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みすず
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創作
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冬人と水樹さん
蛍
夕陽は遠くも沈みきらぬ頃、川沿いをからりころりと下駄が鳴る。
「あ゛ー
……
」
ひやりとした石の縁へ背中を預け、頭にタオルを乗せた水樹が濁った声を出す。その隣で冬人は落ちてきた前髪を掻き上げて、熱った息を吐きながら空を見上げていた。鳥が飛んでいる。
「いい湯だなあ
……
ねえ、冬人さん」
最初だけ歌混じりに節をつけた水樹に「そうだねえ」と冬人は常よりも語尾を長くして頷く。
冬人と水樹は広々とした露天の岩風呂、時間によって色が変わるという青い温泉に浸かっていた。
掛け流しの温泉が立てる水音や空を流れる鳥の声を聴きながら、夏のぬるい空気も烟らせる靄に包まれる。あなにえや極楽かよと、ふたりは頬を火照らせていた。
「あ、冬人さん。見てみて」
「どうしたの?」
目を瞑って温泉を堪能していた冬人は、不意に呼ぶ声に瞼を開いて視線を向ける。
「足跡」
「あしあと
……
ああ、確かに」
得意気な顔をする水樹が指差すのは温泉を囲む岩、そこにつけられた小さな足跡。
「どうやったの?」
「まず拳を握ってですね
……
」
水樹は湯に拳の小指側をつけて、そのまま岩をぽん、と叩く。続けて指もぽんぽんと続けて五回押し付ければ、岩にはくっきりと赤ん坊の足跡のように濡れた跡ができる。
水樹らしいと感じる遊び心に冬人は小さく笑い、まさか持ち込めるわけはないがカメラで写真に残したくなった。時折、水樹が撮る、落ちていた鉛筆や帽子を被った青いどんぐりを思い出すのだ。
水樹は続けて小さな誰かが歩いて行ったかのように左右の手で足跡を量産し、岩に一通りの足跡を残したら良い仕事をしたとばかりに額を拭う振りをした。仕草によって落ちそうになった水樹のタオルを、冬人は咄嗟に掴んだ。
「わっ、と。ありがと、冬人さん! ナイスキャッチ」
「いえいえ」
「お風呂にタオルを入れるのはマナー違反ですからね。ましてや温泉になんて罪が深まるような
……
このお湯結構滑るよね。お肌すべすべになるんだって」
縁に置いた桶へタオルを入れ、水樹が改めてというように湯を掬う。節々の痛みから疲労回復、自律神経を整えるなどの効能があるという温泉は独特のとろみがあり、美肌にも良いという。冬人は然して美肌に関心が強くないが、しかし温泉であるというだけで有り難みを感じる。和の心だろうか。
「出かけるのってご飯食べてからだよね?」
「時間帯的にはそのほうがいいみたいだね」
「冬人さんは見たことある?」
「あるよ」
水樹がへえ、と目を輝かせる。
「じゃあ、前とどう違うのか聞かせてね」
暗い青を湛えながら、川がさわめき流れている。冬人と水樹は街灯によって仄明るい道を川に沿って歩いていた。
「結構、人がいるね」
「丁度、時期らしいからね。楽しみにして来たひとも多いんだと思う」
「僕たちも浴衣着るべきだったかな。いやいや、しかしこの一張羅は負けていませんよ」
楽し気に下駄を鳴らして歩く友人連れの少女たちを見て、水樹は春に桜で染めたTシャツの裾を引っ張る。暗がりにもその横顔は満足そうだ。
「あ! いた!」
先ほどの少女たちだろうか。弾んだ声が聞こえ、冬人と水樹はさっと顔を向けた。
ふわり、ふわりと浮かび舞うのは幻想、幽玄の光景。
正しく蛍光色。
甘い水の上を蛍が飛んでいた。
「わ
……
」
感嘆の声を上げる水樹に並び進んで行けば、蛍の数が増えて現実から足が離れたような光景が広がっている。
「すごい
……
こんなにいるんだ」
「うん
……
綺麗だね」
「なんかすぐに撮るのももったいなくなっちゃう」
「
……
もう少し歩こうか」
いまはゆっくりと蛍狩りを楽しもうか。
目を晶晶とさせる水樹が頷き、冬人は彼と歩調を緩めながら進む。
「見てみて!」
父親と来ていた小さな少女が、ハンカチにやさしく捕らえた蛍を翳す。ハンカチは雪洞のようにやわく光っており、親子の顔を淡く照らしている。
そこかしこではしゃいだ声が聞こえるけれど、不思議と煩くは感じないし、川の流れる音が掻き消えることもない。不思議な静寂のなか、蛍が恋を灯して飛んでいる。
「ねえねえ、冬人さん」
「うん?」
「前に見たのと違う?」
冬人は暫し考える。
以前、冬人はここではない場所で一人、蛍を撮りに行ったことがある。思い出せばその光景の美しさは鮮やかだったが、目の前に広がるものと同じでは決してない。
「そうだね
……
今日のほうがきれいだな」
「そうなの?」
「水樹くんがいるから、楽しい気持ちもあるんだ。きみと見るほうが、俺は好きだよ」
「
……
冬人さん、時々はっきり言いますね」
「はい。言葉が足りないことを痛感しましたので。時々と感じるのであれば俺の不徳の致すところです」
「いやいやいや、時々でもなくなってますね。言葉のあやです」
水樹が慇懃に首を振る側を蛍がふわふわと飛び、彼の肩へと止まった。
「
……
どうしよ。冬人さん、僕ちょっとよく見えないので撮ってください」
動くに動けず視線で訴えてくる水樹に冬人は笑って頷き、首にかけていたカメラを持ち上げる。
さらりさらり。川の音。からりころり。下駄の音。
声もなく恋を歌う蛍に照らされる水樹の顔。
──ぱしゃり。
シャッターが鳴った。
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