姉の絵名が生まれた時、親父は一枚の絵を描いた。それは母さんから聞いた話で、親父が何を考え、何を思って描いたのかは知らない。薄暗い背景に輝くような牡丹が描かれたそれは"希望"を表しているように思えた。
親父はそんな絵を描いた。絵名が生まれた時に。
『じゃあ、オレは?』
ふと疑問に思って、母さんにそう聞いた。母さんは笑っていた。けど、困っていた。そんな表情で『そうねぇ…』と言葉を濁した。
オレには無かったらしい。
別に絵名ほど、そういうことを気にするタイプじゃない。そこまで繊細な性格はしていない。けど、親から与えられたものだ。流石のオレも少しくらい思うところはあって、誕生日を迎える度にいつもその絵の話を思い出す。
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「彰人ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!誕生日!おめでとうっ!!!!!」
「うるせぇ…」
元気いっぱいな声が廊下に響く。響きすぎて、耳が痛い。
「もうちょっとボリューム落とせないんすか」
「すまん!」
オレが顔を顰めても、目の前の騒がしい人の表情は曇らない。ニッと笑って、「今年も彰人の誕生日を祝えるのが嬉しくて!」と跳ねるような声で言う。楽しそうなその表情につられて、オレの口角もつい上がってしまう。
「ったく…テンション上がんのはいいけど、もうちょい声量下げてくださいね」
「あぁ!善処しよう!」
「言ったそばからうるせぇし」
そんないつも通りの会話をしながらも、オレとセンパイは並んでベンチに座った。
「で?今年はどんなショーをしてくれるんですか?」
「む?オレはもうその話をしていたか?」
サプライズをするつもりだったんだが…と首を傾げるその姿に笑って、「あんたからのプレゼントとか、それしかないだろ」と返せば、オレとは対象的に司センパイはぷくっと頬を膨らませた。
「それしか、とはなんだ!ショー以外にも色々用意しているんだからな!」
「それ言っていいんですか?それもサプライズなんじゃ」
「はっ!?しまった!」
センパイは叫びながら口元に手のひらを当てた。そして、「い、今のは忘れてくれっ…!」と無茶を言い出す。
司センパイの騒がしい百面相に笑いながら、「それはさすがに無理だろ」と返せば、「くっ…オレとした事が…」と項垂れてしまった。
さらりと地面に向かって流れる金糸。それを人差し指の背ですくって、耳にかけてみる。けれど、角度的に表情が見えない。オーバーリアクションをするから分かりづらいが、多分これは本気で落ち込んでるやつだ。
冬弥のように長い付き合いがあるわけじゃない。けどオレにはわかる。好きになってから、ずっと目で追っていたから。付き合い始めてから、少しだけセンパイが弱い姿を見せてくれるようになったから。そんな弱い姿を隠そうとしてる時でもわかる。
「司センパイ」
名前を呼べば、センパイは素直に顔を上げた。その表情は先程と打って変わって、しょんぼりとしてしまっている。
「そんな落ち込まなくても大丈夫ですよ。サプライズでも、サプライズじゃなくても、あんたが笑って『おめでとう』って言ってくれるだけで嬉しいんですから」
十一月になったというのに、まだ熱くオレ達を照らす太陽の光。それに反射してキラキラと輝くセンパイの髪を撫でる。
センパイはキョトンとして、「そう、か…?」と小さく呟いた。
「はい。それと、あんたが笑ってくれてたら完璧なんですけどね?」
オレは頷き、笑ってみせる。すると、少し間を置いて司センパイも笑った。
「そうか!なら、めいっぱい笑顔でいないとな!」
キラキラと輝くような笑顔に思わず目を細める。その脳裏で、ふと自分の言葉が甦る。
『おめでとうって言ってくれるだけで嬉しい』
センパイを慰めるための嘘じゃない。本当の気持ちだ。それにセンパイに対してだけじゃない。誰に対しても同じように思っている。わざわざ手の込んだプレゼントとかはいらない。くれると言うのなら、それもまた気持ちだと嬉しく受け取るけど。でも、『おめでとう』と言われるだけでも十分なんだ。
『彰人…おめでとう』
オレの思考に重なるように、低くて不器用な声が頭の中で流れた。
それは今朝聞いたばかりの声。今朝貰ったばかりの言葉。
司センパイや冬弥、杏、こはね、それにセカイのみんなやこれまで出会ってきた友人達。誰よりも、絵名よりも不器用な人。そんな人が贈ってくれた言葉だ。
「そうだな…」
「…ん?彰人、何か言ったか?」
「……なんでもないです。気にしないでください」
司センパイの視線が刺さる。なんでもない、が嘘であることはわかっているんだろう。けどセンパイは「そうか」とだけ言って、弁当を取り出した。
オレもコンビニで買ってきた弁当を出す。
「お、今日はお弁当なんだな!」
「パン、あんま新しいの無くて飽きちゃったんで」
センパイはいつも通りの表情で、オレもいつも通りに言葉を返す。そうして二人で、少し特別だけれどいつも通りの昼休憩を過ごした。
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「ただいま」
「おかえりなさい、彰人」
「親父…はともかく、絵名は?」
リビングへと入れば、食卓の上にはいつもより豪華な食事が並んでいた。けれど、居たのはキッチンに立っている母さんだけだ。
毎年、家族の誕生日となるとケーキ目当ての絵名がいつもより早めに食卓についている。なのに、いない。いつもの席にも、テレビ前のソファにも。
「絵名なら部屋にいるわよ。絵画教室の課題を進めたいって」
「ふーん…」
母さんの言葉に相槌を打ちながら、オレはリビングから出ようとした。とりあえず、荷物を部屋に置こうと思って。けど、その足が止まる。
「これ…」
視界の端、リビングの壁に立てかけられた物。それに視線が釘付けになる。白い布がかけられた長方形のそれは、うちじゃ珍しくもないもの。おそらく、キャンバスだ。
「あぁ、それ」
準備が終わったのか、エプロンを外しながら母さんがこちらへと近づいてきた。
「昔、絵名が生まれた時にお父さんが描いた絵の話したでしょ?」
「…あぁ」
脳裏に過ぎる。夜闇の中で美しく咲き誇る牡丹。一般に公開された作品で、それと同時に絵名に与えられた祝福の証でもある。
「それが?」
心が少しだけザワついて、つい冷ややかな声が出てしまった。それを気にする様子もなく、母さんは笑って続ける。
「今日、なんとなくその絵の事を思い出してね、その話お父さんにしたのよ。そしたら、」
と母さんが壁に立てかけられたキャンバスを指差す。
「それの事、教えてくれたの」
視線を母さんからキャンバスへと戻す。例の絵か?と一瞬考えるが、あの牡丹の絵は普段はどっかの美術館に展示されているはずだ。たまに個展だのなんだので、別の場所に展示されることはあるが、基本的にうちには置いてない。
ということは、あの絵ではない。
「見てみて」
母さんの言葉に背を押され、オレはキャンバスにかかっている布へと手を伸ばした。掴んでそのまま引っ張れば、上からかけられただけの布は簡単に取れてしまった。そしてその白い布の下から現れたのは、
「……たんぽぽ?」
それは黄色い一輪のたんぽぽの絵だった。背景は薄茶色と赤土色の混ざった荒野と青い空。今の時期には似合わない春を思わせる花がキラキラと輝いて見える。
なんとなく、司センパイのことを思い出す。黄色いからだろうか。いや、そんなことより…
「これ、親父の絵か…?」
母さんの方を見れば、にこにことしながらも頷いた。
「そう、お父さんが描いた絵よ」
「で?これがどうしたんだよ」
「それね、ある事があった年にお父さんが描いた絵なんだって」
「ある事?」
母さんの言葉に首を傾げる。今日はやけにもったいぶった話し方をするな、と少し面倒くさく思いながらも言葉を返す。すると、母さんは嬉しそうにこう言った。
「彰人がね、生まれた年に描いた絵だそうよ」
「オレ、が…?」
オレの膝ほどもない。小さなキャンバス。そこに咲くたった一輪のたんぽぽ。あの牡丹のように大きく描かれてはいない。荒野にひっそりと咲くように描かれている。けど、その姿は力強い。太陽の描かれていないキャンバスの上で、太陽の代わりにキラキラと輝いている。
そんなものを描いたと、親父が、オレが生まれた年に。
「生まれた彰人を見て、描きたくなって描いた絵、だそうよ」
「生まれた、オレを見て…」
親父が実際、何を思ったのかは知らない。何を考えて、描いたのかも知らない。何も知らない。けど、この絵が、このたんぽぽが、あの牡丹の花と同じように輝いていることだけはわかる。
「そうか…」
言葉だけでもよかった。けど、オレは言葉以上のものも貰っていた。
性格とか、目指してるもんとか、そういう関係で親父はいつもオレより絵名を心配していた。絵名はオレ以上に、周りの評価を気にして引きずるタイプだから。その上、絵名が目指す場所は親父と同じだ。その道行を知る親父からすれば、心配にもなるだろう。
それがわかっていたから、別に心配される絵名を羨ましいと思ったことはなかった。それでも、やっぱり、
「嬉しいもんだな」
柔く触れる程度に、キャンバスの角を撫でる。オレの言葉に答えるように、たんぽぽが輝きを増したような気がした。
オマケ(蛇足)↓
「ふむ、これがその絵か…?」
オレが頷くと、センパイはキャンバスを両手で持ってまじまじと見つめる。
「素晴らしい絵だな!オレは素人だから詳しいことはわからんが、素敵な絵だと思うぞ!」
「ありがとうございます。親父にもそう伝えときますね」
「むっ…ご本人に感想が伝わるならもっとこう、他の感想を…」
顎に手を当て、センパイは考え始めてしまった。別に、親父はそんな事気にしないだろう。司センパイがのどんな人間かを伝えれば、それだけでセンパイの口から出た感想が嘘やお世辞でないことはわかるだろうから。
そう思い、別にいいですよ、と告げようとした。が、オレが口を開く前にセンパイが先に口を開いた。
「それにしても、彰人らしい花だな」
「…は?」
「いや、この枯れた土ばかりの大地に力強く咲いている姿が彰人って感じしないか?」
「つまり、オレは雑草みたいな男だと…」
じと、とセンパイを横目で見る。すると、センパイは慌てて、「そ、そうではない!」と声を張り上げた。
「ちょっ…オレの部屋ってこと忘れないでくださいよ…!」
「うっ…すまん…」
素直に謝るセンパイに、ため息をつく。
絵名が絵画教室に行っていて、隣の部屋に誰もいないからよかったが。居たら、確実に絵名がこの部屋に乗り込んできていただろう。
それを想像して、再び口からため息がもれる。そんなオレの様子には気付いたうえで、「そっ…それにだな!」とセンパイは話を無理やりに戻した。
「それに?なんすか?」
「えっと…たんぽぽは咲いた後、綿毛になるだろう?」
「それが?」
「綿毛は遠くまで飛んでいって、また別の地で花を咲かせる。そういうところが、日本どころか海外にまで飛び出して活動しようと夢見ている彰人の姿に重なるな、と…」
そこまで言って、センパイはオレの様子を伺うようにこちらを見る。そんな可愛らしい上目遣い気味の視線にオレは笑う。そして、センパイの言葉を頭の中で繰り返す。
遠くまで飛んでいき、また別の地で花を咲かせる。
なるほど。言われてみれば、確かに似ているのかもしれない。
「そっすね…確かに、似てる気がする」
「彰人のお父様も、彰人がどこまでも進めるようにと願ってこの花を選んだのかもしれんな」
オレの言葉に頷いたセンパイが微笑む。たんぽぽを見つめる瞳は眩しそうに細められ、それでいて愛おしいものを見つめるように潤んで揺らめく。
「センパイ」
「ん?どうし…た…」
センパイがオレへと視線を向けるように、顔を上げた。その瞬間を狙って、乾燥するこの時期でも潤ったままの唇へとオレの唇を重ねた。
重なったのはたった一瞬。唇が離れるとすぐ、センパイは真っ赤になった頬を膨らませる。
「…な、なんなんだ、急に」
「いいでしょ、急にしたって。恋人なんだし」
「まあ、いいが…」
そういう雰囲気だったか?と首を傾げるその人に笑ってみせる。オレのようだ、と言ったたんぽぽを愛おしそうに見つめたあんたが悪いんだ。なんて、こじつけた言い訳をしながら。
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