを話し終わった後、マケドニアがそう言えば、と話を変えた。
「そう言えば、セルビアとフルバツカはいつ仲直りしたの」
 途端にセルビアが少し上擦った声でエエッとどよめいたので、俺は、笑いを堪えるのに精一杯だった。