RooMの閉店時間は午前三時である。夏場であればもうじき黎明を迎える頃だが八月も半ばを過ぎると日は随分と短くなり、今時分はまだまだ真っ暗である。
「随分と涼しくなったよねー。このまま秋になるのかな」
「夏場は厳しかったですからね。歓迎です」
少しばかり肌寒い明け方前の帰路を真朱は兎織と手を繋いで歩く。夏場よりも寄せ合う肩が近いのが嬉しく、とん、と軽くぶつけてみては「なあに?」とおかしそうに笑う兎織からお返しをされるというじゃれ合いを繰り返す。時間が時間なので声は自然と潜められ、秘密のやり取りをしているようでもあった。
「真朱さん的に秋といえば?」
「ううん……食欲、行楽ですかねえ。また、温泉に行きたいです」
「いいね! 紅葉が綺麗なところがいいなあ」
「お酒も美味しくてね」
「それは必須条件」
ふたりで行くことが前提の話。以前、行った宿はこうだったから次はどうしたい。観光名所ならばどこそこで、名物料理はなになにで。こそこそ小さな声で話し合えば内容はどんどん具体的になっていくし、盛り上がるが、いつ行こうかなんて具体的な日にちまで数えれば社会人の休日事情が立ちはだかる。
「正社員はつらいねえ……」
「兎織さんもなってくださいよー……五年も勤めてるんですから」
「いや、結構あっという間だよね。色々あったなー」
「親友と恋人になったり?」
「親友と恋人になったり」
頭をぶつけ合ってくすくす笑う。互いに臆面もなく親友といえるし、ひょっとしたらふざけているでもなく兄弟と名乗れるかもしれない。それほどに真朱と兎織の関係は密で、心通い合ったものだ。そして、互いにそれを認め合っている。
「ひっそりした宿もいいですね。人が少なくて静かなところ」
「いいね。観光に行くのもいいけどだらだらしたいなあ」
「……この辺突き詰めて行くと家が一番になりますね」
「それはそう。そろそろ買い物にも行かなきゃだし、入浴剤も一緒に買ってくる?」
「それならあったかくなるやつにしましょ。炭酸のとかいいんでしたっけ?」
「楽しそ。そういえば俺、ローションっぽくなるやつ見たことあるかも」
「絶対やめましょ。家に仕事を持ち込むべきじゃありません」
「同感」
RooMでは月に一度、ローション風呂の日がある。特別手当を出されるほど過酷な風呂掃除をすることになるので、真朱と兎織は互いにげっそりとした顔になる。憎いあんちくしょうのせいで転んだ経験が真朱にはあった。
「客が薔薇の花持ち込んで花びら風呂やったことあったよね。あれマジで最悪だった」
「それこそ家でやれって話ですよ」
「家でやる?」
「溶けて泡になるやつだったら。ありましたよね、そういう造花」
「あるらしいね。一緒に入る?」
「もちろん」
ふたりはまたしても笑い合いながら体を寄せ合い腕を絡ませ合い、まるで酔っ払いの千鳥足のように自宅までふらふらと歩いた。
玄関の戸をくぐればやれ疲れたと言い合い、風呂が沸くまでだらだらと座卓に頬をつける。
「秋といえばさー、芸術もあるよね」
「美術館にでも行きますか?」
「それもいいけど映画も観たいな。配信で観ようと思ったの結構溜まってる」
「ああ、私も観ようと思って結局観てないのありますね。本もですが」
「真朱さんの好きなやつ、なんだっけ……怖い話のやつ。新刊出てたよ」
「あーあーあー、あれですか。夏過ぎたかのでどうしましょうかね」
「読むタイミング逃しちゃったね」
「ええ……今年の秋は映画三昧にしましょうか」
兎織とはアクション映画をよく観る。ネタバレは踏みたくないが犬とこどもが被害に遭うかどうかは知りたい派だ。
端末を操作して観たい映画をお気に入りに入れながらまったりとしていると、風呂が沸いたと音声が聞こえた。
「一緒に入る?」
「入ります」
「髪洗ってあげるー」
「お、嬉しいですね」
外には薄明かりが差し始めているが、風呂場はまだまだ暗い。煌々と灯りのついたなかで相手に裸体を晒しても、互いだと思えばいまさらであるし気にならない。
嘘である。
真朱は掛け湯をする兎織の首筋に自身が残した情事の痕を見つけ、にこ、と小さく笑んだ。
「あ、すけべなこと考えてるでしょ」
鏡越しに真朱と目を合わせた兎織からの鋭い指摘。
「いやいや、まさか」
「嘘だー」
にやにやと笑いながらも兎織の頬は少しばかり赤くなっている。まだ湯船にも浸かっていないのだ。温まった体のせいにするには無理がある。
「……する体力残ってます?」
今度こそ兎織の顔が赤くなる。彼は無言で湯船に浸かってからちらりと真朱へ視線を向けた。
「……ある」
「よかった」
照れ笑いを浮かべる兎織の顔へ手を伸ばし、真朱は彼の頬に手を添えながらキスをする。ちゅ、ちゅ、と触れ合うだけの柔いもの。湯では温まりきれない胸が熱を灯していった。
「……ねえ、真朱さん」
「なんでしょう」
「やっぱりさ、温泉行かないで家でゆっくりしたいかも」
「……温泉宿じゃこういうことできませんしね」
「……すけべ」
「すけべです」
言いながら今度はどちらともなく合わせた唇。喰むように擦り合わせ、舌を伸ばして絡ませ合う。
まだ曇らぬ鏡には情欲に火照った真朱と兎織の姿が映っている。
これからその顔は、体は紅葉のように赤くなるだろう。
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