まそとお

飴玉

「先輩、これ……
 久しぶりの外食。兎織がそっと差し出してくるバニラアイスはデザートとして付いてきたもので、笑って受け取った真朱はうきうきとしながら匙を持つ。
「いつもありがとね」
「私と月村さんの仲じゃありませんか」
 兎織は甘いものを苦手としている。果物も食べるのは柑橘やキウイであり、甘さよりも酸味が先んじるものだ。
 故に食事にデザートが付いてきたり、甘い菓子を貰うことがあれば真朱が引き受けるのが常のことであり、いつものやり取りといえた。筆耕として根を詰める副業を担う真朱は糖分に親しんでいるので、兎織の分も食べるのは苦にならない。
「大人ですし、栄養が偏っているわけでもなし、好きなものを食べればいいじゃないですか」
「先輩って結構おおらかだよね。じゃあ、明日は休みだし思い切りお酒飲みたいなー」
「いいですね。塩辛とたこわさ用意しましょうね」
「あと塩ね」
 呑兵衛の肴である。
 ──そんな医者が聞けばさぞかし渋い顔をするであろう会話をして数日後、渋い顔をしているのは兎織であった。
「どうしました?」
 退勤後、リビングで寛いでいたはずの兎織が片頬を膨らませているので、なにかあったのかしらと声をかけた真朱はちょいちょいと兎織に手招きされて彼の側へ寄る。
 背中へ回る兎織の片腕、ぐ、と引き寄せられるまま重なった唇。
 あら熱烈、などと思う間もなく真朱の口の中にころ、と固いものが転がり落ちた。甘い。
「飴?」
 発音は「あみぇ」だったが通じたらしい兎織が、不味いものを食べたように舌を出してから頷く。
「はー……あっま。甘くないなんて嘘じゃん〜」
「誰かに押し付けられましたか」
「そう。帰る直前にさー……客だったから一応受け取ったんだけど」
 真朱は苦笑しながら兎織の頭を撫でる。ころころと舐め転がす飴は舌がじんと痺れる程度には、飴として相応には甘い。これでは兎織にとってつらかろう。苦手な食べものを伝えると「ほんとうに良いものを知らないから」「これなら大丈夫だから」と勧めてくるものが一定層いる。兎織の云う客もその手合いだったのだろう。災難だこと。
「一服でもします?」
「そーする……ごめんね、急に」
「私と月村さんの仲じゃないですか」
 いつものやり取りだが「にゃいれすか」では格好がつかない。思わずといったように笑う兎織に真朱も飴玉を転がしながら笑う。
 ころり、ころ。
 口の中で転がす飴玉はゆっくり溶けていく。ようやっと小さくなった頃、真朱は飴の欠片を噛み砕き、そのまま兎織の袖を引いた。
「なあに?」
 ゆるりと目を細める兎織に、けれど意味は変えて真朱は小さく舌を見せる。じんわりとした甘さはまだ残っている。
「いまはキスしちゃだめですか?」
 明瞭な発音でねだった。
「そりゃあ……だめなんて言えないでしょ」
 笑う兎織から寄せられる唇を重ねて、薄く開かれた口に舌を差し込んだ。奪うように性急なものではなく、ゆるりと絡めて擦り合わされる舌から甘さが薄れる真朱に対し、兎織は眉を少し寄せる。彼にとっては好ましくない口付けを引き上げれば微かに唸る声。
「甘い……
 口直しとばかりに取り出された煙草に真朱は「酷いですねえ」と言いながら手を打って笑い、兎織はばつの悪そうな顔をした。
「ごめんって」
「ふふふ、今度は苦いのください」
「えー、またあ?」
 火をつけた煙草をひと吸い、ふわりと紫煙を立ち上らせながら兎織は嬉しそうな顔をしてもう一度真朱に顔を近づける。
 ほろりと兎織の唇から零れる紫煙、合わせた舌は苦く、しかし不快感はない。何度だって欲しくなる。
 呼吸の間に兎織がまた煙草をひと吸いし、今度はねだらざるとも口付けが交わされる。ほろほろと互いの口を行き交う煙は途切れず繋がり、ふつりと途切れるのは唇が離れてから。だが、いつの間にか繋いでいた手は離れず、かり、と手の甲を擽ったのはどちらからだろう。
「ベッド行きます?」
「えっち。行こっか」
 仕事後の気怠さはあるけれど、だからこそ互いの熱が欲しい。ごろりと転がったベッドの上で唇を喰むだけの口付けをしたり、服を脱がさぬままの肌を辿ってゆうるりと息切れに至らないだらだらとした触れ合いをする。バニラセックスは挿入を伴わずとも満足感があった。もちろん、明るいうちからシーツをぐちゃぐちゃに乱す日だってあるのだけれど。
「今日はどうしましょうか」
 いつ眠ってもおかしくない夢心地。
「真朱さんは昼まで寝たいでしょ」
「そうですねえ……付き合ってくれます?」
「いいよ。一緒に寝よ」
 重たい瞼で笑い合う。
 昼まで眠って、起きたらどうしようか。映画でも観ようか。いまはなにを配信しているだろう。出かけず家のなかでのんびりしたい。昼食はなにを作ろうか。そろそろ冷蔵庫の中身が心許ないので買い物にも行かなくちゃ。今日の仕事は忙しくなるかもしれない。息ぴったりに動ける互いがいて良かった。シフトが重ならぬ日の疲労は倍だ。
 飴を溶かすようにゆっくりとした微睡みのなかで、真朱は兎織に口付ける。離れれば今度は兎織から。何度も唇だけを触れ合わせていれば、どちらともなく瞼が落ちる。絡めた手足はそのまま、なによりも心地良い体温を抱きしめながら程なく寝息が零れる。
 きっと目覚めても溶けるような体温は腕のなかにあるだろう。