冬人と水樹さん

第三者視点

 彼女は疲れた顔でシートの背もたれに寄りかかっていた。
 出張に向かう途中の彼女は平素から溜まった疲労感に加え、いまは無力感にうちひしがれている。
 彼女の手のなかにはアイスがあった。それはとても硬く、スプーンを突き刺そうとしてもかちかちと表面を鳴らすばかりで、ちっとも掬えやしない。
 このアイスがかっってえことは有名であるにも拘らず、甘いものが食べたくなった彼女はアイスを買ってしまった。
(ケーキにすればよかった……
 車内で食べることは流石にできないけれど、柔らかく甘いケーキであれば今頃自分の舌は幸せに満ちていたことだろう。
 そう、ため息を吐いたとき。彼女の隣、通路を挟んで反対側の席からトンチキな会話が聞こえてきた。
「こちらショートケーキです」
「いや、焼売だね……
「いいえ、シウマイです。そしてショートケーキです」
「ごめんね。俺にはしゅ……シウマイが入っているべき弁当にしか見えないんだ」
 彼女は厳かに弁当の蓋を開けようとする青年と、困った顔をする男の二人連れをそうっと窺う。
 ショートケーキという単語が気になった彼女だが、青年の手元にある弁当は焼売が有名な弁当であり、ショートケーキの影も形もない。これには男も困った顔で弱った声を出しても仕方がないだろう。
「では、こちらをご覧ください……このようにグリーンピースが……
 蓋を開けた青年の手が止まる。止まって、再び蓋を閉めて開ける。
「どうしたの……?」
「あの、ショートケーキじゃなかったみたいで……
……焼売だからね」
「シウマイです。あ、シウマイだからショートケーキじゃなかったのかも」
……シウマイもショートケーキじゃないんだよ?」
「違うんです。あのですね、焼売に乗るグリーンピースはショートケーキの苺をですね」
 首を振りながら身振り手振りを加えて説明を始める青年。男は「そっか」と今度はあっさり頷いている。
 そうっと顔を手元へ戻した彼女は、未だかちかちのアイスへスプーンを突き立てる。
 笑いを堪えるのに、このアイスが求める集中力はもってこいであった。

 大人も全力で遊べるアスレチックや遊具のある公園へ子どもを連れてやってきた父親は、まるで子猿のように飛んだり跳ねたりする我が子を追いかけてひいひい言いながら、妻に持たされたカメラで必死に我が子の成長を記録に収めていた。
(上手く撮れないな……
 デジカメで撮った画像を確認する父親は、幾つかの画像がぶれていることにため息を吐く。手ぶれ補正でも追いつかぬ技術と、子どものわんぱくさ。
 これでは妻にも呆れられるだろうかと思いつつ、父親は子どもに急かされるまま次の遊具へと向かう。
 滑り台。長大なローラー滑り台。
「パパ、写真撮ってね」
 ローラーを流れていく他のこどもを見て、我が子が期待をいっぱいに見上げてくるが、父親にはこの期待に応えられる自信がない。絶対にぶれるだろうという自信だけはある。
 父親が諦めてしまったとつゆ知らず、子どもは父親の手を離して滑り台の列に並びに行った。列といっても子どもの前には青年がいるだけで、すぐに順番が回ってくるだろう。
「格好よく撮ってねー!」
 こどものように元気な声を上げたのは我が子の前にいる青年。どうやらこども心を失っていないらしい彼は父親のほうへ、気づけばその隣にいた男のほうへ向かって大きく手を振った。
「分かったー」
 青年よりは落ち着いた様子で返事をした男は、慣れたようにカメラを構えた。機種は違うが、男と同じデジカメ。
「行きます!」
 いざ出撃とばかりに青年がローラーを滑っていく。やはり、その速度は通常の滑り台とは違い、父親はこれでは彼の写真もぶれるだろうと男を見遣る。
 だが、聞こえたのは連続するシャッター音。連写機能によるものとは違う、手動による連写である。
 男は滑っていく青年に合わせて体の向きを変えながら写真を撮っている。カメラに詳しくない父親から見ても手慣れた仕草であった。
「パパー! 行くよー!」
 父親は我が子の声にはっと顔を上げ、もたもたとカメラを構える。
 じゃっとローラーを鳴らして滑っていく子ども。やはり速いが、目が追いつかぬほどではない。父親は男を真似て我が子の姿を追いかけながらシャッターを切る。一枚、二枚……
「パパ! どうだった?」
 滑り終えた我が子が父親へ駆け寄り、上手く撮れたかと周囲をぴょんぴょん跳ねた。父親は我が子を宥めながら「ほら」とデジカメの画像を見せる。
「きれいに撮れただろ?」
 くっきりとぶれなく撮れた写真に子どもが「パパすごい!」と抱きつくので、訳も分からず真似ただけながら父親は得意そうな顔になった。その近くで青年と男のはしゃぐ声。
「一回だけ、一回だけでいいから滑ろ!」
「いいって、俺はいいって!」
「怖くないから! 怖かったら手を上げてください」
「余計に止まらないだろ」
 滑り台へ向かって手を引かれる男。その手を引く青年の首にもデジカメが下げられている。
 きっと、ふたりのカメラには互いの写真が沢山あるのだろうと想像しながら、父親は笑って自身も我が子の成長を保存した。

 マダムが営む小さな宿には外国からの客も多い。
 昨日から泊まっているのは、日本からやってきたというふたりの坊や。小さな坊やは言葉の壁など気にしないというように懐こくて、大きい坊やは拙い言葉で小さな坊やの補足をするように話す。ふたりで一緒にいる姿はじゃれ合う犬のようでもあり、マダムにはとても微笑ましい。
 そんな坊やふたりを連れて、マダムは早朝の森へやってきていた。
「外国のひとには寒いでしょ。もう少しよ」
「ぁ……だい、じょぶ」
「だーじょぶ!」
 間を置いてマダムの言葉を聞き取った大きい坊やが返すのを真似て、小さな坊やも元気よく言う。このふたりはとても仲が良いのだと、まだ一日半の付き合いのマダムであってもよく分かる。倒木を乗り越えるときや、長い草を踏み分けるとき、ふたりは自然に互いの手を引いたり支え合っていた。
 冷えた季節に枯れた草や小枝の上を歩いてしばし、マダムは「あそこよ」と前方にある一本の白樺を指差す。あの白樺がマダムとふたりの坊やの目的だ。
「ああ、沢山採れてるわ」
 ふたりの坊やを手招きしたマダムは、自身の胸ほどの高さで白樺に括り付けたボトルに微笑んだ。幹に刺さるストローから流れる透明な樹液が、ボトルをたっぷりと満たしている。さらさらとした樹液は健康に良い自然のジュースとして親しまれており、昨晩ふたりの坊やへ出したところ甚く気に入ったようなのでマダムは採取に連れてきたのだ。そのときは大きい坊やのほうが熱心に話しかけてきたのがマダムには印象的だ。彼は小さな坊やについて行くことに慣れていそうだったが、案外互いにしたいことをしているのかもしれない。あるいは、互いのしたいことを一緒にしているのか。
 目をぴかぴかにした小さな坊やの前でマダムは樹液を零さないようにゆっくりボトルを外し、興味深そうに見ていた大きい坊やへと渡す。彼に「待ってね」と言い、手早く拾った枝を削って白樺の穴を塞げば、あとはお楽しみの始まりだ。
 持ってきた三つのコップに注ぐ白樺の樹液。
 マダムはふたりの坊やがしっかりとコップを持ったのを見て、にっこりと笑う。
「Kippis!」
 この一杯がふたりの坊やの良き思い出となるように。

 友達とテーマパークでくたくたになるまで遊んだ帰りであった。
 少女はお土産袋を幾つも提げ、やってきたバスに乗って空いている席はないかと探す。
 時間もあってかバスには疲れた顔をするサラリーマンも、少女と同じように遊んできた帰りといった若者も多くいて、席のほとんどは埋まっていた。かろうじて後部席が空いているのが見えたので、少女は「すみません」「失礼します」と小声で言いながら乗客の隙間を縫っていく。
(あ、どうしよ……
 どうにか席に辿り着いた少女だが、空いている席は青年と男が並んでいるからか隙間が若干狭い。荷物の多い少女では男を押し除けてしまうことになるかもしれない。
 他に乗客がいる以上はもたもたしているわけにもいかず、少女はそうっと、男へ触れないように気を遣いながら座ろうとしたが、腕にかけた袋が揺れて男の足へぶつかってしまう。
 しまった! と思う間もなく上げられた男の顔には幾つかの傷跡。
 ちょっと転びましたでは済まないだろう傷跡に少女がきゅ、と息を詰めると、どうやら寝ていたらしい男は「すみません……」と呟いて横にずれる。横。並んで座っている青年へ寄りかかるように。
「ん……ふゆひとさん……?」
「ごめん、ちょっと寄るね……
「んー……
 ゆるりと首を振った青年も、そのまま男の肩へ頭を乗せる。
 自然と肩を寄せ合って寝てしまったふたりを見て、少女はふと彼らが手を繋ぎ合っていることにも気づく。
 じり、じり。
 少女は息を殺し、先ほどよりも気を遣いながら空いた席へと腰掛ける。寝ている人だからという以上に、そっとしておきたい気持ちになったのだ。邪魔をしてはいけない気持ちになったのだ。
……次は恋人と行きたいな)
 羨ましくも、なったのだ。