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みすず
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Rabbit in the RooM
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笙祠と喰斑さん
ホテルを出たら
時間は早朝、大仰な雨が降っていた。
夜は晴れていたというのに、目を覚ませば外は水浸し。笙祠は窓の向こうを窺うが雨粒に覆われてろくに見えず、そのまま視線を元の位置に戻す。健やかな寝息が聞こえた。
笙祠の腕のなかには喰斑の痩せた体があった。彼の背中へ回していた腕には僅かに浮いた骨があたり、硬い感触に笙祠は喰斑を引き寄せようとするがやめる。起こしてしまいたくない。
喰斑の寝顔を間近に見ると寝る前に見た隈は幾分薄くなっており、起床する頃にはさらに薄くなっているのではないかと笙祠は期待する。そうはいっても喰斑が目を覚ますまで、そう間はなさそうであるが。宵っ張りで起床も早い笙祠の体感としては、よく眠ったほうだ。外が薄暗いから正確な時間までは分からないけれど。
窓を打つ雨音を聴いて程なく、ふと喰斑の瞼が震える。予想通りか、目を覚ますようだ。
身動ぎのひとつもしやすいように、笙祠は喰斑の痩せた背中から腕を外そうとした。
途端。
ばちっと開かれた喰斑の目。眠気も飛んだような黒い目と真正面から視線が合い、笙祠は僅かに顎を引いた。
「
……
おう、お目覚めか」
「
……
うん。おはよう
……
」
一瞬固くなった体を細く吐く息とともに弛緩させ、喰斑がやっと眠た気に緩やかなまばたきをする。
「悪いな。起こしたか」
「ううん
……
よく寝たよ」
睡眠不足の人間が言う「よく寝た」はどの程度信用していいものなのか、笙祠は視線で再度問うが、喰斑は苦笑して「ほんとうだよ」と重ねた。
疑わしいものの、ひとまず回したままの腕を外せば身動ぎした喰斑が緩慢に起き上がり、笙祠の体勢では見えなかった時計へ視線をやった。六時を少し過ぎているらしい。想像していたよりも早い時間だ。
然程、遅くに寝たわけではないが、やはり喰斑にとっては寝足りないのではないだろうか。遠慮のない目で喰斑を観察した笙祠は、上体を起こしていた喰斑の腕を引く。骨とは違う硬さを感じるのは、喰斑がデザイナーだからだろう。笙祠は彼がデザインを描き起こすところを見るのも好きであった。
「どうしたの?」
引かれた腕をそのままに、不思議そうな表情を浮かべる喰斑へ笙祠は短くひと言。
「眠い」
一拍後、喰斑は小さく笑った。察しのいい男だ。
「分かった。もう少し寝ようか」
「物分かりが良くて結構」
偉そうに言う笙祠の隣に寝直す喰斑へ、先程のように腕を回せばしっくりとくる感覚。
反射のように喰斑を引き寄せると、彼は慣れたように笙祠の胸へ潜り込む。このまま目を閉じるかと思ったのだが、喰斑はおかしそうに笑む顔を上げて笙祠を見た。
「素直なの好きでしょう?」
いつかも言われた。
初めて言われたとき、笙祠が図星を突かれたような心地になったのを喰斑は知らないだろう。実際にそうなのかもしれない。奔放な生活は自分自身でも好ましい人柄を曖昧にさせていた。「確かにその通りだが」と内心呟いた笙祠であるが「だが」の続きがなかなか出てこなかったのを覚えている。悪いことでもないのに感じた気まずさを、あのときは笑って誤魔化したのだ。
「
……
寝ろ」
「うん」
のし、と喰斑の頭を押さえるように抱きしめた笙祠は、いまも「だが」の続きが引っ掛かったままだ。
──結局、ベッドから起き上がったのはチェックアウトの三十分前。ふたりがざっとシャワーを浴びれば、ホテルを出るのにぎりぎりの時間であった。幸いにも雨は上がっているが、空気はしっとりと水っぽい。
「ごめんね。よく寝ちゃった
……
予定とか大丈夫
……
?」
喰斑が申し訳なさそうに下がり眉をハの字にすると、ブリッジが一瞬鈍く光った。喰斑のデザインを大変に好んでいる笙祠は、自らのみならず喰斑自身が身につけるピアスが主張する瞬間を見るのが楽しみであった。全身に幾つあるのか、いつか数えてみたい。喰斑に直接訊けば答えるだろうけれど、それでは面白くないので。
「問題ない。元から空けている」
「それならいいんだけど
……
」
「気にするなら飯でも一緒に食ってくれ」
喰斑が気にする必要などないのだから、これはただの食事への誘いである。
「分かった。笙祠さんの食べたいものは? 確か、少し行けば和食屋さんもあったよね」
喰斑は細やかに気を遣う男だ。笙祠は良い男だな、と思うのと同時に疲れやしないのかとも心配になっていた。これが喰斑の自然体だとしても、あれこれと丁寧な姿を見ると誰か手放しに甘やかしてやれと言いたい。
「じゃあ、タイ料理」
「
……
それ、俺の好みじゃない?」
「グリーンカレーが食いたいんだよ。まあ、味噌汁ぶっかけた飯でも構わねえが」
並ぶ候補があまりにも雑であったからか、喰斑が嗜めるように「もう」と呟いて苦笑する。ほんのりと上がる目尻にもどこかおっとりした雰囲気があった。
「分かった。グリーンカレーにしようか。近くにタイ料理の店があるみたい」
喰斑は手早く端末を操作して、笙祠へサイトが表示された画面を見せる。
言った以上、ほんとうに味噌汁をぶっかけた飯でも構わない笙祠であるが、喰斑にとっては選択肢がないようなものだっただろうと想像するには易い。分かっていて言ったのだから当然である。
「参ったな。ずるいんだから
……
」
ざっと地図を把握してから端末をしまった喰斑が、ため息未満の吐息へ交えて呟いた。
「大人だからな」
「俺だって大人なんだけど」
笙祠はからりと笑う。
「お前は素直な大人だろう?」
「
……
そうかもね」
案内に先を歩こうとした喰斑がむっとした顔で歩調を緩めるので、笙祠は彼の腕をとって店へ歩き出す。三歩も進めば歩調の変わった喰斑が隣へ並んだ。
素直で可愛い大人だこと!
雨上がりの道の上、笙祠は自然に解けるまで喰斑の腕を引いていった。
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