ルネルイ

命令

「私に命令していただけませんか?」
 お願いではなく。
 麗かな朝、ルイゾンが目覚めの紅茶をひと口飲み込んだところで、ルネは常々抱いている願望を口にした。
「命令……? なにをだ……?」
 ルイゾンはティーカップをテーブルに置き、美しい顔にきょとんとした表情を浮かべてまばたきをした。
「なにがよろしいですか? なんでも命じていただきたいのです」
「なんでも……
 むう、と難しい顔をするルイゾンを見つめながら、ルネは彼の言葉をじいっと待つ。
 ルネはルイゾンからの命令されたかった。
 どうにか聞かせてくれる「お願い」ですらささやか過ぎるものばかり、むしろルネが喜んでしまうことばかりのルイゾンから、より強い望みをルネは聞きたいのだ。
 そもそも、ルイゾンはルネにお願いなどする必要はない。思いつきだろうと退屈しのぎだろうと、ひと言、ただ言葉にすればルネは叶えるべく身を尽くす。身分に付属するあらゆる権利を制限されたルイゾンは、思いつきもしないのかもしれないけれど。
 怒りが燻ったのを表に出さず、ルネは「殿下のルネに命令をいただけませんか?」とにこりと微笑みながらもう一度希う。
「どうして急に……
 呟きながらもルイゾンは困ったような顔で、それでも考えてくれている。ルイゾンがルネを拒否したことはほぼなかった。
…………向かい側に座って一緒に食事しろ」
 紅茶がぬるくなりそうな時間をかけて、ルイゾンはやっと口を開く。
「してくれ」と言うことの多いルイゾンが「しろ」と言ってくれたことにルネは喜び、その内容に僅かに目を見開いた。
「一緒に食事、ですか」
 本来ならば許されるようなことではなく、命じられたからといってもはい喜んでと一番に言ってしまえば不敬になる。一度は畏れ多いことですと引いて、改めて命じられるのを待つという儀礼を挟むものなのだ。そういう意味ではルネの側にとって大それた内容だが、願いそのものとしてはやはりささやかだった。
「いや、なんでもない、命令したいことなどなにもない」
 ルネの復唱にルイゾンが恥じらうように目を伏せて首を振る。白金色の髪が揺れ、冬の美貌へかかる陰影は彼を幽玄に見せた。
 ルネは見惚れるが、ぽかんとして黙っているわけにはいかない。ルネがなにも言わなければ、ルイゾンはせっかくの命令を撤回したまま飲み込んでしまうだろう。
「申し訳ありません。今この瞬間だけ耳が聞こえなくなりました」
 なので、ルネは知らぬ顔をする。
 命令は聞こえたが、その次の言葉は聞こえなかった。さっぱりと分からない。困った困った、罰ならば幾らでも。
 めちゃくちゃを言うルネにルイゾンは「は?」と零し、狼狽えたように眉を下げたが、ルネは重ねて「全くなにも聞こえず……申し訳ありません」としれっと言った。欠片も申し訳なくなさそうな顔である。
「は、いや、だから、なんでもないと……
「紅茶が冷めましたね。淹れ直しましょう」
「おい……!」
「はい」
……その、だから」
 口ごもるルイゾンにルネは穏やかな気持ちで微笑み、彼の傍で膝をつく。
「朝食……は間に合わないかもしれません。なので昼食を二人分用意いたします」
「いいのか……?」
 おずおずと確認するルイゾンに期待を見て、ルネは彼の両手をとってその爪先に口付けた。小さく漏れる吐息と跳ねる長い指。胸が痛くなるほどに愛おしくてならない。
「はい、なんなりと。最高の名誉です」
「こんなことが……名誉になるのか」
「主人と同じ席に着けるのですから」
「だが、俺は……
 雨に打たれた花の風情で萎れた声を出すルイゾンの手を頬へ当てれば、ぽう、と手のひらの熱い温度を感じる。
「ルイゾン様は私の至尊の主です」
 誰が謗ろうとも譲らない。ルイゾンに迷惑がられようと……多少距離感は考えるけれど、その段階はとうに過ぎた。不敬に無礼を重ねてルネはべたりとルイゾンの傍にいることができたし、ルイゾンは戸惑いはしても拒絶することがなかった。物好きだと不思議なものを見る目をされたのが懐かしい。
「ルイゾン様は私が唯ひとり恋慕う方です」
 立ち上がってルネはルイゾンの朱を帯びた頬へ触れる。
「ほんとうは……命令を、とは私の我儘なのです。ルイゾン様になにでもいいから尽くしたい、貴方のためならばなにでもできると知ってほしいという我儘です」
「そ、れは、我儘なのか?」
「ルイゾン様から構われたい。ただ、それだけなので」
……そう、か……
 ルネが直情的に言えば、ルイゾンがむにむにと唇を結び、やがてへにゃりとはにかむ。
 ──衝動的に、実際には欲望のままに、ルネはルイゾンの花唇へ口付ける。「んっ」と声を上げてルイゾンは肩を跳ねさせるが、ルネが頬を包む手をやわくしても彼は逃げることをしない。
 繰り返し啄むうちに服を握られ、いじらしい仕草にルネは夢中でルイゾンの口内を貪った。合間に聞こえる濡れた声は、燦々と陽光を取り込む窓の外へ聞こえはしない。聞くものもいやしない。
…………可愛らしい方」
 唇を離した頃にはくったりとしたルイゾンが胸へ凭れてくれるので、ルネは決して離すまいと彼を抱きしめる。
「ルイゾン様。私の我儘をもうひとつ聴いていただけますか」
「ん……俺が、叶えられることなら……
「ルイゾン様にしか叶えられません」
 潤んだ薄氷色の目に見つめられ、ルネはもう一度ルイゾンへ口付ける。
「貴方の肌へ触れてもいいですか」
「っいつも……している、だろう」
「許していただけますか」
 繰り返すルネにルイゾンはう、と羞恥に呻き、やがて「好きにしろ」と小さな声で呟いた。
 やはり、ふたりで共にする食事は昼になるだろう。