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みすず
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創作
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冬人と水樹さん
どこかへ
「どっかに行こうと私が言う
どこ行こうかとあなたが言う
──谷川俊太郎『ここ』」
目が覚めた病室は青かった。黎明に差した影。冬人はクリーム色のカーテンを僅かに引き、薄暗がりに重たいまばたきを繰り返す。寝起きは目が乾く。
季節は冬。夜明けは遅く、時計を見れば六時より少し前。家で過ごしていればちょっと読書をしたり、観るでもなくテレビを流していればあっという間に出勤準備をする時間になるだろう。だが、冬人は怪我人で病院の世話になっている身だ。できることは限られている。現代人らしくスマホを手に取るも、滅入るネット記事が真っ先に目に入ってうんざりしてしまった。
朝食までの時間をどう過ごそうか。眠ってしまうには中途半端である。
考えて、冬人は抽斗の中へ入れていたデジカメを手に取った。
(
……
面白い写真を撮る子だな)
画像データに見つけたのは「の」の字に虫食いがある葉。過去を遡って表示される画像とはがらりと変わった被写体は、冬人が水樹にデジカメを貸した際に撮られたものだ。冬人は二台持っていたデジカメの片方を水樹に渡しており、今頃彼の手元にあるデジカメにはもっと沢山の写真があるのだろうと思う。それを水樹が見せにきてくれるのを冬人は楽しみにしていた。
ほろ、と微笑みながら冬人は画像データを辿っていく。落ちているちびっちゃい鉛筆、誤字を無理やり上書きして直したポスター、マジックカットのはずが失敗した小袋調味料。冬人の撮った静かな風景をただ切り取った写真とはまるで違う、別の世界がその写真には広がっている。
ひと通り写真を見終えた頃、外はすっかり明るくなっていた。部屋の向こうからも「おはようございます」と朝の挨拶を交わす声が聞こえ、冬人は脚に響かないよう慎重に伸びをする。
(今日も水樹くんは来るのかな)
来てくれたら嬉しい、と思う。
自分から会いに行ってもいいのだけど。いいはずなのだけど。
冬人は固定されている脚をさする。車椅子はもう使っていない。リハビリに努める日々だ。自分の足で歩いてどこへでも行けるように。
(歩けるようになって
……
きみとどこかへ行けたらいいんだけどな)
冬人に世界の広さを教えてくれたひと。水樹はしかし、病院の外をあまり知らない。
自分の足がまともに動くようになったとき、当たり前に「退院したらどこかへ行こう」と言えたらいいのに。当たり前が万人のものではないということにすら、冬人は水樹と出会うまでまともに知りやしなかった。
でも、信じている。
水樹はいつか病院を出て「どこか」へ行くのだ。
そのいつかが来ることを冬人は信じている。いつまでだって、願っているのだ。
「ッぃくしょい」
「ゴッドブレスユー」
「ぇ、あ、ありがとう」
くしゃみをした冬人の背中をしゃかしゃか撫でる水樹に礼を言い、冬人は「寒くなってきたね」と呟く。
「ね。冬とかあっという間に来そう。僕はまだまだ食欲の秋も芸術の秋も堪能したいんだけどねえ」
やれやれ、と肩を欧米風に竦める水樹は厚手のパーカーを着ており、寒くはなさそうだと冬人は安堵する。体が冷えて体調不良にでもなってしまえば事である。患っていた病が完治して健康な体になっていようが親しいものを、恋人を心配する気持ちには関係ない。
「そういえば、昨夜前に撮った写真見てたら『の』の字に虫食いがある葉っぱの写真とかあって笑っちゃった。病院にいた頃のなんだけど、撮ったときすごく気に入ってさ。多分、冬人さんのデジカメにも残ってると思う」
「ああ、あの
……
」
「あ、やっぱりあったんだ」
「うん。他にも色々あったと思う」
「いやあ
……
冬人さんにデジカメ譲ってもらったおかげで一生ものの趣味が見つかりました」
あのデジカメはいまも活躍しております、と恭しく言う水樹に冬人は苦笑する。大仰に思ったのではない。一生ものとは自分こそだと思ったのだ。水樹との出会いがなければ元々の趣味であった写真とはもっと淡白な、ぬるい温度でしか付き合うことがなかっただろう。あるままにただシャッターを切って満足していただろう。冬人がそこにあるものにもっと注目して、もっと興味を持って、なにかを探す熱意を得たのは水樹がいるからこそなのだ。
「僕、変なこと言った?」
「ううん」
苦笑に誤解させたか、と冬人は慌てて首を振る。訝しむことなく「ふうん」と頷いた水樹の目が不意にぱっときらめく。
「冬人さん、冬人さん。銀杏!」
「冬人さんは銀杏じゃないです」
「
……
立花冬人さん、銀杏がありました」
「っふふ、そうだね。すごい、金色だ」
一歩、二歩。軽やかに進んだ水樹が冬人を振り返りながら指を差すほうには、見事に色づいた銀杏の街路樹。
「秋って言ったら紅葉は外せないよね」
「どこか撮りに行こうか」
「うん。あ、ちょっと待ってください」
歩道の脇、こんもりと集まった落ち葉の側に水樹が立つ。
「絶好のスポットですよ。シャクッて行きませんか」
「その動詞初めて聞いたな」
枯葉の山を踏んでみないかとお誘いされて、冬人は「まずは水樹くんがどうぞ」と一番手を譲る。
「え、いいの? 冬人さん、遠慮してない?」
「大丈夫だよ」
「大人だからって気にしてる?」
「してないよ」
「ほんとう? 僕、やっちゃいますよ? シャクッて行っちゃうよ?」
「俺はその瞬間を撮るよ」
「
……
格好いいシャクり方を勉強しておけばよかったな」
顎に手をやり、枯葉の山を矯めつ眇めつした水樹が「日永水樹、行きます」と真剣な顔をしたので、冬人はスマホのカメラを起動した。ああ、カメラを持ってくるべきであった。
深呼吸。たん、と地面を蹴って落ち葉の上に水樹が跳躍する。乾いた葉の立てるぱりぱりしゃくしゃくという音。舞い上がる黄金色が秋晴れの青空にひらひらと光る。そのなかから向けられた生命力に満ちる榛色の目と、にっと浮かべられた笑み。その輝きに冬人はシャッターを切るのが遅れそうになった。
「撮れたっ?」
「
……
うん。見る?」
「見ます」
落ち葉で旋毛を作るように駆けてきた水樹がスマホを覗き込み、ふむふむと頷く。
「躍動感に溢れつつも紅葉の輝きを邪魔せず今季最高の一枚と言っても過言ではありませんね」
「そう? プリントして帰ろうか」
「します。これは是非とも飾らなくては
……
近くの紅葉もいいものだね」
「
……
うん」
燃えるような山はないが、一枚いち枚の落ち葉のなかに映る水樹は間違いなく秋を体現している。ほら、また水樹によってひとつ気づいた。世界に遠くも近くもないのだ。そこになにがあるのかに気づいた瞬間から世界は広がる。
冬人は病室で願った日を思い出す。
水樹はいつか、どこかへ行けるようになる。
「
……
紅葉だけじゃなくて、他のも色々考えて観に行こうか」
「うん! どこ行こっか。冬人さんと一緒ですからね、どこでもワンダーランド間違いなしですよ」
どこかへ行ける。どこへでも行ける。ふたりで見たいものが沢山ある。
紅葉はここで見つけた。ここもきっとどこかだ。
「あ、冬人さん。耳澄ませて
……
焼き芋屋さんですよ!」
「ふは、あはは。走ろうか」
「うん! こっちかなっ?」
一緒にどこかへ行ける。行こう。
足元をついてくる落ち葉を振り切るようにふたりは駆けた。
まずはそう、すぐ近く。ちょっとそこまで。焼き芋屋の声がするほうへ。
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