行事ごとというものは、大抵が暦を無視して世間様に前倒しでやってくる。スーパーの店員は八月には既にチキンとクリスマスケーキのことを考えているし、百円均一ショップは夏真っ盛りにハロウィンの飾り付けをするのだ。
その点、この行事は暦に合った季節に盛り上がっている。
冬人と水樹はファストフードショップが大々的に打ち出している期間限定商品のCMを観ていた。曜日は金曜日、明日がそれぞれ休みなこともあって夜更かし上等。CMが切れればもうすぐ滅びの呪文を唱えることになるだろう。
「冬人さんはこれ食べたことある?」
「……一度くらいはあったかもしれないけど、覚えてないな」
「期間限定より定番派?」
「そう。新しいものにはあまり手を出してこなかったなあ」
なにであれ。
いまは水樹と見たことも触れたこともないものにどんどん挑戦するようになったが、以前の冬人は変化をあまり好まなかった。好まなかったというよりも、安定を態々崩す気にならなかったのだ。それを選んでおけば間違いないというものから外れて冒険することに足踏みをしていた。
「じゃあ、僕と初挑戦しませんか」
今回も水樹は冬人の手を引いてくれる。
「うん、いい……よ?」
承知したところでCMが切り替わる。別のファストフードショップが期間限定商品を宣伝している。
「これは厳選する必要がありますね……」
水樹は目をきらりとさせて、顎を左手の合谷に乗せる。
「……もっと他の店もやっているだろうから、あとで調べようか」
「この波に乗るお店がそんなにも? これは大仕事になりそうですね」
「無理はしない程度にがんば……楽しもうか」
言い直した冬人に、水樹は親指を立ててにっかりと笑う。
そうしてお月見バーガーを買いに行くことが決定した。
美味い油の匂いがする。テーブルに置かれた紙袋、そこから出されたハンバーガー二つ。Lサイズのコーラにデザートも幾つか。テーブルをほかほかと温めるのは冬人と水樹が迎えたジャンクフード御一行様だ。
「いやあ……迷いましたね。まさかデザートも限定で出してるなんて……」
「売り切れになってなくて良かったね」
コーヒーショップの季節限定商品然り、期間限定品は定番品を買わないひとも求めることがある。冬人と水樹が店に向かった際も列ができており、まだ残暑厳しいなかを並んだ末に今日の分は売り切れです、なんてことにならずに済んで安堵したものだ。
ファストフードショップというのは沢山あるが、今回の目的はお月見バーガーである。ハンバーガーを専門で扱っていない店でも売ってはいたが、今回は除外された。結果、二つの店舗で一種類ずつ、デザートは頼んだり頼まなかったりということになった。
「熱いうちに食べよ!」
「うん。どっちにする?」
「……それなんですよね」
二つのハンバーガーを前に水樹が悩ましい顔をする。購入前にも同じ顔をしていた。
「これは半熟卵だっていうからどう? 固まる前に食べたほうが美味しいよ」
「確かに。冬人さん、天才ですか? でも、冬人さんも食べたいでしょ」
「…………俺が両面堅焼き派だって言ったら、どうする?」
水樹が両手の指を揃えて口元を覆う。
「オーバーハード……」
「それでかける調味料は……」
「待って、冬人さん。これから美味しいハンバーガー食べようっていうのにもしかしたら戦争が始まっちゃう」
ぐっと腕に縋るようにして止められたので、冬人は戦火の引き金から指を外す。
「んー……じゃあ、お言葉に甘えてこちらいただきますね」
「はいはい。俺はこっちにしようかな」
「焼肉のやつだ! あとでひと口ください」
「半分に切ろうか?」
「黄身が垂れちゃうので」
「そっか」
納得して、冬人と水樹はそれぞれの手にハンバーガーを、お月見バーガーを持つ。紙越しにも熱々なお月見バーガー、立ち上る肉とソース、ふかふかのバンズの匂いが食欲を誘う。
「いただきます!」
「いただきます」
ハンバーガーを食べるのに口周りを汚すことを気にしてなどいられない。がぶり、と大口を開けて齧りつき、濃いソースと卵の穏やかさ、バンズの包容力を口の中いっぱいに味わう。
「おお。冬人さん、男らしい」
冬人が顔を上げれば、水樹は冬人よりも小さめの齧り跡のついたハンバーガーを手に、驚いた表情をしていた。
「そう? こんなものじゃない?」
水樹がふっと口元にメランコリックを刷く。
「齧ったらずるって色々溢れそうになりまして、ね……」
どうしたものかと、とハンバーガーを持ち直す水樹に、冬人はあ、と思い至る。
水樹はハンバーガーに、ひょっとしたらファストフード全般に慣れていないのだ。
水樹は病院食である薄く塩茹でされた野菜を美味しそうに食べていた。彼の母が作るのは栄養満点、滋味にも滋養にも富んだ愛情たっぷりの料理。冬人が水樹に食べてもらいたいと考えるものも、同い年からするとまだ少食気味の彼が一品でも沢山の栄養が摂れるようにと意識したものだ。水樹がファストフード、ジャンクフードに触れる機会はきっと少なかった。
「……口には合う?」
「いけない味がします。これが背徳ってやつ……?」
「はは! 口に合うならよかった。溢れるのなんて紙が受け止めるし気にしなくていいんだよ。頬張ったほうが美味しいし」
「そういうもの?」
「そういうもの」
ふむ、と水樹は両手のなかにあるハンバーガーを見つめ、かぱっと大きく口を開いた。
がぶり。バンズからはみ出す目玉焼き、分厚いパティ、紙がぽろぽろと刻まれたピクルスを受け止める。
頬を膨らませながら食べる水樹は喉をぐっと上下させ、そのままコーラをごくごくと飲んだ。
「ほんとだ! 思い切り頬張ったほうが美味しいね」
ぴかぴか笑顔。上がった口角にはソースがついていて、それすら笑顔を引き立て輝かしく見える。
「そっか。こっちもどうぞ」
冬人が自分の食べていたハンバーガーを差し出せば、水樹は途端に神妙な面持ちになり「失礼しますね」と齧り付いた。
途端。
「んっ?」
先ほどの比ではなく溢れる具。ソースの絡む焼肉は繊維が繋がり、バンズから大きくはみ出した。
固まり、視線で助けを求めてくる水樹。冬人はころころと変わる水樹の表情が可愛らしくて面白くて思わず吹き出した。
恨みがましい目に変わった水樹にはあとで怒られるかもしれない。そのときはデザートをひと口献上することで許してもらえるだろうか。その手にはもうかからないと言われてしまうだろうか。
「ああ、楽しいなあ」
ハンバーガーひとつ食べるのが、水樹とならばこんなにも楽しい。
間の悪い発言に水樹からは信じられないという顔をされ、冬人はとうとう声を上げて笑ってしまった。
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