冬人と水樹さん

シュペツィ

 馬鹿ほどあっっちい日であった。
 暦の上では初夏。夏の始まりとはいえ前日は肌寒く、夜は薄手にした掛布を少しばかり後悔したほどだったのだ。だからこそ馬鹿を言うなと項を焼く太陽に思わずにいられない。
 そんな燦々と輝く太陽に負けないぺかぺかとした笑みを浮かべ、水樹はうっすら汗をかいたコンビニ袋を提げてやってきた。
「いらっしゃい」
「お邪魔します! 今日、あっついねえ」
 被っていた帽子でぱたぱた扇ぐ水樹へ向かい、冬人は扇風機の首を向ける。水樹は「あ゛〜」と一足早く夏の風物詩を体現した。
「いま……ごめん、お茶しかないんだけど氷入れて持ってくるから」
「あ、大丈夫です! お構いなく」
 ぴ、と手のひらを向ける水樹は、そのまま恭しくコンビニ袋からペットボトルを取り出した。オレンジジュースとコーラ。
 そ、そ、とテーブルにペットボトルを並べた水樹は、やけに神妙な顔で正座する。家宝を披露する御家の当主が如き風格があった。
「こちら……なんだと思いますか?」
「ええと……オレンジジュースとコーラ、かと」
 やや口調が釣られながら答えた冬人に、水樹はち、ち、ち、と人差し指を振ってみせる。この様子から察するに、なにか大変なる発見があったのだろうと冬人は察する。
 ならば相応の態度で臨まなければ、と冬人も水樹を真似して正座したところ、水樹は重々しく頷いてこほん、と咳払いをした。
「えー、ドイツには幼少の頃より親しまれる飲み物がありまして、それがこちら──シュペツィと申します」
「オレンジジュースとコーラではなく?」
「シュペツィです。ただ、まだこれはシュペツィとなっておりません。この二本をシュペツィとするにはある工程を必要とします」
 コップ貸してください。水樹がぺこっと頭を下げる。冬人の自宅には既に専用のマグカップもあるのに、態々申し出るあたりに気合が窺える。
 冬人はもちろん、コップの一つや二つや三つや四つ、いくらでも持ってくる。「他になにかいる?」と訊ねれば、水樹は「氷欲しいです」と片手を上げた。半分はお構いあったらしい。
 さてはて、シュペツィとはなにかしら。なんとなく予想はつくけれど。
 コップに沢山の氷を入れて持ってきた冬人が、飲食店勤務らしく手慣れた仕草でお盆からテーブルへとコップを並べると、水樹さっとオレンジジュースのキャップを取り外す。
 片手でペットボトルの底を持つ仕草は、さながらワインソムリエのよう。
 まるで香り高いワインを手にしているが如く誇らしい表情の水樹は、すぐさま両手に持ち直して真顔になった。
「冬人さん、この注ぎ方だと溢しそう」
「まあ……慣れないとね」
「シェフはできますか?」
「シェフへの期待が大きすぎるかな」
「そうかな……
 訝しげに首を傾げた水樹が再びこほん、と咳払いをして、コップにそれぞれ半量ずつオレンジジュースを注ぐ。と、と、と、と良い音がした。
「では……間もなくシュペツィが完成いたします。ご覧ください」
 続いてキャップの外されたコーラ。冬人は薄く微笑んだ。
 と、しゅわ、と、しゅわ。コップに注がれるごとに炭酸が爽やかな音を立てる。爽やかなオレンジジュースと混ざり合って音を立てる。
「──シュペツィでございます」
 見事に土色。こどもの頃、ファミレスのドリンクバーで似たような色の飲み物を作った気がする。
 す、と冬人の前にコップを置いた水樹が自身もコップを持って掲げるので、冬人も軽く持ち上げてコップ同士を寄せる。
「プロースト!」
「こだわるね。乾杯」
 恐らくはドイツ語かしら。かち、と鳴らしたコップを口元に、冬人は一瞬の間をおいてからひと口飲んだ。
 爽やかのひと言に尽きた。コーラの炭酸はオレンジジュースによってまろやかに、オレンジジュースの甘さはコーラによってすっきりと。土色の見た目からは意外なほどに、飲みやすく美味しい。
「これがドイツの家庭の味……!」
 おお、と感動してコップをシュペツィを見つめる水樹は、すぐにまたひと口、ふた口と飲んでいく。炭酸が弱まったこともあり、今日のような暑い日にはごくごくと飲めてしまうのだ。
「今年の夏はこれで乗り切れそう」
「うん、美味しいね。ストックしておこうかな」
「冬人さんが飲むときは僕に任せてくださいよ。割合の研究しておくから!」
 冬人はオレンジジュースとコーラを注いでは味見をして「ふむ……」と難しい顔をする水樹が思い浮かび、軽く肩を揺らして笑った。手元で氷がからりと鳴る。
「今日、暑いね」
「そうだね。もう熱中症とか気を遣わないといけないのかな」
「うん……でも、夜は冷えるらしいんですよ」
 冬人はばち、とまばたきをした。
 昨日は冷えた。薄い掛布では後悔するほどに。けれど、布団では暑いという程度に。
……今日、泊まる?」
 季節の変わり目の冷える夜、隣に誰かがいれば暖かいだろう。
 それが、恋人であれば。きっと、とても心地良い眠りとなるのだろう。
「うん。お邪魔します」
 ぱっと顔を輝かせ、嬉しげに目を細める水樹に冬人も微笑を浮かべ、シュペツィを飲むために視線を落とした。真正面から水樹を見るのに照れが出たのだ。
 水樹が冬人へ手を伸ばす。頬を突いた彼の指先が冷たく感じたのは、冷えたコップのせいだけではないだろう。
 けれども。
「ねえねえ、冬人さん。ほっぺが」
「うん。水樹くんがいるからね」
 暑さのせいにはしなかった。
 回り続ける扇風機、氷の溶けないシュペツィ。しかし、熱が引くのはもう少し──