ミロキサ

リス

 かつん、と靴の先になにかがぶつかり、視線を落としたキサラギは実に人間らしく片眉を上げるという反応をする。
「キサラギ?」
「ん、気にすんな」
 足元へ手を伸ばすキサラギを不思議そうに見るミロへ身を起こしたキサラギは首を振り、手をポケットへとしまう。
(そういう季節か)
 ポケットの中でころりと転がるものはどんぐり。季節の知らせ。キサラギは自分をじっと見たままのミロへ「なんでもねえって!」と大袈裟に肩を組みながら、さて、と思案する。
 これは自分の大事な人間にとって良い機会になるのではないかしら。

「キサラギ、どこへ行くんだ?」
「いいとこ」
……どんなところだ」
「いいところ」
 ミラー越しにミロがむ、とした顔をしているのをからから笑い、キサラギは彼を後ろに乗せながら単車をのんびりと走らせる。
 本日は晴天の薄曇り。空気はひやりとしてやや肌寒く、用事内容もあってキサラギはミロに長袖を着るよう伝えた。箪笥の上にあるものを着がちなミロは鍛えた体もあってか時折気温に対して薄着をしがちなので、キサラギはたまに目を光らせている。ミロの情緒の育ち方によっては過干渉おせっかいと煙たがられること間違いなしであるが、幸いにもそのように言われたことはなかった。ミロは今日も大変健やか且つ素直に成長している。結構。
 キサラギが単車を止めたのは緑地の一画で、珍しくも公的管理から外されている自然区画である。どこもかしこも砂色の目立つ世界で、管理のされていない自然風景というのは多くない。この場所が管理外になっているのは規模が中途半端に小さいからだ。
「よし、ついたぞ」
……ここでなにをするんだ?」
「んー」
 物珍しげに周囲を見渡すミロの隣でキサラギも同じく辺りを見渡す。熱源感知。
「よしよし……ちゃんといるな。ミロ」
「なんだ?」
「手、出せ」
 先ほどから疑問符だらけだろうに素直に手を出して待つミロに、キサラギは単車から取り出した袋から中身を一部彼の手のひらにざらざらとあけた。ナッツである。
「食っていいのか」
「まあ、待てよ。しゃがんで手伸ばしてみろ」
 キサラギも同じように手のひらにナッツを乗せてしゃがむと、ミロは心底不思議そうにしながらも同じ体勢になる。理由が分からずともとりあえず従うのは素直さだけではなく、ミロが命令に慣れた兵士だからだろうか。考えて、キサラギはいまはそんなことはいいんだよ、と己の思考を止める。丁度いいことに、周囲の草むらがこそこそ動き始めたことであるし。
「なんだ……?」
「ミロ、動くなよ」
……分かった」
 真剣な声を出したからか、ミロは顔をやや厳しくしながらもじっと待機を続ける。
 かさ、こそ……ゆらゆら。ささめく草むら。なにかが近寄る気配。
 それは一瞬であった。
「あ!」
 ミロの手に飛び掛かる小さな影。影は俊敏な動きでナッツを奪い、草むらへと姿を消す。あまりにも唐突、あまりにも瞬間的。それに害意はなく、殺意はなく、本能的な欲望のみによる行動はしかし醜悪さすらなかった。
 ぱちりぱちりとまばたきをするミロが己の手のひらとキサラギを交互に見て「いまのは……」と問うので、キサラギは再び彼の手のひらにナッツを乗せてから口角を上げる。
「リス」
「リス」
 左様。影の正体はリスである。
 この緑地にはリスが住み着いており、人間から餌を失敬することがある。この時代なので態々餌やりに来る人間などいないが、緑に目を和ませに来たついでにパンのひと欠片であったりナッツのひと粒程度であれば分けてやろうという人間も偶にはいる。そういう人間たちのおかげでここに生息するリスは警戒心が薄く、餌を見せびらかせばすぐに姿を現すのだ。
「手のひらくらいのふわふわした動物だよ。今度はよく見てみな」
「ふわふわ……
 ミロの手のひらにはナッツがこんもりとある。今度は一瞬で掻っ攫われることはないだろうとキサラギが観察を促せば、案の定たたっと走り寄ってきたリスがなんの恐れも抱いていない様子でミロの手に飛び乗ってきた。
「き、キサラギ! 小さいぞっ?」
「小動物だからなあ」
「た、食べてる……おい、頬が膨らみすぎじゃないか? 大丈夫なのか」
「頬袋っていうんだよ」
「キサラギ、肩にもなにかいるぞ!」
「リスがもう一匹来たな」
 器用にも小声で叫ぶミロにキサラギはくつくつと笑う。キサラギは早々に奪われた自身のナッツを補充することはせず、集まってきたリスに困りきった顔をするミロをじっくりと眺める。
 ミロの硬い傷だらけの手に乗るふわふわした小さく愛らしいリスは生きることに懸命で、頬をぱんぱんに膨らませながらミロの手からせっせとナッツを口に詰め込んでいる。ここに餌があるのだと気づいたリスたちはあちこちから走ってきて、ミロの背中を駆け上り、膝へ飛び乗り、頭の上で毛繕いも始めるという傍若無人を発揮していた。
「キサラギ……助けてくれ……
「リスはお前になにもしていないだろ」
「つ、潰しそうだ」
「じっとしてれば大丈夫。人間に慣れてるから撫でるのもできるんじゃないか?」
 ミロの顔が無理を言うなと言っているので、キサラギは吹き出しそうになるのを堪えた。せっかくのリスがミロから逃げてはいけない。
……なあ、ミロ」
「な、なんだ」
「そんな緊張するなよ。リス、あったかいだろ?」
……ああ」
「優しく触ってやれよ。大丈夫だから」
 眉を下げながら見てくるミロにキサラギは無言で頷く。
 ミロがナッツを持っていないほうの手をそうっと頬袋を作るリスへ伸ばす。リスは逃げなかったが、毛先に触れた瞬間にびた! と動きを止め、ミロも反射的にびた! と動きを止める。一秒、二秒、三秒。リスは何事もなかったように頬袋にナッツを詰める。ミロはキサラギへ途方に暮れたような顔を向けた。
「大丈夫だって!」
「ほんとうか? ほんとうにか?」
……大丈夫だよ。ミロ」
 大丈夫、とキサラギは繰り返す。
「お前の手が優しいことは俺が一番よく知っている」
 だから、大丈夫。
 ミロはじいっとキサラギを見つめてから手のひらのリスを見下ろす。
 再び伸ばされた手は緊張に強張ってぎこちない。だが、その指先がふわりとしたリスの頭を撫でたとき。
……温かいな」
 キサラギは柔らかなミロの笑みを見て「だろ?」と短く頷いた。
 不慣れな手つきでリスを撫でるミロに、キサラギは彼にもっと命と触れ合わせなければと思う。
 ミロが生きていく人生はこれからまだまだ長い。クソッタレな侵略者などさっさと滅ぼして、ミロは平和な世界を生きていくのだ。その世界では拳を握ることは少なくなる。誰かに触れるときは優しく労りのあるものになるだろう。ミロはそういう世界を生きるのだ。キサラギはそういう世界へミロを送り出したい。
「ほら、こいつも撫でてやれよ」
「ん……
 平和の予行練習はいつか現実のものになるだろう。
 いいや、現実にしてみせるのだ。きっと、きっと。必ず。