笙祠と喰斑さん

笙祠の家

 花木を好む笙祠の家の庭には金木犀もある。季節は秋、ふわりと甘やかな香りが漂う頃に笙祠は喰斑を自宅へ招いた。
「茶が入ったぞ」
 縁側に腰掛けてのんびりと庭を眺めている喰斑の隣に盆を置き、笙祠は彼に茶を出す。使う湯呑みは来客用の青白磁で、笙祠はこれが喰斑に似合って見えず出しておきながら不服に思うことがしばしばある。
(こいつ専用になにか用意するか)
「ありがとう。笙祠さんのお茶、いつも美味しいよね」
「そりゃなによりだ」
 にこ、と眠たげにも見える笑みを浮かべる喰斑がそうっと茶を啜るのを見て、笙祠は相槌を打ちながら彼の骨ばった手に似合うのはなにがいいかと思案する。いぶし銀彩辺りがいいかしら。それとも厚手の柔らかな描き絵もの。
「笙祠さん?」
「ん?」
「じいっと見てどうしたの?」
 ああ、と笙祠は片立膝に突いていた頬杖を解く。思案に耽るあまり喰斑の顔の凝視していたようだ。喰斑はやや困ったように眉を下げており「なにか変かな……」とそわそわしたように辺りを見渡していた。
「違う。お前がいい男だから見ていた」
 嘘ではない。いい男に似合う湯呑みはなにかを考えていた。
……またそういう」
 揶揄われたように思ったのか、口を小さくする喰斑に笙祠は「自覚しろよ、色男」と笑って彼の顎をなぞる。そのまま親指で頬を撫でれば喰斑はくすぐったそうに目を瞑り、その顔に惹かれた笙祠は身を寄せて頬へ口付けた。喰斑が両手に湯呑みを持っていなければ、きっと口にキスしていただろう。
……いまは匂いが違うんだね」
 身を離せば寂しそうな表情をしたので抱き寄せれば、身動ぎして落ち着く体勢になった喰斑がすん、と鼻を鳴らしながら言った。
「匂い?」
「うん。金木犀があるからかな。これもいい香り」
 庭から香るばかりと思っていたが、敏感な喰斑からすると笙祠自身にも金木犀の香りが染みついていたらしい。気づかなかったな、と思うのと同時に、笙祠は喰斑にとって心地良い香りであることに安堵する。笙祠は喰斑が穏やかに眠れるようにしてやりたいのだ。今日とて泊まる予定の喰斑を腕のなかへ収める気でいっぱいだった。
「花の匂い強かったら部屋考えるから言えよ」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
 にこ、と柔らかく笑む喰斑に頷き、笙祠は手慰みのように彼の黒髪を指で梳く。近くにいれば抱きしめておきたくなるし、なにかと触れたくなるのだ。
「庭には他にも花が咲く木があるの?」
 しばらくそうしていたら自身に凭れ掛かる喰斑からぽつりと問われ、笙祠は思考に宙へ視線を巡らせる。
「晩秋になれば十月桜が咲く」
……十月に桜が咲くの?」
「ああ。八重咲きの桜だ。庭で見るよりどこか紅葉なんかと見るといいぞ」
「へえ。でも、せっかくなら笙祠さんと一緒に見たいな。咲いたら見にきてもいい?」
「構わない。来たいならいつ来たっていいしな……美味い茶菓子でも用意しておくわ」
 十月桜が咲くまでまだ間がある。それまでにも来たいと思えばいつだって訪えばよろしい。ただでさえ他者の温度がなければ眠れない喰斑なのだ。眠れる日は率先して作るべきだろうと笙祠は思っている。幸いにも笙祠は外勤めではないので在宅率も高い。そんなこと言いはしないだろうが、喰斑から眠れないから立ち寄ったと言われたって笙祠は構わなかった。
「ふふ。あ、せっかく淹れてもらったのにお茶冷めちゃうね……いただきます」
 のそ、と身を起こしてぬるくなった茶を飲む喰斑に、笙祠はやはり湯呑みを用意しようと思う。言えば喰斑が遠慮することは目に見えているので、笙祠が勝手に選んで勝手に用意しておく。喰斑はどんなものを好むだろうか。彼が目に留めていたもの、口に出していたもの、作品傾向を考える。使うものが定まっているのなら趣味に合うもののほうがいい。断然。十月桜が咲くまでには必ず用意しようと笙祠は決めた。
「どうしたの? 今日はぼうっとすること多いね……疲れているなら」
「ぼうっとはしてねえよ。真剣な考えごとしているだけだ」
 疲れているならの続きは帰ろうか、だろう。帰して堪るか、と笙祠は喰斑が湯呑みを落とさぬ程度の勢いで抱き寄せる。
「考えごとも大変じゃない……? 忙しいなら、俺……
「お前のこと考えてんだよ」
 おろおろと遠慮を見せる喰斑に笙祠はきっぱりと言った。
 きょとん、と喰斑は笙祠を見上げてくる。左目は黒々として、右目はやや白濁している。笙祠は傷跡の走る右目の瞼にキスをして「気にするな」と繰り返す。キスで誤魔化すような真似は好ましくないが、事実気にするようなことでもなければ嘘も吐いていないのだ。
 喰斑はむ、と一瞬眉を寄せたが「分かった」と頷いてくれた。
「でも、ほんとうに忙しかったり用事があったら言ってね?」
「そんなもんがあったら端から呼ばねえわ」
「そうだけど……
 頷きはしたが納得はしていなさそうな喰斑に笙祠は考え、彼の顔を覗き込みながら言う。
「俺が疲れてるときがあれば甘えてくれ。お前を抱いて寝るのが俺にとっても良いんだよ」
 穏やかな寝息と安心し切ったような寝顔。喰斑の痩せた体を腕に抱いて眠ることは心地良い。手放し難いほどに。さらに冷え込んでいくこれからの季節には、自ら求めるほどに。
「なあ、頼むよ」
 笙祠は懇願するように重ねた。その声に合わさるように秋風が金木犀の香りを運ぶ。
 しばらく、甘やかな香りを解くように口を開いた喰斑が返事をする。笙祠は彼の蟀谷へ口付けた。
 それはさらに希うようにも、返事を聞いて喜ぶようにも見えるものであった──