ブランカとフロルさん

きれいなひと

 ブランカは視力があまり良くない。生まれつき世界が灰色の濃淡で見えるブランカは、ものの形をはっきりと捉えるのに四苦八苦することもあり、視覚で得られる情報は彼にとって信憑性にも魅力にも乏しいことが常であった。
 その目がきらきらと輝くものを知ったのは、大聖堂へ来てからのこと。
……なんだ」
 落ち着かなさそうに視線をうろつかせたフロルに、ブランカははたとまばたきをして彼を随分と見つめていた自覚を持った。
 夜の一定時間を、ブランカはフロルと二人きりで過ごしている。対外的にはお清めをしていることになっている時間だが、ブランカがフロルの衣服に隠れた肌へ触れたことはない。他の誰もそうであるように、フロルに触れることがないようにとブランカが申し出て作った時間である。
「すみません、じっと見ちゃって……
「いや……なにか気になることでもあるのか?」
 気になること。
 ブランカは燭台の灯りにゆらめくフロルの美貌を見つめる。薄暗い室内であっても彼の姿はブランカにとって輝かんばかりであった。気になるならないであればいつだって気になるし、惹きつけられてならない。
「今日もおきれいだな……と思って」
 フロルの姿を初めて見たとき、ブランカは視覚から得る「美しさ」にただただぽかんとしてしまったのを覚えている。
 端正な男の形に花の香るような艶っぽさ、他から隔絶したように真白の容貌は神秘的で、ブランカはフロルほどきれいだと思うひとを見たことがない。悪魔としては賛辞にならないかもしれないが、彼がよく似た愛娘を抱いている姿は清らかな宗教画にも思えてならないのだ。
 正直に言えばフロルは肩を僅かに跳ねさせて「そ、そうか……」と曖昧に頷いた。彼の白い頬はほんのりと血色を帯びていたが、ブランカがそうと分かることはない。たとえば、彼の頬や手に触れていれば熱として理解できただろうけれど。それでもフロルの表情に照れが混じっているのを見ることはできて、ブランカは胸がむずむずした。彼がとても可愛らしいひとに見えたのだ。
「フロルさんは不思議ですね」
「それは……悪魔だしな」
「そうじゃなくて……
 きょとん、と首を傾げるフロルにブランカは言葉を探す。水色だというリボンの揺れる髪が気になって、思考がまとまらない。胸元でブローチが光っているのを見たら余計にだ。
 フロルが身につけてくれているブローチは、ブランカの贈ったものであった。装飾品を他者に贈るのは初めてであったが、花の形に真珠があしらわれたブローチはひと目見たときにフロルに似合うと思い、悩んだ末に購入を決めた。直接渡す際は喉がからからになるほど緊張したが、こうしてフロルを飾っているところを見るとふわふわと夢のなかにいるような気分になる。
「僕、フロルさんといるだけで、幾つもきれいなものや嬉しいことを見つけられるんです」
「俺はなにもしていないが……
「はい。いてくれるだけで、出会ってくれただけで、素敵なことが沢山あります」
 不思議なひと。なにもしていないというのなら、フロルはブランカに魔法をかけてもいないのだろう。それなのに、フロルといるとこんなにも夢心地だ。
「そうか……お前がそう思ってくれるなら良かった」
 長い睫毛を伏せるように目を細めるフロルを見て、ブランカは「きっと」と思う。
 きっと、フロルの亡くなったというパートナーもフロルと出会って沢山の幸せを得たのだろうな、と。「うるさかった」らしいそのひとは、ブランカの拙い言葉を何倍にもしてフロルへその気持ちを伝えたのではないかと想像する。ブランカの言葉でも微笑んで受け取ってくれるフロルは、愛するひとの言葉にはどんな顔をして受け止めていたのだろう。
(いつか、僕も知りたいな……
 ブランカはフロルの様々な表情や一面を見たいと思う。どうしてか、彼のことを少しでも知りたいと乾くような気持ちになるのだ。
「どうした?」
 また、じいっと見つめてしまったブランカにフロルが不思議そうな顔をする。
「なんでもないです……
「眠くなったか? もう夜も更けてきたし」
 ほら、月が高い。
 窓を見遣るフロルの視線を追いかければ、確かに月が白く煌煌としているのが見えた。ブランカには分からないが、フロルの目には星が瞬いているのも見えていることだろう。
……いつか、フロルさんと星が見たいです。冬の空気が澄んでいるときならね、僕にも見える星があるんですよ」
 だめですか、とブランカはフロルの小指をやわく引く。こどもっぽい仕草にぴく、と指先を跳ねさせたフロルは小さく笑い、その笑みを浮かべたまま頷いてくれた。
「ああ。そのときはお前の見つけた星を教えてくれ」
 穏やかな声を聞いて、ブランカはフロルの小指を握ったままこくこくと頷いた。
 見えないものは数多いけれど、見つけられるものもある。その見つけたものをフロルがともに喜んでくれたなら、それはどんなにか嬉しいことだろう。
 もう一度、窓の向こうに咲く月を眺め、ブランカは気づく。
「月は、フロルさんの色をしていますね」
 そっと見上げたフロルの顔はブランカの目に常と変わらぬ白面であったが、握っていた小指はふわりと熱を持った。
「そう、か」
 フロルのそわそわと落ち着かなさそうにする花の可憐さに、ブランカの顔にも熱が集まった。
 こんなにきれいなひとを、他には知らない。
 月は高い。いつもであればそろそろ別れる時間だ。しかし、ブランカはもう少しだけ、と気づかぬ振りをする。
 もう少し、もう少しだけ。
 願いを込めて、フロルの小指を握り締め続けた。