オルシャナ

成立

 恋慕う相手と同じ気持ちで想い合う。
 それはシャーナにとって夢物語であった。

「オルテンシア、手を放さないでね」
「ええ! もちろんよ」
 オルテンシアが繋いだ手をきゅう、と握る。小さくてやわらかで、真っ白な手。シャーナの両手で包んでしまえそう。
「おねえさま、にこにこしているわ」
「そうね。オルテンシアと一緒にいて嬉しいからだわ」
「わたしもよ! おねえさまといっしょに、おそとへいけるのだもの!」
 ふたりの片手には籠。オルテンシアの持つ小ぶりな籠にはまだ中身がなく、その籠を満たすベリーを摘むためにシャーナはオルテンシアとともに大聖堂の外にいた。
 オルテンシアは周囲を楽しそうに見ており、時折美しく歌う鳥やひらりと舞う蝶を見つけるとシャーナに教えてくれた。無邪気な様子が可愛らしくて、手を繋いでいなければシャーナはオルテンシアを抱きしめていただろう。
「おねえさま、べりーをつんだらなにをつくるの?」
「なにがいいかしら。パイにしようかしら……沢山摘んだらジャムにもできるわね」
「すてき! わたし、じゃむをたっぷりのせたすこーんもすきよ!」
「それならクリームも必要ね。お手伝いをしてくれる?」
「まかせて!」
 きらきらと目を輝かせながら胸を張るオルテンシア。踏み台に乗る彼女と菓子を作る時間がシャーナは好きで、一緒にお茶を飲むときはふたりで作った菓子がよく並んだ。次はなにを作ろうかしらと膝に乗せたオルテンシアと本を辿ることもある。ページを捲る際、僅かに寄せた頬へキスを贈り合うことも。
「あ。おねえさま、あそこかしら! べりーがたくさんみのってるわ!」
 籠を持った手でオルテンシアが指差す方向には、確かにベリーの実る葉が生い茂っていた。
 危うく見逃すところであった、とシャーナは「よく見つけられたわね。すごいわ」と籠の持ち手を腕へずらしてオルテンシアの頭を撫でる。さらさらとした白い髪は日差しを浴びて艶やかだ。
「では摘みに行きましょうか。小さなレディ、転ばないようにね」
「ふふ、だいじょうぶよ! おねえさまもきをつけてね?」
「そうね。私も気をつけるわ」
 繋いでいた手を放そうとして、シャーナは一瞬だけオルテンシアの細い指を握った。
「おねえさま?」
「なんでもないわ」
 首を振り、シャーナはオルテンシアの背中を軽く押して促し、自分もベリーの多く実るほうへ足を向ける。
 ──放したくないと思ってしまった。
 ほんの僅かな間なのに、もっと繋いでいたかったのだ。
 視線を向ければ身を屈めてせっせとベリーを摘むオルテンシアの横顔、そのまろい頬が見えて、シャーナは困ったような気恥ずかしいような曖昧な笑みを浮かべる。
 オルテンシアの実年齢をシャーナは知らないし、小さな妹のように接するけれど、それだけではないのだ。
 一度、手を繋げば放し難いし、抱きしめて頬を寄せれば胸が少し忙しなくなる。
 形は関係ない。シャーナは真っ白なあの少女に恋をしていた。
 おかしいかしら、と胸が重たくなる気持ちもなくはないが、それ以上に幸せだった。
 オルテンシアの横顔から視線を手元に戻し、ぷつり、ぷつりとシャーナはベリーを摘む。傷つけないように慎重に。けれど、籠に敷いた布に点々と染みができてしまえば、お菓子に使うのだからと開き直る。
「おねえさま……
 随分と籠がいっぱいになった頃、暗く沈んだようなオルテンシアの声がした。
 ばっと振り返れば、オルテンシアが愛らしい顔をしゅん、とさせていたので、シャーナは何事かと立ち上がる。
「どうしたの? どこか痛むの? ああ、もしかして手を切ってしまったのかしら……オルテンシア、おねえさまに見せてちょうだい」
 慌てふためきながらオルテンシアの手を取り、しかしベリーの色に指先が染まっているだけなのを確認するとシャーナは小さな手を握ってもう一度「どうしたの? 教えてちょうだい」とオルテンシアを見つめた。
「あのね……
「ええ。ゆっくりでいいわ」
……おようふくにしみをつくってしまったの……
 眉を下げ、萎れた花のようになるオルテンシアの服を見れば、膝の近くに小さくベリー色。
「つもうとして、ひざにおとしてしまったの……
 あら、とシャーナはまばたきをする。怪我をしていないのはなによりだが、可愛らしい服にベリー色はいささか目立つ。小さな点程度なのが幸いか。
「大丈夫よ。洗えば消えるわ」
「ほんとう?」
「ええ。そんなに落ち込まないで」
 シャーナは籠からベリーを一つつまみ、オルテンシアの口元に持っていく。
「お口を開けて」
 ぱっと喜色を浮かべたオルテンシアが小さな口を開けたので、シャーナはころりとベリーを口の中へ落とす。
「ん、ん……おいしいわ! あまくて、ちょっとすっぱくて……おねえさまもたべて!」
 頬を押さえて美味しそうにベリーを味わっていたオルテンシアが、はっとしたように自らの籠からシャーナと同じようにベリーを一つつまむ。
「おねえさま、あーん!」
 シャーナは面映ゆさを抑えて口を開けた。そういう仕草を知ってはいたし、オルテンシアにもしたけれど、自分がしたことはなかったのだ。
 舌の上に落ちるベリー。噛めばオルテンシアの言ったように甘く、僅かな酸味が広がる。
「おいしい? おねえさま、どうかしら?」
……ん、とても美味しいわ」
「そうでしょう!」
 同意するシャーナににこにことはしゃいだオルテンシアが、ふと籠へ視線を落とした。
「どうしたの?」
……もうひとつたべては、だめかしら……?」
 そろそろと窺う大きな目。
 シャーナは思わずころころと笑い声を上げ、再び籠からベリーをつまむ。オルテンシアが期待をいっぱいに口を開けた。
「んー!」
「ふふ、幾らでも食べてしまえそうね」
「ええ! でも、おかしのぶんはのこさなくちゃ……
 たっぷりのじゃむをつくるのよ! と意気込んでいるオルテンシアに、先ほどまでのしゅんとした様子はない。花が咲いたように笑うオルテンシアの頭を撫でたくなったシャーナだが、指先がベリーの色に染まっているのに気づいて手を止める。
「どうしたの?」
「指にベリーの色が移っていたの」
……わたしもだわ」
 オルテンシアの指先にもベリーの色。甘酸っぱい香りのする色。
「おねえさまとわたし、いっしょだわ。おそろいね!」
 オルテンシアにきゅう、と手を握られて、同じ色に染まる指にシャーナは目を奪われた。
「そうね……一緒ね」
 一緒。その言葉はシャーナをふわふわと酩酊させる。ずっと一緒にいるのだと、甘やかに交わした約束を思い出すから。
……沢山摘めたから、今日は帰りましょうか」
「たりるかしら」
「足りなければまた来ましょう」
「また、おねえさまとおでかけできるのっ?」
「何度でもできるわ」
 聖職者を伴えば、悪魔は外へ出ることができる。今度はどこへ行こうかしら、オルテンシアはどこへ行きたいかしら。シャーナも広く世間を知っているわけではないけれど、オルテンシアには沢山のものを見せたかった。
 手を繋ぎ直し、シャーナはぴょこぴょこと跳ねるように軽やかな足取りのオルテンシアと並んで来た道を歩く。
「おねえさま、なんだかうれしそう」
「そうね。オルテンシアと一緒で嬉しいからだわ」
 来たときと同じ会話を繰り返す。
「オルテンシア」
「なあに?」
「あなたが好きよ」
 込み上げる心をほろりと零せば、オルテンシアが満面の笑みでシャーナへ身を擦り寄せる。
「わたしもだいすきよ!!」
 全身で慕う気持ちを表すオルテンシアに、シャーナは心からの幸福を覚える。
 夢物語は、現実であったのだ。